2018年03月31日

家族11.1人の旅 ご報告

3月26日より予定通り矢岳町の家に家族全員で出発しました。

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【移動手段は半分は船、残りは一日遅れの飛行機です。次女の高校説明会への出席と2日間のエサあげをなるべく自分たちでするためです。本部港(もとぶこう)発の「あけぼの」に乗りました。】

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【船上から残る人たちへ敬意をこめて「敬礼」。】

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【まる一日かかる船旅。急なことだったので2等室しか取れませんでした。ぎゅうぎゅう詰めの雑魚寝です。それでもなんとか鹿児島に着けばいい・・・・飛行機内の気圧の関係で耳をやられた先月の経験からゆっくり水平線を見るのもおつなもので・・・。】

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【3月27日朝、鹿児島の錦江湾に入ると、突然、桜島が爆発!】

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【陸路はレンタカー。10人乗りのトヨタハイエースワゴン。慣れない大型車なので、高速道路のサービスエリアで一服。(朴然・こだまこ・さわみこ)】

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【船中泊グループと飛行機グループが3月27日10:30、鹿児島空港で合流。第八子のこだまこと、第九子のわかみこがしばらく会わなかったので、とてもうれしそうでした。】

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【一路「矢岳町」へ。矢岳町は宮崎と熊本の県境にあります。】

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【久々帰ってきた矢岳の家・隣の家が解体されていたので、以前より家全体が見えるようになりました。手前が新しく建てた別棟、奥が明治42年11月建築の旧国鉄矢岳駅駅長官舎。】

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【霧島溶岩で造られた井戸。家屋も井戸も国の登録有形文化財です。】

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【登録有形文化財を証す真鍮(しんちゅう)製の銘板。】

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【屋根をふき替えた時作ってもらった「喜怒哀楽」をイメージした鬼瓦も4個のうち、3個は健在でした。1個は台風で落ちていましたが、修復すればまた載せられると思います。】

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【「笑う鬼瓦」とセットの私の顔をした巴瓦も健在でした。特注の巴瓦は19枚もあります。】

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【ヒノキ風呂も健在でした。お湯を入れるときっとヒノキの香りがすると思います。】

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【暖炉も地元の焼酎メーカーラベルを張った屏風もみんなありました。旅館として再生しても十分楽しめると思いました。】

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【片付けや引っ越しまとめにお世話になった地域の上原さんと記念写真。近くの大杉さん(元町内会長)にも引っ越し用のキャタピラ付き運搬車をお貸ししていただきました。感謝します。(右から4番目(後ろ):上原さん、右、旧駅長官舎、左別棟)】

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【3月28日。売却先のNOTE人吉球磨(代表 村口隆さん・左端)たちと記念撮影。このあと、家内の勤務先、人吉郵便局にごあいさつ。・・・といっても何年も育児休暇をとっているので、知らない人ばかりでしたが・・。】

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【大事な契約を終えて熊本市内へ移動。途中、父母のお墓のある熊本市営の桃尾墓園へ。桜の花びらが舞い散る素晴らしい時期でした。シャッターを押すときも、だれもカメラを見てくれません。みんな、風に舞う花びらが美しいので見とれております。】

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【熊本に行ったら必ずいただく「新華楼」のラーメン。なんとも表現できない味です。50年間、変わらぬ味と優しい心遣い。ありがとうございました。】

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【おばあちゃんは転倒して足を悪くしていらっしゃいましたが、わざわざ出てきてくれました。(カレンダーの下)子どもたちは元気に「やってみよう!」を合唱して気持ちを伝えました。】

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【夜は旧友との再会が実現しました。懐かしい面々、変わらぬ友情。思いで話しや今の状況などをお互いに話しました。楽しいひと時でした。遠くは荒尾市、松橋、西原村など遠路はるばるお忙しい年度末にお集まりいただき感謝申し上げます。店は熊工同期の南君が経営する「音楽館」。子どもたちも3曲アカペラで歌を披露しました。】

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【3月29日。せっかくなので熊本地震の跡を少しでも見て今後に生かそうと考え、被害の大きかった益城町に行きました。役場の方に説明をいただき、復興がまだできていないところをみました。これは活断層の近くにある木山神宮。屋根がそのまま落ちていました。基壇が少しもろかったのかも知れませんが、それにしても自然の力にはかないません。実感しました。】

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【おまけ:鹿児島空港の喫煙席。船の中も熊本空港も喫煙所は密閉された狭い空間です。ここは応接間をイメージするくらい豪華で広く、椅子まであります。タバコは嗜好品。片隅で肩実の狭い思いで吸うよりは、こっちの方が断然おいしく飲めました。】

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【やっと帰りの飛行機で11名揃いました。】

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【3月30日、帰ってきたらさっそく朝からエサあげや掃除が待っています。おかげで動物の世話をお願いした甲斐あって、いきものは全部元気でした。1歳のわかみこも4歳のこだまこも全員参加のお掃除です。】

以上が、旅行のまとめです。

表題が11.1人となっているのは、おなかに第10子がいることが旅行直前に判明したからです。もし、無事に生まれることができたら、臍帯血の幹細胞を脳症で手足・視力などが不自由になっている万然に移植する予定です。兄弟間の臨床例は日本ではまだまだですが、脳神経障害の再生例はアメリカではあります。日本の再生医療の一助になれば幸いだと考えます。無事生まれて欲しいと願っております。
posted by 塾長 at 20:12| 教育・子育て

2018年03月21日

連載「細部から文化が見える」第6話

タイムス住宅新聞で連載中の「細部(ディティール)から文化が見える」の第6話「ひと粒の土」を転載いたします。来月は「日本最古のホゾ」の予定です。

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posted by 塾長 at 21:44| 教育・子育て

「矢岳の家」おげんきで・・・

 明治42年(1909年)、肥薩線の全線開通時に建てられた旧国鉄矢岳駅(やたけえき)駅長官舎。満50歳を迎えて自分自身への問いかけ、「たった一度の人生で本当は何をしたいのか、自分自身は何ができるのか」で導き出されたのは「閉鎖型の自然生態系」のなかでつつましく生きることでした。

 結論が出たので、場所を探しました。それが熊本県人吉市矢岳町の旧国鉄矢岳駅駅長官舎。何軒も候補がありましたが、通りすがりに一瞬車から見えたのが下見板壁の小さな家。バックしてもらって改めてみたらもう虜(とりこ)になりました。

 この建物は国鉄駅長官舎後、国鉄はJRに移行。その後、町内会の公民館として使われていましたが、見たときは空き家になっていました。さっそく交渉を開始。人吉市の所有だった土地は市議会、家の管理をしていたもと国鉄マンとも話し合いを行い、なんとか所有することができました。
 契約後、住める状態に屋根や内装を改修しました。それから沖縄に残していた家族を呼び、理想郷ともいえる矢岳町で3年暮らしました。その間に林間学校を開始、同じ敷地に隣接して伝統建築の離れを建てました。

 3年間で得たものは「これまでの人生は一体何だったのか!というくらい衝撃の連続、その後の人生に大きな影響を与えています。今回、沖縄に引っ越してきて空き家になっていた矢岳の家を手放すことにしたのは、それほど大切な家を今後もしっかり管理してくれる方々が現れたからです。どうしても沖縄と熊本では離れすぎていて十分な管理ができなく悔しい思いがありました。
 スイッチバックとループ線を併せ持つ大畑駅(おこばえき)は隣駅、矢岳駅にはD51が鎮座します。またイギリス製レンガ造りの20か所以上のトンネルや巨大盛り土、鉄橋などを含めた「JR肥薩線」がイコモス(International Council on Monuments and Sites・ 国際記念物遺跡会議)の「日本の20世紀遺産20選」に選ばれ、肥薩線にある矢岳駅の駅長官舎がやっと日の目を見ることができそうです。

 売買契約、残してきた家財の片付けなどで急きょ、沖縄から矢岳の家に行くことになりましました。矢岳の家で出産した子が二人いることや、契約者が妻であること、障がいを持つ万然や1歳の「わかみこ」の世話を妻がしていることがいることなどから、家族11名で行くことにしました。
 「11名の団体」が移動するにはそれ相応に経費がかかりますが、もう大家族での移動は最後かもしれないと思い決断しました。

 船便と航空便で分かれて出発した家族が来週27日(火)に鹿児島空港で合流します。分かれて出発するのは、北中城村に残した馬やヤギ、イノシシ、ウサギ(2羽)、番犬(6匹)、猫、アヒル(ひよこ)・ニワトリ(約20羽)などの家畜・家きんの世話をなるべく自分たちでするためです。どうしても2日間はしかたない日があるので家内の親族にお願いしました。

 27日は人吉市、28日は熊本市に泊まります。熊本を離れて約13年、お世話になった方々と久しぶりお会いできそうです。

 長年、木造建築に携わって築いた価値観や自然観を一変させた矢岳の家と暮らしぶり。家の所有はなくなりますが、培った人生哲学は今も継続しています。「矢岳の家」に感謝しつつ、「末永く元気でいてくれ!」と願うばかりです。26日先発隊6名が出発いたします。

価値観を一変させた思い出の矢岳アルバム

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【母屋と井戸を国の登録有形文化財に申請し、文化財になりました。(全景)】

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【母屋。ニワトリ(うこっけい)は今も遺伝子を遺して沖縄で生きています。】

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【改装後の座敷。漆喰の総塗り替え、建具の改修で見事に生まれ変わりました。今後は宿泊施設になります。】

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【朝もやの中を走る一両編成の列車(肥薩線)】

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【明治時代作られた矢岳トンネル。壮絶な工事だったと聞き及んでいます。】

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【駅前のメインストーリー(?)奥に矢岳の家(駅長官舎)。秋はヒガンバナが彩りを添えます。】

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【稲作を初めて体験(3年間)。今も少しですが無農薬の田んぼで稲作にかかわっています。】

タイムスリップしてこれからは現在の状況です。

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【熊本にいる妹の子(姪)が作った折り紙のランドセルが送られてきました。心に弱度の障がいがあるようですが、すばらしい作品です。】

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【正座して食事する1歳と4歳の子どもたち。】

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【仲良しの二人です。】
posted by 塾長 at 21:30| 教育・子育て