2018年11月24日

満月に第10子誕生、さい帯血採れる!

 約1か月前、もしやと思い1日だけ入院しましたが、その後、予兆がなく毎日まだかまだかと待つ日が続きました。予定日の17日を過ぎ、次の満月を調べると11月23日。もう妊娠41週を迎えます。
 23日(昨日)、夕日が落ち、太平洋から望月(満月)が昇るのを見計らって、家族数名で近くの丘に登りました。

 
夜景と満月と海 (採用).JPG


【ゆっくり昇るお月様は、静かな海に穏やかな光を放っていて、人工の夜景とは異質でした。みんなで手を合わせて、今晩、強い引力を発揮しておなかの赤ちゃんがスムーズに出てくるように力を貸してほしいと願いました。】

月のクレーター (1).JPG


【クレータまで見える大きなお月様】

 11時10分ごろ、陣痛が始まったといって、長女が就寝したばかりの私を起こしにきました。すぐ飛び起きて事情を聞いたら20分間隔で陣痛があるといいます。11時半、11時50分の陣痛を確認すると、これは間違いないとして病院へ行く支度をしました。すでにこれまで以上に準備はできていたので、車に乗せました。

車の中の妻.JPG


【助手席で横になり、苦しむ家内。今日の日は満月ということもありますが、中学生、高校生(のうちの一人)がの期末テストが終了したという安心感もあったと考えられます。月の影響以外で生まれた3人は、大いにその傾向があります。3連休なので、学校が休みという安心感も手伝ったと思われます。人間はやはり、精神動物ですから・・・。】

深夜の国道329号.JPG


【国道329号は、3連休と深夜ということもあって普段の渋滞はうそのようです。おかげで12時ちょうどに自宅(北中城村)を出発した車は、うるま市の県立中部病院まで18分で到着しました。】

 これから先は通常の(?)自宅出産ならば詳細に説明できますが、残念ながら中部病院は写真撮影禁止。したがって、簡単に説明します。陣痛の間隔が20分から15分、10分と早まりました。しかし、7分前後から進まないため、早朝3時を回りました。徐々に間隔が近まり、陣痛の痛みを表す折れ線グラフがピークの100を何度も、しかも長く続くようになったので、その時が来ると感じました。
 隣の分娩室では別な妊婦さんがアーアーと大きな声で苦しんでいました。その人の子が先に生まれて産声か聞こえてきました。家内は複雑な心境だったと思います。
 いつも(自宅出産)と違う環境、例えば証明が煌々と点いている、医師や助産師、看護師が周りにたくさんいる、畳の上ではないなど。別な意味で緊張していました。また、さい帯血が無事採れるか、という課題もありました。

 そして4時を回ったころ、連続する陣痛に呼応するように何度か力むと頭が出てきました。自宅出産の場合はなににも触れることなく、ただ待ち受けるだけですが、今回は1週間も出産が遅れたせいもあって、胎児が大きいこともあって、医師が頭を掴んで出さざるを得なかったようです。結構、ショックな風景でした。
 ともあれ、午前4時7分、陣痛開始後5時間でこの世に第10子が誕生しました。いつもは性別などどうでもよいほど緊張していますが、今回は専門の方々が付いているので、性別を冷静に見ることができました。男の子でした。計量後の体重は3600グラム、きょうだいの中では一番大きな子でした。

ガラス越しの心然.JPG


やっと抱けた.JPG


元気.JPG


【何回経験しても、全部出産は違います。無事出産することが病院出産になって当たり前のようになっていますが、新しい命が分身するということはとてもリスクが伴います。病院出産と言っても、無事生まれてきたらメッケモン、奇跡と思った方がいいと思っています。】

さい帯血100グラム.JPG


100と80 (2).JPG


【第二の目的は「さい帯血の採血」。さい帯血のことがなければ自宅出産したかもしれませんが、きょうだい間の臍帯血移植を計画しているので、病院で出産することに・・・。やっと病院でさい帯血に対応していただくことになりましたが、その量や雑菌侵入のリスクは残ったままでした。おかげで最低必要な80CCは取れたようです。(医師の目分量)普通は1パックですが、2パックで180mlくらい採れたと思います。まずは第一関門突破!】

胎盤.JPG


【不要になった胎盤をいただきました。今後、林間学校で「命の教育」に活用したいと思っています。】

運び屋さん.JPG


【10時半ごろ、連絡しておいたステムセル研究所の依頼でさい帯血と母体の血液を入れる箱を研究所に送る方が見えました。無事、東京まで届くことを願いました。】

 深夜からずっと起きていて手続きや立ち合い、さい帯血の確認等で少し疲れました。家内も大仕事を終えたし、初の授乳で新生児室に入っていったので、私は帰路に着きました。
 
 残してきた9人の子どもたちはどうしているのか?・・・チャンと私たちがいなくても毎日の仕事はこなしていました。

馬ふん整理後の馬小屋.JPG


【馬小屋の馬ふん片付け。奥の黒いところまであった馬ふんを、きれい残らずたい肥小屋に移動していました。古いたい肥は、だんだん畑に移動。すべてきょうだい間のバケツリレー。】

奇麗になった水槽.JPG


【普段通り、馬の移動やイノシシへのエサあげ、アヒル・ニワトリ、ウサギやヤギへのエサあげ。今日は加えて闘魚の入る水槽の掃除をしていました。先週、リュウキュウメダカの入った水鉢の掃除は終えています。】

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【北中城中学校への侵入道路角に次女の亜和(あや)が生徒会長の時作った交通安全、学校案内看板への水かけもしていました。】

 今日の出産は特別な意味があります。国内でのさい帯血移植に向けての第一歩。来年2月に予定している熊本市でのさい帯血移植推進のための講演会への弾みになりました。
 これを機に、全国にリスクの少ない臍帯血移植による脳性まひ改善に、当事者家族として正面を切って進んでいきたいと思っています。取り急ぎ、ご報告いたします。
posted by 塾長 at 17:58| 教育・子育て