2019年12月20日

連載第27話「岩永三五郎」と首里城復元に思う・・

本日、沖縄タイムスの副読紙である「タイムス住宅新聞」に連載中の「細部から文化が見える」の27話「岩永三五郎」が掲載されました。石橋シリーズの第3弾です。

前回までは沖縄や日本での石橋文化の総論的なこと書きましたが、今回から具体的な内容になります。
建築とは少し離れるようですが、実は石工と大工は表裏一体です。今後の記事で明らかになっていきます。

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さて、首里城の火災について、つとに考えることがあります。ひとつは原因がまだ究明されていないのに那覇市や沖縄県、報道各社が寄付を募ることです。

約30年架けて復元された首里城は本年1月に完了。その直後の本年2月、国から管理・運営を移管された県は、(一社)沖縄美ら島財団にさらに委託していたとはいえ県には大きな責任があります。国民の税金を使って再建された本殿以下の建物の所有権は国です。国から預かった貴重な財産を一夜にして灰にしました。雷が原因の火災ではないので人災です。熊本地震(天災)の時の寄付金とは訳が違います。その県が火災直後から民間に寄付を募ったり、管理・運営を移管してくれた国にすぐにお願いにいく行為は不謹慎だと思います。まずは原因の検証と反省でしょう。

また、寄付金を新聞紙上で大きく紹介することにも違和感があります。使途も決まっていないのに小学生がこれまでのお年玉を寄付した話から数万円〜1千万円単位で寄付する企業名を写真入りで大事な紙面を使い毎日何件も紹介されています。対応する行政の長も、もったいない時間を費やしています。
日本での寄付とは元来、匿名で慎ましく渡すものと思っています。赤い羽根や自然災害の地震や津波での被災応援の個人募金はみんな匿名です。
企業や団体、個人が堂々と名前を出して、行政の長を相手に寄付金を贈呈する記事を見ると売名行為にしか見えません。もっと謙虚な寄付の仕方があっていいのではないのでしょうか。

最近は学校でも「寄付は自由」と言いながら、寄付した子どもの名前を書かせていました。これでは寄付どころか「徴収」と言わざるを得ません。

百万円、1千万円単位で寄付する先は、正月を控え経済的に苦しむ人たちを優先すべきです。それにしても、沖縄経済は本土に比べたら厳しいと言いながら、よく大金をだせるなぁと感心してしまいます。

徐々に火災時の管理体制が判明してきました。もともと全部木造で造られた首里城内でイベントすること自体が問題だと思います。しかも分電盤の電源を切っていたとか、本殿のコンセントから夜間照明用の電気を引いていたとか、警備員が眠っていたとか・・・ずさんな県の管理が浮き彫りになりました。

県は首里城をなるべく早く再建したいと言っていますが、いつの時期の首里城で再建するつもりなのでしょうか?首里城は今回の火災で5度焼失しました。
琉球王朝が誕生した1429年は日本では室町時代。当時の瓦は中国や日本から運ばれたと思われます。「大和旅のぼて・・・瓦買いにのぼて・・・」との記述。(おもろそうし)「冠木門」(田邊 泰著)
註:沖縄戦で焼失前の首里城のカラー映像では瓦は赤ではない。(米国立公文書館)

そうなると赤瓦での再建ではなくなります。昭和17年発行の「琉球」−建築文化−(伊藤忠太著)に挿入されている写真では、外壁も焼失した朱色の総漆塗りには見えません。伊藤忠太博士(東京帝大)が首里城の解体寸前に「待った」を掛け、その後国宝に指定し保存された以前の姿なのか、それよりさらに以前の創建当時の姿なのか。(基本的には創建当時の首里城に復元すべき、と考えます。)

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【「琉球」−建築文化−」(伊藤忠太著)から引用(昭和17月11月7日発行)】

沖縄戦では、首里城下に地下壕があり(日本軍第32軍司令部壕)歩行不能になった重症者約5000名が自決した魂が眠っています。一方では琉球王朝の圧政(人頭税の取り立て)で宮古・八重山の人々は「人減らし」で苦しんだ歴史を持っています。
このような歴史の上に豪華絢爛の派手な建築物を復元して足で踏む施設を造ることに、なんとなく心情的に抵抗を感じます。防災管理など科学的には原因究明をおろそかにすると同じ運命をたどるのではないかとか、心配しています。

首里城は日本と中国(シナ)の建築技術が入った珍しく貴重な建物です。しかし、世界文化遺産の城(ぐすく)群の対象は「建物」ではありません。近くの中城も今帰仁城も、どこのグスクも建物はありません。

首里城復元に反対しようとは思いませんが、今一度どの時代の姿に復元したいのか、その意義は何なのか、よくよく考えて計画してもらいたいと願っています。
posted by 塾長 at 12:52| 建築