2018年05月20日

「建築士会への提言」と「安全な通学路づくり」の原稿

 公益社団法人 沖縄県建築士会中部支部が発刊する会誌「紫微鸞駕(しびらんが)」は、1年に1回、総会時に会員や賛助会員に配布されます。毎年寄稿していますが、会員以外の方々にも読んでもらいたいと考え、このHPで私が寄稿した分を公表します。

 2題あります。ひとつは建築士会への提言。世の中にはいろいろな組織、団体がありますが、共通するところもありそうなので、ご参考まで・・・。

 もうひとつは建築士会というより、建築士としての公共性についてです。特に学校と家庭の中間領域にある通学路の安全性を向上するための専門領域を活かした活動の紹介です。

原稿1

建築士会中部支部紫微鸞駕原稿1 (1)_R.JPG


建築士会中部支部紫微鸞駕原稿1 (2)_R.JPG


建築士会中部支部紫微鸞駕原稿1 (3)_R.JPG


建築士会中部支部紫微鸞駕原稿1 (4)_R.JPG


原稿2

中部支部原稿2 (1_R.JPG


中部支部原稿2 (2_R.JPG


中部支部原稿2 (3_R.JPG


中部支部原稿2 (4_R.JPG


中部支部原稿2 (5_R.JPG


中部支部原稿2 (6_R.JPG


中部支部原稿2 (7_R.JPG


中部支部原稿2 (8_R.JPG


中部支部原稿2 (9_R.JPG


中部支部原稿2 (10_R.JPG


中部支部原稿2 (11_R.JPG


以上です。

 建築士会中部支部は原則的に北谷町、嘉手納町、読谷村の地域内に居住、または勤務する者で建築士の免許保持者(会員)と建築士を目指す準会員と賛助会員(協力会員)で成り立っています。
会員数61名、準会員数9名、賛助会員79社(名)です。会員数より賛助会員数が多いのが特徴です。
 会誌「紫微鸞駕」は今回で第28号を迎えました。私は北中城村に居住していますので、「原則」では入れませんが、かつて嘉手納町、読谷村に合わせて3年ほど住んでいたので「原則」以外の会員として登録されています。
 
 結構、緩やかな会なので、肩もこらず、自由な活動がなされています。会員数よりB5版195ページで構成されていますが、最初に投稿したときは第10号くらいで、圧倒的に協賛広告が多かったのを覚えています。今はだいたい5分の1の割合です。

 残念ながら印刷費を辛抱しているせいか、写真も白黒で解像度も良くなく、どのくらい伝達できているのか心配なので原本を掲載しました。

ではまた・・・。 
posted by 塾長 at 10:36| 教育・子育て

2018年05月19日

新聞連載第8話「最古の貫穴」と精米

 タイムス住宅新聞で連載中の「細部(ディティール)から文化が見える」の第8話が掲載されました。今回は富山県・小矢部市にある桜町遺跡で出土した「日本最古の貫穴」から見える文化について書きました。

 竪穴住居から高層化した木造建物は、今に続きます。そのルーツはなんと、弥生時代の始まりより約2,000年も前の縄文時代にあったという画期的な発見が何を意味するのか、読み解いてみました。

第8話5月最古の貫穴_R.JPG


 私見なので、受け取り方はさまざまでしょうが、常に原点や本質に迫ってみようという考えのもとで毎回書いております。

 次回は、沖縄の昭和期の建築の「細部からみえる文化」について語ります。

 さて、私生活では1年遅れで、我が家で栽培した稲の精米をしました。忙しいというより、沖縄で精米所を見つけるのに時間がかかったといった方が当たっています。熊本にはたくさんあったので、軽く考えていました。

全体 (2).JPG


【やっと見つけた精米所。金武町にありました。精米も完全に機械化されています。奥のマスに入れると、自動的に精米されて手前の方に出てきます。白米と玄米の度合いを調整するゲージが中央に見えます。】

精米後.JPG


【精米されたお米】

モチ米入り精米中.JPG


【モチ米も一緒に入っています】

姉妹で観察.JPG


【稲こぎも自分たちでしたので、精米してお米になる過程も見せておこうと、9人兄弟のうち学校が代休だった高校2年の次女と下3人の子どもを連れて行きました。みんな興味深く見ていました。】

モチ米入り最終.JPG


【白いのがモチ米、お米は七分搗きでお願いしました。現在、南阿蘇から送っていただいている完全無農薬「オアシス米」も七分搗きです。】

ぬか.JPG


【これは精米時、玄米から分離した糠(ヌカ)。精米されたお米は、7分(しちぶ)搗きなので、玄米の表面に着ている3分(さんぶ)の糠が着いたお米ということになります。栄養たっぷりの糠は家で飼っているニワトリやアヒルのエサに混ぜたり、馬のたい肥作りに欠かせません。】

くず米.JPG


【これは「くず米」です。形がまだできていないお米や、胚芽などが機械から選別されて出てきます。これも、ニワトリ(ウコッケイ)や観音アヒルのエサに混ぜます。精米所で精米すると、捨てるものは何もありません。しかも我が家の稲作は湧き水と馬ふんのたい肥でできた完全無農薬なので安心です。】

数日後、我が家で栽培し、精米所で精米してできたお米を炊いていただきました。モチ米入りだったので、モチモチしたご飯になりましたが、とてもおいしくいただきました。自然の恵みに感謝です。

おまけ・・・

相撲大会.JPG


【5月12日、ラグビーに没頭する長男・朴然が第38回中部地区中体連相撲大会の中1の部に駆り出されました。結果は第2位。最初で最後の1回きりの勝負で負けましたが、それでも第2位。参加することに意義があります。】
posted by 塾長 at 19:18| 教育・子育て

2018年05月05日

皐月(さつき)、普段のこと・特別なこと!

 夜はゲロゲロ、ゲロゲロとカエルの合唱、朝はピー、ヒョロヒョロとアカショービンが鳴く今日この頃です。5月は長女の依奈(えな)が5日で満18歳、1日に5女のさわみこが満11歳、2日に第9子で7女のわかみこが満2歳になりました。

 我が家では2月、5月、8月に誕生日が集中していて、それぞれ3人ずついます。あとは6月と7月にひとりずつです。

DSCN6775_R.JPG


【けん玉が連続6回できるようになったと嬉しがる第5子・4女・さわみこ誕生日には妹のこはづきからプレゼントをもらい喜んでいました。満11歳です。】

わかみこ2歳誕生日.JPG


【第九子・わかみこの誕生日。家族で作った特製ケーキを前に「2歳」を表すポーズをしています。隣は「4歳」を表示している第8子のこだまこ。】

DSCN6782_R.JPG


【長女は5月5日の端午の節句に誕生。今年もこいのぼりが甍(いらか)の波に泳いでいます。18歳になりました。】

こはづき&わかみこ.JPG


【すっかりお姉ちゃんのこだまこが妹のわかみこの手を取ってお世話しています。】

 新年度にもだんだん慣れてきました。高校生になった次女の亜和(あや)は、高校でも女子ソフトボール部に入りました。先日、女子ソフトの実業団リーグ戦が読谷村で開催されたので見学に連れて行きました。目当ては昨年度も優勝しているビックカメラとトヨタの試合。多くの観客で活気がありました。

ビッグカメラ対豊田自動織機.JPG


【結果は5:4でビックカメラが勝ちました。再登板した上野選手の底力でなんとか勝利した感じでした。実業団の試合を目の当たりにして今後、何かの励みになればいいと思っています。】

我妻選手10番.JPG


【試合後、キャプテンの我妻(あがつま)選手と一緒に写真が撮れました。全日本の選手です。かっこ良かったです。】

北口選手22番.JPG


【逆転の3ランホームランを打った北口選手とツーショット。なかなかないチャンスです。現在、高校での背番号を決める時期ですが、誰かとだぶらないなら彼女の背番号・22をもらったら、と進言しています。若くてきれいな方でした。66歳から妻の44歳を引いた数字が22ということもあります。さわみこが11歳、長女が5月5日(55)、妻が44歳、私が66歳、ゾロ目の年です。】

宇津木麗華さんと.JPG


【こちらは有名な宇津木 麗華さんです。日本に帰化後、尊敬する宇津木 妙子さんにお願いして「宇津木」姓をもらったすごい方です。そして、北京五輪で日本が金メダルを取ったときの監督です。実に気さくな方で、気軽に写真撮影をOKしてくれました。背番号が高校メンバーの誰かとバッティングするなら、恐れ多くではありますが、彼女の現役時代の23番にしたら・・・と助言しました。】

 先日はハブを捕獲しました。数日前にに無毒のアカハラを捕獲しました。我が家にはヘビがたくさんいます。ヘビは陸上の生態系で頂点にいます。生態系を壊さないためにむやみの殺さないことにしています。

アカマタゲット.JPG


【捕獲したアカマタ。どこにいたか?敷地のはずれに作った電気棟の分電盤の中にいました。捕獲する前、アカマタであることは模様を見てわかりました。ちょっとだけかまれましたが、無毒と承知していたので慌てませんでした。】

アカマタ解放.JPG


【2日ほど瓶に入れて観察したのち、野に放しました。アカマタは有毒のハブを食べることもあります。先日、取り逃がしたハブの場所に放しました。どうぞ、両者で野ネズミを退治してください。】

5月5日ヘッドキャップ購入 形はラガーマンP5050021_R.JPG


【最後はラガーマンになった第4子で長男の練習着です。昨日、ヘッドキャップを購入しました。ラグビースクールに通い始めて2週間になります。50年前、熊本工業高校でラグビーを少しだけ経験したこともあり、人格形成にはいいのかなと考え勧めました。毎日の練習はハードのようですが、本人はとても楽しそうです。】

育った稲.JPG


【先日田植えした稲が少しずつ育っています。今年も「きたなか林間学校」を開催予定です。いまのところ8月11日〜12日の1泊2日の予定です。近々、新聞で公募します。】


追伸:次女の背番号の予定だった22、23はすでに別な選手が使う予定なので、全く別の39になりそうです。(サンキュー・ありがとう)
posted by 塾長 at 17:13| 教育・子育て

2018年04月20日

タイムス住宅新聞連載「細部から文化が見える」第7話

本日(4月20日)、タイムス住宅新聞に連載中の「細部(ディティール)から文化が見える」の第7話が掲載されたので見開き2ページを1ページにレイアウトして転載いたします。

今回は「日本最古の『ホゾ』」〜真脇遺跡に見た究極の知恵〜です。

第7話新聞原稿地色白のリサイズ.JPG


来月の予定は富山県桜町遺跡で出土した高床式建物に使用された床梁(ゆかばり)の大入れ(穴)の話です。縄文時代に竪穴式ではなく高床式建物がなぜ出現したのか、その理由と現代の文化、自然観に及ぼす影響などをつづります。
posted by 塾長 at 08:55| 教育・子育て

2018年04月18日

「さのぼり」終了!

4月18日(日)、例年より早く田植えを完了しました。
第5子の「さわみこ」(5月1日生まれ)の名前の「さ」は、田植え完了祝いの「さのぼり」や「さつき」からとっています。田植えの完了祝いは「さのぼり」と言ったり、「さなぶり」と言ったりします。

我が家もこの4月から高校生が2人、中学生が2人、小学生が3人になり、入学や進級が重なり大変でしたが、全員がやっと18日に揃ったので、田植えをしました。

以下は、その様子です。

種.JPG

【去年の種を水に漬けて芽と根が出たのを確認したので、育苗箱にふるいにかけた土を敷き込み、まきました。この後、土を軽くかぶせて水をかけます。】

覆い.JPG


【しばらくの間、お日様を当てないように覆いをして育てます。】

育苗箱.JPG


【こっそり覆いをとって見てみると、やっと出てきた苗にたくさんの露がついていました。】

代掻き.JPG


【代掻き中です。田んぼといっても、傾斜地にある自宅の中なので、猫の額ほどの面積。代掻きも田植えも一日で終了予定です。】

代掻き (2).JPG


【一応、棚田です。こちらも代掻き中です。「田んぼづくりはアゼづくり」と言われるほど田んぼから水を漏らさないアゼづくりは難しいです。しかも、こんなに段差があると、尚のことです。】

苗とこ.JPG


【育苗箱をそれぞれの田んぼに運びます。まだ苗が小さいとは思いましたが、今後の家族のスケジュールを考えると、今日しかないと考え決断しました。】

田植え (2).JPG


【道路側の狭くて小さな田んぼでの田植えです。】

田植え.JPG


【小雨の降る中、子どもたちはがんばって田植えをしました。】

看板田植え.JPG


【「♬水は天かーらもらい水ー八分音符・・・」。熊本民謡の五木の子守歌の歌詞通り、水は白比川の最上流のひとつ「タチガー」の湧水からもらい水です。ただ、子どもたちは「♬やってみよう!八分音符の歌をみんなで楽しく歌いながらの作業でした。肥料は馬ふんのたい肥なので完全無農薬、無化学肥料のコメ作りです。】

3日目 (1).JPG


【田植え後2日間、雨でした。18日にしてよかったと思いました。今年は苗が少なかったので、最初辛抱していたので、ひと株のところもありました。しかし何とか根付いたようです。】

3日目 (2).JPG


【棚田の方の様子です。こちらも何とか根付いているようです。】

3日目 (3).JPG


【苗を辛抱しすぎたので、逆に苗が余ってしまいました。しかたなく、闘魚やメダカが棲んでいる左官工事用のトロ箱に田植えしました。去年もトロ箱稲を作ったので土が入っています。】

元気に育ってほしいと願っています。子どもたちも・・・。
posted by 塾長 at 16:56| 教育・子育て

2018年03月31日

家族11.1人の旅 ご報告

3月26日より予定通り矢岳町の家に家族全員で出発しました。

3月26日 (2).JPG


【移動手段は半分は船、残りは一日遅れの飛行機です。次女の高校説明会への出席と2日間のエサあげをなるべく自分たちでするためです。本部港(もとぶこう)発の「あけぼの」に乗りました。】

3月26日 (1).JPG


【船上から残る人たちへ敬意をこめて「敬礼」。】

3月26日 (5).JPG


【まる一日かかる船旅。急なことだったので2等室しか取れませんでした。ぎゅうぎゅう詰めの雑魚寝です。それでもなんとか鹿児島に着けばいい・・・・飛行機内の気圧の関係で耳をやられた先月の経験からゆっくり水平線を見るのもおつなもので・・・。】

3月27日 (1).JPG


【3月27日朝、鹿児島の錦江湾に入ると、突然、桜島が爆発!】

3月27日 (2).JPG


【陸路はレンタカー。10人乗りのトヨタハイエースワゴン。慣れない大型車なので、高速道路のサービスエリアで一服。(朴然・こだまこ・さわみこ)】

3月27日 (3).JPG



【船中泊グループと飛行機グループが3月27日10:30、鹿児島空港で合流。第八子のこだまこと、第九子のわかみこがしばらく会わなかったので、とてもうれしそうでした。】

3月27日 (7).JPG


【一路「矢岳町」へ。矢岳町は宮崎と熊本の県境にあります。】

3月27日 (8).JPG


【久々帰ってきた矢岳の家・隣の家が解体されていたので、以前より家全体が見えるようになりました。手前が新しく建てた別棟、奥が明治42年11月建築の旧国鉄矢岳駅駅長官舎。】

3月27日 (15).JPG


【霧島溶岩で造られた井戸。家屋も井戸も国の登録有形文化財です。】

3月27日 (10).JPG


【登録有形文化財を証す真鍮(しんちゅう)製の銘板。】

3月27日 (13).JPG


【屋根をふき替えた時作ってもらった「喜怒哀楽」をイメージした鬼瓦も4個のうち、3個は健在でした。1個は台風で落ちていましたが、修復すればまた載せられると思います。】

3月27日 (16).JPG


【「笑う鬼瓦」とセットの私の顔をした巴瓦も健在でした。特注の巴瓦は19枚もあります。】

3月27日 (17).JPG


【ヒノキ風呂も健在でした。お湯を入れるときっとヒノキの香りがすると思います。】

3月27日 (18).JPG


【暖炉も地元の焼酎メーカーラベルを張った屏風もみんなありました。旅館として再生しても十分楽しめると思いました。】

3月27日 (19).JPG


【片付けや引っ越しまとめにお世話になった地域の上原さんと記念写真。近くの大杉さん(元町内会長)にも引っ越し用のキャタピラ付き運搬車をお貸ししていただきました。感謝します。(右から4番目(後ろ):上原さん、右、旧駅長官舎、左別棟)】

3月28日 (7).JPG


【3月28日。売却先のNOTE人吉球磨(代表 村口隆さん・左端)たちと記念撮影。このあと、家内の勤務先、人吉郵便局にごあいさつ。・・・といっても何年も育児休暇をとっているので、知らない人ばかりでしたが・・。】

3月28日 (6).JPG


【大事な契約を終えて熊本市内へ移動。途中、父母のお墓のある熊本市営の桃尾墓園へ。桜の花びらが舞い散る素晴らしい時期でした。シャッターを押すときも、だれもカメラを見てくれません。みんな、風に舞う花びらが美しいので見とれております。】

3月28日 (4).JPG


【熊本に行ったら必ずいただく「新華楼」のラーメン。なんとも表現できない味です。50年間、変わらぬ味と優しい心遣い。ありがとうございました。】

3月28日(15 ).JPG


【おばあちゃんは転倒して足を悪くしていらっしゃいましたが、わざわざ出てきてくれました。(カレンダーの下)子どもたちは元気に「やってみよう!」を合唱して気持ちを伝えました。】

3月28日 (3).JPG


3月28日 (2).JPG


【夜は旧友との再会が実現しました。懐かしい面々、変わらぬ友情。思いで話しや今の状況などをお互いに話しました。楽しいひと時でした。遠くは荒尾市、松橋、西原村など遠路はるばるお忙しい年度末にお集まりいただき感謝申し上げます。店は熊工同期の南君が経営する「音楽館」。子どもたちも3曲アカペラで歌を披露しました。】

3月29日 (5).JPG


【3月29日。せっかくなので熊本地震の跡を少しでも見て今後に生かそうと考え、被害の大きかった益城町に行きました。役場の方に説明をいただき、復興がまだできていないところをみました。これは活断層の近くにある木山神宮。屋根がそのまま落ちていました。基壇が少しもろかったのかも知れませんが、それにしても自然の力にはかないません。実感しました。】

3月29日 (4).JPG


【おまけ:鹿児島空港の喫煙席。船の中も熊本空港も喫煙所は密閉された狭い空間です。ここは応接間をイメージするくらい豪華で広く、椅子まであります。タバコは嗜好品。片隅で肩実の狭い思いで吸うよりは、こっちの方が断然おいしく飲めました。】

P3290722.JPG


【やっと帰りの飛行機で11名揃いました。】

3月30日 (2).JPG


【3月30日、帰ってきたらさっそく朝からエサあげや掃除が待っています。おかげで動物の世話をお願いした甲斐あって、いきものは全部元気でした。1歳のわかみこも4歳のこだまこも全員参加のお掃除です。】

以上が、旅行のまとめです。

表題が11.1人となっているのは、おなかに第10子がいることが旅行直前に判明したからです。もし、無事に生まれることができたら、臍帯血の幹細胞を脳症で手足・視力などが不自由になっている万然に移植する予定です。兄弟間の臨床例は日本ではまだまだですが、脳神経障害の再生例はアメリカではあります。日本の再生医療の一助になれば幸いだと考えます。無事生まれて欲しいと願っております。
posted by 塾長 at 20:12| 教育・子育て

2018年03月21日

連載「細部から文化が見える」第6話

タイムス住宅新聞で連載中の「細部(ディティール)から文化が見える」の第6話「ひと粒の土」を転載いたします。来月は「日本最古のホゾ」の予定です。

第6話渡名喜掲載コピー_R.JPG
posted by 塾長 at 21:44| 教育・子育て

「矢岳の家」おげんきで・・・

 明治42年(1909年)、肥薩線の全線開通時に建てられた旧国鉄矢岳駅(やたけえき)駅長官舎。満50歳を迎えて自分自身への問いかけ、「たった一度の人生で本当は何をしたいのか、自分自身は何ができるのか」で導き出されたのは「閉鎖型の自然生態系」のなかでつつましく生きることでした。

 結論が出たので、場所を探しました。それが熊本県人吉市矢岳町の旧国鉄矢岳駅駅長官舎。何軒も候補がありましたが、通りすがりに一瞬車から見えたのが下見板壁の小さな家。バックしてもらって改めてみたらもう虜(とりこ)になりました。

 この建物は国鉄駅長官舎後、国鉄はJRに移行。その後、町内会の公民館として使われていましたが、見たときは空き家になっていました。さっそく交渉を開始。人吉市の所有だった土地は市議会、家の管理をしていたもと国鉄マンとも話し合いを行い、なんとか所有することができました。
 契約後、住める状態に屋根や内装を改修しました。それから沖縄に残していた家族を呼び、理想郷ともいえる矢岳町で3年暮らしました。その間に林間学校を開始、同じ敷地に隣接して伝統建築の離れを建てました。

 3年間で得たものは「これまでの人生は一体何だったのか!というくらい衝撃の連続、その後の人生に大きな影響を与えています。今回、沖縄に引っ越してきて空き家になっていた矢岳の家を手放すことにしたのは、それほど大切な家を今後もしっかり管理してくれる方々が現れたからです。どうしても沖縄と熊本では離れすぎていて十分な管理ができなく悔しい思いがありました。
 スイッチバックとループ線を併せ持つ大畑駅(おこばえき)は隣駅、矢岳駅にはD51が鎮座します。またイギリス製レンガ造りの20か所以上のトンネルや巨大盛り土、鉄橋などを含めた「JR肥薩線」がイコモス(International Council on Monuments and Sites・ 国際記念物遺跡会議)の「日本の20世紀遺産20選」に選ばれ、肥薩線にある矢岳駅の駅長官舎がやっと日の目を見ることができそうです。

 売買契約、残してきた家財の片付けなどで急きょ、沖縄から矢岳の家に行くことになりましました。矢岳の家で出産した子が二人いることや、契約者が妻であること、障がいを持つ万然や1歳の「わかみこ」の世話を妻がしていることがいることなどから、家族11名で行くことにしました。
 「11名の団体」が移動するにはそれ相応に経費がかかりますが、もう大家族での移動は最後かもしれないと思い決断しました。

 船便と航空便で分かれて出発した家族が来週27日(火)に鹿児島空港で合流します。分かれて出発するのは、北中城村に残した馬やヤギ、イノシシ、ウサギ(2羽)、番犬(6匹)、猫、アヒル(ひよこ)・ニワトリ(約20羽)などの家畜・家きんの世話をなるべく自分たちでするためです。どうしても2日間はしかたない日があるので家内の親族にお願いしました。

 27日は人吉市、28日は熊本市に泊まります。熊本を離れて約13年、お世話になった方々と久しぶりお会いできそうです。

 長年、木造建築に携わって築いた価値観や自然観を一変させた矢岳の家と暮らしぶり。家の所有はなくなりますが、培った人生哲学は今も継続しています。「矢岳の家」に感謝しつつ、「末永く元気でいてくれ!」と願うばかりです。26日先発隊6名が出発いたします。

価値観を一変させた思い出の矢岳アルバム

矢岳の家_R.JPG

【母屋と井戸を国の登録有形文化財に申請し、文化財になりました。(全景)】

矢岳の記録(p3) のコピー修理後R_R.JPG

【母屋。ニワトリ(うこっけい)は今も遺伝子を遺して沖縄で生きています。】

改修後の8畳の間_R.JPG

【改装後の座敷。漆喰の総塗り替え、建具の改修で見事に生まれ変わりました。今後は宿泊施設になります。】

名称未設定 16 のコピー_R.JPG

【朝もやの中を走る一両編成の列車(肥薩線)】

名称未設定 1 のコピー_R.JPG

【明治時代作られた矢岳トンネル。壮絶な工事だったと聞き及んでいます。】

名称未設定 7 のコピー_R.JPG

【駅前のメインストーリー(?)奥に矢岳の家(駅長官舎)。秋はヒガンバナが彩りを添えます。】

名称未設定 2 のコピー_R.JPG

【稲作を初めて体験(3年間)。今も少しですが無農薬の田んぼで稲作にかかわっています。】

タイムスリップしてこれからは現在の状況です。

ランドセル.JPG

【熊本にいる妹の子(姪)が作った折り紙のランドセルが送られてきました。心に弱度の障がいがあるようですが、すばらしい作品です。】

正座.JPG

【正座して食事する1歳と4歳の子どもたち。】

こだまこ&わかみこ.JPG

【仲良しの二人です。】
posted by 塾長 at 21:30| 教育・子育て

2018年02月27日

馬にかまれる!

沖縄に帰ってきてから、普段の生活に戻りました。妻の誕生日である2月24日、家族で久々生きものの世話をしました。飼い馬のゲンも自宅裏の牧場に連れて行きました。

「小学校組み3人も、一緒に餌あげできるのはあと少しだなぁ。せっかくだから記念に写真、撮ろうか?」と言ったら、六女の「こはづき」(小3)が馬の額をなぜなぜし始めした。最初は良かったのですが、いきなり顔を突き出し、顔をガブリ。頭で押し倒した後に、上から噛みました。

馬にかまれる.JPG


【この写真を撮った直後、噛みました。目の前の出来事でびっくり。まさかそのあとも攻撃するとは・・・。野生のままの与那国馬。予兆は牧場に朴然が引いていくとき一時、暴れたのでどうかと思いましたが、あとは安定していました。油断ならない野生動物。とっさの攻撃をかわす合気道は通用しませんでした。】

顔の傷.JPG


【顔の傷。歯形が見えます。急ぎ、近くの病院で手当てしました。骨や肺に異常はなし。】

胸の傷.JPG


【胸の傷。内出血を起こしています。このあと少し腫(は)れました。痛みが今も続いています。】

アッという間の出来事で何もできず反省しています。今は少しずつ暖かくなってきており、発情期に入っていたのかもしれません。ペット化する野生動物。ただ、どんな動物にも慎重に対応すべきと本人も家族も再確認しました。

今月は8日が三女・麻衣、21日が第九子で七女のこだまこ、そして24日が家内の誕生日。5月、8月にならぶ月内に3人が誕生日を迎えるバースデイラッシュ月です。

音楽会 (1).JPG


【我が家では元旦に家族一緒に年を重ねるので、個人の誕生日にはあまり重きを置きません。それでも子どもたちにせがまれるので、西洋風のバースデイケーキを作ることもありますが、基本、自分たちで作ります。】

DSCN4228_R.JPG


【ちなみにこれは21日に満4歳を迎えた「こだまこ」への家族手づくりのバースデイケーキです。】

特別室.JPG


【誕生日にお金をかけないために、24日はコンベンションセンター劇場棟で行われた航空自衛隊の演奏会に家族11人全員で出かけました。目は見えませんが聴覚はあると思われる万然に生の音楽を聴かせる意味もありました。いつも家族の世話で忙しい妻に対するせめてものプレゼントです。(これに妻が大好きな熊本の鋒楽饅頭(ほうらくまんじゅう)もプレゼント。ただし、饅頭はみんなでいただきますが・・・。)
子どもたちも大変喜んでいました。(特別視聴室にて)】

掃除・かたずけ.JPG


sokkousouji  (1).JPG


【次の25日(日曜日)は、餌あげのあと、みんなで側溝掃除をしました。】

sokkousouji  (2).JPG


リヤカー.JPG


ムラサキカタバミ.JPG


【側溝に流れている水は名水百選のひとつ、タチガーから流れ出る地下水です。結構みんな楽しく掃除します。下二人は側溝そばに咲いていたムラサキカタバミの茎を噛んで、あの酸っぱさを楽しんでいました。】

明日は連載中のタイムス住宅新聞の関係者(執筆者やスタッフ等)同士の懇親会で那覇に行きます。どんな人たちとどんな話をするのか、楽しみです。それにしても、相変わらず、刺激的な毎日が続きます。
posted by 塾長 at 11:53| 教育・子育て

2018年02月21日

ギリギリセーフの東京・石川・富山の旅・・・

風邪の治りかけを知りつつ、朴然の表彰式の付き添いで久しぶりに旅をしました。強行スケジュールで行く先々で航空機内の気圧の関係からか耳が痛くなり、とうとう左耳は聞こえなくなりました。今も左耳が聞こえず、バランス感覚にも影響が出ています。

しかし、とりあえず時間に追われながらもギリギリセーフでつなぎまくって帰沖したご報告をいたします。
詳しくは、後日。また、内容はタイムス住宅新聞で連載中の「細部から文化が見える」に記したいと思います。旅の途中でお世話になった皆様に、感謝いたします。ありがとうございました。

DSCN3683_R.JPG


【高速バスで那覇空港に行く予定でしたが、荷物の多さなどを考慮して車で送ってもらいました。幼い子ども2人を乗せて、自宅までどうやって帰るのか、気にはなりましたが・・・】

DSCN3703_R.JPG


【雲の上にポッコリ見えた富士山。長男・朴然は子どもたちだけで東京に旅した以来の上京でしたが、初めてみた雪の富士山に「ラッキー!」と感激していました。】

DSCN3747_R.JPG


【せっかくなので、夜、昔の仲間に会うことにしました。全国の青年委員(九州ブロックからは2名)をするようになった約30年前から上京することが増えました。それ以降、委員長に就任してから2年間、日本建築士会連合会で青年委員会担当だった山田隆一さんとは一緒にがんばりました。現在、同会の事務局長ですが、気さくな性格は今も健在で「アッ、また委員長と言ってしまいましたね。」と「山ちゃん」から言われるほど、当時の青年委員長時代の数々のエピソードを生んだ活動の話題に花が咲きました。】

DSCN3886_R.JPG


【本来の目的は毎日新聞社主催の自然科学観察コンクール(2等賞)の授賞式への参加です。秋山仁さんの講演などもありました。】

DSCN3950_R.JPG


【表彰式のあと表彰者・付き添い者と審査員・運営スタッフなどとの懇親会もありましたが、途中退席させてもらい、急いで東京駅の新幹線乗り場へ。午前中に切符を購入していたので、ギリギリ何とか間に合いました。北陸新幹線で一路、石川県金沢市へ。】

DSCN4000_R.JPG


【金沢は二人とも初めて。駅前のオブジェが雪の金沢にぴったりでした。】

DSCN4009_R.JPG


【朴然はそんなことより、舞い落ちる雪に見とれていました。初めて本物の雪を仰いでいました。】

DSCN4059_R.JPG


【急きょ、私は沖縄で買い込んだすべり止め付きの靴、朴然はラグビーのスパイクに履き替えて雪の金沢で夕食をとることに・・。せっかくなので日本海でとれた魚とおいしい水と米でできた日本酒をいただくために、ホテルのすぐ裏の繁華街に出ました。入ったのは「魚屋さん」が経営している居酒屋。店の前には天然クーラーが効いているので、魚の頭がそのまま置いてありました。沖縄では考えられません。】

DSCN4084_R.JPG


【戦火が及ばなかった金沢には2階建ての木造家屋がたくさん残っていました。金沢の風情を感じることができました。】

DSCN4139_R.JPG


【一夜を過ごしたあと、早朝4時に起床し、雪の降る中、タクシー予約ができなかったので歩いて金沢駅に・・・。歩道には雪が積んでいるので、大きな荷物を引きながら車道を歩きました。途中、車道に残るシャーベット状の水を(乗せてくれない)タクシーにかけられ、ズボンが濡れて寒くなりました。
歩いたので予定の電車は出発していました。一時間ほどIR石川鉄道のホームで待ち、6時半発の七尾駅行きの電車に乗りました。その後、予約していたレンタカーで能登半島にある真脇遺跡に向かいました。
時間が押していたので急がねば羽田発那覇行きの飛行機に乗れないので焦りました。しかし、知らない道、初めての雪道。約2時間は睡魔に襲われることなどなく、緊張の中で走り続けました。】

20180218_103321_R.JPG


【やっと会えました。3200年前の日本最古の「ホゾ」。木造建築の原点です。詳しくは連載記事で書きます。2000キロの旅を考えていただき、管理されている真脇遺跡縄文館の高田秀樹館長が水中管理下にあるホゾの付いた柱を持ち上げてくれました。触ってみると、優しくやわらかでした。材種はアスナロでした。】

20180218_103930_R.JPG


【当時の石器を使って復元なった縄文時代の竪穴住居の前で記念撮影。向かって左が高田館長。中には炉があり、火を入れてあったので周りは雪でも暖かかったです。その他貴重な話も伺いましたが、これもまとめて連載で披露します。】

bPの詳細.JPG


【最後にどうしても見たかった4000年前の「床大引きの穴」。真脇遺跡より古い遺構です。ホゾではありませんが、稲作が普及し貯蔵の必要から生まれた高床式建物は弥生時代が常識でした。これをひるがえす大発見。縄文時代に高床建物が建てられた証拠の穴です。詳しくはこれも連載で書きます。】

このあと、車で富山駅に向かいましたが、案内していただいた小矢部市教育委員会の大野淳也さんから「もう1時45分ですよ。」といわれ、3時発の新幹線が頭をよぎり、挨拶もそこそこに小矢部ふるさと歴史館をあとにしました。この時、レンタカーのナビ操作ができず、目と口で富山駅を目指し、駅近くでレンタカーを返し、富山の路面電車を見るのもそこそこに北陸新幹線にギリギリ乗り込みました。

問題はそこからでした。ひと列車早めた新幹線に乗ればなんとかなる、と踏んでいました。ところが、新幹線に乗り込んだので安心したのか、朴然は大宮駅当たりから眠りました。東京駅近くで起こしましたが、寝ぼけていたのかチケットがない、と言い出しました。

とりあえずホームに降りて探しましたが見つかりません。このままでは羽田に着くのが遅くなるので、降りたホームの事務所にどのようにしたら良いか聞きに行きました。そのとき朴然は降りたところにいました。まだ探していました。事務所から朴然は見えるので「オーイ朴然、こっちにだよー!と恥も外聞もなく叫びました。こっちを向いたようだったので、事務所の人と交渉に入りました。と・こ・ろ・が、1〜2分の間にホームから姿が消えました。あわてて、23番ホームや階下の2つある改札口周りを探しました。待合室やトイレの中も見ましたがいません。

時間は刻々と経っていき、もう羽田発20時の飛行機を逆算すると限界の18時30分を回りました。迷子(行方不明)放送もホームで2回、改札口周りのフロアーで1回してもらいました。しかし、見当たりません。夕方なので多くの乗降客でいっぱいの東京駅。・・・そして決断しました。何回もホームと改札周辺を探した、もうここにはいない!もしかしたら、あの後、切符が出てきて改札口を出たかも?

そう決断して改札に向かいました。そうしたら、なんと改札口の外で手を振る少年が!お金もなく、携帯電話も待たないので心配でしたが、やっと再会できました。ゆっくり話す時間もなく、急ぎ山手線、東京モノレールに乗り換え、羽田に着きました。搭乗手続き締め切りのギリギリの時間でした。

那覇空港には家族11人のうち6人が迎えに来てくれていました。自宅に帰り着いたのは12時前でした。それから起きている子どもたちに簡単に報告して就寝しました。どの継ぎ目もギリギリでした。しかし、百聞は一見に如かず、また、写真ではなく本物の量感や周りの景色、距離感、出会った多くの人たちの表情や言葉、あたたかな心に触れて大変満足のいく旅でした。

日本建築士会連合会の山田局長、高田真脇縄文館長、小矢部市教委の大野主査(中井様)をはじめ、関係各位に感謝申し上げます。大変、ありがとうございました。こんどはゆっくり行きたいと存じます。
posted by 塾長 at 12:02| 教育・子育て