2019年05月29日

沖縄市役所でのパネル展.署名者数:5151筆。

 5月27日から沖縄市役所市民ロビー(正面玄関の正面)で、「さい帯血による再生医療推進 パネル展」が始まりました。6月15日の東京での講演会や7月24日の厚労省への要望書提出・会見などを勘案すると、パネル展は最後となります。
 多分、6月末までで一旦締め切る活動賛同署名の集計が7月初めから上京する直前までかかるので、今から7月後半までは忙しい日々が続くと思われます。

 パネル展に中間発表するために、これまでの署名者数を集計しました。5月25日現在、5151筆になりました。あちらこちらで精力的な署名活動をされている結果だと思います。また、署名された方々、お一人お一人に感謝申し上げます。6月末まで署名を募りますので、今後とも引き続き、よろしくお願い申し上げます。

 昨日もパネルへの掲示物の追加や修正やアンケート・署名簿の回収、市の障がい福祉課への御礼などでパネル展の会場に出向きました。31日まで続きますが、アンケートに記された励ましを読ませてもらうと、元気になります。
 現在、パネル展と並行して講演会でのパワーポイントの作成、自筆署名の依頼・回収、講演会に向けての取材などを進めています。(東京新聞様、AERAドット様は電話取材(講演会でも取材予定)、共同通信は自宅来訪)
 今執筆中の「細部から文化が見える」の連載が来年3月まで延びたので、四季折々の日本文化や生活文化をミクロの視点から述べていきたいと思います。連載は5本目ですが、2年半、30回は初めてです。楽しみながら、がんばります!

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【パネル展の設営は前日の5月26日。掲示物の印刷やパネル製作でギリギリ16:30の運び込みに間に合いました。アンケート用紙や署名簿用紙を入れてもらう箱は「お賽銭箱」を代用。「浄財(お金)」を入れるのではなく、「紙」を入れていただきます。乳児・幼児と中高生を合わせて8名で設営。】

夜も更けて・・・.JPG


【結構時間がかかり化した。帰りは20:30分。パネル展は正面玄関から直接見えるところです。】

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【明けて5月27日(月)10時。オープニングセレモニーとして、「ミニ講演会」(パネル説明会)をしました。市民をはじめ、沖縄市障がい福祉課の職員の皆様など、お忙しいなか私の説明を聞いていただきました。予定の15分を大幅にオーバーしましたが、最後まで熱心に聴いていただきました。】

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【沖縄タイムスの取材中】

副市長に説明中.JPG


【説明会のあと、與那嶺克枝副市長が会場にみえられたのでご説明しました。】

與那嶺克沖縄市副市長の激励.JPG


【最後に、温かい激励をいただきました。ありがとうござました。】

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【最近は全国網の取材を受けています。これは共同通信社のT記者が自宅に来訪された時、最後に撮った写真(右端がT氏)。地元の報道以上に構えてしまいそうですが、誕生日が第8子の「こだまこ」と同じだったり、親御さんが名前が日本的にと言って付けた「ひらがな」(我が家も4人の女の子はひらがな4文字・上3人は2文字で漢字)、新聞連載で知った林間学校に参加させたいと思っていたこと、さらに那覇支局の前は出身地・熊本の地元紙・熊本日日新聞社に出向していたことなどたくさんつながりがあり、心が打ち解けた取材になりました。
 同様に朝日新聞出版AERA(アエラ)のF記者は、ご自身のお子様のお一人が障がい児で、宮古市出身。6月15日には新宿文化センターでの取材があるようなので、楽しみです。お二人ともに親近感があって本音で話せたので、理解が深まったと思っています。】

 人の心を読み解くのは、至難の業です。またそれを短くまとめなければならないので、記者の仕事は大変だと思いますが、どうぞ気持ちや行動を汲み取っていただき、多くの方々に伝えていただきたいと思います。
posted by 塾長 at 08:43| 教育・子育て

2019年05月18日

コツコツと・・・

 脳性まひや自閉症になった子どもたちの治療を「さい帯血」投与によって機能改善を図ろうとする活動を全国展開していますが、一番身近なところでの理解や協力は欠かせません。

 私たち家族が住んでいる北中城村の新垣邦男村長も、昨年の初の学習会やパネル展、記者会見などで活動の後押しを表明していただきました。

 現在、7月に早期のきょうだい間投与による再生医療の推進などを国に要望するため多くの賛同者を募っています。ラインやインスタグラム、フェイスブックなどによるウェブ署名も進んでいますが、コツコツと地道に自筆署名もお願いしています。

 おかげで勤務先の建設コンサルタントや郵便局をはじめ、加入している建築士会中部支部や当団体の北海道支部、東京支部、京都支部、四国支部、九州支部、子どもたちが所属する女子ソフト部・ラグビースクール、知人、友人、あるいはどこかで情報を知って協力をしていただいている方々などで自筆署名が進んでいます。これまでも学校関係や役場、パネル展の会場などでも多くの署名をいただいています。
 
 このほど、「広報・きたなかぐすく」で常設の署名スペースが村の協力を得て役場内に設置できたことを広報していただきました。応援したいが署名簿がない、集めた署名簿をどこに持っていいか分からないなどのご意見を吸収するための措置です。北中城村の関係者の皆様に感謝申し上げます。

 連休明けに投函箱を開けてみたら、すでに数十人の署名が集まっていました。ありがとうございます。

 6月末まで常設いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 (文中、「指名」とあるのは「使命」の誤りと思われます)

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posted by 塾長 at 07:06| 教育・子育て

2019年05月17日

沖縄市役所役所でのパネル展&ミニ講演会の案内記事、當山宏嘉手納町長とのつながり

 今月27日から31日までの5日間、「さい帯血による再生医療推進 パネル展」の案内記事が、5月11日沖縄タイムスに照会されました。掲載記事をアップいたします。

5月11日署名数と沖縄市役所でのパネル展告知記事_R.JPG



【署名数は自筆・ウェブ合計すると、昨日現在、3209人になりました。署名された方々に、感謝申し上げます。ウェブ署名はライン、インスタグラム、フェイスブックで行っています。】

記者の目(當山町長)_R.JPG


【嘉手納町でのパネル展開催にご尽力いただきました當山宏町長です。記事にある交流について説明が必要と思い、当時の報道記事を残しておりましたので、下記に添付いたします。】

 満50歳を境に、自分の人生、これでいいのかと振り返り、熊本県人吉市矢岳町に居を移しました。「自然環境に負荷を与えず、自然の摂理に則して生きる」こととし、それを実践しました。
 選択した場所は過疎地でしたが、林間学校の師匠で当時の「矢岳塾」(矢岳林間学校を主催・塾長:後藤・現在の「きたなか林間学校」の前身)の顧問:柴田敏孝先生(日本自然保護協会元理事)曰く、「ここは自然豊かとはいえない、「半自然」で人と自然が実にうまく共存している」との評価でした。

「過疎と過密のまちづくりコンサート」(矢岳の森の音楽会)の様子は、読売新聞等で紹介されています。

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週刊人吉記事 (2)_R.JPG



【写真向かって左から2番目(サンシンとヴォーカル)が当時嘉手納町で企画財政課長だった現當山町長】

人吉新聞記事_R.JPG


 山菜料理の内容も詳しく書かれております。また町長が強調されていたのは、「全部、私費で行ったんです!」ということ。鹿児島空港から今回イコモスに認定された肥薩線に乗り換え、矢岳トンネルを抜けて矢岳町に来られました。楽器や沖縄の衣装まで持参されました。一番喜んだのは、沖縄出身の妻でした。独特の沖縄音楽を聴いて、涙がこぼれていました。本当に、ありがとうございました。

 當山宏町長はじめ、7名のみなさま、遠路はるばる自費にてお出でいただき、感謝申し上げます。

 「矢岳町」の水と鉄道と建築の文化についての考えは現在執筆中の「細部から文化が見える」の連載記事で垣間見ることができます。3つ前のブログ(4月20日付け)にアップしています。どうぞお読みください。
posted by 塾長 at 16:13| 教育・子育て

最近思うことと、連載20「寄り合い所帯の強み」

 最近は、脳性まひになった第7子・万然(ばんねん)の治療法をきっかけに、「さい帯血」のチカラに注目し、日本国じゅうの難治疾患患者・家族の負担軽減のために頑張っています。そこで、「障がい」について考えることが多くなりました。

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【11月に産まれた第10子・心然(しんねん)の初節句。12人家族の中の少数派「男4人組」。】

 障がい児や障がい者と呼ばれ人や家族のほとんどの方々は、「まさか、自分や自分たちが当事者になろうとは・・・」と考えていたと思います。
 私は小さなころから近くに精神障がいの子がいて、その子やその家族と接することが多かったので、子どものころからの夢は「特別支援校の先生」になることでした。
 (今偶然、長女が同じような夢を実現するために大学に通っています)

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【千葉大学に通う長女から予告なしに送られてきた花束に、胸を熱くする妻と子どもたち。気持ちは見えないが通じるものがある。】

 母子家庭だったので、大学はあきらめ工業高校に進みました。一級建築士も技術士も一度の受験で合格し、建築・土木の世界に入り込みましたが、どこかで少年時代の夢は生きていました。

 もう10年近く前、93歳で亡くなったおふくろが77歳まで現役の看護婦で働いた職場も精神科の病院で、多くの入院患者さんと出会いました。
 そのような環境にあったので、就職した後も障がい者の方々と接することが多く、10代から「人生、娑婆(しゃば)返し」という人生訓をもって仕事や社会活動を行ってきました。

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【「蚊」が一気に増えたので、外していた勝手口の網戸を取り付けた。小さな子どもたちのために低い位置に取っ手・引手をみんなで付けた。内側から開けるときは折れ戸の中心か右端を引く。外からだと真ん中か右端を押す。そのあと折りたたむ。内側から閉める時は折り畳まず、一枚の扉として右端を押す(外からなら左端を引く)家族で話し合いながら作るので意見がいっぱい。】

 そこで改めて「障がいとは」と考えることが増えました。今、根底に「生きていればなんでもあり、なんだ」と思うようになりました。「障がい」の原因となる病気やケガ、事故。天災も人災も、突然わが身に降りかかる可能性はあります。ただ、人間はその当事者になる直前まで「まさか」としか思いません。

 一般的に、思った通り体や脳の機能が働かないようになると「障がい」が出てきた、と言うようです。しかし人間はまともに生まれてすぐも、老衰で亡くなる前もまっすぐ立てず歩くことができません。赤ちゃんの時はさすがに覚えていませんが、年老いてから分かります。人間(動物)は、いつか必ず「障がい」を持つんだと・・。
 偶然的な考えでとらえると「まさか」となりますが、必然的に「障がい」は程度の差はあっても「死」と同じで、だれも避けて通れない共通のものではないか、と思います。

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【人間の赤ちゃんは生まれて1年くらいは歩けない。生まれたばかりの時は目も見えないし、しゃべれないけれど、愛情は伝わる。父親の子育ての話題が多い昨今だが、せめて1歳までは母子は一緒に過ごすべきだと思う。】

 問題は「まさか」で「障がい」を負ったときの対処の仕方。万然の時も医師から「72時間が生きるか死ぬかの勝負」と言われましたが、「どんな障がいが残ろうと、全部受け入れます!生きて返してください!」とお願いしました。

 万然はいまも目が見えず、四肢も不自由で立てません。意識はあるようですがしゃべれません。ただ、他の11人の親・きょうだいや周りの方々の愛情に支えられて、思い出したように笑顔を見せる時があります。

 10人の内7人を自宅出産で自らの手で取り上げた経験からすると、10月10日で3兆もの細胞や神経が全部うまくつながるのは「神業(かみわざ)」としか言いようがありません。また、「無」から「有」に変化する命の誕生は、単に物理的な現代科学では到底説明できません。

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【子ども同士、現在は16歳の年齢差の9人の寄り合い所帯。親を加えたら0歳から67歳(やがて68歳)までに11名が同居。経験も価値観も異なるが、共通の価値観もある。】

 日ごろから「人間は精神動物」とおふくろが言っていたように、「生きもの」や「モノ」には目には見えない「タマシイ」のようなものがあるのかも知れません。

 お金がなく、体も不自由であっても「しあわせ」と感じるのは、「タマシイ」の支え合いがあるからだと思います。また、その逆もあります。

 「令和」の元号が変わりました。これからは快適・便利で物質的な充足の価値に偏らず、目に見えない精神的な安定性と合わせた高度な幸福感を志向していきたいと思います。

(予期せぬ不運が「障がい」をもたらすことがある。しかし、目に見える「障がい」があってもその奥にある目に見えない「タマシイ」は変わらないから、見た目の「障がい」だけで「障がい」があるとは思わない。)

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【5月17日発刊のタイムス住宅新聞 連載 「細部(ディティール)から文化が見える」の第20話 「寄り合い所帯の強み」】
posted by 塾長 at 06:38| 教育・子育て

2019年05月01日

平成から令和へ・・さのぼり

 平成時代は個人的には激動でした。平成元年に熊本県建築士会の青年部長になって以来、九州の運営委員長を経て、全国の青年委員長(3代目)を仰せつかり、当時7万人の青年委員会員・青年部会員の頂点に立ち、できたばかりの応急危険度判定士制度の促進、地域貢献賞の創設、全国大会での分散会式の討議など新しい活動に挑戦しました。九州では100名程度だった2月の集会を400人規模の「パッション」に仲間と改革したのは、いい思い出です。
 会社の浮沈も経験しました。どん底を経験したのも平成。しかし、平成の中盤から新しい出会いで考え方も一定確立し、現在に至ります。

 平成最後の4月と令和のスタートは、それを象徴するできごとでした。

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【第八子の「こだまこ」の予防接種。下二人が見ているので、泣く訳にはいきません。痛いけど、グッとこらえました。】

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【次は第十子の「心然(しんねん)」の番。注射のあとは「BCG」。第七子の万然(ばんねん)のことがあるので、なるべく早く予防接種を受けるようにしています。第九子の「わかみこ」が痛くて泣くかもしれないと心配そうに見ていますが・・・残念でした・・・泣きませんでした!】

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【明日(5月1日)の田植えの前に、裏山の道路を掃除。上から頂上より西側、2枚目東側のタチガー側、タチガー下の側溝掃除中。】

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【令和元年の朝。大雨で目が覚めました。案の定、水源のタチガーは滝のように水が出ていました。波乱万丈だった平成の思い出を洗い流すように、道路も側溝も雨水で洗い流されました。】

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【ナナフシの子との出会い】

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【テナガエビとの出会い】

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【清廉な地下水が先日ラガーマンたちが作った竹のトイから田んぼに取水されます。まさに「完全無農薬」の稲作です。令和に変わったばかり・・。すがすがしくなります。】

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【今日(5月1日)は第五子「さわみこ」の誕生日。明日(2日)は第九子「わかみこ」の誕生日(満3歳になります)。ついでにいえば、千葉大に通い始めた長女「依奈(えな)」は5月5日が誕生日(19歳になる予定)です。「さ」月(皐月)に「さ」乙女(早乙女)が「さ」のぼりに挑戦する、12年前もそうだったため本日誕生日を迎えた「さわみこ」の名に「さ」を冠しています。「さわみこ」の「み」は、12年前、自宅出産でこの世に生まれてきたとき、はじめて水道水が我が家に来た日です。それまでは茶色の地下水。「水」を大切にしようと考え、「み」を取り入れています。長くなるので以下省略。】

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【道路沿いの棚田での田植えの風景です。】

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【この間まで3番目に陣取っていたモクズガニ。田植えの際には一番下の田んぼにいました。】

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【次は和室横の棚田に田植え。アゼの草を切りながら、まだ2歳の「わかみこ」も泥んこになって頑張りました。このころ、土砂降り!】

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【さのぼり(田植え完了)。小さな面積ですが、日本の百姓の基本や水文化、地下水の感触・味、土の感触、生きものたちとの出会いなど、完全無農薬、無防除の稲作は貴重な体験です。今後も続けていきたいと思います。】

 平成から令和へ・・・。日本には元号が世界で唯一残る歴史の長い国です。数十年に一回変わる元号。いいことも良くないことも元号新たになった朝の大雨がみんな流してくれました。過去は大切ですが、いつまでもこだわらないようにしています。

 今日は「さわみこ」の誕生日(12歳)、明日は「わかみこ」の誕生日(3歳)、5日は長女「依奈」の誕生日。令和のスタートが誕生日で田植えした稲も新しい場所で生きていきます。
 毎日が新しい始まり・・。困難があっても前を見て進みたいと思います。
posted by 塾長 at 19:41| 教育・子育て