2010年12月14日

ニワトリの拵え(こしらえ)

 この季節になると、夜のイルミネーションが気になります。よく買い物に出かける北谷町のアメリカンビレッジ界隈は特にきらびやかで別世界のようです。
 点滅するネオンはスポットではなく、店全部を覆っています。川面に映るイルミネーションを楽しむ家族や若者が行ったり来たり・・・。日本のどこかでは町じゅうがイルミネーションを競うところまであり、とある個人住宅では外だけではなく、家の中までイルミネーションに凝って、見学者が訪れるという報道がなされていました。

〆る.JPG


 一生懸命生きているニワトリ。手塩にかけて育てたニワトリの命を奪う。共に辛いものがある。死に直面し涙を流すこと子どももいる。

 言いたいのは、照明による電気の無駄使いではありません。もっと以前の人間中心主義のまん延と、それに気付かない日本人の多さとその影響です。
 建物だけへのイルミネーションの飾り付けならまだしも、これが樹木に飛び火しているのは感心しません。木は生きものです。
 また、その木を棲み家や食料、隠れ家などに使う別の生きものもいます。木は人間と同じように、昼間、太陽に光をもらって活動し、夜は休むのです。木やその他の生きものにとっては迷惑千万です。

ごめんなさい.JPG


             命を絶たれたニワトリに「ごめんなさい」と手を合わせ、冥福を祈る。

 人間の快楽のために、点滅する照明を朝まで点けっぱなし。クリスマスが終わる頃、夜眠れず、照明の熱もあって枯れてしまう木もいます。足を持たない木は、人間の手で移植され、たまたま街路樹や商店の近くに植えられ、人間の背の高さより少し大きくなった木はイルミネーションのターゲットにされてしまいます。
 我が家の子どもたちは、夜の買い物で一緒のときは一様に「かわいそう・・」という声が出ます。

 人への刺激は目が一番感じます。だから、派手なイルミネーションに訴えるのだと思いますが、人間以外の命にどれだけ配慮しているのでしょうか?
 子どものうちからこのような風景に慣れてしまうと、大人になってからも同じようなものの見方、捉え方になってしまいます。

さばき中.JPG


子どもたちが慣れない手つきでさばく。ウコッケイの羽は白だが、肌は黒。包丁の先からから伝わるのは何か。

 最近の言葉の乱れは目に余りますが、乱れとは別に、あまり使って欲しくない言葉を子どもたちが交わしているのも気になります。例えば「飯を喰う」。小さな子どもが言っているのを聞くと、なんだか悲しくなります。
 子どものうちは、せめて「ご飯をいただく」ではないのでしょうか?日本人は「ご飯」や「お茶」など日常でも食べもの、飲みものには「御」をつけています。
 最近では女の子でも「早く飯を喰いたい」などといいます。食べものとなる人間以外の命のことなど、さらさらないように感じます。

さばき終了.JPG


 綺麗にさばくこともニワトリの命への配慮。この頃になると、子どもたちも心が落ち着いてくる。

 だから、食べものを粗末にするのです。また、自分以外の命の存在や他の命の犠牲の上に成り立つことを誰からも学ばないで体だけ大きくなると、思ったようにならないからといって自分より小さくて弱い立場の人や生きものに対して暴力を振るったりするようになります。多発する事件・事故の根底にあるのは、幼児期からの命の教育不足が原因と思っています。

 やがて「冬の林間学校」が始まります。この数回では「ニワトリの拵え(こしらえ)」はしませんでした。理由は、面白半分の体験型の子どもがいたからです。卵から孵ったヒヨコ。これまで何十匹もの命が途中で死んでいきました。親鳥に踏まれて死ぬこともあります。あげていた水の溺れる雛もいました。形が残っているなら供養もできますが、どこに行ったか分からないヒヨコもいます。多分、カラスに持っていかれたのでしょう。中雛になっても、マングースやヘビにやられることもあります。親鳥になっても、野犬にかまれて一気に20羽も死んだこともあります。
 手塩にかけて育てたニワトリが、図らずも死んでいくのを直視するのはつらいですが、その分、愛情も強くなります。その強い愛情をもったニワトリを自分の手で首を絞め、チキンカレーの具にするのですから、興味本位、遊び半分で参加した子どもたち見せるのは忍び難いものがあり、ニワトリの拵えはこの1年ほどはしませんでした。
 しかし、生きているニワトリの雌雄のバランスが崩れ、メンドリがオスから襲われて死んでいく実態を見たので、今回はオスを拵えることにしました。

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涙がよだれに変わる時。残さず食べることが、せめてものつぐない。人間以外の命への配慮は、将来、何か迷いがあった時の判断に生きてくる。

 大型ショッピングセンターに並ぶ鳥の肉を見て、その先に何の罪もないニワトリが、人間が生きるための犠牲となっていることを親はチャンと教えているのでしょうか。価格や肉の鮮度の問題です。
 林間学校では、死を直視することで他の生きものへ感謝する。だからこそ、食べ残さず「腹八分目」の節度を持つことを自ら感じるプログラムを組んでいます。

 また今回は、「死」だけではなく、「生」も重要ですので、自宅出産で私が取り上げた第六子の胎盤を木の下に埋め、再び新しい命の栄養になる「命の循環教育」も実施したいと思っています。
 
 自然に近い木造の棲み家での人格教育。ジャネーの法則のように、小さい頃の思い出は、大人になってからも鮮明です。きっと、参加する子どもたちが秩序ある社会を作るためのリーダーになると思って疑いません。毎回、帰るとき時の目は、来た時よりも数倍イキイキしているのを見ているからです。

(追伸:12月27日(月)午前7時10分くらいから始まるRBC@ラジオ「シャキッとアイ」の「ぼくの作文、私の作文」で三女の読書感想文が放送される予定です。題は「やさしくするよ!」。「がんばれウルトラジロちゃん」を読んだあとの感想文です。一年生で学校代表(ひとり)になった作文です。)
posted by 塾長 at 07:18| 林間学校