19日の土曜日に久しぶりに「嘉手納基地」を見学しました。
フェンスの向こう側は「米国」。一番近い「外国」です。
今回は「合気道」仲間のMrジョー夫妻と子どもさんが案内してくれました。私は数年前、今は亡き「東大森裕子さん」を同じ合気道の「ケン先生」と一緒に案内して以来です。
【なにせ東洋一の規模を誇る「米軍嘉手納基地(KADENA AIR BASE)」です。滑走路が約4000m。嘉手納町の約83%を占めます。いつも国道58号や国体道路などから見ていますが、この日はフェンスの中から「日本」を見ます。
米軍基地内なのでセキュリティが俄然厳しくて、入る前の登録で顔と指紋の認証が必要です。5年以内に認証を受けているとOK.一応私は過去認証はあったようですが、新たな「指紋」が取れず四苦八苦。
つまり10本の指のどれも「指紋」がなく(消えていて)、OKが出るまで40分もかかりました。なんで「指紋が消えたのか?いまだに分かりません。】
【基地なので戦闘機なども展示してありました。ただ、セキュリティーが厳しいので軍事に関係のない店舗のみ掲載します。
ここは食事するところ。やはりアメリカ。ハンバーグ類が主。その点、日本の食文化はすごいなぁと改めて感じました。日本なら寿司やどんぶり、うどんにそば、焼肉からラーメンまでたくさんの種類があります。そして「箸の文化」。手で食べ物を握って口に頬張ることもありません。】
【セルフサービスの食堂の2階はショッピング街。バーバー(床屋)さんもありました。基地内には小学校・中学校・高校もあります。消防署も警察もゴルフ場もあります。フェンスの外の日本は車がいっぱいでせせこましいですが、ここはゆったり。交差点では信号が赤でも対向車が居なければ「左折可」でした。だから沖縄には左折可の交差点が多いのだな、と思いました。】
【アメリカらしいのはこの「カート専用」のエスカレーター。そういえば嘉手納に住んでいたころ、町内のおもちゃ屋さんに磁石で固定されて人と一緒に降りられるエスカレータがあったなぁ、と思い出しました。】
【洗面書の洗面台の高さも高い。トイレは扉下やパーテーションの下が日本より高く開いていました。犯罪防止のせいかと思いますが、なかなか落ちついて用が足せないのではないかと思いますが、「慣れ」でしょうネ。ところ変われば・・。】
一方、フェンスの外は日本。我が家の研究隊は大忙し。毎日、稲の苗の成長を温湿度や天候との関係を記録しています。
【今のところ、地下水・馬のたい肥(D)の苗床が一番伸びが良いようです(27mm)。水道水のたい肥無しが一番成長が遅いようですが、田植えまで観察を続ける予定です。】
【家に咲き始めた「アマリリス」。やっと4枚咲きました。久しぶりに中学校の交差点に作っている「交通安全」の看板下の小庭の「アマリリス」も咲きました。ピンクと赤。どちらも生き生きしています。】
やっぱ、日本での暮らしがいいなぁ。
さてさていよいよ明日は「島根殿」を国の有形登録文化財への申請の説明会。県の文化財課や村の教育委員会、熱田自治会字誌編纂委員会、村の文化協会長への説明をパワーポイントを使って説明する予定。
関係書類、写真、図面は揃えたので、あとはいかに分かり易く説明できるかどうか!です。
頑張ってみまーす!!
2025年04月18日
第34回(令和7年度)「きたなか林間学校」のご案内
来週半ばから新聞で公募する予定ですが、一足先にこのHPでご案内します。
【案内リーフレットです。】
【リーフレットより少し詳しい「趣旨」です。】
【おおよそのスケジュールです。天候や稲の成長、家庭の事情などで活動参加日は前後するので、活動日が決まりましたらその都度、約1週間前までに連絡します。】
参加登録者には追って別紙の「注意事項等」をまとめた書面を送るようにしています。
今年から活動体系を変えました。お互い無理のないようにしました。無理したら続かないことは十分知っているからです。来たい時参加し、できないときは次の機会に参加するということにしました。
分からないところがあったら、メールでご相談ください。追って連絡いたします。
では、張り切っていきましょう!!
(「育苗箱」にまいた「稲もみ」は順調に育っています。小さな苗たちも会えるのを楽しみにしていると思います。どうぞお気軽にご参加ください。
【案内リーフレットです。】
【リーフレットより少し詳しい「趣旨」です。】
【おおよそのスケジュールです。天候や稲の成長、家庭の事情などで活動参加日は前後するので、活動日が決まりましたらその都度、約1週間前までに連絡します。】
参加登録者には追って別紙の「注意事項等」をまとめた書面を送るようにしています。
今年から活動体系を変えました。お互い無理のないようにしました。無理したら続かないことは十分知っているからです。来たい時参加し、できないときは次の機会に参加するということにしました。
分からないところがあったら、メールでご相談ください。追って連絡いたします。
では、張り切っていきましょう!!
(「育苗箱」にまいた「稲もみ」は順調に育っています。小さな苗たちも会えるのを楽しみにしていると思います。どうぞお気軽にご参加ください。
posted by 塾長 at 10:00| 教育・子育て
2025年04月13日
「完全無農薬の田んぼづくり」
昨日、小学校3人組の自由研究を兼ねてイネの「播種」(種まき)をしました。
保育園から新1年生になった第10子・末っ子の心然(しんねん)と3年生になった第9子の「わかみこ」、第8子の「こだまこ」(6年生)の共同研究です。
今年は「きたなか林間学校」の授業(活動)も兼ねます。自然が相手なのではっきりした活動期日は確定できませんが、1週間くらい前に登録された児童・生徒・保護者に連絡し、これる方々だけ参加するという方法にしました。
本来、我が家の教育の一環ですので、家庭の延長線上の活動です。学ぶものはたくさんあると思われます。単に稲作をすることではありません。つまり目的は「環境教育を手段とした人格形成」です。
【まずは「種まき」の準備。「準備係」は1年生の心然の役割にしました。15m以上ある高低差を作業に必要な用具を運びます。これは「育苗箱」です。今年は16予定しました。】
【育苗用の土を近くの土屋さんから購入。酸性の中頭(なかがみ)赤土(中頭マージ)も運びますが、さすがに20sもあるので「きょうだい」で運びました。】
【稲栽培は「田んぼの畔(あぜ)づくり」と「苗育て」でほぼ決定します。そこさえうまくいけば「稲は勝手に育ちます」。
去年は「育苗棚」を作って育てましたが、小屋の外からの光が漏れたことや水を与えても乾燥が進んだことなどからいい苗ができませんでした。今年は低い苗床で育てることに・・・。
そして水は「水道水」と「わき水」。それぞれ「ノーマル」(何も入れない土のみ)と「馬ふんのたい肥」を加えた土のA・B・C・Dの4種類で苗床をつくり、比較することにしました。
馬ふんのたい肥は家で飼っているヨナグニウマの「ゲン」の馬ふんをたい肥小屋で発酵させたものです。これに同じく家きんのニワトリのフンを発酵させた「鶏ふん」を混ぜた自然の肥料です。
5ミリメッシュの網で土と馬ふんのたい肥をこして混ぜます。】
【いよいよ「種まき(播種・はしゅ)」です。もう「葉の芽」が出てきているので傷つけないよう、そっと十分水を浸みさせた土にまきました。】
【種の上に土をパラパラとまきました。そしてまた水を与えました。】
【かまぼこ型の枠の上に黒色のマルチを張りました。】
【昨日は朝から始めた作業が午後5時までかかりました。昼抜きでみんな頑張りました。しかも気温は25℃。クタクタで全員バタンキューでした。
今日は逆に10度も低い15℃、気温と湿度を測ってみると、マルチの外では気温14.7℃、湿度67%。マルチの中では16.6℃、湿度73%でした。】
【今朝はラジオ体操のあと餌あげをし、そのあと1週間分の草刈りをしました。ウマやヤギ、ウサギにアヒル、ニワトリたちの草刈りです。
敷地の道路際に「アマリリス」が開花し始めていました。僕ら家族の活動を傍から見てくれていたようです。今年もまたきれいな姿を現してくれました。】
5月3日には田植えをしたいと思っています。林間学校の最初の活動日になりそうです。
何のために生きているか!いろいろ考えさせられる1年になりそうです。
保育園から新1年生になった第10子・末っ子の心然(しんねん)と3年生になった第9子の「わかみこ」、第8子の「こだまこ」(6年生)の共同研究です。
今年は「きたなか林間学校」の授業(活動)も兼ねます。自然が相手なのではっきりした活動期日は確定できませんが、1週間くらい前に登録された児童・生徒・保護者に連絡し、これる方々だけ参加するという方法にしました。
本来、我が家の教育の一環ですので、家庭の延長線上の活動です。学ぶものはたくさんあると思われます。単に稲作をすることではありません。つまり目的は「環境教育を手段とした人格形成」です。
【まずは「種まき」の準備。「準備係」は1年生の心然の役割にしました。15m以上ある高低差を作業に必要な用具を運びます。これは「育苗箱」です。今年は16予定しました。】
【育苗用の土を近くの土屋さんから購入。酸性の中頭(なかがみ)赤土(中頭マージ)も運びますが、さすがに20sもあるので「きょうだい」で運びました。】
【稲栽培は「田んぼの畔(あぜ)づくり」と「苗育て」でほぼ決定します。そこさえうまくいけば「稲は勝手に育ちます」。
去年は「育苗棚」を作って育てましたが、小屋の外からの光が漏れたことや水を与えても乾燥が進んだことなどからいい苗ができませんでした。今年は低い苗床で育てることに・・・。
そして水は「水道水」と「わき水」。それぞれ「ノーマル」(何も入れない土のみ)と「馬ふんのたい肥」を加えた土のA・B・C・Dの4種類で苗床をつくり、比較することにしました。
馬ふんのたい肥は家で飼っているヨナグニウマの「ゲン」の馬ふんをたい肥小屋で発酵させたものです。これに同じく家きんのニワトリのフンを発酵させた「鶏ふん」を混ぜた自然の肥料です。
5ミリメッシュの網で土と馬ふんのたい肥をこして混ぜます。】
【いよいよ「種まき(播種・はしゅ)」です。もう「葉の芽」が出てきているので傷つけないよう、そっと十分水を浸みさせた土にまきました。】
【種の上に土をパラパラとまきました。そしてまた水を与えました。】
【かまぼこ型の枠の上に黒色のマルチを張りました。】
【昨日は朝から始めた作業が午後5時までかかりました。昼抜きでみんな頑張りました。しかも気温は25℃。クタクタで全員バタンキューでした。
今日は逆に10度も低い15℃、気温と湿度を測ってみると、マルチの外では気温14.7℃、湿度67%。マルチの中では16.6℃、湿度73%でした。】
【今朝はラジオ体操のあと餌あげをし、そのあと1週間分の草刈りをしました。ウマやヤギ、ウサギにアヒル、ニワトリたちの草刈りです。
敷地の道路際に「アマリリス」が開花し始めていました。僕ら家族の活動を傍から見てくれていたようです。今年もまたきれいな姿を現してくれました。】
5月3日には田植えをしたいと思っています。林間学校の最初の活動日になりそうです。
何のために生きているか!いろいろ考えさせられる1年になりそうです。
posted by 塾長 at 21:14| 教育・子育て
2025年04月10日
「芽吹く」・春!
今年は農地の賃貸契約の更新年。2年間借りて、2年間小学校の「田んぼの授業」で活動させてもらいました。無事、土地の使用貸借契約と農地法3条申請の許可も下りたので、耕しにかかります。
「種もみ」はいつも熊本の阿蘇の農家(下田様)から無農薬のお米を購入しているので、今年も無理を言って「コシヒカリ」の種もみを少しだけ送っていただきました。
さっそく小学生3人組が自由研究を始めました。
【いつもの通り、「塩水選」を行い、60℃のお湯で消毒、冷水に浸したのち「浸種」を始めました。今年はわき水(平成の名水百選(北中城村荻道・大城湧水群)のひとつ、「タチガ−」の水でも「浸種」しました。
リトマス試験では当然、湧水は「アルカリ性」、水道水は「弱アルカリ性」でした。
それがどこまで影響するのか、あるいは水温(積算温度)で変わるのか、研究結果が楽しみです。ちなみに上が「湧水地の水」、下が「水道水」。明らかに「わき水」の方が先に「芽」が出てきて成長が早いようです。】
【第10子の心然が本日、北中城小学校に入学しました。小雨が降り始めていましたが、我が家最後の小学生の入学式。私たちもまだまだ「子育て」が続きます。家内も保護者(母親)としては、周りには若いお母さんが多いので気恥ずかしいでしょうが、これからもお互い頑張りましょう!】】
【入学を応援するかのように、裏山のわき水を貯めた農業用水タンクの周りの「オクラレルカ」と「インパチェンス」の花が咲きました。「おめでとう!」と祝ってくれているようでした。】
【こちらも外国人の方々が芽吹いた「外国人のための伝統建築教室」。
(「腰掛け蟻継ぎ」のあと金輪継ぎ」を作成。今回は3回目)始まる前にジョーさんの紹介には合気道二段の腕前通り合気道の試技がありました。これには「合気道」と「日本の伝統の柔構造」が共通する(自然や人と)戦わない、逃がす、避ける、よけるという考え方があるからです。
空手や柔道・剣道も日本の武道ですが相手を攻めます。「合気道」は護身術。戦わないどころか、護身した時でも相手を怪我をさせないようにします。素晴らしい日本の独自の武術です。
ジョーさんはアメリカ人。かえって日本人より日本人のことを理解しているかもしれません。】
【同様に建築に関しても「西洋かぶれ」がまだまだいます。デザインや動線(合理主義)ばかり追求して、メンテ、廃棄、文化などのことは気にしません。競技設計でもデザイン性が重視されているようです。しかし、本当は建築哲学や人生観などが大事だと思っています。
「宙に浮く心柱」を持つ住宅の設計をこれまで行ってきました。そこでそのミニチュア版を外人さんに組んでもらうことに・・・。】
【2時間後に完成。解体・片付けも約30分で終了。部材たちは次の出番を待つことになります。】
【土曜日のイベントにはアメリカ国籍がお2人、カナダ国籍がお1人が参加しました。(他にも日本人もハーフも・・)日本の精巧で奥の深い伝統木造建築の一端を体験され大変ご満悦の様子でした。】
【今朝は警報級の大雨になるとの予報がありました。敷地内の雨水排水溝や道路側溝を掃除しました。その時、先日生まれたヒヨコと会いました。カラスやネコにもっていかれず無事のようです。今はオンドリ3羽も護衛しているようです。】
さてさてイネの種もみをはじめ、小学生も外国人もヒヨコも野草も「芽吹き」始めました。今日、今年の林間学校の計画もしました。
今年から1年計画でします。我が家で行うイネの栽培を土日・祝日の2時間だけ一緒に過ごそう!という方法です。だから育苗から代掻き、畔づくり、草刈り、田植え、稲刈り、ハゼ掛け、しめ縄づくりまで天候や育ち具合に合わせた活動を一緒にしようというわけです。
年間登録料を3000円頂き、その後は事前に登録者には作業内容をお知らせし、「来れる人は参加、無理な日は不参加」。10回来ようが、1回しかこれなくても年会費は同じ。
目的は「環境教育による人格形成」です。23日、24日に沖縄タイムス、琉球新報に内容をはじめ、問い合わせ先や申し込み先(今年は登録)の案内が出る予定です。先にHPで告知しました。
お問い合わせは
nuchiyuruya@gmail.com
です。以上、
「春です!」心身ともに「芽吹く」春です。自然界と同じように、人間も「芽吹く」時期です。新しい「芽」を自ら出しましょう!
「種もみ」はいつも熊本の阿蘇の農家(下田様)から無農薬のお米を購入しているので、今年も無理を言って「コシヒカリ」の種もみを少しだけ送っていただきました。
さっそく小学生3人組が自由研究を始めました。
【いつもの通り、「塩水選」を行い、60℃のお湯で消毒、冷水に浸したのち「浸種」を始めました。今年はわき水(平成の名水百選(北中城村荻道・大城湧水群)のひとつ、「タチガ−」の水でも「浸種」しました。
リトマス試験では当然、湧水は「アルカリ性」、水道水は「弱アルカリ性」でした。
それがどこまで影響するのか、あるいは水温(積算温度)で変わるのか、研究結果が楽しみです。ちなみに上が「湧水地の水」、下が「水道水」。明らかに「わき水」の方が先に「芽」が出てきて成長が早いようです。】
【第10子の心然が本日、北中城小学校に入学しました。小雨が降り始めていましたが、我が家最後の小学生の入学式。私たちもまだまだ「子育て」が続きます。家内も保護者(母親)としては、周りには若いお母さんが多いので気恥ずかしいでしょうが、これからもお互い頑張りましょう!】】
【入学を応援するかのように、裏山のわき水を貯めた農業用水タンクの周りの「オクラレルカ」と「インパチェンス」の花が咲きました。「おめでとう!」と祝ってくれているようでした。】
【こちらも外国人の方々が芽吹いた「外国人のための伝統建築教室」。
(「腰掛け蟻継ぎ」のあと金輪継ぎ」を作成。今回は3回目)始まる前にジョーさんの紹介には合気道二段の腕前通り合気道の試技がありました。これには「合気道」と「日本の伝統の柔構造」が共通する(自然や人と)戦わない、逃がす、避ける、よけるという考え方があるからです。
空手や柔道・剣道も日本の武道ですが相手を攻めます。「合気道」は護身術。戦わないどころか、護身した時でも相手を怪我をさせないようにします。素晴らしい日本の独自の武術です。
ジョーさんはアメリカ人。かえって日本人より日本人のことを理解しているかもしれません。】
【同様に建築に関しても「西洋かぶれ」がまだまだいます。デザインや動線(合理主義)ばかり追求して、メンテ、廃棄、文化などのことは気にしません。競技設計でもデザイン性が重視されているようです。しかし、本当は建築哲学や人生観などが大事だと思っています。
「宙に浮く心柱」を持つ住宅の設計をこれまで行ってきました。そこでそのミニチュア版を外人さんに組んでもらうことに・・・。】
【2時間後に完成。解体・片付けも約30分で終了。部材たちは次の出番を待つことになります。】
【土曜日のイベントにはアメリカ国籍がお2人、カナダ国籍がお1人が参加しました。(他にも日本人もハーフも・・)日本の精巧で奥の深い伝統木造建築の一端を体験され大変ご満悦の様子でした。】
【今朝は警報級の大雨になるとの予報がありました。敷地内の雨水排水溝や道路側溝を掃除しました。その時、先日生まれたヒヨコと会いました。カラスやネコにもっていかれず無事のようです。今はオンドリ3羽も護衛しているようです。】
さてさてイネの種もみをはじめ、小学生も外国人もヒヨコも野草も「芽吹き」始めました。今日、今年の林間学校の計画もしました。
今年から1年計画でします。我が家で行うイネの栽培を土日・祝日の2時間だけ一緒に過ごそう!という方法です。だから育苗から代掻き、畔づくり、草刈り、田植え、稲刈り、ハゼ掛け、しめ縄づくりまで天候や育ち具合に合わせた活動を一緒にしようというわけです。
年間登録料を3000円頂き、その後は事前に登録者には作業内容をお知らせし、「来れる人は参加、無理な日は不参加」。10回来ようが、1回しかこれなくても年会費は同じ。
目的は「環境教育による人格形成」です。23日、24日に沖縄タイムス、琉球新報に内容をはじめ、問い合わせ先や申し込み先(今年は登録)の案内が出る予定です。先にHPで告知しました。
お問い合わせは
nuchiyuruya@gmail.com
です。以上、
「春です!」心身ともに「芽吹く」春です。自然界と同じように、人間も「芽吹く」時期です。新しい「芽」を自ら出しましょう!
posted by 塾長 at 22:47| 教育・子育て
2025年04月04日
されど桁1本!
先月末(3月30日)、国指定の重要文化財・中村家住宅の所有者、12代当主中村國広さんから相談の電話が入っていました。話によると「1本の梁が下がっている」とのこと。
家が同じ北中城村で近くなので、早速現場を見に行きました。
【「中村家住宅」は半年前、「建築士会青年部大同窓会」を開催した場所です。右に見える主屋と左に見える畜舎をつなぐ桁の中央部が下がっていました。見た目で5センチは下がっていました。観光客が多く見学に来る江戸末期の旧武家屋敷を那覇から移築した豪農の住まい。】
【シロアリ被害ではなさそう。一番手前の桁です。主屋の軒桁とつながっています。この下に雨端(あまはじ・下屋)の桁があります。】
【畜舎の小屋裏には入れたので桁の木口が見れました。腐朽菌による腐食。昔なので谷は瓦で施工してあります。その谷瓦の樋からの漏水が桁に伝わって腐り始め、徐々に強度が落ち、さらに水は低きに流れて腐れを助長するという悪循環が長年繰り返されたのではないかと思います。木口はボロボロに腐っていました。】
【対象が重要文化財なので応急措置とはいえども気を使います。一番良い方法は主屋と畜舎の両棟のつなぎの小屋(屋根)を取り外して新たな桁を入れることですが、相当な期間とお金がかかります。今は能登半島地震で多くの文化財に影響があっていて、工事に対する助成金も5年くらい待たないと無理だとか?
そこで応急処置して家と観光客の安全を守ることのようです。
朱色が元の桁、青色が応急処置の梁や持ち送り板です。あくまでも「案」です。】
【なぜ「金輪継ぎ」で補強するか?の説明中です。新しい桁を入れるためには既存の屋根を撤去しなくてはなりません。それは今は無理なので桁を上げずにできることを考えました。2本継ぎにして横から滑り込ませる方法。ならば「追っ掛け大栓継ぎ」ではなく、「金輪継ぎ」かな?しかしシャチは上から打ち込むのでその分まで引き上げなければなりません。・・・無理?。そこでシャチを下から打ち込むことに・・。そうするとシャチが木材の乾燥で縮んで落ちることもあるかもしれないと思い、半分シャチに掛けて横からコミセンを打つことにしました。他にも2本のコミセンを打とうかという案です。
中村さんと妹さんに説明中。】
後は見積り。村内の文化財なので何とか小さい金額で大きな安全を確保できたらと思っています。
【家の周りはすっかり春めいてきました。今日も最高気温は20℃を上回るようです。
●お地蔵さんの胸には天然のインパチェンスがまた花を咲かせました。
●入学式の時期にいつも咲いてくれるオクラレルカも咲き始めました。
●草刈りの際、大きなナナフシを見つけた第10子(3男)の心然。4月から1年生です。
●シラサギが水車小屋前の池に飛来。闘魚やメダカを狙っていたので追いました。】
【明日(5日・土曜日)の10時から12時まで、「外国人のための伝統建築教室」の最終回を行います。これまで腰掛け蟻継ぎ、追っ掛け大栓継ぎを作りました。
今度はこれらを使った実際の木組みを「宙に浮く心柱」の小屋組みのミニチュア版で体験してもらう企画です。
これまで林間学校や北中城小学校の公開授業などで何度も組み立てては解体しています。
目的は「伝統技術」ではありません。伝統的な木組みの奥にある「相手の命を思いやる日本人の心」です。
残念ながら最近は、当の日本人より外国人の方が「日本人の心」を理解しようとする人が多いように思います。通訳を兼ねて「中村家住宅」当主の妹婿(カナダ出身)も参加予定です。(もちろん参加無料、来るものは拒まず・・です。】
さて我が家の下3人は共同で「自由研究」を始めました。
【阿蘇の完全無農薬で育ったコシヒカリの種もみを今年も使います。塩水選や消毒を終えていよいよ浸種。種もみから芽や根が出るまでの間の成長、人間で言えば「三つ子の魂、百まで」というので、浸す水を水道水と名水百選のタチガ−のわき水で比較することになりました。タチガ−池から採水しました。】
【毎朝、気温・湿度・水温を測定します。成長に大きな影響を及ぼす水温。わき水の「置き水」と「水道水」では異なっています。】
【リトマス試験。やはり琉球石灰岩を通って湧いてくる水はアルカリ度が高く「9」でした。水道水は浄水場で希釈されているので「弱アルカリ」。これがどのようにお米に影響するのか楽しみです。】
「中村家住宅の桁」・・・「たかが桁1本、されど桁1本」です。全身全霊を込めて対処したいと思います。
家が同じ北中城村で近くなので、早速現場を見に行きました。
【「中村家住宅」は半年前、「建築士会青年部大同窓会」を開催した場所です。右に見える主屋と左に見える畜舎をつなぐ桁の中央部が下がっていました。見た目で5センチは下がっていました。観光客が多く見学に来る江戸末期の旧武家屋敷を那覇から移築した豪農の住まい。】
【シロアリ被害ではなさそう。一番手前の桁です。主屋の軒桁とつながっています。この下に雨端(あまはじ・下屋)の桁があります。】
【畜舎の小屋裏には入れたので桁の木口が見れました。腐朽菌による腐食。昔なので谷は瓦で施工してあります。その谷瓦の樋からの漏水が桁に伝わって腐り始め、徐々に強度が落ち、さらに水は低きに流れて腐れを助長するという悪循環が長年繰り返されたのではないかと思います。木口はボロボロに腐っていました。】
【対象が重要文化財なので応急措置とはいえども気を使います。一番良い方法は主屋と畜舎の両棟のつなぎの小屋(屋根)を取り外して新たな桁を入れることですが、相当な期間とお金がかかります。今は能登半島地震で多くの文化財に影響があっていて、工事に対する助成金も5年くらい待たないと無理だとか?
そこで応急処置して家と観光客の安全を守ることのようです。
朱色が元の桁、青色が応急処置の梁や持ち送り板です。あくまでも「案」です。】
【なぜ「金輪継ぎ」で補強するか?の説明中です。新しい桁を入れるためには既存の屋根を撤去しなくてはなりません。それは今は無理なので桁を上げずにできることを考えました。2本継ぎにして横から滑り込ませる方法。ならば「追っ掛け大栓継ぎ」ではなく、「金輪継ぎ」かな?しかしシャチは上から打ち込むのでその分まで引き上げなければなりません。・・・無理?。そこでシャチを下から打ち込むことに・・。そうするとシャチが木材の乾燥で縮んで落ちることもあるかもしれないと思い、半分シャチに掛けて横からコミセンを打つことにしました。他にも2本のコミセンを打とうかという案です。
中村さんと妹さんに説明中。】
後は見積り。村内の文化財なので何とか小さい金額で大きな安全を確保できたらと思っています。
【家の周りはすっかり春めいてきました。今日も最高気温は20℃を上回るようです。
●お地蔵さんの胸には天然のインパチェンスがまた花を咲かせました。
●入学式の時期にいつも咲いてくれるオクラレルカも咲き始めました。
●草刈りの際、大きなナナフシを見つけた第10子(3男)の心然。4月から1年生です。
●シラサギが水車小屋前の池に飛来。闘魚やメダカを狙っていたので追いました。】
【明日(5日・土曜日)の10時から12時まで、「外国人のための伝統建築教室」の最終回を行います。これまで腰掛け蟻継ぎ、追っ掛け大栓継ぎを作りました。
今度はこれらを使った実際の木組みを「宙に浮く心柱」の小屋組みのミニチュア版で体験してもらう企画です。
これまで林間学校や北中城小学校の公開授業などで何度も組み立てては解体しています。
目的は「伝統技術」ではありません。伝統的な木組みの奥にある「相手の命を思いやる日本人の心」です。
残念ながら最近は、当の日本人より外国人の方が「日本人の心」を理解しようとする人が多いように思います。通訳を兼ねて「中村家住宅」当主の妹婿(カナダ出身)も参加予定です。(もちろん参加無料、来るものは拒まず・・です。】
さて我が家の下3人は共同で「自由研究」を始めました。
【阿蘇の完全無農薬で育ったコシヒカリの種もみを今年も使います。塩水選や消毒を終えていよいよ浸種。種もみから芽や根が出るまでの間の成長、人間で言えば「三つ子の魂、百まで」というので、浸す水を水道水と名水百選のタチガ−のわき水で比較することになりました。タチガ−池から採水しました。】
【毎朝、気温・湿度・水温を測定します。成長に大きな影響を及ぼす水温。わき水の「置き水」と「水道水」では異なっています。】
【リトマス試験。やはり琉球石灰岩を通って湧いてくる水はアルカリ度が高く「9」でした。水道水は浄水場で希釈されているので「弱アルカリ」。これがどのようにお米に影響するのか楽しみです。】
「中村家住宅の桁」・・・「たかが桁1本、されど桁1本」です。全身全霊を込めて対処したいと思います。
posted by 塾長 at 10:55| 教育・子育て
2025年03月26日
「鳥居・考」
現在、「島根殿(しまにどぅん)」の登録有形文化財への登録申請の手続きを進めています。
だんだん佳境に入ってきて、時代背景を探るため、本殿(御嶽)や拝殿以外の付属する工作物にも注目しています。
例えば「鳥居」。鳥居も様々な形式があります。「島根殿」の鳥居は「靖国鳥居」と考えています。
【島根殿の鳥居。コンクリート製ですが柱は円柱、島木も円柱。貫だけ矩形。貫は柱から出さない。貫をクサビで止めない・・など、大きさは全然異なりますが、靖国神社の「大鳥居(第一鳥居)」と形式はほぼ同じです。(3月20日の春分の日の前日の朝、本当に本殿、拝殿、鳥居が「磁東」ではなく「真東」を向いているのか、影を調べました。合致しました。伊勢神宮の五十鈴川に架かる宇治橋の両端に立つ鳥居も東向きです。)】
【以前上京した時撮った「第一鳥居の写真」です。(「大鳥居」は大正10年(1921年)立てられています)】
【本殿近くの「第二の鳥居」です。こちらは明治20年(1887年)に完成。青銅製で継ぎ目がありません。一つ違うのは、貫が円形ということです。】
そこで沖縄で一番格の高い「波之上宮」の鳥居を観に行きました。
【現在の波之上宮の鳥居です。島木の上に反りのある「笠木」が載っており、貫が柱を貫通して「楔が売ってある「明神鳥居」です。すぐ横に「官幣社」の文字が入った記念石碑がありました。裏を見ると再興記念の昭和10年に立てられたことが分かります。「官幣(かんぺい)小社」は、明治に入ってから近代の社格制度が始まり、波之上宮が昭和10年に「官幣小社」になったことが分かります。】
【石碑の裏に説明がありました。権禰宜(ごんねぎ)さんの話だと、先の大戦で受けた弾痕があるとのことだったのでよく見るとありました。】
【お宮にあったコンクリート製の鳥居の写真。明神鳥居の第一の鳥居が奥に見えます。最上部の島木が折れています。昭和28年ごろと説明にあります。(那覇市歴史博物館)】
【那覇市歴史博物館収蔵の第二の鳥居の写真。これにも砲弾を受けた傷口から鉄筋が見えます。】
【波之上宮の崎山権禰宜さんからいただいた貴重な写真の写し。コンクリートの前は木製鳥居だったと思われます。伊勢神宮でも式年遷宮で20年、その後五十鈴川に架かる宇治橋の鳥居で20年、その後三重県桑名市七里の渡し、亀山市関の追分の鳥居で20年、計60年は再利用、再々利用されます。従って、「官幣小社」に格上げされた記念(明治23年)で建てられたとしても、木の鳥居が60年生き延びたとすれば、明治の残りが22年、大正が15年、昭和を23年までは立っていける勘定になります。
(多分、それ以前の昭和10年の「官幣小社」に社格したあとに建て替え)
それ以前に腐朽して壊れコンクリートに変わったとしても、この木組みの鳥居は明治後期の写真ではないかと思われます。
写真の一部にひげを生やしたトレードマーク(商標登録)の「仁丹(じんたん)」の看板が小さく見えるからです。「仁丹」は明治26年創業なのでその後の年代と考えられます。
ただ大事なことは、貫が丸太であること。足場も木製、クレーン車もない時代、多分、伊勢神宮のように気を組んで造られたのでしょう。これは「靖国神社の第二の鳥居」と重なります。たまたまこちらも「波之上宮」の「第二の鳥居」です。(木造の場合は、すべてを丸太で組んだ場合は「白木鳥居」とも言われます。「黒木鳥居」はすべてを皮つき丸太で組んだ場合です)】
つまりこれが波之上宮の鳥居の原型で、かつ、「靖国神社」の第二の鳥居(明治20年完成で現存)と同じすべて丸太組。従って「島根殿」の鳥居の型式は「靖国鳥居」と結論付けました。
やはり皇紀2600年(昭和15年、1940年)に「熱田御嶽」を「熱田神社」として神社化し、大東亜大戦に出兵する地元の若人を送り出すには、「靖国神社」のカタチが一番ふさわしいと考えたのでしょう。
【靖国神社第二の鳥居を再掲。波之上宮の第二鳥居(木造)と同じすべて丸形、貫・柱出しなしで共通。2019年7月撮影。(参考までに:私の体重は6年前は95キロ、今は82キロです。今、お腹はこんなに出ていません!)】
靖国神社は明治22年、「招魂社(しょうこんしゃ)」から「靖国神社」に改名されました。国を守る戦いで亡くなられた人たちをお祀りするところです。
琉球信仰(神道)の根源である「御嶽(うたき)」を神社化してでも、国威を掲揚しなければならなかった時代背景を、「島根殿」から見て取ることができます。
沖縄の歴史や世界や日本の動きを県内で唯一、戦禍を潜り抜けて今に遺る「島根殿」を是非「登録文化財」として後世に伝えたいと思いながら、残りの手続きに邁進しています。
(「鳥居」だけでもこんなに奥が深いので、残る「正殿」、「拝殿」、「灯籠」、「手水鉢」、「アガリユーヌウトゥー」などへの所見もあるので、「楽しいけれどタイヘーンです!。」)
だんだん佳境に入ってきて、時代背景を探るため、本殿(御嶽)や拝殿以外の付属する工作物にも注目しています。
例えば「鳥居」。鳥居も様々な形式があります。「島根殿」の鳥居は「靖国鳥居」と考えています。
【島根殿の鳥居。コンクリート製ですが柱は円柱、島木も円柱。貫だけ矩形。貫は柱から出さない。貫をクサビで止めない・・など、大きさは全然異なりますが、靖国神社の「大鳥居(第一鳥居)」と形式はほぼ同じです。(3月20日の春分の日の前日の朝、本当に本殿、拝殿、鳥居が「磁東」ではなく「真東」を向いているのか、影を調べました。合致しました。伊勢神宮の五十鈴川に架かる宇治橋の両端に立つ鳥居も東向きです。)】
【以前上京した時撮った「第一鳥居の写真」です。(「大鳥居」は大正10年(1921年)立てられています)】
【本殿近くの「第二の鳥居」です。こちらは明治20年(1887年)に完成。青銅製で継ぎ目がありません。一つ違うのは、貫が円形ということです。】
そこで沖縄で一番格の高い「波之上宮」の鳥居を観に行きました。
【現在の波之上宮の鳥居です。島木の上に反りのある「笠木」が載っており、貫が柱を貫通して「楔が売ってある「明神鳥居」です。すぐ横に「官幣社」の文字が入った記念石碑がありました。裏を見ると再興記念の昭和10年に立てられたことが分かります。「官幣(かんぺい)小社」は、明治に入ってから近代の社格制度が始まり、波之上宮が昭和10年に「官幣小社」になったことが分かります。】
【石碑の裏に説明がありました。権禰宜(ごんねぎ)さんの話だと、先の大戦で受けた弾痕があるとのことだったのでよく見るとありました。】
【お宮にあったコンクリート製の鳥居の写真。明神鳥居の第一の鳥居が奥に見えます。最上部の島木が折れています。昭和28年ごろと説明にあります。(那覇市歴史博物館)】
【那覇市歴史博物館収蔵の第二の鳥居の写真。これにも砲弾を受けた傷口から鉄筋が見えます。】
【波之上宮の崎山権禰宜さんからいただいた貴重な写真の写し。コンクリートの前は木製鳥居だったと思われます。伊勢神宮でも式年遷宮で20年、その後五十鈴川に架かる宇治橋の鳥居で20年、その後三重県桑名市七里の渡し、亀山市関の追分の鳥居で20年、計60年は再利用、再々利用されます。従って、「官幣小社」に格上げされた記念(明治23年)で建てられたとしても、木の鳥居が60年生き延びたとすれば、明治の残りが22年、大正が15年、昭和を23年までは立っていける勘定になります。
(多分、それ以前の昭和10年の「官幣小社」に社格したあとに建て替え)
それ以前に腐朽して壊れコンクリートに変わったとしても、この木組みの鳥居は明治後期の写真ではないかと思われます。
写真の一部にひげを生やしたトレードマーク(商標登録)の「仁丹(じんたん)」の看板が小さく見えるからです。「仁丹」は明治26年創業なのでその後の年代と考えられます。
ただ大事なことは、貫が丸太であること。足場も木製、クレーン車もない時代、多分、伊勢神宮のように気を組んで造られたのでしょう。これは「靖国神社の第二の鳥居」と重なります。たまたまこちらも「波之上宮」の「第二の鳥居」です。(木造の場合は、すべてを丸太で組んだ場合は「白木鳥居」とも言われます。「黒木鳥居」はすべてを皮つき丸太で組んだ場合です)】
つまりこれが波之上宮の鳥居の原型で、かつ、「靖国神社」の第二の鳥居(明治20年完成で現存)と同じすべて丸太組。従って「島根殿」の鳥居の型式は「靖国鳥居」と結論付けました。
やはり皇紀2600年(昭和15年、1940年)に「熱田御嶽」を「熱田神社」として神社化し、大東亜大戦に出兵する地元の若人を送り出すには、「靖国神社」のカタチが一番ふさわしいと考えたのでしょう。
【靖国神社第二の鳥居を再掲。波之上宮の第二鳥居(木造)と同じすべて丸形、貫・柱出しなしで共通。2019年7月撮影。(参考までに:私の体重は6年前は95キロ、今は82キロです。今、お腹はこんなに出ていません!)】
靖国神社は明治22年、「招魂社(しょうこんしゃ)」から「靖国神社」に改名されました。国を守る戦いで亡くなられた人たちをお祀りするところです。
琉球信仰(神道)の根源である「御嶽(うたき)」を神社化してでも、国威を掲揚しなければならなかった時代背景を、「島根殿」から見て取ることができます。
沖縄の歴史や世界や日本の動きを県内で唯一、戦禍を潜り抜けて今に遺る「島根殿」を是非「登録文化財」として後世に伝えたいと思いながら、残りの手続きに邁進しています。
(「鳥居」だけでもこんなに奥が深いので、残る「正殿」、「拝殿」、「灯籠」、「手水鉢」、「アガリユーヌウトゥー」などへの所見もあるので、「楽しいけれどタイヘーンです!。」)
posted by 塾長 at 11:21| 教育・子育て
2025年03月18日
北中城村教育委員会にも中間報告
昨日、自治会に引き続き村教育委員会に「島根殿(しまにどぅん)」(熱田神社)の登録有形文化財の登録申請の中間報告をしました。
【村教育委員会に「中間報告書」を提出】
まだ途中ですが、建築概要部分を書きました。
【図面は位置図や配置図、平面くらいですが、復元図を起こしたので見えてきたものがあります。今後の積算根拠にもなるので、図面は今後にも生かしたいと思っています】
残りの資料作成を今日から始め、来月沖縄県との調整を経て、国に提出する予定です。
【さて、教育用の田んぼを今年も頑張ろうと思っています。(昨日、田んぼの地主さんと2年間の使用貸借契約を結びました。その足で村の農林水産課(農業委員会宛て)に関係書類を提出しました。)とても環境教育、人格教育にご理解をいただいています。)
今年は次女が県外に離れたため家庭内労働力が落ちます。従って8枚の棚田の内下段の6枚に減反したいと思っています。写真は耕作を待つ「田んぼ」たちです。(生きものたちも水が張られるのを待っています)】
【保育園の卒園式を終えた第10子の心然は、家でパズルをしていました。最後のパズルを入れたところ。富山県から短期帰省をしている三女が面倒を見ています。】
【村教育委員会に「中間報告書」を提出】
まだ途中ですが、建築概要部分を書きました。
【図面は位置図や配置図、平面くらいですが、復元図を起こしたので見えてきたものがあります。今後の積算根拠にもなるので、図面は今後にも生かしたいと思っています】
残りの資料作成を今日から始め、来月沖縄県との調整を経て、国に提出する予定です。
【さて、教育用の田んぼを今年も頑張ろうと思っています。(昨日、田んぼの地主さんと2年間の使用貸借契約を結びました。その足で村の農林水産課(農業委員会宛て)に関係書類を提出しました。)とても環境教育、人格教育にご理解をいただいています。)
今年は次女が県外に離れたため家庭内労働力が落ちます。従って8枚の棚田の内下段の6枚に減反したいと思っています。写真は耕作を待つ「田んぼ」たちです。(生きものたちも水が張られるのを待っています)】
【保育園の卒園式を終えた第10子の心然は、家でパズルをしていました。最後のパズルを入れたところ。富山県から短期帰省をしている三女が面倒を見ています。】
posted by 塾長 at 10:49| 教育・子育て
2025年03月16日
「島根殿」(熱田神社)有形文化財中間報告と心然の卒園
3月14日午後1時から委嘱を受けていた「通称・島根殿(熱田御嶽)」(熱田神社)の登録有形文化財への登録手続きの中間報告を熱田自治会長に行いました。
内容は実測調査による復元図(A4版14枚)と特徴や評価の文言(A4)2枚、クレジット案(写真)です。
委嘱を受けて、約半年かかりました。
【徳村公民館長(自治会長)に手渡す。】
【建物の特徴・評価(文章)などはここでは省きますが、RC造の御嶽(本殿)、灯籠、鳥居、手水鉢、アガリユーヌウトゥーシや木造の平屋の拝殿の6点はどれも規模は小さいですが格式と美しさを追求した後が多々、うかがえます。(復元図の一部です)
この「島根殿(しまにどぅん)」から地域の文化や沖縄の歴史、当時の時代背景などが読み取られます。また、沖縄の、特に「大宜見大工(おおぎみぜーく)」の施工精度、建築に対する心意気などが伝わってきます。今日はハワイから約40名、自分のルーツを探しに来訪されています。毎年、多くの方々が「熱田」を訪ねられていますが、その中心をなすのが「島根殿」です。】
【まだ申請書類には続きがあるので、今回は中間報告です。村教委や県の文化課などの意見も必要だし調整もいります。5月末までには終わりそうにないので、来年度も継続する必要が出てきました。
この日に次年度の委嘱状を受け取りました。がんばるぞーッ!】
【一方こちらは保育園の卒園式に、担任の先生にお礼の気持ちを表そうと夜、小2の「わかみこ」と折り紙を折っている「心然」です。】
【派手な卒園・卒業式が増えています。私たちは質素に手作りでそっと送ることにしました。
先生が「かば」は好きということだったので、「かば」を折ることにしました。(実は私も「かば」が大好きです。)
「こどもカバ」も一緒に入れて、箱裏には「カバを折っている風景」「生まれたばかりのチャボのヒヨコ」、「毎朝がんばっている道路掃除風景」、「草刈りの時出会って顔に移ってきたナナフシ」を張り付けました。最近は保育園も幼稚園も学校も「家庭訪問」をしなくなりました。家庭生活や家庭環境を知らずに保育や教育をするのは片手落ちだと思います。
「家庭訪問」復活を念じて、あえて貼りました。
また「折り紙」を入れた空き箱には、やっと「ひらがな」を覚えかけた心然ががんばってメッセージを書きました。気持ちが通じるとありがたいです。】
【15日朝、いよいよ卒園式に出発です。朝から雨でした。帰ってきた二人から聞いた話だと、担任の先生にとっては熱い「涙雨」だったようです。
私もやっと「保育園」と別れます。迎えもなくなります。4月から10人のうち、下3人が1年生、3年生、6年生になります。二女の亜和も福井に出発していていません。昨日から富山から三女が帰省して変革期の後藤家を応援してくれていますが、4月から新体制です。(心然は夢を聞かれて「警察官になる」と答えたそうです。)】
【土日は近くの掃除。子どもたちは湧水源の「タチガー」の下の池の「砂さらい」、私たちは農道側溝の「どぶさらい」。】
【雨の後みたら、「沢サビ」がだいぶ根付いていました。】
【農業用水路まわりの「カンナ」に「花」が咲き始めていました。毎年、入学のころには紫色の「オクラレルカ」が咲きます。楽しみです。】
最近は身勝手で自己中心的な日本人増えて、事故や事件が増えたように感じます。しかし私はコツコツ地方で頑張れば、日本人の謙虚さや道徳心は持ち続けられると信じています。
基本は「家庭」にあると思っています。ではでは・・・。
内容は実測調査による復元図(A4版14枚)と特徴や評価の文言(A4)2枚、クレジット案(写真)です。
委嘱を受けて、約半年かかりました。
【徳村公民館長(自治会長)に手渡す。】
【建物の特徴・評価(文章)などはここでは省きますが、RC造の御嶽(本殿)、灯籠、鳥居、手水鉢、アガリユーヌウトゥーシや木造の平屋の拝殿の6点はどれも規模は小さいですが格式と美しさを追求した後が多々、うかがえます。(復元図の一部です)
この「島根殿(しまにどぅん)」から地域の文化や沖縄の歴史、当時の時代背景などが読み取られます。また、沖縄の、特に「大宜見大工(おおぎみぜーく)」の施工精度、建築に対する心意気などが伝わってきます。今日はハワイから約40名、自分のルーツを探しに来訪されています。毎年、多くの方々が「熱田」を訪ねられていますが、その中心をなすのが「島根殿」です。】
【まだ申請書類には続きがあるので、今回は中間報告です。村教委や県の文化課などの意見も必要だし調整もいります。5月末までには終わりそうにないので、来年度も継続する必要が出てきました。
この日に次年度の委嘱状を受け取りました。がんばるぞーッ!】
【一方こちらは保育園の卒園式に、担任の先生にお礼の気持ちを表そうと夜、小2の「わかみこ」と折り紙を折っている「心然」です。】
【派手な卒園・卒業式が増えています。私たちは質素に手作りでそっと送ることにしました。
先生が「かば」は好きということだったので、「かば」を折ることにしました。(実は私も「かば」が大好きです。)
「こどもカバ」も一緒に入れて、箱裏には「カバを折っている風景」「生まれたばかりのチャボのヒヨコ」、「毎朝がんばっている道路掃除風景」、「草刈りの時出会って顔に移ってきたナナフシ」を張り付けました。最近は保育園も幼稚園も学校も「家庭訪問」をしなくなりました。家庭生活や家庭環境を知らずに保育や教育をするのは片手落ちだと思います。
「家庭訪問」復活を念じて、あえて貼りました。
また「折り紙」を入れた空き箱には、やっと「ひらがな」を覚えかけた心然ががんばってメッセージを書きました。気持ちが通じるとありがたいです。】
【15日朝、いよいよ卒園式に出発です。朝から雨でした。帰ってきた二人から聞いた話だと、担任の先生にとっては熱い「涙雨」だったようです。
私もやっと「保育園」と別れます。迎えもなくなります。4月から10人のうち、下3人が1年生、3年生、6年生になります。二女の亜和も福井に出発していていません。昨日から富山から三女が帰省して変革期の後藤家を応援してくれていますが、4月から新体制です。(心然は夢を聞かれて「警察官になる」と答えたそうです。)】
【土日は近くの掃除。子どもたちは湧水源の「タチガー」の下の池の「砂さらい」、私たちは農道側溝の「どぶさらい」。】
【雨の後みたら、「沢サビ」がだいぶ根付いていました。】
【農業用水路まわりの「カンナ」に「花」が咲き始めていました。毎年、入学のころには紫色の「オクラレルカ」が咲きます。楽しみです。】
最近は身勝手で自己中心的な日本人増えて、事故や事件が増えたように感じます。しかし私はコツコツ地方で頑張れば、日本人の謙虚さや道徳心は持ち続けられると信じています。
基本は「家庭」にあると思っています。ではでは・・・。
posted by 塾長 at 18:01| 教育・子育て
2025年03月11日
人生で最も大事なこと・・・
先の土曜日曜日に、一念奮起して裏山の農道の草刈りをしました。
我が家から少し離れていますが、真裏のタチガ−や借りている牧場を周回する道路です。峠より下っていくところですが、どなたの所有する土地かは不明でありますが、道路上に例の外来種・ツユヒヨドリをはじめ、ギンネムなどの草木が茂ってきていました。
そのため車が離合できないことや見通しが悪くなってきていました。そして、側溝の状況はが全く分からないため、大雨の時が心配でした。
2日間、朝から家族でがんばって除草や片づけをしました。
【着手前です】
【終了後の状況です。】
【保育園児の「心然」も2年生の「わかみこ」も頑張りました。】
【家の周りの側溝にも枯れ葉がたくさん落ちていたので、掃除しました。枯れ葉も大事な生きものの栄養になるので、「そこそこ」掃除しました。ここは地下水を分岐して家に引いていることから、導入口の網に詰まると水がこないから、それなりに掃除が必要なところです。】
無報酬で作業も過酷ではありましたが、戦後の日本人は打算的になって、本当に大切なものに気づかないで暮らしているような気がします。
役場に頼めばいいのに‥という考えもありますが、できることは自分でしよう!という心構えを若いうちに身に着けてもらいたいという願いもありいます。
【報酬などなくてもお金では買えない体験もあります。これは側溝にいた「モクズガニ」の子どもです。この側溝が棲みやすかったのでしょう。元気にまた海に降りて帰ってきて欲しいと願いました。】
【これは多分「ヒガシ二ホントカゲ」。最初「カナヘビ」と思いましたが、尻尾が短くて色も違います。こんな珍しい生きものと出会えるから、作業も苦になりません。この子も天敵に襲われることなく育ってほしいと願いました。】
さて週に一回は馬やヤギ、ウサギやニワトリ、アヒルなどの草食動物への草を刈らなければなりません。なるべく天然の草を採ろうと思いますが、最近は開発が広がっており、また、冬場だったので思ったように草は集まりません。
なんとかアチコチから集めて帰る途中、家の近くで農業をしている崎原盛一さんが管理している畑があります。以前、農薬を減らすために、ミニトマトに袋を掛けて育成すると仰っていました。
【保育園生の心然に「袋を外してごらん、そして採ってもいいよ!」言われたので心然が恐る恐る袋をはずしてトマトをちぎりました。】
【赤色と黄色のトマトです。トマト独特の甘くて酸っぱい味がしました。農薬は育ち始めてから使ってないと言われたのでそのまま食べました。これが本物の味、天然の味。
今時は植物工場で人工的な環境で育てられる野菜が増えましたが、味も元気も雲泥の差です。植物(野菜)も健康ですが、いただいた人間の心も体も健康。】
【その日は我が家の近くの畑で今、インゲンを栽培している崎原盛一さんとも会いました。「周りはビニールハウスが増えたが、自分は露地栽培にこだわる!」とのこと。その分、手間がかかるが、農業の基本を忘れない方です。】
【チャボが産んだヒナを、別のニワトリが育てています。早いものでもう尾っぽが伸びてきました。親のふり見て子は育つ。】
有機農業に取り組む崎原さん親子からいろいろ学びました。建築の世界も、また、家庭内の子育てにも通じるものがあります。
日本人は無理して自然を支配しようとしませんでした。「なるがまま」・・自然。長い歴史を持つ日本という国だからこそ育っている道徳があります。
わがままで身勝手な人間。自己中心主義が増えました。また自然の命を人間が支配する人間中心主義。
人生そんなに長くはありません。時には「日本人の心」を振り返ることも大事だと思います。
いい週末でした。
我が家から少し離れていますが、真裏のタチガ−や借りている牧場を周回する道路です。峠より下っていくところですが、どなたの所有する土地かは不明でありますが、道路上に例の外来種・ツユヒヨドリをはじめ、ギンネムなどの草木が茂ってきていました。
そのため車が離合できないことや見通しが悪くなってきていました。そして、側溝の状況はが全く分からないため、大雨の時が心配でした。
2日間、朝から家族でがんばって除草や片づけをしました。
【着手前です】
【終了後の状況です。】
【保育園児の「心然」も2年生の「わかみこ」も頑張りました。】
【家の周りの側溝にも枯れ葉がたくさん落ちていたので、掃除しました。枯れ葉も大事な生きものの栄養になるので、「そこそこ」掃除しました。ここは地下水を分岐して家に引いていることから、導入口の網に詰まると水がこないから、それなりに掃除が必要なところです。】
無報酬で作業も過酷ではありましたが、戦後の日本人は打算的になって、本当に大切なものに気づかないで暮らしているような気がします。
役場に頼めばいいのに‥という考えもありますが、できることは自分でしよう!という心構えを若いうちに身に着けてもらいたいという願いもありいます。
【報酬などなくてもお金では買えない体験もあります。これは側溝にいた「モクズガニ」の子どもです。この側溝が棲みやすかったのでしょう。元気にまた海に降りて帰ってきて欲しいと願いました。】
【これは多分「ヒガシ二ホントカゲ」。最初「カナヘビ」と思いましたが、尻尾が短くて色も違います。こんな珍しい生きものと出会えるから、作業も苦になりません。この子も天敵に襲われることなく育ってほしいと願いました。】
さて週に一回は馬やヤギ、ウサギやニワトリ、アヒルなどの草食動物への草を刈らなければなりません。なるべく天然の草を採ろうと思いますが、最近は開発が広がっており、また、冬場だったので思ったように草は集まりません。
なんとかアチコチから集めて帰る途中、家の近くで農業をしている崎原盛一さんが管理している畑があります。以前、農薬を減らすために、ミニトマトに袋を掛けて育成すると仰っていました。
【保育園生の心然に「袋を外してごらん、そして採ってもいいよ!」言われたので心然が恐る恐る袋をはずしてトマトをちぎりました。】
【赤色と黄色のトマトです。トマト独特の甘くて酸っぱい味がしました。農薬は育ち始めてから使ってないと言われたのでそのまま食べました。これが本物の味、天然の味。
今時は植物工場で人工的な環境で育てられる野菜が増えましたが、味も元気も雲泥の差です。植物(野菜)も健康ですが、いただいた人間の心も体も健康。】
【その日は我が家の近くの畑で今、インゲンを栽培している崎原盛一さんとも会いました。「周りはビニールハウスが増えたが、自分は露地栽培にこだわる!」とのこと。その分、手間がかかるが、農業の基本を忘れない方です。】
【チャボが産んだヒナを、別のニワトリが育てています。早いものでもう尾っぽが伸びてきました。親のふり見て子は育つ。】
有機農業に取り組む崎原さん親子からいろいろ学びました。建築の世界も、また、家庭内の子育てにも通じるものがあります。
日本人は無理して自然を支配しようとしませんでした。「なるがまま」・・自然。長い歴史を持つ日本という国だからこそ育っている道徳があります。
わがままで身勝手な人間。自己中心主義が増えました。また自然の命を人間が支配する人間中心主義。
人生そんなに長くはありません。時には「日本人の心」を振り返ることも大事だと思います。
いい週末でした。
posted by 塾長 at 12:34| 教育・子育て
2025年03月03日
「冬来りなば 春遠からじ」
「島根殿」(しまにどぅん)の登録有形文化財化に向けて、実測による復元図もそろそろ最終段階。「熱田神宮」との別名を持ちます。戦前の建築で、沖縄神道と日本の国家神道の合体というか、「御嶽」の「神社化」を今に遺している貴重な建築・工作群です。
「御嶽」(本殿)と拝殿以外の工作物も一緒に申請しようと考えています。
【鳥居と手水鉢(ちょうずばち)です。鳥居は皇民化の時期なのでしょうか神明鳥居のなかの「靖国鳥居」の形状でした。すべてRC造です。】
【灯篭です。「火袋」部分の柱は「琉球石灰岩の水磨き」と思われます。】
【沖縄神道らしい工作物の「アガリユーヌウトゥーシ」。いわゆる神様がいるとされる東の海のかなた方向を見通す「遙拝所」です。】
作図も新築とは異なり大変です。つまり、先人たちは何を考えていたのだろう?という推測しながらの作業だからです。だけどその分、時代背景を考えながらいろいろ思うことは楽しくもあります。
一方、「外国人のための伝統建築授業」も2回目になりました。
Mrジョーも真面目に取り組んでします。今回は追っ掛け大栓継ぎに挑戦。土曜日に片方ができ、日曜日にまた片方を作りました。
【なんとか合体しました。横から「コミセン」を打つ予定でしたが在庫がなかったので「追っ掛け大栓継ぎ」にはならず「追っ掛け継ぎ」で終えました。
寸法通りに加工し、合わせたら「おしまい」ではありません。鉄やコンクリートのような無機質ではない「木」が相手です。木の気持ちや日本の文化、有機物として動く木の生態に心をめぐらすことの重要さを分かって欲しいと思っています。
次回は「宙に浮く心柱」のミニチュア木組みを実際建ててもらいたいと思っています。RC造ではとても考えの付かない「浮かせてバランスをとる」構法です。】
【お父さんの作業中、息子さんのカイラ君は私家族と同じ日常の作業に付き合ってもらいました。リヤカーでの運搬、動物たちへの草刈り、少し離れたところにある湧水槽での生の地下水に触れたりしました。
帰り際には余ほど刺激的で楽しかったのか、「号泣」していたそうです。また来てね・・】
【仕事として位置づけしていない復元図起こし。家族での草刈りやエサあげ、水の調整などの合間に、身近な自然で心潤うことも多々あります。これは田んぼにいた「ハチジョウツグミ」の群れを撮った写真です。他の鳥たちも「春」を届けに来ています。】
【家の入口の水車小屋のある池の周りには野生のインパチェンスの赤い花がたくさん咲いています。】
【池の水面には「アメンボ」】
【池の中には「メダカ」(中頭(なかがみ)メダカ)やテナガエビ、モクズガニも棲んでいます。石の間に「アヤヨシノボリ」もいました。ヨシノボリは現在、宮大工見習いの亜和(あや)が小学校時代にその生態を調査して自由研究としました。東シナ海までの8kmを往復して、またこの湧水地・タチガ−まで登ってくる「旅」です。
足の裏に吸盤があるので、直角の堰も登り上がることができることなどをまとめた思い出があります。】
【先日ふ化したヒヨコを「育ての親」が「生き方」を指導していました。落ちていた犬のエサが濡れてふわわふわしていました。それを育ての親がくちばしでほぐし、「コッ、コッ」と声をかけ、ヒヨコに教えます。決して自分では食べません。ヒヨコが食べるのを見ていました。えらいなぁ、育ての親は・・】
【春はもうそこまで。今日は26℃もあります。だから沖縄のカエルは冬眠しません。以前、「クワズイモ」の大きな葉っぱになる前のくるまっている葉の中にいたのを見たことがあります。
今度はなんと「お地蔵さん」の「双子」の奥にいました。
敷地の入り口に鎮座する「祠(ほこら)地蔵さん」は「双子」を抱いています。かつて私たち夫婦に「双子」ができましたが、不運にも亡くなってしまいました(死産)。その子たちを想って「お地蔵さん」に「双子」を抱いてもらっています。毎日、その後できた子どもたちは朝夕、手を合わせています。
双子のお地蔵さんをそっと手に取ると、その裏に「カエル」がいました。「擬態(ぎたい)」しているので分かりにくいですが、琉球石灰岩に近い色を出してじっと春の来るのを待っていました。
(しっかり見ないと分かりませんが、2匹仲良く「冬眠」していました。(土の中の冬眠ではなく、小さな石の裏で眠っていました)】
「冬来たりなば 春遠からじ」。「春」は、もうすぐ訪れそうです。
「御嶽」(本殿)と拝殿以外の工作物も一緒に申請しようと考えています。
【鳥居と手水鉢(ちょうずばち)です。鳥居は皇民化の時期なのでしょうか神明鳥居のなかの「靖国鳥居」の形状でした。すべてRC造です。】
【灯篭です。「火袋」部分の柱は「琉球石灰岩の水磨き」と思われます。】
【沖縄神道らしい工作物の「アガリユーヌウトゥーシ」。いわゆる神様がいるとされる東の海のかなた方向を見通す「遙拝所」です。】
作図も新築とは異なり大変です。つまり、先人たちは何を考えていたのだろう?という推測しながらの作業だからです。だけどその分、時代背景を考えながらいろいろ思うことは楽しくもあります。
一方、「外国人のための伝統建築授業」も2回目になりました。
Mrジョーも真面目に取り組んでします。今回は追っ掛け大栓継ぎに挑戦。土曜日に片方ができ、日曜日にまた片方を作りました。
【なんとか合体しました。横から「コミセン」を打つ予定でしたが在庫がなかったので「追っ掛け大栓継ぎ」にはならず「追っ掛け継ぎ」で終えました。
寸法通りに加工し、合わせたら「おしまい」ではありません。鉄やコンクリートのような無機質ではない「木」が相手です。木の気持ちや日本の文化、有機物として動く木の生態に心をめぐらすことの重要さを分かって欲しいと思っています。
次回は「宙に浮く心柱」のミニチュア木組みを実際建ててもらいたいと思っています。RC造ではとても考えの付かない「浮かせてバランスをとる」構法です。】
【お父さんの作業中、息子さんのカイラ君は私家族と同じ日常の作業に付き合ってもらいました。リヤカーでの運搬、動物たちへの草刈り、少し離れたところにある湧水槽での生の地下水に触れたりしました。
帰り際には余ほど刺激的で楽しかったのか、「号泣」していたそうです。また来てね・・】
【仕事として位置づけしていない復元図起こし。家族での草刈りやエサあげ、水の調整などの合間に、身近な自然で心潤うことも多々あります。これは田んぼにいた「ハチジョウツグミ」の群れを撮った写真です。他の鳥たちも「春」を届けに来ています。】
【家の入口の水車小屋のある池の周りには野生のインパチェンスの赤い花がたくさん咲いています。】
【池の水面には「アメンボ」】
【池の中には「メダカ」(中頭(なかがみ)メダカ)やテナガエビ、モクズガニも棲んでいます。石の間に「アヤヨシノボリ」もいました。ヨシノボリは現在、宮大工見習いの亜和(あや)が小学校時代にその生態を調査して自由研究としました。東シナ海までの8kmを往復して、またこの湧水地・タチガ−まで登ってくる「旅」です。
足の裏に吸盤があるので、直角の堰も登り上がることができることなどをまとめた思い出があります。】
【先日ふ化したヒヨコを「育ての親」が「生き方」を指導していました。落ちていた犬のエサが濡れてふわわふわしていました。それを育ての親がくちばしでほぐし、「コッ、コッ」と声をかけ、ヒヨコに教えます。決して自分では食べません。ヒヨコが食べるのを見ていました。えらいなぁ、育ての親は・・】
【春はもうそこまで。今日は26℃もあります。だから沖縄のカエルは冬眠しません。以前、「クワズイモ」の大きな葉っぱになる前のくるまっている葉の中にいたのを見たことがあります。
今度はなんと「お地蔵さん」の「双子」の奥にいました。
敷地の入り口に鎮座する「祠(ほこら)地蔵さん」は「双子」を抱いています。かつて私たち夫婦に「双子」ができましたが、不運にも亡くなってしまいました(死産)。その子たちを想って「お地蔵さん」に「双子」を抱いてもらっています。毎日、その後できた子どもたちは朝夕、手を合わせています。
双子のお地蔵さんをそっと手に取ると、その裏に「カエル」がいました。「擬態(ぎたい)」しているので分かりにくいですが、琉球石灰岩に近い色を出してじっと春の来るのを待っていました。
(しっかり見ないと分かりませんが、2匹仲良く「冬眠」していました。(土の中の冬眠ではなく、小さな石の裏で眠っていました)】
「冬来たりなば 春遠からじ」。「春」は、もうすぐ訪れそうです。
posted by 塾長 at 14:43| 教育・子育て
2025年02月26日
皇紀2600年(昭和15年)の玉手箱と「建築士」3月号投稿記事
現在実測復元図を起こしている島根殿(しまにどぅん)、別名「熱田神社」。大東亜戦争開戦前に、御嶽(うたき)を神社化して、出征する人たちを送ったとされます。「御嶽」とは琉球信仰の「拝所」。
傷んだ御嶽をRC造に改築し、拝所や鳥居などを配した落成後(昭和15年、西暦1940年)の写真が公民館にあります。
小さな施設ですが、中身が濃い。まだ途中ですが、今日まで描いた図面の一部をアップします。正式にできたらこれらをもとに、国の登録有形文化財に登録申請するつもりです。
熱田自治会の理解が支えになっています。
【向かって左が拝殿(木造平屋建て・入母屋)、右が御嶽(本殿・1間社流れ造り)(拝殿柱が2本で切り妻の片流れの屋根で拝殿方向に葺き降ろし)。御嶽は元、岩の中にあって、戦前の皇紀2600年を記念してRC造に改築。詳しい説明はまた別にします。】
【拝殿正面。軒先を出すために通常、二軒(ふたのき)にするが、沖縄は台風常襲地帯。一軒(ひとのき)にして小屋組みに桔木(はねぎ)を施してある。正面の壁と棟と軒先の長さはともに日本独自の白銀比(1:√2)になっていた。】
【コンクリートでできている御嶽(本殿)。御嶽(本殿)と拝殿の中心線は鳥居の中心に合致していて、しかも真東(磁石ではなく太陽(日時計)による)向きで、その延長線上の国道329号線の向かいにある「熱田子(熱田シー)という熱田発祥の御嶽にも合致した。
そのまた延長線は琉球4大御嶽のひとつである津堅島の喜舎場御嶽に通じる。逆に真西には北中城村の字「喜舎場」があり、こちらから津堅島に移り住んだ人がいるという。】
【御嶽の矩計(かなばかり)図。鉄筋コンクリート造で、普天間宮の奥の宮とほぼ同じ形。多分同じ大工さんが施工したと思われる。ただし、普天間宮は戦後建築なので、こちらが古い。木造でも大変なのに、懸魚(げぎょ)や斗栱(ときょう)などの難しい型枠技術を駆使してあるのには感心させられた。】
【拝殿の矩計図。皿斗や懸魚があった。構造的に桔木や反りのある屋根など、戦前の建築としては立派。まさに「玉手箱」を開けた感じだった。前後左右に「ヤジロベー」のようにバランスを取りながら85年以上、建ち続けた。
激しい沖縄戦でも生き残った貴重な木造建築で、この「玉手箱」から戦前戦後の沖縄の歴史を垣間見ることができる。】
まだまだ途中なので復元図の完成は3月までかかりそうですが、首里城の解体を伊東忠太先生や鎌倉芳太郎先生が止めて、復元工事の参考になったように記録として後世に遺したいと思っています。
一番貴重なのは、熱田地区の人たちが、先祖から引き継がれた「年中祭祀」を今もかたくなに継承されていることです。敷地内の「うぶがー」をはじめ、集落の水源地(湧水地)を皆さんで回って、地域内の幸せを祈願されています。
伝統建築から見える沖縄の地域文化と歴史をこの「島根殿」(熱田神社)を何とか登録有形文化財にしたいと意気込んでします。
つぎは昨日送付されてきた建築士会員の会誌「建築士」に掲載された「オピニオン」の第3回目に投稿記事をアップします。
【会誌「建築士」3月号の表紙。】
【目次です。】
【4m道路の件は都市計画杭域外の「渡名喜島」では、渡名喜村道1号線でさえ幅員は2mです。それでも人々は譲り合って幸せに暮らしているので、あえて書きました。
3回連載だったので、この投稿で終わりです。約7万人の会員・読者のみなさま、ありがとうございました。】
【今日の最後は「ナナフシの赤ちゃん」。早朝の草刈り、エサあげの時、草運搬用の軽自動車に運転席の窓にいました。約5センチほど。そっと「オオタニワタリ」の葉に移動しました。
「元気で頑張るんだぞー」と声をかけて別れました。】
傷んだ御嶽をRC造に改築し、拝所や鳥居などを配した落成後(昭和15年、西暦1940年)の写真が公民館にあります。
小さな施設ですが、中身が濃い。まだ途中ですが、今日まで描いた図面の一部をアップします。正式にできたらこれらをもとに、国の登録有形文化財に登録申請するつもりです。
熱田自治会の理解が支えになっています。
【向かって左が拝殿(木造平屋建て・入母屋)、右が御嶽(本殿・1間社流れ造り)(拝殿柱が2本で切り妻の片流れの屋根で拝殿方向に葺き降ろし)。御嶽は元、岩の中にあって、戦前の皇紀2600年を記念してRC造に改築。詳しい説明はまた別にします。】
【拝殿正面。軒先を出すために通常、二軒(ふたのき)にするが、沖縄は台風常襲地帯。一軒(ひとのき)にして小屋組みに桔木(はねぎ)を施してある。正面の壁と棟と軒先の長さはともに日本独自の白銀比(1:√2)になっていた。】
【コンクリートでできている御嶽(本殿)。御嶽(本殿)と拝殿の中心線は鳥居の中心に合致していて、しかも真東(磁石ではなく太陽(日時計)による)向きで、その延長線上の国道329号線の向かいにある「熱田子(熱田シー)という熱田発祥の御嶽にも合致した。
そのまた延長線は琉球4大御嶽のひとつである津堅島の喜舎場御嶽に通じる。逆に真西には北中城村の字「喜舎場」があり、こちらから津堅島に移り住んだ人がいるという。】
【御嶽の矩計(かなばかり)図。鉄筋コンクリート造で、普天間宮の奥の宮とほぼ同じ形。多分同じ大工さんが施工したと思われる。ただし、普天間宮は戦後建築なので、こちらが古い。木造でも大変なのに、懸魚(げぎょ)や斗栱(ときょう)などの難しい型枠技術を駆使してあるのには感心させられた。】
【拝殿の矩計図。皿斗や懸魚があった。構造的に桔木や反りのある屋根など、戦前の建築としては立派。まさに「玉手箱」を開けた感じだった。前後左右に「ヤジロベー」のようにバランスを取りながら85年以上、建ち続けた。
激しい沖縄戦でも生き残った貴重な木造建築で、この「玉手箱」から戦前戦後の沖縄の歴史を垣間見ることができる。】
まだまだ途中なので復元図の完成は3月までかかりそうですが、首里城の解体を伊東忠太先生や鎌倉芳太郎先生が止めて、復元工事の参考になったように記録として後世に遺したいと思っています。
一番貴重なのは、熱田地区の人たちが、先祖から引き継がれた「年中祭祀」を今もかたくなに継承されていることです。敷地内の「うぶがー」をはじめ、集落の水源地(湧水地)を皆さんで回って、地域内の幸せを祈願されています。
伝統建築から見える沖縄の地域文化と歴史をこの「島根殿」(熱田神社)を何とか登録有形文化財にしたいと意気込んでします。
つぎは昨日送付されてきた建築士会員の会誌「建築士」に掲載された「オピニオン」の第3回目に投稿記事をアップします。
【会誌「建築士」3月号の表紙。】
【目次です。】
【4m道路の件は都市計画杭域外の「渡名喜島」では、渡名喜村道1号線でさえ幅員は2mです。それでも人々は譲り合って幸せに暮らしているので、あえて書きました。
3回連載だったので、この投稿で終わりです。約7万人の会員・読者のみなさま、ありがとうございました。】
【今日の最後は「ナナフシの赤ちゃん」。早朝の草刈り、エサあげの時、草運搬用の軽自動車に運転席の窓にいました。約5センチほど。そっと「オオタニワタリ」の葉に移動しました。
「元気で頑張るんだぞー」と声をかけて別れました。】
posted by 塾長 at 20:21| 教育・子育て
2025年02月25日
見えないモノの価値。
連休中に末っ子(第10子)の心然のランドセルを観に行きました。入学式が迫ってきて、もう在庫が徐々減ってきているというので、何軒か観て比較することにしました。最初に行ったのは宜野湾のランドセル専門店。
最初のお店で、決定しました。何故なら・・・。
【ランドセルだけが展示されている専門店。それだけ見れば大型スーパーなどと同じ風景ですが、聞けば「全部手作り」だとか。大量生産のランドセルとは全然違うようです。最初は機能性や耐久性、デザインを吟味しようと思っていましたが、「手作り」には勝てません。細かなところに配慮してあって、ひとつひとつに職人の技が生かされていました。】
【小学2年生と5年生の「先輩きょうだい」も一緒にみました。】
【ファスナートップやかぶせ鋲(びょう)などのアクセサリーも自分の好みで選べます。本人は最初から色は「黒」と決めていましたが、合わせ糸をブルーにして糸のラインだけがデザインになっています。最近は軽さや収納、交通安全などが評価項目のようですが、日本にしかないランドセル。その製作技術や心意気を残すためにできることは、購入することだと考え決定しました。】
【さっそく背負ってみました。保育園生が急に小学生になったようで、本人も満足していました。奈良県のメーカーにボタン等の種類を知らせた上、あと3週間ほどで送られてくるそうです。】
手作りのランドセルは、私自身の仕事とも重なります。先週もずっと神社の実測図を手描きしていました。同じ図面はありません。
「見た目は同じようなランドセルでも、どこか違いますから・・。」と店長さんが言っていました。同感です。目には見えない職人の魂や思いが詰め込まれています。機械では推し量れない日本の伝統文化を感じざるを得ません。見えないものを大切にしたいと思い、心然にも「6年間、造ってくれた人のことを思い、大事に扱いなさい。」と言いました。
【土日に関係なく、生きもののエサになる草刈りをみんなでしました。鎌で切る人、運ぶ人。ウマやヤギ、ニワトリやウサギなどの草食動物には、健康な生きた草をあげます。それぞれ食べる草や好みの草、食べない草を仕分けで採ります。新鮮さを保つために、貯め置きができないので3日おきには刈らなければなりません。最近は用心しないと除草剤を使ってあることもあります。(知らずに刈って与えた草を食べてウサギが死んでしまったこともあります)
いつもは朝6時から草刈りをみんなでしますが、休日はヘッドライトなしでできます。】
【土曜日はいつものセンダン草に加えて「ハルノノゲシ」や「オニノノゲシ」などの季節の草を刈りました。ウサギさんも大喜びのようです。】
【先日ふ化したヒヨコに小さな羽根毛が生えてきました。「育ての親」について回って、食べ方を覚えようとしています。ネコやカラスが狙っているので、「育ての親」も大変です。「産みの親」のチャボの親はどこかに行って見当たりません。春、近し。多分、私たちの目の届かないところで産み、温めていると思います。敷地内のどこかでこっそり抱いて温めていると思います。
動物は人間と逆で「産む(生む)」ときはこっそりどこかで産みます。人間の出産は「大騒動」です。死ぬ時も目立たぬようにどこか死に場所を自分で見つけて、ひっそりと死にます。】
【2月24日は家内の51回目の誕生日でした。我が家では2月と5月は3人ずつ誕生日があります。私は本人が大好きな蜂楽万頭(ほうらくまんじゅう)を熊本から100個取り寄せてみんなでいただきました。二女の亜和はセーターとケーキでしたが、お金を稼げない「わかみこ」(小2)は自分で折った「折り紙」、「こだまこ」(小5)は手織りの「ポーチ」、心然(保育園)は「ぬり絵」、高校生は夕食を作りました。
】
朝4時半起床、洗濯はもちろん、洗濯物干しやたたみ・収納、朝食の準備、脳性まひの万然の入浴・排泄・食事、登下校の送迎、5人分の弁当づくり、小中高生6人分の各種提出書類作成、家計簿などに加えて、朝の草刈り、家内外の掃除・・・。そして復職した郵便局での仕事。
睡眠時間が4時間くらいだと思います。その合間に仕事上の試験勉強(沖国大卒なのに日本福祉大学も通信制で卒業)とともに毎日の食材購入、料理、片づけ(ゴミ出し)など、普通の人の5倍くらい「目に見えないところ」で働いていている母親に対して、子どもたちも「目に見えない形」で感謝を表したと思います。
これから4か月は22歳違い。6月が来ればまた23歳違いになりますが、老体に鞭打って少しでも手助けしていきたいと思います。
【先日の沖縄市松本での浸水で「全損」扱いになった家内の自家用車。保険適用になり、やっと買い替えができました(中古車)。同じような軽自動車ですが、何かと出費がありました。
慣れない車で今日も出かけました。「居眠り運転」しないよう、どうぞ「安全運転」でお願いします。
そんな思いがあって、休日には家の裏山にある「祠(ほこら)地蔵さん」に、近くに咲いていたお花を差し替えました。】
「思い」は目には見えません。しかし、目に見えるものだけに価値を感じるのではなく、見えないものに重きを置いて、今日もまた頑張りたいと思います。腹八分目で、謙虚にかつ心優しく・・。ではでは・・・。
最初のお店で、決定しました。何故なら・・・。
【ランドセルだけが展示されている専門店。それだけ見れば大型スーパーなどと同じ風景ですが、聞けば「全部手作り」だとか。大量生産のランドセルとは全然違うようです。最初は機能性や耐久性、デザインを吟味しようと思っていましたが、「手作り」には勝てません。細かなところに配慮してあって、ひとつひとつに職人の技が生かされていました。】
【小学2年生と5年生の「先輩きょうだい」も一緒にみました。】
【ファスナートップやかぶせ鋲(びょう)などのアクセサリーも自分の好みで選べます。本人は最初から色は「黒」と決めていましたが、合わせ糸をブルーにして糸のラインだけがデザインになっています。最近は軽さや収納、交通安全などが評価項目のようですが、日本にしかないランドセル。その製作技術や心意気を残すためにできることは、購入することだと考え決定しました。】
【さっそく背負ってみました。保育園生が急に小学生になったようで、本人も満足していました。奈良県のメーカーにボタン等の種類を知らせた上、あと3週間ほどで送られてくるそうです。】
手作りのランドセルは、私自身の仕事とも重なります。先週もずっと神社の実測図を手描きしていました。同じ図面はありません。
「見た目は同じようなランドセルでも、どこか違いますから・・。」と店長さんが言っていました。同感です。目には見えない職人の魂や思いが詰め込まれています。機械では推し量れない日本の伝統文化を感じざるを得ません。見えないものを大切にしたいと思い、心然にも「6年間、造ってくれた人のことを思い、大事に扱いなさい。」と言いました。
【土日に関係なく、生きもののエサになる草刈りをみんなでしました。鎌で切る人、運ぶ人。ウマやヤギ、ニワトリやウサギなどの草食動物には、健康な生きた草をあげます。それぞれ食べる草や好みの草、食べない草を仕分けで採ります。新鮮さを保つために、貯め置きができないので3日おきには刈らなければなりません。最近は用心しないと除草剤を使ってあることもあります。(知らずに刈って与えた草を食べてウサギが死んでしまったこともあります)
いつもは朝6時から草刈りをみんなでしますが、休日はヘッドライトなしでできます。】
【土曜日はいつものセンダン草に加えて「ハルノノゲシ」や「オニノノゲシ」などの季節の草を刈りました。ウサギさんも大喜びのようです。】
【先日ふ化したヒヨコに小さな羽根毛が生えてきました。「育ての親」について回って、食べ方を覚えようとしています。ネコやカラスが狙っているので、「育ての親」も大変です。「産みの親」のチャボの親はどこかに行って見当たりません。春、近し。多分、私たちの目の届かないところで産み、温めていると思います。敷地内のどこかでこっそり抱いて温めていると思います。
動物は人間と逆で「産む(生む)」ときはこっそりどこかで産みます。人間の出産は「大騒動」です。死ぬ時も目立たぬようにどこか死に場所を自分で見つけて、ひっそりと死にます。】
【2月24日は家内の51回目の誕生日でした。我が家では2月と5月は3人ずつ誕生日があります。私は本人が大好きな蜂楽万頭(ほうらくまんじゅう)を熊本から100個取り寄せてみんなでいただきました。二女の亜和はセーターとケーキでしたが、お金を稼げない「わかみこ」(小2)は自分で折った「折り紙」、「こだまこ」(小5)は手織りの「ポーチ」、心然(保育園)は「ぬり絵」、高校生は夕食を作りました。
】
朝4時半起床、洗濯はもちろん、洗濯物干しやたたみ・収納、朝食の準備、脳性まひの万然の入浴・排泄・食事、登下校の送迎、5人分の弁当づくり、小中高生6人分の各種提出書類作成、家計簿などに加えて、朝の草刈り、家内外の掃除・・・。そして復職した郵便局での仕事。
睡眠時間が4時間くらいだと思います。その合間に仕事上の試験勉強(沖国大卒なのに日本福祉大学も通信制で卒業)とともに毎日の食材購入、料理、片づけ(ゴミ出し)など、普通の人の5倍くらい「目に見えないところ」で働いていている母親に対して、子どもたちも「目に見えない形」で感謝を表したと思います。
これから4か月は22歳違い。6月が来ればまた23歳違いになりますが、老体に鞭打って少しでも手助けしていきたいと思います。
【先日の沖縄市松本での浸水で「全損」扱いになった家内の自家用車。保険適用になり、やっと買い替えができました(中古車)。同じような軽自動車ですが、何かと出費がありました。
慣れない車で今日も出かけました。「居眠り運転」しないよう、どうぞ「安全運転」でお願いします。
そんな思いがあって、休日には家の裏山にある「祠(ほこら)地蔵さん」に、近くに咲いていたお花を差し替えました。】
「思い」は目には見えません。しかし、目に見えるものだけに価値を感じるのではなく、見えないものに重きを置いて、今日もまた頑張りたいと思います。腹八分目で、謙虚にかつ心優しく・・。ではでは・・・。
posted by 塾長 at 11:04| 教育・子育て
2025年02月22日
「外国人のための伝統木造」2回目
今日はいよいよ「腰掛け蟻継ぎ」を加工しました。
【指導するのは本人もまだ見習い大工である二女・亜和(あや)。伝統構法の技を学びたいということであったが、まずは道具の使い方からスタート。海外(米国)ではノコギリは押して切る。日本は引いて切る。こんなことから始まった。
ログハウスのようにチェーンソーで切るのとは違い、日本は横引き、縦引きの違いもある。Mr.ジョーは素直に聞いた通りノコギリを動かした。】
【次はノミ入れ。娘が打った墨を見極め、ノミを入れる。墨の中心なのか、右か、左か・・・。】
【約2時間後、仮に男木に女木を合わせてみる。】
【無事、合致した。良かった。】
最初は木の加工に合わせた道具の使い方を知り、実際やってみて実感することから日本の繊細な木の加工技術を学んでいき、最後は「日本の木の文化」「日本人の心・木の気持ち」を少しでも理解してもらえればいい、と考えています。
次回は来週、「追っ掛け大栓継ぎ」か「金輪継ぎ」に挑戦です。
【今日のさしがね教室の加工場のすぐ横では、流れる地下水で「ワサビ」の苗が元気に育ちつつあります。】
【昨日は第8子で6女の「こだまこ」の11歳の誕生日でした。我が家では元旦に数え年で全員が一斉に年を重ねます。しかし今どきですので、個人の出生日も大事なお祝いになっています。今後も「お腹の中の命」を大切にカウントする「数え年」(正月元旦)も同じように大切にしたいと思っています。】
【高校生の二人はバイトや課外授業で遅く帰宅することもあります。そんな時は、保育園の迎えの帰りに馬やヤギを連れて来なくてはなりません。一昨日は心然(しんねん)が馬を引いてくれました。・・・というより、「馬が自分で帰っていくのを、後ろから見ていました」。先日馬から噛まれたこともある心然ですので、まっ、いいか!と思って後ろの車から見守りました。】
【人間が先か、鳥が先か?今日、木のベランダにつるしていたバナナを食べに「イソヒヨドリ」が食べに来ました。黄色味を帯びてきたので、順番に少しずつおやつ代わりに食べていましたが、鳥も同じこと。
採らずにいたら裏山の一角で鳥の食べ物になっていたと思います。
家に持ち帰っても自然は「だれのものでもない」ので、「鳥さんももどうぞ・・。」という感じです。こんな時に「自然との共生」を感じます。今朝の草刈りの時あった近所の農家の方が、「農薬はだいぶ減らしましたよ。このミニトマトにもカラスやイソヒヨドリが来ますが、今は袋掛けして守っています!」と仰っていました。少しでも土や水が人間が作った薬で汚染されないようになればいい、と思っています。】
【指導するのは本人もまだ見習い大工である二女・亜和(あや)。伝統構法の技を学びたいということであったが、まずは道具の使い方からスタート。海外(米国)ではノコギリは押して切る。日本は引いて切る。こんなことから始まった。
ログハウスのようにチェーンソーで切るのとは違い、日本は横引き、縦引きの違いもある。Mr.ジョーは素直に聞いた通りノコギリを動かした。】
【次はノミ入れ。娘が打った墨を見極め、ノミを入れる。墨の中心なのか、右か、左か・・・。】
【約2時間後、仮に男木に女木を合わせてみる。】
【無事、合致した。良かった。】
最初は木の加工に合わせた道具の使い方を知り、実際やってみて実感することから日本の繊細な木の加工技術を学んでいき、最後は「日本の木の文化」「日本人の心・木の気持ち」を少しでも理解してもらえればいい、と考えています。
次回は来週、「追っ掛け大栓継ぎ」か「金輪継ぎ」に挑戦です。
【今日のさしがね教室の加工場のすぐ横では、流れる地下水で「ワサビ」の苗が元気に育ちつつあります。】
【昨日は第8子で6女の「こだまこ」の11歳の誕生日でした。我が家では元旦に数え年で全員が一斉に年を重ねます。しかし今どきですので、個人の出生日も大事なお祝いになっています。今後も「お腹の中の命」を大切にカウントする「数え年」(正月元旦)も同じように大切にしたいと思っています。】
【高校生の二人はバイトや課外授業で遅く帰宅することもあります。そんな時は、保育園の迎えの帰りに馬やヤギを連れて来なくてはなりません。一昨日は心然(しんねん)が馬を引いてくれました。・・・というより、「馬が自分で帰っていくのを、後ろから見ていました」。先日馬から噛まれたこともある心然ですので、まっ、いいか!と思って後ろの車から見守りました。】
【人間が先か、鳥が先か?今日、木のベランダにつるしていたバナナを食べに「イソヒヨドリ」が食べに来ました。黄色味を帯びてきたので、順番に少しずつおやつ代わりに食べていましたが、鳥も同じこと。
採らずにいたら裏山の一角で鳥の食べ物になっていたと思います。
家に持ち帰っても自然は「だれのものでもない」ので、「鳥さんももどうぞ・・。」という感じです。こんな時に「自然との共生」を感じます。今朝の草刈りの時あった近所の農家の方が、「農薬はだいぶ減らしましたよ。このミニトマトにもカラスやイソヒヨドリが来ますが、今は袋掛けして守っています!」と仰っていました。少しでも土や水が人間が作った薬で汚染されないようになればいい、と思っています。】
posted by 塾長 at 20:44| 教育・子育て
2025年02月13日
第2弾、「チャボのふ化」
放し飼いのチャボが1羽、ふ化しました。
産みの親のチャボのメンドリは卵を「抱く」モードに入っていないため、産みっぱなしでした。そこで先月下旬、通称「大臣」が抱いている卵と一緒にしました。
【チャボと自分自身が産んだ卵を抱く通称「大臣」(子どもたちが勝手に命名)】
そうしたら今朝のエサあげの時、1羽だけ「ふ化」していました。
【白くて小さな卵がチャボの卵。大きくて茶色が「大臣」が生んだ卵。】
2日間くらいは餌を上げなくてもヒヨコは生きています。母親からもらった栄養が活きているからです。しかしその後、ピョンピョン跳ねて親から離れるので、心配になった母親は子を守るため一緒に巣を後にします。
そうなると残った8個の卵を抱かないので冷えて卵は全滅します。これまで何度もそれを見てきました。そこで産みの親のチャボの小屋にヒヨコを連れて行きました。(オスが追いかけるので、メスだけは午前中、小屋に入れていることが多い)
残念ながら一緒に過ごしません。しかたなく湯たんぽまで用意しました。しかし、子育て放棄。
このままだと湯たんぽが冷えたら死んでしまう・・。と思っていたら、「クッ、クッ」と低音の声がしました。「大臣」がヒヨコの鳴き声を聞いて寄ってきたのです。
また、チャボの小屋から「大臣」が温めている卵の場所にヒヨコを返しました。そうするとしばらくして「大臣」が帰ってきました。
「産みの親」より「育ての親」。「半野生」のニワトリの子育てからまた学びました。
この土・日で残りの卵も産まれて21日を迎えます。小さな空間で「啐啄(そったく)」(卵の中が狭くなったヒヨコが内側からくちばしで穴をあけ、それをお腹の下で感じ取った親がその穴を上から少し割って出やすくする)が始まります。親子が言葉を交わさなくても親子が通じ合っている様(さま)です。(禅宗)
最後は親が卵をくちばしで外に放ります。子どもが強く生きていくための親の本能でしょう。
すると、ヒヨコは自分を守ってくれていた「殻(から)」を自ら割って出てきます。
知らず知らずのうちに豊かな社会では「過保護」になりがちです。自分で自分の「殻」を破る。ニワトリの「ふ化」から学ぶことは多々あります。
【4羽のチャボたちは夜、天敵(マングースやカラス、ネコなど)から身を守るため、木の上で過ごす。しばらくは「温っためモード」にはなりそうもないチャボのメンドリ。(上の枝に留まっているのが「産みの親」、一番下のオオタニワタリの中に座っているのが足の不自由なオス、その周りに2羽のオスのきょうだいチャボが居る。「半野生」で育てているせいか、体は小さくても「たくましい」我が家のチャボ群団。(ちなみに最近影の薄い3羽の「ウコッケイ」は、学習棟の高い床下のタナで夜を過ごします)】
産みの親のチャボのメンドリは卵を「抱く」モードに入っていないため、産みっぱなしでした。そこで先月下旬、通称「大臣」が抱いている卵と一緒にしました。
【チャボと自分自身が産んだ卵を抱く通称「大臣」(子どもたちが勝手に命名)】
そうしたら今朝のエサあげの時、1羽だけ「ふ化」していました。
【白くて小さな卵がチャボの卵。大きくて茶色が「大臣」が生んだ卵。】
2日間くらいは餌を上げなくてもヒヨコは生きています。母親からもらった栄養が活きているからです。しかしその後、ピョンピョン跳ねて親から離れるので、心配になった母親は子を守るため一緒に巣を後にします。
そうなると残った8個の卵を抱かないので冷えて卵は全滅します。これまで何度もそれを見てきました。そこで産みの親のチャボの小屋にヒヨコを連れて行きました。(オスが追いかけるので、メスだけは午前中、小屋に入れていることが多い)
残念ながら一緒に過ごしません。しかたなく湯たんぽまで用意しました。しかし、子育て放棄。
このままだと湯たんぽが冷えたら死んでしまう・・。と思っていたら、「クッ、クッ」と低音の声がしました。「大臣」がヒヨコの鳴き声を聞いて寄ってきたのです。
また、チャボの小屋から「大臣」が温めている卵の場所にヒヨコを返しました。そうするとしばらくして「大臣」が帰ってきました。
「産みの親」より「育ての親」。「半野生」のニワトリの子育てからまた学びました。
この土・日で残りの卵も産まれて21日を迎えます。小さな空間で「啐啄(そったく)」(卵の中が狭くなったヒヨコが内側からくちばしで穴をあけ、それをお腹の下で感じ取った親がその穴を上から少し割って出やすくする)が始まります。親子が言葉を交わさなくても親子が通じ合っている様(さま)です。(禅宗)
最後は親が卵をくちばしで外に放ります。子どもが強く生きていくための親の本能でしょう。
すると、ヒヨコは自分を守ってくれていた「殻(から)」を自ら割って出てきます。
知らず知らずのうちに豊かな社会では「過保護」になりがちです。自分で自分の「殻」を破る。ニワトリの「ふ化」から学ぶことは多々あります。
【4羽のチャボたちは夜、天敵(マングースやカラス、ネコなど)から身を守るため、木の上で過ごす。しばらくは「温っためモード」にはなりそうもないチャボのメンドリ。(上の枝に留まっているのが「産みの親」、一番下のオオタニワタリの中に座っているのが足の不自由なオス、その周りに2羽のオスのきょうだいチャボが居る。「半野生」で育てているせいか、体は小さくても「たくましい」我が家のチャボ群団。(ちなみに最近影の薄い3羽の「ウコッケイ」は、学習棟の高い床下のタナで夜を過ごします)】
posted by 塾長 at 10:01| 教育・子育て
2025年02月11日
外国人のため「伝統木造教室」
先週の末、家族が稽古に励む「合気道」の仲間であるアメリカ出身のジョーさん夫妻(と子ども1名)が見えました。前から日本の木造建築に関心が深く、我が家の見学に来られたこともあります。
かつて子どもたちのために「さしがね教室」を開催し、今残っている「ポンプ小屋」を建てました。今回は言葉も文化も異なる「外国人」。以前は我が家の新築時に開催したので、伝統構法の「棟梁(尾方茂治さん)」が指導してくれました。
今回は現在首里城復元工事に携わっている二女の亜和(あや)しか事由が利きません。しかもまだ未熟。しかし、基本はある程度身に着けているのでお願いしました。
とりあえず、家全体を造るのではなく、「継ぎ手」からスタートします。規矩術やさしがねの使い方、木の性格、使い方などを一緒にすることで、秘められた「日本の文化」が伝わればいいと考えています。
予定の継ぎ手制作は「追っ掛け大栓継ぎ」か、「金輪継ぎ」。
3年前の林間学校でも継ぎ手造りをしたし、5女と6女も中学時代に釘打ちと伝統的な継ぎ手の実験をした時作っています。(県の最優秀賞受賞)
【先週の土曜日は13℃くらいしかなく寒かった。(・・・といっても本土からしたら温かいハズ)。我が家に3つある火鉢の内、一番小さな火鉢を広い学習棟に持ち込んで打ち合わせを始めた。】
【進め方の説明。・・・しかし、英語と日本語でなかなか通じない。奥さんに通訳してもらって、とりあえず必要な大工道具をそろえてもらうことに・・・。言葉ではなかなか理解してもらえないためイラストなども駆使した。一部は量販店には売っていないため、インターネットでメーカーなどを指定して購入してもらうことにした。】
【次回は1週於いて2月22日に設定。それまで一定、道具をそろえて欲しいとお願いした。私たちはその後、北谷町のメイクマンに日用品の不足分を買いに行った。駐車場に着くと、見慣れた人たちが・・。午前中打合せしたジョーさんたちだった。さっそくノコギリや差しがね、カンナやノミなどを購入されていた。まぁ、なんと気の早いこと。しかしその一方で「本気度」を垣間見てしまった。こっちも頑張らなくっちゃ!(両端がジョー夫妻。真ん中は家内。抱いているのはジョーさんたちの愛犬)】
【ちょっと遅くなりましたが、10月31日付けの産経新聞で次女が取り上げられていたので、掲載します。3月から福井県の「社寺建」さんの本社・作業場で加工の仕事に就くそうです。その後、また首里城の現場にに帰ってきて造作工事をするようです。来週は久米島で「カンナ削り」のイベントに行くそうです。】
【我が家の暖房は局所暖房の「火鉢」。欠かせないのは「炭」。10s入りの袋詰めの木炭を故郷の熊本から購入している。10s入りの袋を5個。ほぼ一か月ピッチで50s消費する。5袋で送料とも約22,000円。暖房機はほとんど使わない。設計している和室と居間・台所等を一緒に暖める。
ただ、袋詰めの木炭に糸を取るのに一苦労する。第9子の「わかみこ」(小学2年)は糸取りの名人。小さな指を使って最初の糸口を解き、あとはサッと解く。何という特技。感心する。】
【土曜・日曜は真似が降ったりやんだり、しかも寒い。チャボの親子はそれを察してか、この日は4羽とも狭い小屋に仲良く自分から入っていた。足の不自由な子や一回り小さな母親を守るように・・・。】
かつて子どもたちのために「さしがね教室」を開催し、今残っている「ポンプ小屋」を建てました。今回は言葉も文化も異なる「外国人」。以前は我が家の新築時に開催したので、伝統構法の「棟梁(尾方茂治さん)」が指導してくれました。
今回は現在首里城復元工事に携わっている二女の亜和(あや)しか事由が利きません。しかもまだ未熟。しかし、基本はある程度身に着けているのでお願いしました。
とりあえず、家全体を造るのではなく、「継ぎ手」からスタートします。規矩術やさしがねの使い方、木の性格、使い方などを一緒にすることで、秘められた「日本の文化」が伝わればいいと考えています。
予定の継ぎ手制作は「追っ掛け大栓継ぎ」か、「金輪継ぎ」。
3年前の林間学校でも継ぎ手造りをしたし、5女と6女も中学時代に釘打ちと伝統的な継ぎ手の実験をした時作っています。(県の最優秀賞受賞)
【先週の土曜日は13℃くらいしかなく寒かった。(・・・といっても本土からしたら温かいハズ)。我が家に3つある火鉢の内、一番小さな火鉢を広い学習棟に持ち込んで打ち合わせを始めた。】
【進め方の説明。・・・しかし、英語と日本語でなかなか通じない。奥さんに通訳してもらって、とりあえず必要な大工道具をそろえてもらうことに・・・。言葉ではなかなか理解してもらえないためイラストなども駆使した。一部は量販店には売っていないため、インターネットでメーカーなどを指定して購入してもらうことにした。】
【次回は1週於いて2月22日に設定。それまで一定、道具をそろえて欲しいとお願いした。私たちはその後、北谷町のメイクマンに日用品の不足分を買いに行った。駐車場に着くと、見慣れた人たちが・・。午前中打合せしたジョーさんたちだった。さっそくノコギリや差しがね、カンナやノミなどを購入されていた。まぁ、なんと気の早いこと。しかしその一方で「本気度」を垣間見てしまった。こっちも頑張らなくっちゃ!(両端がジョー夫妻。真ん中は家内。抱いているのはジョーさんたちの愛犬)】
【ちょっと遅くなりましたが、10月31日付けの産経新聞で次女が取り上げられていたので、掲載します。3月から福井県の「社寺建」さんの本社・作業場で加工の仕事に就くそうです。その後、また首里城の現場にに帰ってきて造作工事をするようです。来週は久米島で「カンナ削り」のイベントに行くそうです。】
【我が家の暖房は局所暖房の「火鉢」。欠かせないのは「炭」。10s入りの袋詰めの木炭を故郷の熊本から購入している。10s入りの袋を5個。ほぼ一か月ピッチで50s消費する。5袋で送料とも約22,000円。暖房機はほとんど使わない。設計している和室と居間・台所等を一緒に暖める。
ただ、袋詰めの木炭に糸を取るのに一苦労する。第9子の「わかみこ」(小学2年)は糸取りの名人。小さな指を使って最初の糸口を解き、あとはサッと解く。何という特技。感心する。】
【土曜・日曜は真似が降ったりやんだり、しかも寒い。チャボの親子はそれを察してか、この日は4羽とも狭い小屋に仲良く自分から入っていた。足の不自由な子や一回り小さな母親を守るように・・・。】
posted by 塾長 at 14:03| 教育・子育て
2025年02月07日
「チャボ」に勇気をもらう!
現在、右足の踵(かかと)が腫れて歩くのは大変です。以前も踵の骨の割れた先が肉に当たって歩けなくなったことがあります。これまで現場で何度も「松葉杖」を使って仕事をしたこともあります。
つま先立ちで歩いていましたが、掛かりつけの整形外科で以前もらった痛み止めの薬を飲んだら、少し傷みが緩和しました。
【大変見苦しいとは存じますが、分かり易くするために写真を1枚添付します。右側のカカトが腫れています。】
一方、「熱田神社」(島根殿・しまにどぅん)の復元図は少しずつですが進んでいます。復元図起こしは、「旧国鉄矢岳駅駅長官舎」の有形登録文化財申請の時をはじめ、近くの「ホテル・ライカム」(RC3階建て・尺寸法でできた米軍人用のホテル)の時などで経験しましたが、「新築」より難しい。
新築はどんなに難しい構造でも自分なりに構造計画し、寸法も自在に操れます。
復元図は何故こんな構造にしたのか?材質は何なのか?時代背景はどうだったか?など推測しなければなりません。さらに見えていてもその部材の寸法が計れない、特に反りや曲がりがある場合や経年変化で当初の寸法が計れないなど想像しながら進めていかなければなりません。
そんな時、飼っているチャボから「勇気」をもらいました。
【昨年の9月21日、1羽だけ生き残ったチャボのメンドリが雛(ひな)を孵(かえ)しました。】
【3羽孵った雛の内の1羽が足が不自由になったのを知りました。1番後ろからやっと群れに着いて行っているのがその子です。右足が曲がってちゃんと地に着きません。野性的に育てたいので、放し飼いですがその分、カラスやマングース、野良猫などから襲われるリスクがあります。だから専用の小屋に入れていましたが、リハビリのために時々、外に出していました。夕方、もうそろそろ小屋に入れようと思って出ましたがいません。「まさか?天敵にやられたか?」と心配しながら探しました。】
【他の2羽は暗くなると小屋近くの木の上に上がります。それを確認したその時・・・。足を痛めているチャボが健常な2羽のチャボの下にいるではありませんか!連れだって歩くときはいつも遅れてわずかの段差も躊躇(ちゅうちょ)して動けないことも多々見ています。
それが私の背の高さより高い木の上にいます。
よく見ると他の2羽は枝の上にいて指で掴んでいましたが、足が曲がって指も動かせないチャボの子はアカギに寄生した「オオタニワタリ」の中にいました。
きっと何度も挑戦しては落ちて、やっと一晩中安心して過ごせる居場所に行けたのでしょう。飛び立つときも片足が不自由なので大変だったろう、と思いました。しかし、こんなにハンディキャップがあっても何とか天敵から自分を守るために努力したチャボから大きな「勇気」をもらいました。
踵の傷みも難しい復元図も頑張ってみよう!と思いました。】
【他に目をやると、勇気をたたえるように10年前に植えた「ホウオウボク」が寒さに耐えて芽を出していました。放し飼いのニワトリやアヒルを見守るように植えた「イペー」も開花しました。】
改めて放し飼いのニワトリやアヒルのように、人間も「野生力」が大切だと実感しました。
足の曲がった「チャボ」君、「ありがとう!これからも頑張れよ、僕も頑張るから!」
(今朝はエサあげの後の「ラジオ体操」は何とか「第1」、「第2」まで全部できるように「カカト」は回復しています。)
※本日、テレビ朝日の「ナニコレ珍百景」の担当の方から、9日(日曜日夜放送分)に「第10子(3男)の心然(しんねん)」がちょっとだけ「にんじんシリシリ」の部分で出るとの連絡を受けました。
先日の同番組にも高校生二人と家内が少し放送に出ました(別な話題)。今回は我が家中心でなく、正月料理の一部でほんの少しだけ映ると思われます。(放送に変更がありましたら、あしからず・・。)
つま先立ちで歩いていましたが、掛かりつけの整形外科で以前もらった痛み止めの薬を飲んだら、少し傷みが緩和しました。
【大変見苦しいとは存じますが、分かり易くするために写真を1枚添付します。右側のカカトが腫れています。】
一方、「熱田神社」(島根殿・しまにどぅん)の復元図は少しずつですが進んでいます。復元図起こしは、「旧国鉄矢岳駅駅長官舎」の有形登録文化財申請の時をはじめ、近くの「ホテル・ライカム」(RC3階建て・尺寸法でできた米軍人用のホテル)の時などで経験しましたが、「新築」より難しい。
新築はどんなに難しい構造でも自分なりに構造計画し、寸法も自在に操れます。
復元図は何故こんな構造にしたのか?材質は何なのか?時代背景はどうだったか?など推測しなければなりません。さらに見えていてもその部材の寸法が計れない、特に反りや曲がりがある場合や経年変化で当初の寸法が計れないなど想像しながら進めていかなければなりません。
そんな時、飼っているチャボから「勇気」をもらいました。
【昨年の9月21日、1羽だけ生き残ったチャボのメンドリが雛(ひな)を孵(かえ)しました。】
【3羽孵った雛の内の1羽が足が不自由になったのを知りました。1番後ろからやっと群れに着いて行っているのがその子です。右足が曲がってちゃんと地に着きません。野性的に育てたいので、放し飼いですがその分、カラスやマングース、野良猫などから襲われるリスクがあります。だから専用の小屋に入れていましたが、リハビリのために時々、外に出していました。夕方、もうそろそろ小屋に入れようと思って出ましたがいません。「まさか?天敵にやられたか?」と心配しながら探しました。】
【他の2羽は暗くなると小屋近くの木の上に上がります。それを確認したその時・・・。足を痛めているチャボが健常な2羽のチャボの下にいるではありませんか!連れだって歩くときはいつも遅れてわずかの段差も躊躇(ちゅうちょ)して動けないことも多々見ています。
それが私の背の高さより高い木の上にいます。
よく見ると他の2羽は枝の上にいて指で掴んでいましたが、足が曲がって指も動かせないチャボの子はアカギに寄生した「オオタニワタリ」の中にいました。
きっと何度も挑戦しては落ちて、やっと一晩中安心して過ごせる居場所に行けたのでしょう。飛び立つときも片足が不自由なので大変だったろう、と思いました。しかし、こんなにハンディキャップがあっても何とか天敵から自分を守るために努力したチャボから大きな「勇気」をもらいました。
踵の傷みも難しい復元図も頑張ってみよう!と思いました。】
【他に目をやると、勇気をたたえるように10年前に植えた「ホウオウボク」が寒さに耐えて芽を出していました。放し飼いのニワトリやアヒルを見守るように植えた「イペー」も開花しました。】
改めて放し飼いのニワトリやアヒルのように、人間も「野生力」が大切だと実感しました。
足の曲がった「チャボ」君、「ありがとう!これからも頑張れよ、僕も頑張るから!」
(今朝はエサあげの後の「ラジオ体操」は何とか「第1」、「第2」まで全部できるように「カカト」は回復しています。)
※本日、テレビ朝日の「ナニコレ珍百景」の担当の方から、9日(日曜日夜放送分)に「第10子(3男)の心然(しんねん)」がちょっとだけ「にんじんシリシリ」の部分で出るとの連絡を受けました。
先日の同番組にも高校生二人と家内が少し放送に出ました(別な話題)。今回は我が家中心でなく、正月料理の一部でほんの少しだけ映ると思われます。(放送に変更がありましたら、あしからず・・。)
posted by 塾長 at 10:20| 教育・子育て
2025年01月29日
会誌「建築士」2月号「オピニオン」
建築士会会員には毎月届けられる会誌「建築士」(約7万部)の2月号のオピニオン欄に先月に引き続き、今月号にも投稿した原稿が掲載されました。(執筆者には少し早めに配布されます)
少しだけ先行して紹介します。
【毎月4人が担当ですが、「それぞれの方にも毎回別な提案をしてほしい」ということです。3回連続なので3月号にも掲載されます。ネタはたくさんありますが、なにせ全国版の会誌なので、内容は吟味しました。】
皆さんそれぞれ考え方や活動内容が異なりますが、いろいろ勉強になります。「火鉢」の話も別な方が書いていますが、3月号用にすでに投稿済みの私の原稿と内容が少し重なることもあるようですが、私は現にすぐ横に「火鉢」の赤い火と湯気の出るヤカンがあります。
ついでと言っては娘に失礼ですが、朝日新聞デジタル版に首里城復元工事で活躍する若手職人のことが出たようですので、娘のところだけ抜粋してアップします。
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【2ページ目に「警察官を不採用になった」とありますが、同じ警察でも受験したのは「警視庁」と「皇宮警察」です。しかも1次試験は合格していました。途中で「伝統木造の大工志望」に方向転換しました。また3ページ目の「主に一般住宅の施工をしてきた」とありますが、完成まで2年半もかかった伝統的な木造住宅に携わっています。今どきの「一般住宅」とは異なります。本人も「取材とは違う表現になっている」と悔しがっていました。記者の人も誤解を招かないように、掲載事前に一度、内容確認を本人にした方がいいのではないか、と思いました。(娘に代わっての「独り言」です)】
参考までに私が設計・監理した住宅に従事した時の写真をアップします。
【簡単な住宅ではありません。宮崎や沖縄の大工さんに付いて頑張りました。この期間の経験も今につながっていると思っています。仕事は「大工」で形のあるものを造るけれど、きわめるのは「日本の文化」「日本人の魂」という形のないものだよ、といつも話しています。】
さて、仕事の合間に家の周りの道路掃除やエサ用の草刈り、動物の世話、地下水の調整などをしています。
そこでいろいろ自然とのふれあいや生きものとの出会いがあります。
【先の休みの時採った野生のバナナの実を、我が家の木のベランダに掛けました。黄色くなるまで待ちます。子どもたちの楽しみのひとつになっています。】
【先日の大雨で家内が勤める郵便局が浸水し、未だに回復できないため別の局に配置換えされています。我が家も山の中腹にあるので、雨水の勢いは並ではありませんでした。
家を建てる前に上からくる雨水を左右に分け、所々に池を配し、「都市型洪水防止」をなるべく避けるようにしています。(田んぼにも保水させています)
日曜日には棟に勾配が付いている玄関の屋根(その上部の母屋からの水も合流)の樋(とい)の水が勢い余って外に出ていたので、第6子の「こはづき」が木に登って直しました。軒樋に大きな穴をあけ這(はい)樋に流すようにしました。2層ある水槽にはそれぞれ「闘魚」と「メダカ」が生息しています。
それにしても彼女は体が柔らかく、高いところにも平気で登るので大変助かっています。】
【我が家には放し飼いのニワトリが8羽、アヒルが3羽います。昨日、農水省管轄の協会からエサの調査がありました。狂牛病にならないためのエサの調査でしたが、我が家にいる動物(ヤギやウマなど)に与えるエサは農薬のかかっていない野草、ニワトリには無農薬のお米から出る糠(ぬか)と野草であることを伝えると、「
○」(はなまる)です、と言って帰って行かれました。
以前、除草剤がまかれていた沿道の草をあげてウサギが死んだことがある経験がるからです。(だから、人間(家族)も完全無農薬のお米をわざわざ熊本の阿蘇から毎月契約したお米が届きます。ヌカは農家の方が副産物として一緒に入れてくれています。
子どもたちが「大臣」とあだ名を付けている迷いニワトリが卵を知らないうちに抱いていました。チャボのメスは産んでも抱かないので、この「大臣」に抱いてもらっています。奥に見えるのは以前からいるウコッケイです。熊本から一緒に来ました。ただ、全羽オスなので後が続かないかもしれません・・・。】
そういう訳で、我が家にはテレビはありませんが、実に刺激的に生きています。他に犬3匹や猫2匹などもいますが、言葉が通じなくても「相手を思いやる気持ちを育むため」と思って飼っています。
では、「今日も元気に頑張るゾーッ!」
少しだけ先行して紹介します。
【毎月4人が担当ですが、「それぞれの方にも毎回別な提案をしてほしい」ということです。3回連続なので3月号にも掲載されます。ネタはたくさんありますが、なにせ全国版の会誌なので、内容は吟味しました。】
皆さんそれぞれ考え方や活動内容が異なりますが、いろいろ勉強になります。「火鉢」の話も別な方が書いていますが、3月号用にすでに投稿済みの私の原稿と内容が少し重なることもあるようですが、私は現にすぐ横に「火鉢」の赤い火と湯気の出るヤカンがあります。
ついでと言っては娘に失礼ですが、朝日新聞デジタル版に首里城復元工事で活躍する若手職人のことが出たようですので、娘のところだけ抜粋してアップします。

【2ページ目に「警察官を不採用になった」とありますが、同じ警察でも受験したのは「警視庁」と「皇宮警察」です。しかも1次試験は合格していました。途中で「伝統木造の大工志望」に方向転換しました。また3ページ目の「主に一般住宅の施工をしてきた」とありますが、完成まで2年半もかかった伝統的な木造住宅に携わっています。今どきの「一般住宅」とは異なります。本人も「取材とは違う表現になっている」と悔しがっていました。記者の人も誤解を招かないように、掲載事前に一度、内容確認を本人にした方がいいのではないか、と思いました。(娘に代わっての「独り言」です)】
参考までに私が設計・監理した住宅に従事した時の写真をアップします。
【簡単な住宅ではありません。宮崎や沖縄の大工さんに付いて頑張りました。この期間の経験も今につながっていると思っています。仕事は「大工」で形のあるものを造るけれど、きわめるのは「日本の文化」「日本人の魂」という形のないものだよ、といつも話しています。】
さて、仕事の合間に家の周りの道路掃除やエサ用の草刈り、動物の世話、地下水の調整などをしています。
そこでいろいろ自然とのふれあいや生きものとの出会いがあります。
【先の休みの時採った野生のバナナの実を、我が家の木のベランダに掛けました。黄色くなるまで待ちます。子どもたちの楽しみのひとつになっています。】
【先日の大雨で家内が勤める郵便局が浸水し、未だに回復できないため別の局に配置換えされています。我が家も山の中腹にあるので、雨水の勢いは並ではありませんでした。
家を建てる前に上からくる雨水を左右に分け、所々に池を配し、「都市型洪水防止」をなるべく避けるようにしています。(田んぼにも保水させています)
日曜日には棟に勾配が付いている玄関の屋根(その上部の母屋からの水も合流)の樋(とい)の水が勢い余って外に出ていたので、第6子の「こはづき」が木に登って直しました。軒樋に大きな穴をあけ這(はい)樋に流すようにしました。2層ある水槽にはそれぞれ「闘魚」と「メダカ」が生息しています。
それにしても彼女は体が柔らかく、高いところにも平気で登るので大変助かっています。】
【我が家には放し飼いのニワトリが8羽、アヒルが3羽います。昨日、農水省管轄の協会からエサの調査がありました。狂牛病にならないためのエサの調査でしたが、我が家にいる動物(ヤギやウマなど)に与えるエサは農薬のかかっていない野草、ニワトリには無農薬のお米から出る糠(ぬか)と野草であることを伝えると、「

以前、除草剤がまかれていた沿道の草をあげてウサギが死んだことがある経験がるからです。(だから、人間(家族)も完全無農薬のお米をわざわざ熊本の阿蘇から毎月契約したお米が届きます。ヌカは農家の方が副産物として一緒に入れてくれています。
子どもたちが「大臣」とあだ名を付けている迷いニワトリが卵を知らないうちに抱いていました。チャボのメスは産んでも抱かないので、この「大臣」に抱いてもらっています。奥に見えるのは以前からいるウコッケイです。熊本から一緒に来ました。ただ、全羽オスなので後が続かないかもしれません・・・。】
そういう訳で、我が家にはテレビはありませんが、実に刺激的に生きています。他に犬3匹や猫2匹などもいますが、言葉が通じなくても「相手を思いやる気持ちを育むため」と思って飼っています。
では、「今日も元気に頑張るゾーッ!」
posted by 塾長 at 11:16| 教育・子育て
2025年01月28日
障がい者と音楽。
今朝の「沖縄タイムス」の第2社会面にピアノ音楽界の紹介記事が掲載されていました。
昨年の建築士会青年部大同窓会で沖縄県建築士会有志として、参加者を歓迎してくれた「OTO仲間」の主力メンバー、「豊岡正弘」さんがピアノを弾いている写真が載っています。
豊岡さんから事前に掲載用の写真に「後藤家」(障がい児の顔写真も)載るので、事前に連絡があっていました。もちろん即答でOKしていました。
豊岡さんはご自分の名も出ていませんが、あの会でも陰でしっかり動いている方です。かつては沖縄県で住宅課の課長をされ、現在は沖縄建築確認センターの社長もされています。
しかし地位や名誉など関係なく、社会のためになることならわが身を惜しまず一生懸命される方です。いい仲間をもって私も幸せです。
写真の最前列の子ども二人と、2列目右から脳性まひの「万然(ばんねん)」、第10子の心然を抱いた家内、次が高校生の「さわみこ」、同「こはづき」、その隣に私がいます。後藤家から8名参加した音楽会でした。目が見えない万然にとって、生のピアノの演奏はきっと心に響いたと思います。
演奏者もそうですが、聴衆にも障がい者が気軽に参加できる「音楽会」。
今後のご活躍に期待します!
(会場の「アルテ赤田ギャラリーホール」は、沖縄自動車道の那覇インターチェンジから見えるロケット型のビル内にあります。この建物の設計者で持ち主だった越智さんの協力があったから活動できたと聞き及んでいます。亡くなった越智さんもきっと喜んでいると思います。
(すぐ近くに、私の設計した木造の「方形(ほうぎょう)の家」も建っています。日本人お好きな「白銀比」で設計した伝統建築です。建築中には現場の駐車場を越智さんにお世話していただいた思い出があります。参考までに再掲します。(左奥に越智さん設計の通称「ロケットビルが少しだけ見えます。)
昨年の建築士会青年部大同窓会で沖縄県建築士会有志として、参加者を歓迎してくれた「OTO仲間」の主力メンバー、「豊岡正弘」さんがピアノを弾いている写真が載っています。
豊岡さんから事前に掲載用の写真に「後藤家」(障がい児の顔写真も)載るので、事前に連絡があっていました。もちろん即答でOKしていました。
豊岡さんはご自分の名も出ていませんが、あの会でも陰でしっかり動いている方です。かつては沖縄県で住宅課の課長をされ、現在は沖縄建築確認センターの社長もされています。
しかし地位や名誉など関係なく、社会のためになることならわが身を惜しまず一生懸命される方です。いい仲間をもって私も幸せです。
写真の最前列の子ども二人と、2列目右から脳性まひの「万然(ばんねん)」、第10子の心然を抱いた家内、次が高校生の「さわみこ」、同「こはづき」、その隣に私がいます。後藤家から8名参加した音楽会でした。目が見えない万然にとって、生のピアノの演奏はきっと心に響いたと思います。
演奏者もそうですが、聴衆にも障がい者が気軽に参加できる「音楽会」。
今後のご活躍に期待します!
(会場の「アルテ赤田ギャラリーホール」は、沖縄自動車道の那覇インターチェンジから見えるロケット型のビル内にあります。この建物の設計者で持ち主だった越智さんの協力があったから活動できたと聞き及んでいます。亡くなった越智さんもきっと喜んでいると思います。
(すぐ近くに、私の設計した木造の「方形(ほうぎょう)の家」も建っています。日本人お好きな「白銀比」で設計した伝統建築です。建築中には現場の駐車場を越智さんにお世話していただいた思い出があります。参考までに再掲します。(左奥に越智さん設計の通称「ロケットビルが少しだけ見えます。)
posted by 塾長 at 09:25| 教育・子育て
2025年01月27日
「田んぼの授業」のお礼と「熱田区の学習見学会」
1月23日放課後、5年生の「こだまこ」の担任の先生から電話で、「これから先日のしめ縄づくりで「田んぼの授業」を終えて感想文ができたので持参したい」旨、連絡がありました。
夕方、126名の中から抜粋したワークシートの綴りを塩川真由美校長と「こだまこ」の担任の大湾咲希先生が持ってこられました。
【我が家まで持参された塩川校長(左端)と大湾先生。八重山のカステラもいただきました。恐縮です。】
【表紙も手描き。「みんな真面目に聞いてくれていたんだ。」と思いました。】
先週に入ってから、北中城村熱田区の徳村区長(自治会長)から電話で、区史の編纂委員会で地元の御嶽(拝所)と普天間宮、首里城の見学をするので、参加願いたいという連絡がありました。
聴けば25日。えー急な話。現在、熱田区にある「島根殿」(熱田神社)の復元図を起こしている最中。ただ、首里城と現場に行きたいとのことなので自分が動かざるを得ない。
急きょ、建築士会の仲間でかつ、首里城に詳しい(株)国建の平良 啓(ひろむ)さんに案内できるか聞いてみました。偶然、25日の午後は1時から2時40分まで空きがあるということなので、無理を言ってお願いしました。(建築士会青年部大同窓会の見学会でも案内役として、大変お世話になった方です。)
【待ち合わせ場所にした守礼の門。ここから首里城及び首里異常復元現場の説明が始まりました。】
【今回は特に「御嶽(うたき)」を観たいという要望を伝えていたので、首里城内にある「十嶽(とかけ)」を中心に説明を願いました。資料も用意していただいていました。感謝!】
【「京の内(きょうのうち)」の説明。このエリアは御嶽がたくさんある。かつては男子禁制の場所で聖地の感じ。】
【首里城に行っても、なかなか中には入らない場所。いよいよ中に入って見ることに・・・。御嶽には代替ガジュマルの木とクロツグという植物に覆われていた。熱田地区にも多くの御嶽がある。その御嶽を神社化した経緯があるが、首里城も一時期、「沖縄神社」を創られた歴史がある。現在の首里城本殿を「拝殿」として使い、その上の方に「本殿」が作られていた。廃藩置県いわゆる「琉球処分」の後の時代である。】
【復元された「日影台(にちえいだい)。時刻を日影で知らせた。この下には「漏刻門」があるが「漏刻」とは「水時計」。つまりお日様の影や水を漏らして時間を計算していたことになる。熱田区の御嶽から真東に鳥居の中心をとおって「熱田子(あったしー)」という御嶽があった。磁北ではなく「冬至の影」で「真北」を調べで据えられたと考える。】
【首里城復元の現場見学。もう瓦の「棟取り」が進んでいました。また、つい2日前に福井県から入ったばかりの唐破風妻飾りの彫刻も遠くから見えました。完成したら処理場の正面に見えます。我が家にも来ていただいて「盃」を交わした仏師で彫刻家の「砂田 清定」さんの制作です。二女の亜和(あや)は、その下絵と粘土細工のお手伝いをしました。
偶然、亜和もこの日は現場にいたようで、いつもお世話になっている宮大工さんと一緒にガラス越しではありますが、写真撮影に協力してくれました。】
【この日は下3人の子どもたちも、一緒に見学しました。「守礼の門」の下が待ち合わせでしたが、少々早く着きました。妻が「折角だから、「琉装」で記念写真を撮ってもらったら・・」と言ったので「乗ってしまいました」。「まぁ、いいか!」と思って琉装で初めての写真を撮ってもらいました。料金は大サービスしてくれました。
「意外と似合っているなぁ」というのは「「親ばか」のせいです。】
夕方、126名の中から抜粋したワークシートの綴りを塩川真由美校長と「こだまこ」の担任の大湾咲希先生が持ってこられました。
【我が家まで持参された塩川校長(左端)と大湾先生。八重山のカステラもいただきました。恐縮です。】
【表紙も手描き。「みんな真面目に聞いてくれていたんだ。」と思いました。】
先週に入ってから、北中城村熱田区の徳村区長(自治会長)から電話で、区史の編纂委員会で地元の御嶽(拝所)と普天間宮、首里城の見学をするので、参加願いたいという連絡がありました。
聴けば25日。えー急な話。現在、熱田区にある「島根殿」(熱田神社)の復元図を起こしている最中。ただ、首里城と現場に行きたいとのことなので自分が動かざるを得ない。
急きょ、建築士会の仲間でかつ、首里城に詳しい(株)国建の平良 啓(ひろむ)さんに案内できるか聞いてみました。偶然、25日の午後は1時から2時40分まで空きがあるということなので、無理を言ってお願いしました。(建築士会青年部大同窓会の見学会でも案内役として、大変お世話になった方です。)
【待ち合わせ場所にした守礼の門。ここから首里城及び首里異常復元現場の説明が始まりました。】
【今回は特に「御嶽(うたき)」を観たいという要望を伝えていたので、首里城内にある「十嶽(とかけ)」を中心に説明を願いました。資料も用意していただいていました。感謝!】
【「京の内(きょうのうち)」の説明。このエリアは御嶽がたくさんある。かつては男子禁制の場所で聖地の感じ。】
【首里城に行っても、なかなか中には入らない場所。いよいよ中に入って見ることに・・・。御嶽には代替ガジュマルの木とクロツグという植物に覆われていた。熱田地区にも多くの御嶽がある。その御嶽を神社化した経緯があるが、首里城も一時期、「沖縄神社」を創られた歴史がある。現在の首里城本殿を「拝殿」として使い、その上の方に「本殿」が作られていた。廃藩置県いわゆる「琉球処分」の後の時代である。】
【復元された「日影台(にちえいだい)。時刻を日影で知らせた。この下には「漏刻門」があるが「漏刻」とは「水時計」。つまりお日様の影や水を漏らして時間を計算していたことになる。熱田区の御嶽から真東に鳥居の中心をとおって「熱田子(あったしー)」という御嶽があった。磁北ではなく「冬至の影」で「真北」を調べで据えられたと考える。】
【首里城復元の現場見学。もう瓦の「棟取り」が進んでいました。また、つい2日前に福井県から入ったばかりの唐破風妻飾りの彫刻も遠くから見えました。完成したら処理場の正面に見えます。我が家にも来ていただいて「盃」を交わした仏師で彫刻家の「砂田 清定」さんの制作です。二女の亜和(あや)は、その下絵と粘土細工のお手伝いをしました。
偶然、亜和もこの日は現場にいたようで、いつもお世話になっている宮大工さんと一緒にガラス越しではありますが、写真撮影に協力してくれました。】
【この日は下3人の子どもたちも、一緒に見学しました。「守礼の門」の下が待ち合わせでしたが、少々早く着きました。妻が「折角だから、「琉装」で記念写真を撮ってもらったら・・」と言ったので「乗ってしまいました」。「まぁ、いいか!」と思って琉装で初めての写真を撮ってもらいました。料金は大サービスしてくれました。
「意外と似合っているなぁ」というのは「「親ばか」のせいです。】
posted by 塾長 at 17:21| 教育・子育て
2025年01月22日
梅の花が咲いた!しめ縄ができた!
♪梅は咲いたか桜はまだかいな♪♪
という江戸時代の小唄があります。
沖縄はちょっと違うようです。
沖縄は小唄とは逆で沖縄のカンヒザクラ(寒緋桜)は既に開花していますが。梅はまだしていませんでした。
【花びらがソメイヨシノより濃く、ヒラヒラと散らずにボタンの花ように落ちる「カンヒ桜」。もう本島北部では花見が始まっているようです。奥に見えるのが我が家の主屋。】
【近くで見るともう満開だと分かります。】
昨晩、娘たちがお風呂を終えて茶の間に帰ってきたら、「梅の香りがする。花も咲いてるよ。」というので梅の木が間近に見える渡り廊下に行きました。
夜だったのでよく見えませんでしたが、ほのかに甘酸っぱい香りが漂っていました。
【早朝みても花は見えませんでしたが、カメラには白いものが写っていました。】
【家族が学校や職場に出かけた後みたら、なんと日が差すところには白い花びらの梅の花がたくさん咲いていました。】
今年は梅の「なり年」かもしれません。昨日、「うぐいす」が飛来していました。「なり年」には「梅酒」や「梅干し」にできるよう梅をちぎって漬けます。すでに人吉市矢岳町の上原信義さんから送られてきた約30キロの梅は漬け込んでいます。(そういえば白菜も漬けています)
時間をかけて出来上がる食材には「別な味」を感じます。現在苗の「わさび」も2年待たなければなりません。先日、熊工の同級生から送られてきた「干し柿」もそうです。
口にいれたらどうしようもない渋柿が、甘くておいしい「干し柿」になるなんて、昔の日本人の知恵はすごいと思います。
現代は急げ急げと早けりゃいいようになっていますが、いやいや熟すのをじっと待って楽しむことも大事です。人間もそうですが、時間をかけて成長した人には「味」があります。
さて昨年は小学校の5年生128名に田んぼの授業を3回しましたが、今日は来る1月29日の旧正月(旧暦1月1日)用に稲刈りで出た稲わらを脱穀し、残りの稲ワラを正月用のしめ縄を造り授業でした。
しめ縄づくりは和仁屋(わにや)自治会の役員さんが指導してくれました。
【去年もお世話になった和仁屋自治会のみなさん。】
【前校長の崎濱陽子先生が足踏み脱穀機を見つけてこられて、指導もしてくれました。子どもたちもいい経験になったと思います。】
【子どもたちは自治会の人たちの指導の下、さまざまなしめ縄(リース状)を綯(な)いました。なかにはオリンピックの表彰をイメージして「日の丸」を入れた子もいました。教頭先生は学校の玄関用に特大の沖縄式しめ縄を作りました。】
完全無農薬、無化学肥料、地域の地下水、土の下の生きもの、馬糞のたい肥・・・。いろいろな考えのもとに育った稲。その稲ワラもしめ縄にして再利用。端材・残材は持ち帰って、あぜ道や法(のり)面に生える草を抑制するために使うので、捨てるところはありません。
この土・日は田んぼの沿線道路の草刈りと側溝に溜まったヘドロの掃除を家族でしました。
【草刈り】
【堆積していた泥を上げました。】
【上げたヘドロを1日乾かした後、さらに移動しました。】
【みんな疲れたと思い、夕食は「とろろかけご飯」にしました。長さ30センチ以上あった山芋をそのまま「すりばち」ですりました。かつお出汁を入れてまた混ぜます。側溝掃除などの力仕事には「栄養」が欠かせませんからね。毎朝、ネバ納豆と国産のメカブをご飯にかけていただきますが、山芋も同じようにヌルヌルベタベタ。体に絶対いい。快食・快便が続いています。】
【桜の花が咲き、梅も開花したのですぐ「春」。迷い込んだ来たニワトリも産卵の時期かな?チャボも毎日卵を産んでいます。ただ、自ら抱いてくれないとヒナには孵りません。】
建築士会の会誌「建築士」の1月号に掲載された記事が意外に評されているようなので、再掲します。
という江戸時代の小唄があります。
沖縄はちょっと違うようです。
沖縄は小唄とは逆で沖縄のカンヒザクラ(寒緋桜)は既に開花していますが。梅はまだしていませんでした。
【花びらがソメイヨシノより濃く、ヒラヒラと散らずにボタンの花ように落ちる「カンヒ桜」。もう本島北部では花見が始まっているようです。奥に見えるのが我が家の主屋。】
【近くで見るともう満開だと分かります。】
昨晩、娘たちがお風呂を終えて茶の間に帰ってきたら、「梅の香りがする。花も咲いてるよ。」というので梅の木が間近に見える渡り廊下に行きました。
夜だったのでよく見えませんでしたが、ほのかに甘酸っぱい香りが漂っていました。
【早朝みても花は見えませんでしたが、カメラには白いものが写っていました。】
【家族が学校や職場に出かけた後みたら、なんと日が差すところには白い花びらの梅の花がたくさん咲いていました。】
今年は梅の「なり年」かもしれません。昨日、「うぐいす」が飛来していました。「なり年」には「梅酒」や「梅干し」にできるよう梅をちぎって漬けます。すでに人吉市矢岳町の上原信義さんから送られてきた約30キロの梅は漬け込んでいます。(そういえば白菜も漬けています)
時間をかけて出来上がる食材には「別な味」を感じます。現在苗の「わさび」も2年待たなければなりません。先日、熊工の同級生から送られてきた「干し柿」もそうです。
口にいれたらどうしようもない渋柿が、甘くておいしい「干し柿」になるなんて、昔の日本人の知恵はすごいと思います。
現代は急げ急げと早けりゃいいようになっていますが、いやいや熟すのをじっと待って楽しむことも大事です。人間もそうですが、時間をかけて成長した人には「味」があります。
さて昨年は小学校の5年生128名に田んぼの授業を3回しましたが、今日は来る1月29日の旧正月(旧暦1月1日)用に稲刈りで出た稲わらを脱穀し、残りの稲ワラを正月用のしめ縄を造り授業でした。
しめ縄づくりは和仁屋(わにや)自治会の役員さんが指導してくれました。
【去年もお世話になった和仁屋自治会のみなさん。】
【前校長の崎濱陽子先生が足踏み脱穀機を見つけてこられて、指導もしてくれました。子どもたちもいい経験になったと思います。】
【子どもたちは自治会の人たちの指導の下、さまざまなしめ縄(リース状)を綯(な)いました。なかにはオリンピックの表彰をイメージして「日の丸」を入れた子もいました。教頭先生は学校の玄関用に特大の沖縄式しめ縄を作りました。】
完全無農薬、無化学肥料、地域の地下水、土の下の生きもの、馬糞のたい肥・・・。いろいろな考えのもとに育った稲。その稲ワラもしめ縄にして再利用。端材・残材は持ち帰って、あぜ道や法(のり)面に生える草を抑制するために使うので、捨てるところはありません。
この土・日は田んぼの沿線道路の草刈りと側溝に溜まったヘドロの掃除を家族でしました。
【草刈り】
【堆積していた泥を上げました。】
【上げたヘドロを1日乾かした後、さらに移動しました。】
【みんな疲れたと思い、夕食は「とろろかけご飯」にしました。長さ30センチ以上あった山芋をそのまま「すりばち」ですりました。かつお出汁を入れてまた混ぜます。側溝掃除などの力仕事には「栄養」が欠かせませんからね。毎朝、ネバ納豆と国産のメカブをご飯にかけていただきますが、山芋も同じようにヌルヌルベタベタ。体に絶対いい。快食・快便が続いています。】
【桜の花が咲き、梅も開花したのですぐ「春」。迷い込んだ来たニワトリも産卵の時期かな?チャボも毎日卵を産んでいます。ただ、自ら抱いてくれないとヒナには孵りません。】
建築士会の会誌「建築士」の1月号に掲載された記事が意外に評されているようなので、再掲します。
posted by 塾長 at 13:42| 教育・子育て
2025年01月17日
連載最終回
週刊「沖縄建設新聞」で連載中だった「歴史に学び 文化で築く」の最終回(第20回目)が掲載されました。
【沖縄建設新聞では「建設論壇」に続く連載でした。18回の予定でしたが、途中、「建築士会青年部大同窓会」を企画したので、途中で2回(前編・後編)入れたので20回になりました。
今回の記事は一番言いたかったことを本音で書いています。また連載の機会がありましたら、お伝えします。】
最近、沖縄タイムスで写真にある「渡名喜島」のことがいろいろマイナーに報道されています。確かに渡名喜村の役場職員は大幅に不足しているし、保育所も保育士がいないので保育園ができても運営できないのも分かります。
フクギの防風林で囲まれた木造平屋群が重要伝統的建造物群保存地区の指定で新たなホテルもできないなどと活性化を促すような捉え方はいかがなものかと思います。
子どもは基本的には親が育てるものです。村職員が不足していれば応援に入れればしのげます。かつて限界集落と及ばれる熊本の山地に住みました。「消防車はあるけど、乗る人いない」、「公衆電話もコンビニもない」ところでしたが、みんなで協力して楽しく暮らしていました。
たまたま最終回が理想郷である「渡名喜村」でしたので、「渡名喜」のことを一方的に貶めるような記事を地元紙が何日も特集して不安を煽るようなことをしていたので少し悔しく思いました。
「渡名喜」には、お金で買えないすばらしい環境や景観が残っています。いろいろ知恵を出せば、現代社会の価値観に勝る生き方、社会ができると信じています。
【赤いお月様。14日の満月(望月)が西に入る時、なぜか「赤」でした。】
【こちらは前日の「14日月」(小望月・こもちづき)。実際は写真より大きくて明るかったです。お日様が西に入ったと同時に上がってきます。満月より14日月や16日月(十六夜・いざよい)が個人的には好きです。】
【再生二期作の稲穂にはほとんど「実」は付いていませんでしたが、捨てるのはもったいなかったので取っておきました。そしてその活用法を「あぜ道」の「草抑制」に活用しました。
「稲ワラ」を「あぜ」に敷いていきました。日光をさえぎるので成長が小さくなると考えました。結構、稲作は「草との闘い」があるからです。ただ、薬をまけば生きものが死滅するので最も安全な方法でかつ、再生二期作の稲ワラを生かすためです。】
【小学2年生の「わかみこ」も鎌を使って草刈りをしました。ここは第5子の「さわみこ」の同級生の親御さんが管理している休耕地で、ヨナグニウマやヤギの放牧地として借りています。
道路沿いの「のり面」も草刈り後、稲わらを掛けました。我が家の子どもたちの休日は、家庭内労働で大忙しです。だけど、いつかこのような体験が生きてくると信じています。】
【先日、苗を植え付けた「わさび」。雨が少なく、タチガ−の地下水がこなくなった時は我が家の浅井戸から補給してしのぎました。水温17℃以下を常時流しているので、今のところ元気に育っています。2年後が楽しみです。】
【沖縄建設新聞では「建設論壇」に続く連載でした。18回の予定でしたが、途中、「建築士会青年部大同窓会」を企画したので、途中で2回(前編・後編)入れたので20回になりました。
今回の記事は一番言いたかったことを本音で書いています。また連載の機会がありましたら、お伝えします。】
最近、沖縄タイムスで写真にある「渡名喜島」のことがいろいろマイナーに報道されています。確かに渡名喜村の役場職員は大幅に不足しているし、保育所も保育士がいないので保育園ができても運営できないのも分かります。
フクギの防風林で囲まれた木造平屋群が重要伝統的建造物群保存地区の指定で新たなホテルもできないなどと活性化を促すような捉え方はいかがなものかと思います。
子どもは基本的には親が育てるものです。村職員が不足していれば応援に入れればしのげます。かつて限界集落と及ばれる熊本の山地に住みました。「消防車はあるけど、乗る人いない」、「公衆電話もコンビニもない」ところでしたが、みんなで協力して楽しく暮らしていました。
たまたま最終回が理想郷である「渡名喜村」でしたので、「渡名喜」のことを一方的に貶めるような記事を地元紙が何日も特集して不安を煽るようなことをしていたので少し悔しく思いました。
「渡名喜」には、お金で買えないすばらしい環境や景観が残っています。いろいろ知恵を出せば、現代社会の価値観に勝る生き方、社会ができると信じています。
【赤いお月様。14日の満月(望月)が西に入る時、なぜか「赤」でした。】
【こちらは前日の「14日月」(小望月・こもちづき)。実際は写真より大きくて明るかったです。お日様が西に入ったと同時に上がってきます。満月より14日月や16日月(十六夜・いざよい)が個人的には好きです。】
【再生二期作の稲穂にはほとんど「実」は付いていませんでしたが、捨てるのはもったいなかったので取っておきました。そしてその活用法を「あぜ道」の「草抑制」に活用しました。
「稲ワラ」を「あぜ」に敷いていきました。日光をさえぎるので成長が小さくなると考えました。結構、稲作は「草との闘い」があるからです。ただ、薬をまけば生きものが死滅するので最も安全な方法でかつ、再生二期作の稲ワラを生かすためです。】
【小学2年生の「わかみこ」も鎌を使って草刈りをしました。ここは第5子の「さわみこ」の同級生の親御さんが管理している休耕地で、ヨナグニウマやヤギの放牧地として借りています。
道路沿いの「のり面」も草刈り後、稲わらを掛けました。我が家の子どもたちの休日は、家庭内労働で大忙しです。だけど、いつかこのような体験が生きてくると信じています。】
【先日、苗を植え付けた「わさび」。雨が少なく、タチガ−の地下水がこなくなった時は我が家の浅井戸から補給してしのぎました。水温17℃以下を常時流しているので、今のところ元気に育っています。2年後が楽しみです。】
posted by 塾長 at 13:11| 教育・子育て
2025年01月12日
去年の「我が家の10大ニュース」と睦月(1月)11日の鏡開き。
年末忙しくて、一年を振り返った「我が家の10大ニュース」を掲載します。
1、 建築士会青年部(OG・OB)大同窓会の開催
2、 進学 朴然(愛媛大学理学部)、こはづき(浦添工業高校建築科)、万然(泡瀬特別支援学校中等 部) 進級:麻衣 富山県立大学看護学部3年、さわみこ(嘉手納高校2年、生徒会長選出)、こだまこ(北中城小学校5年、わかみこ、同校2年、心然(もりのなかま保育園 ぞう組)妻、典子(郵便局)、依奈(千葉県庁)、亜和(社寺建:首里城復元現場)は変わらず。ナニコレ珍百景(家族)ほか、亜和はNHK、日テレ、TBS、地元のRBC、OTV、QABなどで宮大工としてTVで紹介された。
3、 臍帯血による再生医療研究会(神戸開催)に参加(藤枝先生と懇談)(夫婦参加)
4、 沖縄建設新聞 連載「歴史に学び 文化で築く」全20回終了
5、 第33回 夏の「きたなか林間学校」の開催
6、 北中城村熱田自治会より編纂委員委嘱と「島根殿」の登録有形文化財申請手続きを受託
調査、復元図の作図スタート。
7、 北中城小学校「田んぼの授業」(3回)、同中学校の「道徳の授業」(1回)を受託
8、 会誌「建築士」で大同窓会の案内、同誌オピニオン(1月号〜3月号)トピックス(1月号)原稿提出完了
9、 比嘉宏仁邸 改装工事(設計・監理・施工管理)完了
10、 学習棟の床改装(畳敷きから板張りに)首里城の現場から宮大工さんの応援)
以上
次点以下
ヤギのパール、イヌのムックの死亡、チャボ3羽孵る(増)、迷いニワトリ1羽増。本人のカカトや腰の治療のほかは特に家族の健康状態に大きな支障はなし(人間ドックもOK)。至って健康。(ラジオ体操皆勤・朝の周辺道路(約600mの清掃、エサあげ皆勤ほか)
さて、1月11日の土曜日、家に残っていた現場の残材で新聞受けを作りました。通常、新聞受けと郵便受けは一緒ですが、我が家の玄関までは道路から数十メートルの坂があります。
郵便屋さんは玄関下まで運んでいただいていますが、新聞屋さんは朝が早く、途中に番犬がいるので道端に設置していました。というより地元紙の沖縄タイムスから支給されるビニール製の新聞受けでしたが、我が家は4紙もとっているので無理が生じたのか、差込口が開いて壊れてしまいました。
そこで沖縄タイムスからは新しい受け口をいただきましたが、「その他の新聞は入れないで欲しい」と要望があっていたので、残った材料で作ってみました。
【これは「沖縄タイムス専用」の新聞受け。薄い木片に苗字を書いて差し込みました。木から吊っています。】
【これが残り3紙の新聞受け。あるものを使って製作。丁番など使わず、簡素で簡単な新聞受けにしました。(釘の丁番(?)で新聞止まりを上げ下げします)
地元紙には「琉球新報」もありますが、新聞社の考え方が「沖縄タイムス」とほぼ同じなので、連載記事を書いていた関係上「タイムス」を購読しています。「八重山日報」その名の通り離島の宮古・八重山地方を対象にした日刊紙です。沖縄本島も本土からみたら「離島」ですが、沖縄の人は宮古・八重山諸島のことを「離島」と呼びます。実はその離島にこそ沖縄の文化が残っているので、新聞を購入しています。つい最近、他の本土紙と一緒に配達してくれるようになって感謝しています。以前は、まとめ1週間分配達されていたので、読むのが大変でした。(本土の新聞を毎日読まないと、考え方が偏るし視野が広がるので本土紙をお金がかかっても読んでいます。)
しかしこれでも毎日全部読んで重要な紙面はスクラップしているので、大変です。】
【「平成の名水百選」(北中城村荻道・大城湧水群)のひとつ、タチガ−の余剰水を現在、水車小屋下のの池と先日、ワサビの苗を植えた田んぼに引いています。しかし、沖縄の湧水は石灰岩を通って湧き出るので硬度が高く(30)、竹のトイには石灰分が蓄積されます。血液で言えば「動脈硬化」のようなものです。
だから時々こうやって一度ばらして石灰分を取る必要があります。土曜日もたくさん出てきました。みんなで除去したので、流れが良くなりました。】
【11日は「鏡開き」。年末搗いた「お餅」や「お地蔵さん」や玄関に飾った「鏡餅」を「ぜんざい」にしていただきました。この時も小豆がなかったので、残り物の「金時豆」で代用しました。
「年(とし)神様」に感謝してこの1年も家族を守っていただくようにお願いしました。】
【甘いものだけでは・・・。正月前買っていた「カツオのトロ」の「ワラ」で燻(いぶ)したタタキをいただきました。ビールは「香るエール」、そして写っていませんが、郷土のお酒(純米吟醸)の「香露(こうろ)」をいただきました。
共に「香」という字が入っているのは偶然とも言えません。
やはり本物の山葵(わさび)をいただいた時もそうですが、ワサビ独特の香りが漂います。お酒も甘口・辛口などと仕分けしますが、いやいや「香り」が重要です。家内は「香露」ファンでの前に必ず芳醇な「香り」を味わっています。ちなみにいわゆる「辛口」です。
私たちの正月だけのささやかな「贅沢」です。】
熊本のお正月は「赤酒」のお屠蘇です。この「香露」はその赤酒から清酒に転換されたときできたお酒です。(明治42年(豊肥線開通時の明治42年熊本県酒造研究所設立(技師:野白 金一氏の指導。大正11年「香露」誕生。)
ちなみに「赤酒」は江戸時代の肥後細川藩の「お国酒」として保護・愛飲されてきた歴史があります。ともに「いい香り」です。
【今日の日曜日は裏山に通じる農道の草刈りをしました。一方は年末に終えていたので、残りの片方の側溝際の草を刈りました。】
【除草着手前】
【湧水地・タチガ−に向かう裏山の農道です。毎朝6時前からヘッドライトを着けて掃き掃除をしているところです。除草剤などは絶対使いません。家族みんなで「ゴメンね」と草に声をかけて刈ります。今日の「トポス」さんに悪いなーと思いながらも、人や車の安全な通行のために必要最小限、切らせてもらいました。】
【お陰て減った水を一滴も無駄にしないように竹のトイの掃除をしたので、水車小屋下の池に棲む「メダカ」も元気になったようです。メダカはこの寒さにもちゃんと元気に生きていました。(中頭(なかがみ)地域に棲むメダカです。メダカは水質の指標です。いざという時は、メダカの棲む水は「飲めます}。】
【我が家の体の小さなチャボはネコやカラスから狙われます。自己防衛本能からか、他のニワトリのようにニワトリ小屋や床下の空間ではなく、木の上で夜を過ごします。
朝、2時か3時ころから「コケコッコー!」と鳴きます。今日も「太陽」や「幸せ」を呼んでくれています。
保育園に通う6歳から宮大工の22歳の娘まで、沖縄に遺っている7人の子どもたちもいつかこの家を出ていきますが、きっと家庭の周りの自然や歴史・文化を思い出して励みにしてほしいと、今年も願っています。】
1、 建築士会青年部(OG・OB)大同窓会の開催
2、 進学 朴然(愛媛大学理学部)、こはづき(浦添工業高校建築科)、万然(泡瀬特別支援学校中等 部) 進級:麻衣 富山県立大学看護学部3年、さわみこ(嘉手納高校2年、生徒会長選出)、こだまこ(北中城小学校5年、わかみこ、同校2年、心然(もりのなかま保育園 ぞう組)妻、典子(郵便局)、依奈(千葉県庁)、亜和(社寺建:首里城復元現場)は変わらず。ナニコレ珍百景(家族)ほか、亜和はNHK、日テレ、TBS、地元のRBC、OTV、QABなどで宮大工としてTVで紹介された。
3、 臍帯血による再生医療研究会(神戸開催)に参加(藤枝先生と懇談)(夫婦参加)
4、 沖縄建設新聞 連載「歴史に学び 文化で築く」全20回終了
5、 第33回 夏の「きたなか林間学校」の開催
6、 北中城村熱田自治会より編纂委員委嘱と「島根殿」の登録有形文化財申請手続きを受託
調査、復元図の作図スタート。
7、 北中城小学校「田んぼの授業」(3回)、同中学校の「道徳の授業」(1回)を受託
8、 会誌「建築士」で大同窓会の案内、同誌オピニオン(1月号〜3月号)トピックス(1月号)原稿提出完了
9、 比嘉宏仁邸 改装工事(設計・監理・施工管理)完了
10、 学習棟の床改装(畳敷きから板張りに)首里城の現場から宮大工さんの応援)
以上
次点以下
ヤギのパール、イヌのムックの死亡、チャボ3羽孵る(増)、迷いニワトリ1羽増。本人のカカトや腰の治療のほかは特に家族の健康状態に大きな支障はなし(人間ドックもOK)。至って健康。(ラジオ体操皆勤・朝の周辺道路(約600mの清掃、エサあげ皆勤ほか)
さて、1月11日の土曜日、家に残っていた現場の残材で新聞受けを作りました。通常、新聞受けと郵便受けは一緒ですが、我が家の玄関までは道路から数十メートルの坂があります。
郵便屋さんは玄関下まで運んでいただいていますが、新聞屋さんは朝が早く、途中に番犬がいるので道端に設置していました。というより地元紙の沖縄タイムスから支給されるビニール製の新聞受けでしたが、我が家は4紙もとっているので無理が生じたのか、差込口が開いて壊れてしまいました。
そこで沖縄タイムスからは新しい受け口をいただきましたが、「その他の新聞は入れないで欲しい」と要望があっていたので、残った材料で作ってみました。
【これは「沖縄タイムス専用」の新聞受け。薄い木片に苗字を書いて差し込みました。木から吊っています。】
【これが残り3紙の新聞受け。あるものを使って製作。丁番など使わず、簡素で簡単な新聞受けにしました。(釘の丁番(?)で新聞止まりを上げ下げします)
地元紙には「琉球新報」もありますが、新聞社の考え方が「沖縄タイムス」とほぼ同じなので、連載記事を書いていた関係上「タイムス」を購読しています。「八重山日報」その名の通り離島の宮古・八重山地方を対象にした日刊紙です。沖縄本島も本土からみたら「離島」ですが、沖縄の人は宮古・八重山諸島のことを「離島」と呼びます。実はその離島にこそ沖縄の文化が残っているので、新聞を購入しています。つい最近、他の本土紙と一緒に配達してくれるようになって感謝しています。以前は、まとめ1週間分配達されていたので、読むのが大変でした。(本土の新聞を毎日読まないと、考え方が偏るし視野が広がるので本土紙をお金がかかっても読んでいます。)
しかしこれでも毎日全部読んで重要な紙面はスクラップしているので、大変です。】
【「平成の名水百選」(北中城村荻道・大城湧水群)のひとつ、タチガ−の余剰水を現在、水車小屋下のの池と先日、ワサビの苗を植えた田んぼに引いています。しかし、沖縄の湧水は石灰岩を通って湧き出るので硬度が高く(30)、竹のトイには石灰分が蓄積されます。血液で言えば「動脈硬化」のようなものです。
だから時々こうやって一度ばらして石灰分を取る必要があります。土曜日もたくさん出てきました。みんなで除去したので、流れが良くなりました。】
【11日は「鏡開き」。年末搗いた「お餅」や「お地蔵さん」や玄関に飾った「鏡餅」を「ぜんざい」にしていただきました。この時も小豆がなかったので、残り物の「金時豆」で代用しました。
「年(とし)神様」に感謝してこの1年も家族を守っていただくようにお願いしました。】
【甘いものだけでは・・・。正月前買っていた「カツオのトロ」の「ワラ」で燻(いぶ)したタタキをいただきました。ビールは「香るエール」、そして写っていませんが、郷土のお酒(純米吟醸)の「香露(こうろ)」をいただきました。
共に「香」という字が入っているのは偶然とも言えません。
やはり本物の山葵(わさび)をいただいた時もそうですが、ワサビ独特の香りが漂います。お酒も甘口・辛口などと仕分けしますが、いやいや「香り」が重要です。家内は「香露」ファンでの前に必ず芳醇な「香り」を味わっています。ちなみにいわゆる「辛口」です。
私たちの正月だけのささやかな「贅沢」です。】
熊本のお正月は「赤酒」のお屠蘇です。この「香露」はその赤酒から清酒に転換されたときできたお酒です。(明治42年(豊肥線開通時の明治42年熊本県酒造研究所設立(技師:野白 金一氏の指導。大正11年「香露」誕生。)
ちなみに「赤酒」は江戸時代の肥後細川藩の「お国酒」として保護・愛飲されてきた歴史があります。ともに「いい香り」です。
【今日の日曜日は裏山に通じる農道の草刈りをしました。一方は年末に終えていたので、残りの片方の側溝際の草を刈りました。】
【除草着手前】
【湧水地・タチガ−に向かう裏山の農道です。毎朝6時前からヘッドライトを着けて掃き掃除をしているところです。除草剤などは絶対使いません。家族みんなで「ゴメンね」と草に声をかけて刈ります。今日の「トポス」さんに悪いなーと思いながらも、人や車の安全な通行のために必要最小限、切らせてもらいました。】
【お陰て減った水を一滴も無駄にしないように竹のトイの掃除をしたので、水車小屋下の池に棲む「メダカ」も元気になったようです。メダカはこの寒さにもちゃんと元気に生きていました。(中頭(なかがみ)地域に棲むメダカです。メダカは水質の指標です。いざという時は、メダカの棲む水は「飲めます}。】
【我が家の体の小さなチャボはネコやカラスから狙われます。自己防衛本能からか、他のニワトリのようにニワトリ小屋や床下の空間ではなく、木の上で夜を過ごします。
朝、2時か3時ころから「コケコッコー!」と鳴きます。今日も「太陽」や「幸せ」を呼んでくれています。
保育園に通う6歳から宮大工の22歳の娘まで、沖縄に遺っている7人の子どもたちもいつかこの家を出ていきますが、きっと家庭の周りの自然や歴史・文化を思い出して励みにしてほしいと、今年も願っています。】
posted by 塾長 at 20:12| 教育・子育て
2025年01月07日
「熱田」のルーツと合気道稽古はじめ。
1月3日、熱田区の年中祭祀のひとつ、「初拝み」があるというので、現在、「島根殿(しまにどぅん)の有形登録文化財化に必要な復元図作成をしている関係上、一度は祭祀に参加したいと考え出かけました。
一番の収穫は、熱田の人たちが熱心に村(区)の伝統を引き継ごうとしている姿を見たこと。さらに「熱田」のルーツを知ることができたことでした。
初拝みは公民館の敷地にある「産川」(うぶがー)という井泉(せいせん)からスタート。その後「島根殿}(しまにどぅん)、東通し(アガリユーヌウトゥーシ)と公民館内の施設を巡った後、地区内の水源地を回ります。
回るところが多いので省略しておもなところだけにします。
ウブガー→島根殿→アガリユーヌウトゥーシ(本殿から東方面の津堅島の御嶽を見通す場所)→メーヌカー→仲門(なかじょう)→イーヌカ―→松島のカー→根所(ニードゥル)→ビジュル→ニーヤガ−→カー→古井戸→米須獄(クミシウタキ)→熱田シーの順。
【産川(うぶがー)】
【国の有形登録文化財にしようと考えている木造の拝殿とその奥の本殿(御嶽)】
【熱田地区内の各所の水源地を自治会役員がお参り。地下水が豊富なので水田が広がっていたらしい。】
【ビジュル】
【根所(にーどぅくる)。ムラの草分けの家。】
【米須嶽(クミシウタキ)。熱田の部落の御嶽の源。】
【米須嶽(クミシウタキ)の碑文】
【実はクミシウタキの前に宮城と比嘉(現在のライカム)がひとつだったころの御嶽があるということで、その御嶽(宮城御嶽・ナーグスクウタキ)を見学することになりました。渡口の山のなかにありました。この辺りが熱田部落のルーツ。ここから水田や畑、漁で生計を立てるために海側に下っていったらしい。】
【最後は熱田生(アッタシー)。先日の測量で島根殿の真東にあった熱田シー(御嶽)。そのまた海を隔てた津堅島に琉球4大御嶽のひとつ「喜舎場シー」が鎮座。真反対の真西には北中城村の「喜舎場シー」があるという新伝説が発見された感じです。
徳村自治会長が私を紹介してくれました。上記のことを説明しました。
お供えはいずれもミカンやリンゴ、バナナなどの果物、15本の火を点けない線香15本、お花、お神酒などでした。】
【熱田のルーツが分かった後、自宅に帰り、妻の実家に家族で年始(昼食)に行きました。そこを出たらいつもの出雲大社沖縄分社に初詣に行きました。副宮司の島袋幸子様と面会できたうえ、たくさんお祝いをいただき、恐縮しました。ありがとうございました。】
【3日は合気道の稽古はじめ。千葉から帰省中の長女と同じく愛媛から帰省中の長男がこの日のために道着を持参して参加。ちなみに長女は初段、長男は現在3級(愛媛大学(1年)では合気道部所属、今年初段を取ろうとしています)。】
【師匠のケン先生と長女・長男。】
【この日は下から心然、わかみこ、こだまこ、こはづき、さわみこ、朴然、依奈(えな)、妻の8人が参加。二女の亜和(あや)と障がい児の万然と私は見学でした。三女の麻衣は県外で看護師の実習中で帰省なし。
相手と戦わない護身術。日本人の精神が詰まっています。今後も続けていきたいと存じます。】
一番の収穫は、熱田の人たちが熱心に村(区)の伝統を引き継ごうとしている姿を見たこと。さらに「熱田」のルーツを知ることができたことでした。
初拝みは公民館の敷地にある「産川」(うぶがー)という井泉(せいせん)からスタート。その後「島根殿}(しまにどぅん)、東通し(アガリユーヌウトゥーシ)と公民館内の施設を巡った後、地区内の水源地を回ります。
回るところが多いので省略しておもなところだけにします。
ウブガー→島根殿→アガリユーヌウトゥーシ(本殿から東方面の津堅島の御嶽を見通す場所)→メーヌカー→仲門(なかじょう)→イーヌカ―→松島のカー→根所(ニードゥル)→ビジュル→ニーヤガ−→カー→古井戸→米須獄(クミシウタキ)→熱田シーの順。
【産川(うぶがー)】
【国の有形登録文化財にしようと考えている木造の拝殿とその奥の本殿(御嶽)】
【熱田地区内の各所の水源地を自治会役員がお参り。地下水が豊富なので水田が広がっていたらしい。】
【ビジュル】
【根所(にーどぅくる)。ムラの草分けの家。】
【米須嶽(クミシウタキ)。熱田の部落の御嶽の源。】
【米須嶽(クミシウタキ)の碑文】
【実はクミシウタキの前に宮城と比嘉(現在のライカム)がひとつだったころの御嶽があるということで、その御嶽(宮城御嶽・ナーグスクウタキ)を見学することになりました。渡口の山のなかにありました。この辺りが熱田部落のルーツ。ここから水田や畑、漁で生計を立てるために海側に下っていったらしい。】
【最後は熱田生(アッタシー)。先日の測量で島根殿の真東にあった熱田シー(御嶽)。そのまた海を隔てた津堅島に琉球4大御嶽のひとつ「喜舎場シー」が鎮座。真反対の真西には北中城村の「喜舎場シー」があるという新伝説が発見された感じです。
徳村自治会長が私を紹介してくれました。上記のことを説明しました。
お供えはいずれもミカンやリンゴ、バナナなどの果物、15本の火を点けない線香15本、お花、お神酒などでした。】
【熱田のルーツが分かった後、自宅に帰り、妻の実家に家族で年始(昼食)に行きました。そこを出たらいつもの出雲大社沖縄分社に初詣に行きました。副宮司の島袋幸子様と面会できたうえ、たくさんお祝いをいただき、恐縮しました。ありがとうございました。】
【3日は合気道の稽古はじめ。千葉から帰省中の長女と同じく愛媛から帰省中の長男がこの日のために道着を持参して参加。ちなみに長女は初段、長男は現在3級(愛媛大学(1年)では合気道部所属、今年初段を取ろうとしています)。】
【師匠のケン先生と長女・長男。】
【この日は下から心然、わかみこ、こだまこ、こはづき、さわみこ、朴然、依奈(えな)、妻の8人が参加。二女の亜和(あや)と障がい児の万然と私は見学でした。三女の麻衣は県外で看護師の実習中で帰省なし。
相手と戦わない護身術。日本人の精神が詰まっています。今後も続けていきたいと存じます。】
posted by 塾長 at 11:59| 教育・子育て
2025年01月02日
明けまして おめでとうございます!(令和7年後藤家の元旦風景)
令和7年1月元旦。
お陰様で家族一同、新しい年を迎えることができました。
西洋の誕生日で年を重ねる風習とは異なり、日本はお腹の中で命が宿った時から年齢を換算します。いわゆる「数え年」です。従って元旦を迎えたら家族一緒に年を重ねたことを「おめでとう」とお互いを祝うことになります。
私は6月生まれですが、次の正月(元旦)までのお腹の中で生きていた時間も含めて「74年」かかったということです。正しい考え方と思います。出生する以前の命を大事にすることは、「命の教育」には重要なことと思っています。
そして、年が明けたら誕生日がいつであっても「(お互い)明けまして、おめでとう。」です。
【恒例の年間目標】
【昨年の6月、熊本の梅を「梅干し」にしました。3瓶あります。今日のこの日のために年末は我慢して食べないでいました。熊本では梅干しを茶飲み茶わんにひとつだけ入れてお茶を注ぎ、ひとつ年を取ります。体が清まった感じです。】
【その後、「お屠蘇(とそ)」をいただきます。熊本方式を今も続けています。熊本のお屠蘇は赤酒です。正月用には特別に製造元の東肥酒造から屠蘇に入れる薬剤(豊潤さを出す)が入っています。
元旦だけは子どももいただきます。疫病を除くと言われているからです。(嵯峨天皇西暦790年〜845年)のころからの伝統)】
【そのあとは朝食(お雑煮)。雑煮も熊本式で鶏(とり)で出汁を取ります。あっさり系ですがおいしくいただけました。餅はもちろん、家族で搗いたお餅です。】
【お雑煮をいただいた後、家と裏山のタチガ−池の「お地蔵さん」にしめ縄を飾り、「御幣」をつけ、沖縄式に木炭とミカン、29日に搗いた鏡餅を上げました。】
【いつも手入れしている北中城中学校の案内兼交通安全看板のシーサーが瓦に載っているので、ここにもしめ縄を回し、御幣を付け、小学校の教材として作った田んぼで育った稲わらでリンクのしめ縄を綯(な)い飾りました。】
【今日は21℃もあったため、ヨナグニウマの「ゲン」の体も洗いました。「ひずめ」の裏もきれいにしました。時々石などが入ったままになって「ひずめ」が割れたりするからです。】
【昼食は餅つきで作った「餡餅」(あんもち)でした。火鉢で焼いた餅は格別です。「きな粉餅」で食べる子もいます。】
【夜は「おせち料理」。共稼ぎの妻は30日まで仕事でしたが、寝る時も寝ず、夜なべして作りました。感謝です。愛媛から帰省中の長男も、4日に千葉から帰省する長女もきっと「おふくろの味」、「故郷(家族の味)を堪能できます。いつものように、黒豆、白マメは、まめまめしく働く、カズノコは子どもを大切にする、栗きんとんはお金に困らぬよう、紅白の酢の物や尾頭付きの田作りはお祝い、出世魚のぶり(はまち)などおせちの謂れを話しました。
山葵(わさび)は静岡、醤油とカボスは大分、お屠蘇は熊本(酢の物には熊本の柚子が入っています)です。今年も巻きずしまで作ってくれました。(妻へ)ご苦労さまでした。ありがとうございました。】
お陰様で家族一同、新しい年を迎えることができました。
西洋の誕生日で年を重ねる風習とは異なり、日本はお腹の中で命が宿った時から年齢を換算します。いわゆる「数え年」です。従って元旦を迎えたら家族一緒に年を重ねたことを「おめでとう」とお互いを祝うことになります。
私は6月生まれですが、次の正月(元旦)までのお腹の中で生きていた時間も含めて「74年」かかったということです。正しい考え方と思います。出生する以前の命を大事にすることは、「命の教育」には重要なことと思っています。
そして、年が明けたら誕生日がいつであっても「(お互い)明けまして、おめでとう。」です。
【恒例の年間目標】
【昨年の6月、熊本の梅を「梅干し」にしました。3瓶あります。今日のこの日のために年末は我慢して食べないでいました。熊本では梅干しを茶飲み茶わんにひとつだけ入れてお茶を注ぎ、ひとつ年を取ります。体が清まった感じです。】
【その後、「お屠蘇(とそ)」をいただきます。熊本方式を今も続けています。熊本のお屠蘇は赤酒です。正月用には特別に製造元の東肥酒造から屠蘇に入れる薬剤(豊潤さを出す)が入っています。
元旦だけは子どももいただきます。疫病を除くと言われているからです。(嵯峨天皇西暦790年〜845年)のころからの伝統)】
【そのあとは朝食(お雑煮)。雑煮も熊本式で鶏(とり)で出汁を取ります。あっさり系ですがおいしくいただけました。餅はもちろん、家族で搗いたお餅です。】
【お雑煮をいただいた後、家と裏山のタチガ−池の「お地蔵さん」にしめ縄を飾り、「御幣」をつけ、沖縄式に木炭とミカン、29日に搗いた鏡餅を上げました。】
【いつも手入れしている北中城中学校の案内兼交通安全看板のシーサーが瓦に載っているので、ここにもしめ縄を回し、御幣を付け、小学校の教材として作った田んぼで育った稲わらでリンクのしめ縄を綯(な)い飾りました。】
【今日は21℃もあったため、ヨナグニウマの「ゲン」の体も洗いました。「ひずめ」の裏もきれいにしました。時々石などが入ったままになって「ひずめ」が割れたりするからです。】
【昼食は餅つきで作った「餡餅」(あんもち)でした。火鉢で焼いた餅は格別です。「きな粉餅」で食べる子もいます。】
【夜は「おせち料理」。共稼ぎの妻は30日まで仕事でしたが、寝る時も寝ず、夜なべして作りました。感謝です。愛媛から帰省中の長男も、4日に千葉から帰省する長女もきっと「おふくろの味」、「故郷(家族の味)を堪能できます。いつものように、黒豆、白マメは、まめまめしく働く、カズノコは子どもを大切にする、栗きんとんはお金に困らぬよう、紅白の酢の物や尾頭付きの田作りはお祝い、出世魚のぶり(はまち)などおせちの謂れを話しました。
山葵(わさび)は静岡、醤油とカボスは大分、お屠蘇は熊本(酢の物には熊本の柚子が入っています)です。今年も巻きずしまで作ってくれました。(妻へ)ご苦労さまでした。ありがとうございました。】
posted by 塾長 at 00:54| 教育・子育て
2024年12月31日
令和6年、後藤家の年末風景!
お陰様で何とか今年も無事、新しい年を迎えられそうです。ただ、昨年の能登半島地震のようなこともありますので、常に「何でもあり」の心構えを持っています。
地球は有機物でかつ、超高速で動いているので予期せぬことはあって当たり前だと考えています。
さて長男が帰省中の我が家。相変わらずせわしい年末ですが、みんなの力をもらって越えようとしています。
写真を中心にお伝えします。
12月28日
【ヨナグニウマの「ゲン」の馬ふんを馬小屋から出します。】
【きょうだいのバケツリレー。6歳になったばかりの心然も頑張りました。】
【今年作った新しい「たい肥小屋」に積み上げていきます。】
【馬小屋の馬ふんの中にいた「クワガタムシ」の幼虫。馬小屋の中の馬ふんは発酵していて温か。住み心地が良かったのでしょう。たい肥小屋に移して端の方に移動しました。真ん中だと60℃以上になるので死んでしまうと思ったからです。だけど心配には及ばず、さっそく、居心地のいいたい肥小屋に移動していました。
来年の夏、森で再会できるかな。】
【愛媛大学の学生になった長男・朴然。力仕事で家庭に貢献。玄関前に植林した「パキラ」の木が伸びたため、少し伐採させていただきました。「パキラ」さん、ごめんネ。】
【家庭内労働の仕事料は「パキラ」を燃してできた「焼き芋」。「パキラ」は脂分が多いのか、切ったばかりの葉っぱも燃えます。「ヤブニッケイ」の木のようです。】
【午後7時から合気道の稽古。この日が今年最後の稽古(稽古納め)。大同窓会にも来ていただいたジョーさん、師匠のケン先生も一緒に記念撮影。我が家からは家内、朴然、さわみこ、こはづき、こだまこ、わかみこ、心然の7名が参加しました。】
12月30日
【年末恒例の「屋根の草刈り」。玄関の屋根は赤瓦の本葺き。しかも棟に勾配があります(垂木は平行四辺形になります)。沖縄の本葺きは瓦の継ぎ手は土と漆喰。最初はきれいですが、徐々にカビが生えたり、飛んできた種が根を張り、芽が出て育ちます。時々「草刈り」が必要です。】
【平成の名水百選(北中城村荻道・大城湧水群)のひとつ・タチガ−の余剰水が側溝を流れていますが、そこから分水して水車小屋下の池に水を引いていました。今回その一部を「ワサビ」の育成に使うことにしました。写真に見えるパイプは池の上を通る。一部を「ワサビ」の育成地へ分水する。敷地内の雨水排水も同じように上下交差方式にしている。】
【送られてきた「ワサビ」の苗。全部で50株ほどありました。】
【道路沿いの土地空間を耕して植え付けました。水温は17℃です。南国・沖縄で栽培できるか!?。頑張ってみます。完全無農薬の沢山葵(さわわさび)。成功するか否かは、地下水の質と量、温度に加えて愛情にかかっています。】
【これも後藤家恒例の餅つき。かまどは石、薪(たきぎ)はギンネムなどの外来種の伐採後の木。蒸篭(せいろ)で蒸されたモチ米がふっくらなったら、臼(うす)に移して杵(きね)で搗きます。熱い内に餡(あん)餅と白(しら)餅、鏡餅を家族で丸めて出来上がり。今年は4キログラム搗きました。】
12月31日(大晦日)
【白菜漬けの第2弾。今回はいつもの八百屋さんから購入。玉が大きく新鮮。今日中に漬け込みますが、先日の「ゆず」の皮をいっぱい入れるので、風味は抜群。漬け上がりが楽しみです。】
【今日は大みそか。これまでの外回りから家のなかに移動。小学生組は何十枚とある「木製建具」のガラス拭き掃除。姉の「こだまこ」が濡れ雑巾で拭き、妹の「わかみこ」が乾いた新聞紙で拭き上げます。とてもきれいになりました。三種の神器の「鏡」と同じです。心まできれいになります。】
【学習棟の床も掃き掃除、拭き掃除したのも小学2年と5年の姉妹です。】
【家を建てた時、敷地入口の水車小屋横(池の前)に建立した「お地蔵さん」。大晦日なのできれいにさせていただきました。この「お地蔵さん」に子どもたちは毎朝、毎晩手を合わせています。「双子」の赤ちゃんを抱いています。「お顔」が白くなって笑っているように見えます。喜んでくれたのかな。合掌、「パン、パン」。】
【この「お地蔵さん」は裏山のタチガ−池に建立しました。こちらもきれいにしました。共に「水神さん」と「道祖神」を兼ねています。】
【家の周囲と裏山の側溝周りの除草及び側溝掃除をしました。約200m。八百万の神様は「きれいなところが好き」。どこにでも願い事や感謝の気持ちが伝えられる。日本はだからどこに行ってもきれい。】
【最後は中学校の交通安全兼学校案内看板下の花壇お手入れ。お正月らしく「葉ボタン」を植えました。】
【家の周辺の手入れをしていたら「ナナフシ」と逢いました。「ナナフシさんもお正月を迎えてね。」と言って森に返しました。】
さてさて今22時45分。令和6年ももう終わります。さまざまなことがあった1年でした。
来年もよろしくお願いいたします。良いお年を!!
地球は有機物でかつ、超高速で動いているので予期せぬことはあって当たり前だと考えています。
さて長男が帰省中の我が家。相変わらずせわしい年末ですが、みんなの力をもらって越えようとしています。
写真を中心にお伝えします。
12月28日
【ヨナグニウマの「ゲン」の馬ふんを馬小屋から出します。】
【きょうだいのバケツリレー。6歳になったばかりの心然も頑張りました。】
【今年作った新しい「たい肥小屋」に積み上げていきます。】
【馬小屋の馬ふんの中にいた「クワガタムシ」の幼虫。馬小屋の中の馬ふんは発酵していて温か。住み心地が良かったのでしょう。たい肥小屋に移して端の方に移動しました。真ん中だと60℃以上になるので死んでしまうと思ったからです。だけど心配には及ばず、さっそく、居心地のいいたい肥小屋に移動していました。
来年の夏、森で再会できるかな。】
【愛媛大学の学生になった長男・朴然。力仕事で家庭に貢献。玄関前に植林した「パキラ」の木が伸びたため、少し伐採させていただきました。「パキラ」さん、ごめんネ。】
【家庭内労働の仕事料は「パキラ」を燃してできた「焼き芋」。「パキラ」は脂分が多いのか、切ったばかりの葉っぱも燃えます。「ヤブニッケイ」の木のようです。】
【午後7時から合気道の稽古。この日が今年最後の稽古(稽古納め)。大同窓会にも来ていただいたジョーさん、師匠のケン先生も一緒に記念撮影。我が家からは家内、朴然、さわみこ、こはづき、こだまこ、わかみこ、心然の7名が参加しました。】
12月30日
【年末恒例の「屋根の草刈り」。玄関の屋根は赤瓦の本葺き。しかも棟に勾配があります(垂木は平行四辺形になります)。沖縄の本葺きは瓦の継ぎ手は土と漆喰。最初はきれいですが、徐々にカビが生えたり、飛んできた種が根を張り、芽が出て育ちます。時々「草刈り」が必要です。】
【平成の名水百選(北中城村荻道・大城湧水群)のひとつ・タチガ−の余剰水が側溝を流れていますが、そこから分水して水車小屋下の池に水を引いていました。今回その一部を「ワサビ」の育成に使うことにしました。写真に見えるパイプは池の上を通る。一部を「ワサビ」の育成地へ分水する。敷地内の雨水排水も同じように上下交差方式にしている。】
【送られてきた「ワサビ」の苗。全部で50株ほどありました。】
【道路沿いの土地空間を耕して植え付けました。水温は17℃です。南国・沖縄で栽培できるか!?。頑張ってみます。完全無農薬の沢山葵(さわわさび)。成功するか否かは、地下水の質と量、温度に加えて愛情にかかっています。】
【これも後藤家恒例の餅つき。かまどは石、薪(たきぎ)はギンネムなどの外来種の伐採後の木。蒸篭(せいろ)で蒸されたモチ米がふっくらなったら、臼(うす)に移して杵(きね)で搗きます。熱い内に餡(あん)餅と白(しら)餅、鏡餅を家族で丸めて出来上がり。今年は4キログラム搗きました。】
12月31日(大晦日)
【白菜漬けの第2弾。今回はいつもの八百屋さんから購入。玉が大きく新鮮。今日中に漬け込みますが、先日の「ゆず」の皮をいっぱい入れるので、風味は抜群。漬け上がりが楽しみです。】
【今日は大みそか。これまでの外回りから家のなかに移動。小学生組は何十枚とある「木製建具」のガラス拭き掃除。姉の「こだまこ」が濡れ雑巾で拭き、妹の「わかみこ」が乾いた新聞紙で拭き上げます。とてもきれいになりました。三種の神器の「鏡」と同じです。心まできれいになります。】
【学習棟の床も掃き掃除、拭き掃除したのも小学2年と5年の姉妹です。】
【家を建てた時、敷地入口の水車小屋横(池の前)に建立した「お地蔵さん」。大晦日なのできれいにさせていただきました。この「お地蔵さん」に子どもたちは毎朝、毎晩手を合わせています。「双子」の赤ちゃんを抱いています。「お顔」が白くなって笑っているように見えます。喜んでくれたのかな。合掌、「パン、パン」。】
【この「お地蔵さん」は裏山のタチガ−池に建立しました。こちらもきれいにしました。共に「水神さん」と「道祖神」を兼ねています。】
【家の周囲と裏山の側溝周りの除草及び側溝掃除をしました。約200m。八百万の神様は「きれいなところが好き」。どこにでも願い事や感謝の気持ちが伝えられる。日本はだからどこに行ってもきれい。】
【最後は中学校の交通安全兼学校案内看板下の花壇お手入れ。お正月らしく「葉ボタン」を植えました。】
【家の周辺の手入れをしていたら「ナナフシ」と逢いました。「ナナフシさんもお正月を迎えてね。」と言って森に返しました。】
さてさて今22時45分。令和6年ももう終わります。さまざまなことがあった1年でした。
来年もよろしくお願いいたします。良いお年を!!
posted by 塾長 at 22:44| 教育・子育て
2024年12月26日
お地蔵さんに「生きた花」が咲いた!
平成の名水百選のひとつ「タチガ−」(北中城村荻道・大城湧水群)」横に建立した「祠(ほこら)地蔵尊」。毎朝の道路掃除はこの周辺を一番にします。お地蔵さんは湧水を守ってもらうことが第一義的にはありますが、道祖神を崇めることもあります。
子どもたちはこの周辺と道路を毎朝、ヘッドライトを着けて掃き掃除します。
【生け花を挿した瓶の地下水を入れ替えたり、枯れたら近くの花を挿したりします。ところがお地蔵さんの棟辺りに「インパチェンス」の種が飛んだのか、胸元に根付いたインパチェンスがそのまま育ちました。
いかにもお地蔵さんが花を抱いているように見えます。かつて長男の朴然が岩や石から植物が育っていることを不思議に思い、自由研究したことがあります。(「植物はなぜ石に育つのか?」小学4年生時、沖縄県で最優秀賞、全国でも入賞)その内容を知っていたので芽が出た時点から、水を与え続けました。
琉球石灰岩の水の吸収力と植物の生命力で、偶然にも根付いたインパチェンス。末っ子(第10子の心然が第7子の脳性まひが少しでも改善するよう、この日も手を合わせていました。】
【熊本の上原さんから送られてきた「ゆず」。一昨日はその「ゆず」を使った「湯豆腐」を家内が作ってくれました。上原さんや家内の愛情がたっぷり詰まった「湯豆腐」は格別においしかったことは言うまでもありません。】
【「ゆず」はゆず湯も湯豆腐にも使いましたが、本命は「白菜漬け」。冬には欠かせない「白菜漬け」は我が家の冬の定番。第1弾は8珠。その後第2弾3段と進みます。天候と白菜の調達がうまくいけばまた漬けます。今年の「白菜」は高値が続いています。しかし、おかずにもお酒のつまみにもなる自家製の「白菜漬け」はゆずの風味があってなんとも説明ができないくらいおいしいです。】
【昨日の25日、愛媛大学に通う長男で第4子の朴然(ぼくねん)が帰省しました。那覇空港に第10子の心然(しいんねん)と一緒に迎えに行きました。
男手が増えたので、馬ふんのたい肥作り、餅つきの段取り(29日に予定)、木の伐採、草刈りなどなど、彼氏には多くの家事が待っています。千葉にいる長女の依奈(えな)も来年明けてから帰省する予定があります。富山の大学生の三女の麻衣は来春に帰省の予定になっています。】
また昨日までに「国の有形登録文化財」に申請しようとしている「本殿」、「拝殿」以外の調査を終えました。付属物として同時に申請しようかと思っています。
【本殿・拝殿の中心線を延長すると個の延長線にこの鳥居の中心を通ります。そしてその延長線上に「熱田シー(生)があります。これがいわゆる「参道」だったと思われます。】
【村の文化財に指定されている「熱田シー(生)」。(熱田地区の拝所のひとつ)
またこの延長線上に津見島があります。磁石の東ではなく太陽(日時計)による東(真東)と一致します。
この真東を反対方向の真西をみると「北中城村字喜舎場」になります。なんと琉球の四大御嶽のひとつが津堅島の御嶽で、そこに「喜舎場シー」と呼ばれる神様が鎮座されています。自治会長の話だと、喜舎場の人が津堅島に行ったという話があるそうです。】
【神社化された御嶽。神社に不可欠な「灯篭」が本殿(御嶽)の両側にあります。】
【「熱田シー」まで見通すという意味の「お通し」と呼ばれる施設。右横(参道脇)には「手水鉢(ちょうずばち)」もあります。水はすぐ近くに「うぶがー」(産川)という湧水地もあります。】
【昭和15年(皇紀2600年)にお祝いしたと考えられる「島根殿」(しまにどぅん)の石碑。】
来年早々から「国の登録有形文化財」申請用の正式な図面を描き始めたいと思います。
子どもたちはこの周辺と道路を毎朝、ヘッドライトを着けて掃き掃除します。
【生け花を挿した瓶の地下水を入れ替えたり、枯れたら近くの花を挿したりします。ところがお地蔵さんの棟辺りに「インパチェンス」の種が飛んだのか、胸元に根付いたインパチェンスがそのまま育ちました。
いかにもお地蔵さんが花を抱いているように見えます。かつて長男の朴然が岩や石から植物が育っていることを不思議に思い、自由研究したことがあります。(「植物はなぜ石に育つのか?」小学4年生時、沖縄県で最優秀賞、全国でも入賞)その内容を知っていたので芽が出た時点から、水を与え続けました。
琉球石灰岩の水の吸収力と植物の生命力で、偶然にも根付いたインパチェンス。末っ子(第10子の心然が第7子の脳性まひが少しでも改善するよう、この日も手を合わせていました。】
【熊本の上原さんから送られてきた「ゆず」。一昨日はその「ゆず」を使った「湯豆腐」を家内が作ってくれました。上原さんや家内の愛情がたっぷり詰まった「湯豆腐」は格別においしかったことは言うまでもありません。】
【「ゆず」はゆず湯も湯豆腐にも使いましたが、本命は「白菜漬け」。冬には欠かせない「白菜漬け」は我が家の冬の定番。第1弾は8珠。その後第2弾3段と進みます。天候と白菜の調達がうまくいけばまた漬けます。今年の「白菜」は高値が続いています。しかし、おかずにもお酒のつまみにもなる自家製の「白菜漬け」はゆずの風味があってなんとも説明ができないくらいおいしいです。】
【昨日の25日、愛媛大学に通う長男で第4子の朴然(ぼくねん)が帰省しました。那覇空港に第10子の心然(しいんねん)と一緒に迎えに行きました。
男手が増えたので、馬ふんのたい肥作り、餅つきの段取り(29日に予定)、木の伐採、草刈りなどなど、彼氏には多くの家事が待っています。千葉にいる長女の依奈(えな)も来年明けてから帰省する予定があります。富山の大学生の三女の麻衣は来春に帰省の予定になっています。】
また昨日までに「国の有形登録文化財」に申請しようとしている「本殿」、「拝殿」以外の調査を終えました。付属物として同時に申請しようかと思っています。
【本殿・拝殿の中心線を延長すると個の延長線にこの鳥居の中心を通ります。そしてその延長線上に「熱田シー(生)があります。これがいわゆる「参道」だったと思われます。】
【村の文化財に指定されている「熱田シー(生)」。(熱田地区の拝所のひとつ)
またこの延長線上に津見島があります。磁石の東ではなく太陽(日時計)による東(真東)と一致します。
この真東を反対方向の真西をみると「北中城村字喜舎場」になります。なんと琉球の四大御嶽のひとつが津堅島の御嶽で、そこに「喜舎場シー」と呼ばれる神様が鎮座されています。自治会長の話だと、喜舎場の人が津堅島に行ったという話があるそうです。】
【神社化された御嶽。神社に不可欠な「灯篭」が本殿(御嶽)の両側にあります。】
【「熱田シー」まで見通すという意味の「お通し」と呼ばれる施設。右横(参道脇)には「手水鉢(ちょうずばち)」もあります。水はすぐ近くに「うぶがー」(産川)という湧水地もあります。】
【昭和15年(皇紀2600年)にお祝いしたと考えられる「島根殿」(しまにどぅん)の石碑。】
来年早々から「国の登録有形文化財」申請用の正式な図面を描き始めたいと思います。
posted by 塾長 at 12:38| 教育・子育て
2024年12月21日
島根殿(しまにどぅん)の高低差・屋根測量と「ゆず湯」
島根殿の高低差測量と屋根等の実測に家族で行きました。
【久しぶりレベルを使いました。おおよその高さはスケールで計っていましたが、やはり心配でした。】
【入母屋の破風の拝みの部分の懸魚(げぎょ)を書き写しているところです。】
【小屋裏に入っても、外は測れませんでした。角度の自在定規で宮大工の亜和(あや)が計っています。】
【下り棟から隅棟に分かれる部分の水抜き穴(トンネル)】
【反りは中央と端では異なっていました。】
【近くの重要文化財の「中村家住宅」にもあった小屋裏の換気孔がここにもありました。】
【仮におおよそのカタチをラフに描いてみました。今日の測量や先日の小屋裏採寸をもとに、正式な図面を起こしていこうと思っています。いろいろ見えてきてとても楽しいです。】
【くたびれ果てて夕方からダウン。2時間ほど休んだところに熊本の上原さんから「柚子(ゆず)」が届きました。まぁ、なんというタイミング。明日の冬至に間に合うようにと、電話で連絡はあっていました。ギリギリセーフ。
僕は「冬至」が昔から大好き。なぜなら、一番夜が長くて最悪と思っている人も多いと思いますが、もうこれ以上はなく、だんだん陽が長くなるからです。自分の人生と重なります。亡くなったおふくろもよく言っていました。最悪の時(おみくじで大凶を引いてしまって嘆いた時など)こそ、もうこれ以上悪くならないから大丈夫!(かえっていいこと!)と・・・。
それにしても人吉市の矢岳町の上原さん、毎年ありがとうございます。上原さんは以前住んでいた旧国鉄矢岳駅駅長官舎の管理をされています。現在は台湾の会社が買って宿泊施設になっています。国の登録有形文化財にしておいて良かったと思っています。「島根殿」もなんとか「国の有形登録文化財」にしたいと頑張っています。】
【さっそく、着いたばかりの「ゆず」をヒノキ風呂に入れました。もうこの香り、あったかくて肌はツルツル。冬至に入る「柚子湯」は最高です。入浴後の今もポカポカしています。柚子の実は矢岳町に住んでいたとき採りに行ったことがあります。枝にトゲトゲがあって大変でした。しかし長い間かけて大きくなった柚子や柚子の実。だから邪気を払って清くなると聞いています。
今日の地元での活動の「ごほうび」と思ってありがたく使わせていただきます。(白菜漬けが楽しみです)】
【久しぶりレベルを使いました。おおよその高さはスケールで計っていましたが、やはり心配でした。】
【入母屋の破風の拝みの部分の懸魚(げぎょ)を書き写しているところです。】
【小屋裏に入っても、外は測れませんでした。角度の自在定規で宮大工の亜和(あや)が計っています。】
【下り棟から隅棟に分かれる部分の水抜き穴(トンネル)】
【反りは中央と端では異なっていました。】
【近くの重要文化財の「中村家住宅」にもあった小屋裏の換気孔がここにもありました。】
【仮におおよそのカタチをラフに描いてみました。今日の測量や先日の小屋裏採寸をもとに、正式な図面を起こしていこうと思っています。いろいろ見えてきてとても楽しいです。】
【くたびれ果てて夕方からダウン。2時間ほど休んだところに熊本の上原さんから「柚子(ゆず)」が届きました。まぁ、なんというタイミング。明日の冬至に間に合うようにと、電話で連絡はあっていました。ギリギリセーフ。
僕は「冬至」が昔から大好き。なぜなら、一番夜が長くて最悪と思っている人も多いと思いますが、もうこれ以上はなく、だんだん陽が長くなるからです。自分の人生と重なります。亡くなったおふくろもよく言っていました。最悪の時(おみくじで大凶を引いてしまって嘆いた時など)こそ、もうこれ以上悪くならないから大丈夫!(かえっていいこと!)と・・・。
それにしても人吉市の矢岳町の上原さん、毎年ありがとうございます。上原さんは以前住んでいた旧国鉄矢岳駅駅長官舎の管理をされています。現在は台湾の会社が買って宿泊施設になっています。国の登録有形文化財にしておいて良かったと思っています。「島根殿」もなんとか「国の有形登録文化財」にしたいと頑張っています。】
【さっそく、着いたばかりの「ゆず」をヒノキ風呂に入れました。もうこの香り、あったかくて肌はツルツル。冬至に入る「柚子湯」は最高です。入浴後の今もポカポカしています。柚子の実は矢岳町に住んでいたとき採りに行ったことがあります。枝にトゲトゲがあって大変でした。しかし長い間かけて大きくなった柚子や柚子の実。だから邪気を払って清くなると聞いています。
今日の地元での活動の「ごほうび」と思ってありがたく使わせていただきます。(白菜漬けが楽しみです)】
posted by 塾長 at 22:26| 教育・子育て
2024年12月20日
会誌「建築士」1月号の「オピニオン」と「トピックス」に掲載
先日開催した「建築士会青年部(OB・OG)大同窓会」の報告を兼ねて投稿した原稿が、会誌「建築士」1月号に掲載されました。
「大同窓会」の活動内容は沖縄建設新聞の11月と12月に前編・後編、2回に分けて報告しています。
今回は全国の建築士会会員に毎月配布されている会誌「建築士」です。約7万人のもとに届きます。
【特に活動をしていない人にも会誌「建築士」は届きます。いわゆる「会費会員」の人たちです。しかし圧倒的に「会費会員」が多いのはどの会でも同じです。これまで、40数年会員なので活動を活発にするときもそうでないときも、会誌は会費を滞納しない限り届きます。ただ、中身は資格団体の会誌なので「固い」イメージでした。これは1月号の「表紙」です。】
【表紙説明、目次、会長の年始あいさつの後の4ページ目にある「オピニオン」欄。他の3人の方々と一緒にに掲載されています。偶然ですがお隣の足立さんもかつて建築士会連合会青年委員会でご一緒したことがあります。
これは1月号で、あと2回(2月号・3月号)掲載予定です。「オピニオン」なので、みなさん、いろんな角度から提案するような内容になると思います。】
【これは同じ会誌の中の「トピックス」。見開き2ページ割いてくれました。オピニオンでの「大同窓会」の内容は「すべて文字だけなので分かりづらいなぁ」、と思っていたら、写真入りで別原稿を投稿したらどうか、と連合会の早川さんから助言を受けたので、「大同窓会」の内容を補完する意味と、もっと会誌「建築士」を楽しく親しみのある内容に変えたいと考え投稿しました。
結構、プライベートな内容が含まれますが、昔から「本音」で交流することを第一に考えてきたので、「まっ、いいか!」と綴りました。
「人生を二度生きる!」その通りの生き方をそのまま書きました。】
「大同窓会」の活動内容は沖縄建設新聞の11月と12月に前編・後編、2回に分けて報告しています。
今回は全国の建築士会会員に毎月配布されている会誌「建築士」です。約7万人のもとに届きます。
【特に活動をしていない人にも会誌「建築士」は届きます。いわゆる「会費会員」の人たちです。しかし圧倒的に「会費会員」が多いのはどの会でも同じです。これまで、40数年会員なので活動を活発にするときもそうでないときも、会誌は会費を滞納しない限り届きます。ただ、中身は資格団体の会誌なので「固い」イメージでした。これは1月号の「表紙」です。】
【表紙説明、目次、会長の年始あいさつの後の4ページ目にある「オピニオン」欄。他の3人の方々と一緒にに掲載されています。偶然ですがお隣の足立さんもかつて建築士会連合会青年委員会でご一緒したことがあります。
これは1月号で、あと2回(2月号・3月号)掲載予定です。「オピニオン」なので、みなさん、いろんな角度から提案するような内容になると思います。】
【これは同じ会誌の中の「トピックス」。見開き2ページ割いてくれました。オピニオンでの「大同窓会」の内容は「すべて文字だけなので分かりづらいなぁ」、と思っていたら、写真入りで別原稿を投稿したらどうか、と連合会の早川さんから助言を受けたので、「大同窓会」の内容を補完する意味と、もっと会誌「建築士」を楽しく親しみのある内容に変えたいと考え投稿しました。
結構、プライベートな内容が含まれますが、昔から「本音」で交流することを第一に考えてきたので、「まっ、いいか!」と綴りました。
「人生を二度生きる!」その通りの生き方をそのまま書きました。】
posted by 塾長 at 15:06| 教育・子育て
2024年12月16日
「森へつづく道」
北中城小学校で行った防災授業でも、津波や地震時での避難経路を「里道」を使う提案をしました。我が家は標高100mくらいにあります。東日本大震災・大津波規模があっても津波の被害はない高さにあります。しかし、地震や台風で停電の可能性はあります。非常用蓄電設備は有していますが、自然と戦う気持ちはありません。
強大な自然力にはかないません。逃げることです!
公道は交通渋滞するので、提案したのは「里道(りどう)」の活用。現在、市町村の管理となっていますが、以前は県の管理下にあった「旧・字(あざ)道」です。
低地では田んぼのあぜ道や山ではけもの道。それを人間が長年使っていた共有地が「里道」です。沖縄に限らず全国どこでも無数にあります。
国は10数メートルの防波堤を造り、「国土強靭化」などと言っていますが、所詮、自然力には太刀打ちできません。自然力からは「逃げる」、「かわす」、「避ける」ことだと思っています。
そこで昨日、我が家の非常時の避難場所への通路を確保するため、公図に沿って里道を整備しました。今もエサあげの時は利用している子もいますが、何せ、「沖縄」。半年もたたずどこが道なのか分からなくなるほど草が茂ります。
【10数年前家を建てた時からこの里道を除草して避難路としてきました。ところがこんな状態で木や草や蔓が伸び放題で、歩くのも大変でした。高校生の娘と小学生2人、保育園生と私で再び切り開くことにしました。】
【除草・伐採・片付け中】
【伐採後。緑のクモの巣状だった里道は頭を打つことなく通れるようになりました。特に蔓にトゲがたくさんある「サルトリイバラ」には苦戦しました。この里道には無数にありました。】
【ここが避難場所。通称、「牧場」。これまでヨナグニウマやヤギ、イノブタの遊び場でした。現在ヤギは中学校や知り合いの空き地、休耕田などです。
避難路の入口は我が家の敷地の裏で、奥のタンクの横が出口です。約50m。敷地の周りにある農道を(幅5m)を通ってくれば約150m。3分の1で到達します。高低差は10mくらいあります。道路からだと一旦下るので高低差は20mくらいになります。】
【これは出口に設けた水タンク。安全な水が貯めてあります。】
【「牧場」は家の周回道路の反対側です。道向かいには「平成の名水百選」のひとつ「タチガ−」があり、その地下水を貯めてある農業用用水タンク(≒300トン)もあります。】
【農業用水タンクのヨコには、私たちが整備して造った「タチガ−池」もあります。つまり、災害時必要な「水」が確保されています。】
【周回道路の反対側に目を移すと、通常「通学路」になっている県道につながる「里道」が「クワズイモ」の占拠されていました。またまた悪い癖が出て、「ここも刈ろう!」ということになりました。】
【体力を相当消耗していたので、とりあえず「通れる程度」で勘弁してもらいました。小学生2人は、道路象のクワズイモを切りました。この切り口から出る液が肌に付けばそれはそれは大変なことになります。かゆいだけでなく、ブツブツ状になった肌は長い間消えず、皮膚科に行っても簡単には治りません。液が目に入ったら失明すると言われています。子どもたちはよく知っていますので用心しながら作業しました。】
【ついでのついでに「平成の名水百選」のひとつ「タチガ−」に通じる道も「クワズイモ」で覆われていたので、切らせてもらいました。】
【くたくたになって家に帰りついたら、今度は「二十日ネギ」を植えました。小学2年生の娘は毎日、100m下から汲みあげる地下水の調整をするタンク周りや闘魚を飼っているトロ箱周辺の草刈りを始めました。】
【最後に心然(6歳)が穴の開いた自分の長ぐつを使って水を与えました。(長ぐつは先日買い替えました)】
休日返上で「森へつづく道」を確保しました。森には「水」があります。命の水です。そしてタキギがあります。ライターひとつで燃せば暖を取れます。そして食べられる草や実があります。つまり食料があります。
逃げる先は「森」に限ります。しかも最短距離の「里道」を利用すれば短時間で移動できます。
災害時はスマートホンも情報集中で使えません。ましてや水道や電気、ガスが止まれば都会生活に慣れている人たちは生きる術を失います。私がメダカを飼っているのは単に好きだからだけではなく「メダカの棲む水は飲める」という指標があるからです。
またチャンスがあれば「森へ続くまちづくり」を提唱していきたいと存じます。
強大な自然力にはかないません。逃げることです!
公道は交通渋滞するので、提案したのは「里道(りどう)」の活用。現在、市町村の管理となっていますが、以前は県の管理下にあった「旧・字(あざ)道」です。
低地では田んぼのあぜ道や山ではけもの道。それを人間が長年使っていた共有地が「里道」です。沖縄に限らず全国どこでも無数にあります。
国は10数メートルの防波堤を造り、「国土強靭化」などと言っていますが、所詮、自然力には太刀打ちできません。自然力からは「逃げる」、「かわす」、「避ける」ことだと思っています。
そこで昨日、我が家の非常時の避難場所への通路を確保するため、公図に沿って里道を整備しました。今もエサあげの時は利用している子もいますが、何せ、「沖縄」。半年もたたずどこが道なのか分からなくなるほど草が茂ります。
【10数年前家を建てた時からこの里道を除草して避難路としてきました。ところがこんな状態で木や草や蔓が伸び放題で、歩くのも大変でした。高校生の娘と小学生2人、保育園生と私で再び切り開くことにしました。】
【除草・伐採・片付け中】
【伐採後。緑のクモの巣状だった里道は頭を打つことなく通れるようになりました。特に蔓にトゲがたくさんある「サルトリイバラ」には苦戦しました。この里道には無数にありました。】
【ここが避難場所。通称、「牧場」。これまでヨナグニウマやヤギ、イノブタの遊び場でした。現在ヤギは中学校や知り合いの空き地、休耕田などです。
避難路の入口は我が家の敷地の裏で、奥のタンクの横が出口です。約50m。敷地の周りにある農道を(幅5m)を通ってくれば約150m。3分の1で到達します。高低差は10mくらいあります。道路からだと一旦下るので高低差は20mくらいになります。】
【これは出口に設けた水タンク。安全な水が貯めてあります。】
【「牧場」は家の周回道路の反対側です。道向かいには「平成の名水百選」のひとつ「タチガ−」があり、その地下水を貯めてある農業用用水タンク(≒300トン)もあります。】
【農業用水タンクのヨコには、私たちが整備して造った「タチガ−池」もあります。つまり、災害時必要な「水」が確保されています。】
【周回道路の反対側に目を移すと、通常「通学路」になっている県道につながる「里道」が「クワズイモ」の占拠されていました。またまた悪い癖が出て、「ここも刈ろう!」ということになりました。】
【体力を相当消耗していたので、とりあえず「通れる程度」で勘弁してもらいました。小学生2人は、道路象のクワズイモを切りました。この切り口から出る液が肌に付けばそれはそれは大変なことになります。かゆいだけでなく、ブツブツ状になった肌は長い間消えず、皮膚科に行っても簡単には治りません。液が目に入ったら失明すると言われています。子どもたちはよく知っていますので用心しながら作業しました。】
【ついでのついでに「平成の名水百選」のひとつ「タチガ−」に通じる道も「クワズイモ」で覆われていたので、切らせてもらいました。】
【くたくたになって家に帰りついたら、今度は「二十日ネギ」を植えました。小学2年生の娘は毎日、100m下から汲みあげる地下水の調整をするタンク周りや闘魚を飼っているトロ箱周辺の草刈りを始めました。】
【最後に心然(6歳)が穴の開いた自分の長ぐつを使って水を与えました。(長ぐつは先日買い替えました)】
休日返上で「森へつづく道」を確保しました。森には「水」があります。命の水です。そしてタキギがあります。ライターひとつで燃せば暖を取れます。そして食べられる草や実があります。つまり食料があります。
逃げる先は「森」に限ります。しかも最短距離の「里道」を利用すれば短時間で移動できます。
災害時はスマートホンも情報集中で使えません。ましてや水道や電気、ガスが止まれば都会生活に慣れている人たちは生きる術を失います。私がメダカを飼っているのは単に好きだからだけではなく「メダカの棲む水は飲める」という指標があるからです。
またチャンスがあれば「森へ続くまちづくり」を提唱していきたいと存じます。
posted by 塾長 at 12:26| 教育・子育て
2024年12月05日
連載第19回「建築士会青年部大同窓会・後編」
沖縄建設新聞 連載「歴史に学び 文化で築く」の第19回目が発刊されました。
【建築士会青年部大同窓会の報告。後編は「首里城及び首里城復元工事見学会」と全体のまとめです。】
【毎週土日は家の周りや田んぼ周りの除草作業に追われます。棚田の奥にあったバナナの木。猛烈な勢いで繁殖する特定外来種の「ツユヒヨドリ」に覆われていたので切りました。
そうしたらその陰に「バナナ」の実が付いていました。「いやー、悪かったなぁ、ゴメンね。」と言って蔓を切りました。もうしばらく成長させて「いただだきます」。】
【建築士会青年部大同窓会の報告。後編は「首里城及び首里城復元工事見学会」と全体のまとめです。】
【毎週土日は家の周りや田んぼ周りの除草作業に追われます。棚田の奥にあったバナナの木。猛烈な勢いで繁殖する特定外来種の「ツユヒヨドリ」に覆われていたので切りました。
そうしたらその陰に「バナナ」の実が付いていました。「いやー、悪かったなぁ、ゴメンね。」と言って蔓を切りました。もうしばらく成長させて「いただだきます」。】
posted by 塾長 at 14:59| 教育・子育て
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