2013年03月31日

春のきたなか林間学校の案内

 日本は環境技術が世界最高レベルなのに、環境破壊はとどまるところを知らず、高齢者福祉も進んでいるのに、高齢者の自殺は減りません。同じように、識字率が限りなくゼロに近い教育環境であっても、いじめや虐待はなくなりません。
 交通渋滞対策に道路をどれだけ増やしても解決しないのは、自動車の生産、一家の保有台数を減らさないからだと思っています。つまり、目先ではなく元を正さないと本当の問題解決には結びつかないと考えます。

逆流する雨水.JPG

【3月31日(日)午前中。久しぶりに大雨が降りました。舗装された道路から側溝に入った雨水は、集中して我が家の前の溜マスに・・。当然、処理できず、逆流し、このように噴き上げます。「便利さ」がもたらす社会の自然現象のひとつ。】

道路にあふれる水.JPG

【道路にあふれ出た側溝の水。】

山の水みち.JPG

【敷地内の雨水のみず道。建設時、元々あった上部のがけ下の溝を整備しました。大雨の前兆があると、家族で一斉に枯葉や枯れ枝の撤去をしますが、これは家族の「仕事」です。備えあれば憂いなし!今日の大雨も点検したらチャンと流れていました。自然と闘うのではなく、自然の力を逃がし、土砂崩れを防止します。】


 戦後、主婦の家事軽減や、利便性を狙って作り出された洗濯機や掃除機、炊飯器、TV、通信機器など、数々の電化製品のアイディアも底をついた感じです。天下のパナソニック(旧松下電器)、ソニーなどの家電メーカーが苦戦するのは当然です。
 快適・便利な電化製品がもたらした負の遺産は、電力の浪費、化石資源の消費、内在する感性・機能劣化だけでなく、電力依存による災害リスクの拡大や、女性の家事開放による社会進出で本来の子育てに支障が出ています。ここが問題です。
 待機児童解消のため、行政も政治家も一様に保育所増設に傾注していますが、日本全体では少子化です。造り過ぎると、今度は保育所にはいる子どもが不足する事態が来るのは確実です。すでに、地方では子どもの争奪戦が展開されています。公的機関だと雇った職員や造った施設をどうするのか、新たな苦悩が始まります。

やねの上のヤギ2.JPG

【昨日のエサ上げ時。ヤギの子どもがポンプ小屋の上に上がって、木の葉を食べていました。山羊は高いところにのぼる習性があります。】

屋根の上のヤギ1.JPG

【子ヤギは母ヤギから離れません。逆に子ヤギをつないでいると、母ヤギは子ヤギから離れません。ニワトリのメンドリも、どんなことがあってもヒヨコから離れません。親子で殺しあう人間が、本当に高等動物なのでしょうか?】

 昔と違って、今は子育てや教育にお金がかかります。だから、共稼ぎが必要という考えがあります。だったら、子育て中は共稼ぎしなくてもいいほど国が手当てして、日本の将来を担う子どもたちを育てる、というのが私の持論です。中学卒業まで一人当たり5万円出してもその方が、税金は相当節約できます。これは国策でやるべきです。
 できないのは政治家にも行政にも、子育てに対する考え方がないからだと思います。私は子育て、特に乳幼児の時期は、母親が直接育てるべきだと考えています。保育所や幼稚園、学校や学童に通わせ、残った時間を塾に預けておいて、「子育て」しているとは言えません。
 小学校にはいったら、それ以降退職するまで、一般的には数十年は団体生活です。せめて、小学校に入るまでは、キチンと親が1対1で育てるべきです。そこで、ハシや鉛筆の持ち方、あいさつや返事がチャンとできるまでは、親がしつける義務があると考えます。
 小学校の授業参観で見ました。まともに鉛筆を握っている子どもは、一クラスに数人もいません。従って、我が家の第5子、第6子も幼稚園や保育園には通っていません。もちろん、母子・父子家庭は別です。私も小学校時に父親を亡くしたので、その辺の事情は理解します。しかしながら、近年は両親が揃っていても、保育所や幼稚園に通わせる家庭が増えました。単に、通わせたいとする家庭を同列にするのではなく、それぞれの家庭環境を吟味し、優先順位をつけて入所すればいいのではないかと思います。当然、児童手当の増額と一体のシステムにしなくてはなりませんが・・。

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【案内チラシです。今回、今までで一番きれいに取り出せた万然の胎盤を教材にしようと思っています。「何が自然なのか?」。判断の指標となる自然に営みを如実に表しているのは、出産・分娩だからです。】

 そこで、春のきたなか林間学校の開催のテーマを、「つつましい暮らしが育てる正しい自然観」としました。
 他人や機械に頼った子育ての弊害が、その後に影響しています。地位の高い大人が破廉恥行為で捕まるのは、正しい自然観を持たないからです。安心して暮らせる世の中とは言えません。
自然を排除した都市文明の中での暮らしでは、善悪の判断が麻痺します。そのことが「自然か、不自然か」で判断すると自ずと間違った方向に行かないのですが、何が自然なのかさえあいまいになっています。
 それは季節を逸脱したヒマワリ祭りや作られた命によってコントロールされている生きものに囲まれて、現代人の自然観がかく乱されているからです。今の大人の責任は重大です。科学や知識偏重で、効率性が重んじられる現代の競争社会では、便益性は確保されても、不安定で継続的な社会にはなり得ません。だから、いつまでたっても、凶悪な事件・事故は無くなりません。
 先日、4月に小学2年生になる長男・朴然と一緒にお風呂に入った時です。彼はこう言いました。「お父さん、背中、洗わせてもらってありがとう!」「・・ん、お父さんが洗ってもらってありがとうの間違いだろう?」と返すと、「お父さんの背中をタワシで洗うと体力がつくから、お父さんにありがとう、だよ!」「・・・、あ、そう」。
 社会の最小単位である家庭。家庭でも暮らしぶりが正しい自然観や秩序を作ります。暮らしから社会を変えていこうと思っています。

(現在、HPの「お知らせ」部分が更新(パソコン入力)できない状況にあるので、取り急ぎ、このブログで案内しました。新聞各社へのインフォメーションには申込みしておりますので、4月中旬には公募案内が掲載される予定です。本日以降、参加申し込みを受け付けます。)
posted by 塾長 at 13:38| 林間学校