2011年02月16日

奇跡!子どもの歓声に勝る良薬なし。

 2月8日、三女の誕生日ではありましたが、熊本の母(95歳)が危篤との連絡が入り、急きょ、福岡便(午前7時15分発)で沖縄を発ちました。

 入院先の熊本赤十字病院の個室には、鼻からチューブ、腕には点滴、膀胱から尿を出す管、酸素を流している管を固定されている母親がいました。このときは、意識がありましたが、徐々に反応がなくなっていきました。病名ははっきり分かりませんが、肺炎による心不全の状態ということは分かりました。

輸血中.jpg

【輸血中。悪化の一途をたどっていた母】

 肺炎が進み、レントゲン写真では両肺とも真っ白の影。心臓も異常に拡大していました。貧血もひどく、見ている前で、輸血が始まりました。これが3本目だとか・・。呼吸もおぼつかず、一息一息がやっとという感じでした。

生死をさまよう.jpg

【意識がなく、生死をさまよう母】

 担当の先生から、今後の治療について説明がありました。徐々にレベルが下がっているようで、「電気ショックは使うか?」「カテーテルを使うか?」「●●という強い薬を使うか?」「心肺蘇生をするか?」などです。この他にもたくさんの治療について説明を受け、承諾をするか否かを判断することになりました。これが、いわゆるインフォームドコンセント(説明と同意)なんだ、と思いました。この時点で、もう命は長くはないと覚悟しました。

おばちゃんの見舞い1.jpg

【3歳下(92歳)の叔母さんも見舞いに駆け付けたが、応答せず・・・】

 母親の命をどこまで存続させるのか、本人に代わって決めなければなりません。最初は迷いもありましたが、途中から「自然」に任せよう、という気になりました。つまり、手荒な治療はしないことに決め、お願いをしました。自分自身の死生観、普段の母親の死生観が重要な判断になりました。

 意識はなくても、せっかくなら、体が温かいうちに家族に合わせようと考え、沖縄の家に電話を入れました。みんな賛成しました。さっそく、航空券を手配しましたが、熊本便は一日に1本。しかたがなく、鹿児島便で来ることに・・。

語りかけ.jpg

 【沖縄〜鹿児島空港〜熊本空港IC経由で着いた子どもや妻が語りかけた】

 今度は、手が温かいうちに家族が来ることができるか、鹿児島空港に熊本から向かう間に急変したらどうしよう?という悩みです。万が一に備えて、鹿児島空港近くのレンタカーに予約を入れました。連休前でやっと取れました。
 12時20分、沖縄を発つ飛行機の時刻と同じ時刻に、鹿児島空港に着く家族を迎えるために車を飛ばしました。「どうか、帰って来るまで命があって欲しい」と願いつつ・・。

笑顔.jpg

【森のなかで育つ子どもたちには、不思議な力があるのかも・・・。語りかけや握手などで意識が回復。笑顔を見せるまでになった】

 連絡があればどこからでも引き返す用意をしていました。なんとか、鹿児島空港に着くまで連絡がなかったので、レンタカーをキャンセルして家族を自分のレンタカーに乗せることに。往復4時間半の高速運転で赤十字病院に帰りつき、母に妻や子どもたちを合わせることができました。

こはづきの見舞い.jpg

【2歳の第六子・こはづきとのスキンシップ。おなかの中の第七子も応援したのかも・・・。命がよみがえった】


 意識がほとんどなく、目も開けない母に6人の子どもたちは、「おばあちゃん、元気になって!!」と代わるがわる手を握りしめました。

 最初は反応がありませんでしたが、うっすらと目を開けたようでした。みんなが、「アッ、目が開いた!」「何か言おうとしてるんじゃない?」などと話していると、次第に目をあける時間が増え、なんと笑顔を見せてくれました。

手紙の代読.jpg

 【子どもたちが出発前に書いた応援メッセージを代読】

 3年前も同じ赤十字病院の集中治療室(ICU)で、子どもたちの歓声で奇跡的に命を吹き返したことがあります。今回はさすがに、2度はないだろうと、あきらめかけていました。
奇跡が2度起こると、定説になるのではないか、と思いました。

 その後、4日間、母親についていましたが、体温が下がり、貧血も徐々に正常に戻りました。まだ、油断はできませんが、峠は越したのではないかと思っています。

病院でエイエイオー.jpg


                 【後藤家の元気の源「エイ!エイ!オー!」。おふくろも一緒になって「エイ!エイ!オー!」】



 沖縄で心配をしていた妻に、今の洋服に合わせて喪服を作って持参してもらったり、知り合いから香典も預かったり、あるいは、喪主として弔辞で何を言おうか?などと考えていたことが無駄になって、良かったと思っています。

 おふくろは、肺に水が誤って入るため、水を飲むことができません。耳かきのような脱脂綿に水を湿らせ、口に当てるだけです。しかし、病院は暖房のせいで乾燥しきっています。胃には流動食が入って行きますが、喉はカラカラです。少し水を浸した脱脂綿をあえて口に入れました。顔をぐしゃぐしゃにして喜びました。そして、帰り際、絞り出すような声で「命の水、水は命の綱(つな)」と言いました。
 薬は医学や科学の産物です。これで活かした治療は大切です。しかし、天然ものの一滴の熊本の地下水で母親が元気になったことも事実です。自然の力はたいしたものだと実感しました。

 また、見舞いの合間を縫って、亡き父の墓参りと掃除をしましたが、子どもたちが望んでいた「雪」が舞いました。これは父親からのプレゼントだと思いました。子どもたちは大喜びで、雪と一緒に舞いました。

雪.jpg


                        【亡き父のプレゼントか?初めての雪を体験。大喜びの子どもたち】

 森のなかで育つ元気な子どもたちのエネルギーが、母親に乗り移って命を呼び起こしてくれました。医学上では到底理解できないかもしれませんが、子どもたちの歓声が、母の活力を高めたことは確かだと信じています。

ツバメ.jpg


【1週間の滞在で出費はかさんだが、得るものが多かった。帰りは熊本から福岡(博多)まで「電車」。子どもたちもいい体験になった】
posted by 塾長 at 19:28| その他