2011年01月06日

見えない将来像、全体像

新年早々、愚痴を言っても詰まりませんが、政治や社会の世界でも、ちまちまと目の前の小さなことに対処しているように見えます。

 特に、政治では首相が年頭所感で仲間内を責めたり、追い詰めたりするのをみると、この内閣では日本は背負えないのではないかと思いました。
 小沢一郎氏については、問題になった土地の登記を、年を越して帳簿に記載しただけのこと。そのくらいのずれは、世の中では常識です。ヤミ献金をもらったかどうかの証拠は、検察で調べても出てきませんでした。しかも訳のわからぬ審査会ではありますが、強制起訴されてしまったので、今後は司法で判断されます。政倫審で話をするようなことでもないと思います。
 
たったそのくらいで、除名や進退伺いを考えるような政党の中では何も活躍できません。よほど菅さんは小沢さんが怖いのでしょう。身勝手な国民や偏ったマスコミの顔をうかがいながら右往左往する国のトップに辟易しています。
 国をつかさどる政治家なら、もっと壮大な理念を実行に移すようなことを、年の初めには主張すべきだったと思っています。
 
 教育界も同じです。昔から教育の世界は閉鎖的です。現場を監視する教育委員会の実態は、かつて学校に勤めていた人ばかり・・・。第三者的な見方や、社会からの見方が必要なのに、元の学校関係者で固めていては、何も変わらないし、変わるはずがありません。

 経済においても、高度成長期のような感覚の経済人が多いように思います。大量生産でできた製品は世の中で有り余っています。人口は減る一方の時代です。経済とはお金が円滑に回ること。回り方や速度をこれからの時代に合うよう組みかえるべきです。

 それにしても「お金」にこだわる人が多くなったと感じています。日本人の気質はどこに行ったのでしょう。これまでの政治や教育の責任は重いと思います。

 お金があったら何でもできる・・・という考えがはびこっています。出産から学校、就職、結婚、子育て、介護、葬式、墓・・すべてお金?
 お金は大事ですが、すべてではありません。林間学校では「お金で買えないもの?」を子どもたちに発表してもらいます。

 お金は貨幣価値社会での手段の一つです。アフリカの山の中ではお金の価値はありません。もとはと言えば物々交換です。魚を揚げて、木の実をもらう・・。共通の物々交換の共通の価値として生まれたのがお金。しかし、このお金のために人をあやめたり、攻撃したりするような世の中になりました。
 お金は、時として人間を堕落させます。心まで腐敗させます。生きものが「モノ」として扱われ、お金に換算するような傾向があります。野菜も肉もいくら、労働社会では男や女がいくらで換算されます。

 愛情、友情、人情、つながり、命、自然、思いやり・・・お金では買えないものが多々あります。交通事故死は年々減って、5,000人を割ったそうですが、自殺者は年3万人を超えます。10年間で30数万人にも上るのです。モノは豊かになりましたが、心はすさんでいます。今の世の中には「別な戦争」が起きています。

 政治家が時々「命をかけて・・」などと言いますが、民間人だってみんな「命がけ」で生きています。しっかりした政治理念をもってことに当たって欲しいと思います。このままだと、社会のはざまにいる多くの人々が、夢をもつこともなく、ただ生きていくのではないかと、思えてなりません。

 愚痴では何も解決しないので、私は私なりに家庭のあるべき姿、社会の将来像、男として何をするべきかなどを自分に問いかけ、淡々と実行していきたいと思っています。
posted by 塾長 at 11:49| 政治