2019年05月17日

沖縄市役所役所でのパネル展&ミニ講演会の案内記事、當山宏嘉手納町長とのつながり

 今月27日から31日までの5日間、「さい帯血による再生医療推進 パネル展」の案内記事が、5月11日沖縄タイムスに照会されました。掲載記事をアップいたします。

5月11日署名数と沖縄市役所でのパネル展告知記事_R.JPG



【署名数は自筆・ウェブ合計すると、昨日現在、3209人になりました。署名された方々に、感謝申し上げます。ウェブ署名はライン、インスタグラム、フェイスブックで行っています。】

記者の目(當山町長)_R.JPG


【嘉手納町でのパネル展開催にご尽力いただきました當山宏町長です。記事にある交流について説明が必要と思い、当時の報道記事を残しておりましたので、下記に添付いたします。】

 満50歳を境に、自分の人生、これでいいのかと振り返り、熊本県人吉市矢岳町に居を移しました。「自然環境に負荷を与えず、自然の摂理に則して生きる」こととし、それを実践しました。
 選択した場所は過疎地でしたが、林間学校の師匠で当時の「矢岳塾」(矢岳林間学校を主催・塾長:後藤・現在の「きたなか林間学校」の前身)の顧問:柴田敏孝先生(日本自然保護協会元理事)曰く、「ここは自然豊かとはいえない、「半自然」で人と自然が実にうまく共存している」との評価でした。

「過疎と過密のまちづくりコンサート」(矢岳の森の音楽会)の様子は、読売新聞等で紹介されています。

読売新聞岳寿館落成_R.JPG


週刊人吉記事 (2)_R.JPG



【写真向かって左から2番目(サンシンとヴォーカル)が当時嘉手納町で企画財政課長だった現當山町長】

人吉新聞記事_R.JPG


 山菜料理の内容も詳しく書かれております。また町長が強調されていたのは、「全部、私費で行ったんです!」ということ。鹿児島空港から今回イコモスに認定された肥薩線に乗り換え、矢岳トンネルを抜けて矢岳町に来られました。楽器や沖縄の衣装まで持参されました。一番喜んだのは、沖縄出身の妻でした。独特の沖縄音楽を聴いて、涙がこぼれていました。本当に、ありがとうございました。

 當山宏町長はじめ、7名のみなさま、遠路はるばる自費にてお出でいただき、感謝申し上げます。

 「矢岳町」の水と鉄道と建築の文化についての考えは現在執筆中の「細部から文化が見える」の連載記事で垣間見ることができます。3つ前のブログ(4月20日付け)にアップしています。どうぞお読みください。
posted by 塾長 at 16:13| 教育・子育て

最近思うことと、連載20「寄り合い所帯の強み」

 最近は、脳性まひになった第7子・万然(ばんねん)の治療法をきっかけに、「さい帯血」のチカラに注目し、日本国じゅうの難治疾患患者・家族の負担軽減のために頑張っています。そこで、「障がい」について考えることが多くなりました。

こいのぼりと日の丸.JPG


【11月に産まれた第10子・心然(しんねん)の初節句。12人家族の中の少数派「男4人組」。】

 障がい児や障がい者と呼ばれ人や家族のほとんどの方々は、「まさか、自分や自分たちが当事者になろうとは・・・」と考えていたと思います。
 私は小さなころから近くに精神障がいの子がいて、その子やその家族と接することが多かったので、子どものころからの夢は「特別支援校の先生」になることでした。
 (今偶然、長女が同じような夢を実現するために大学に通っています)

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【千葉大学に通う長女から予告なしに送られてきた花束に、胸を熱くする妻と子どもたち。気持ちは見えないが通じるものがある。】

 母子家庭だったので、大学はあきらめ工業高校に進みました。一級建築士も技術士も一度の受験で合格し、建築・土木の世界に入り込みましたが、どこかで少年時代の夢は生きていました。

 もう10年近く前、93歳で亡くなったおふくろが77歳まで現役の看護婦で働いた職場も精神科の病院で、多くの入院患者さんと出会いました。
 そのような環境にあったので、就職した後も障がい者の方々と接することが多く、10代から「人生、娑婆(しゃば)返し」という人生訓をもって仕事や社会活動を行ってきました。

内側から取っ手.JPG


折りたたむ.JPG


【「蚊」が一気に増えたので、外していた勝手口の網戸を取り付けた。小さな子どもたちのために低い位置に取っ手・引手をみんなで付けた。内側から開けるときは折れ戸の中心か右端を引く。外からだと真ん中か右端を押す。そのあと折りたたむ。内側から閉める時は折り畳まず、一枚の扉として右端を押す(外からなら左端を引く)家族で話し合いながら作るので意見がいっぱい。】

 そこで改めて「障がいとは」と考えることが増えました。今、根底に「生きていればなんでもあり、なんだ」と思うようになりました。「障がい」の原因となる病気やケガ、事故。天災も人災も、突然わが身に降りかかる可能性はあります。ただ、人間はその当事者になる直前まで「まさか」としか思いません。

 一般的に、思った通り体や脳の機能が働かないようになると「障がい」が出てきた、と言うようです。しかし人間はまともに生まれてすぐも、老衰で亡くなる前もまっすぐ立てず歩くことができません。赤ちゃんの時はさすがに覚えていませんが、年老いてから分かります。人間(動物)は、いつか必ず「障がい」を持つんだと・・。
 偶然的な考えでとらえると「まさか」となりますが、必然的に「障がい」は程度の差はあっても「死」と同じで、だれも避けて通れない共通のものではないか、と思います。

エサあげスタイル.JPG


【人間の赤ちゃんは生まれて1年くらいは歩けない。生まれたばかりの時は目も見えないし、しゃべれないけれど、愛情は伝わる。父親の子育ての話題が多い昨今だが、せめて1歳までは母子は一緒に過ごすべきだと思う。】

 問題は「まさか」で「障がい」を負ったときの対処の仕方。万然の時も医師から「72時間が生きるか死ぬかの勝負」と言われましたが、「どんな障がいが残ろうと、全部受け入れます!生きて返してください!」とお願いしました。

 万然はいまも目が見えず、四肢も不自由で立てません。意識はあるようですがしゃべれません。ただ、他の11人の親・きょうだいや周りの方々の愛情に支えられて、思い出したように笑顔を見せる時があります。

 10人の内7人を自宅出産で自らの手で取り上げた経験からすると、10月10日で3兆もの細胞や神経が全部うまくつながるのは「神業(かみわざ)」としか言いようがありません。また、「無」から「有」に変化する命の誕生は、単に物理的な現代科学では到底説明できません。

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【子ども同士、現在は16歳の年齢差の9人の寄り合い所帯。親を加えたら0歳から67歳(やがて68歳)までに11名が同居。経験も価値観も異なるが、共通の価値観もある。】

 日ごろから「人間は精神動物」とおふくろが言っていたように、「生きもの」や「モノ」には目には見えない「タマシイ」のようなものがあるのかも知れません。

 お金がなく、体も不自由であっても「しあわせ」と感じるのは、「タマシイ」の支え合いがあるからだと思います。また、その逆もあります。

 「令和」の元号が変わりました。これからは快適・便利で物質的な充足の価値に偏らず、目に見えない精神的な安定性と合わせた高度な幸福感を志向していきたいと思います。

(予期せぬ不運が「障がい」をもたらすことがある。しかし、目に見える「障がい」があってもその奥にある目に見えない「タマシイ」は変わらないから、見た目の「障がい」だけで「障がい」があるとは思わない。)

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【5月17日発刊のタイムス住宅新聞 連載 「細部(ディティール)から文化が見える」の第20話 「寄り合い所帯の強み」】
posted by 塾長 at 06:38| 教育・子育て