2022年10月01日

職人の手

9月25日、熊本から「ふちた板金工業」の社長が現場採寸のため来沖されました。捨て谷をはじめ雨切りや庇(ひさし)の屋根、出窓の屋根、サッシ周りの外額縁の水切りなどを熊本で製作し、現場で取付してもらう仕事です。

沖縄でも建築板金の職人さんを探しましたが、指定のカラーステンレス0.35o厚に唐草を付けて加工のできる人は右から左にはいませんでした。そこでこのままなら技術が継承できないため、取付時には沖縄の板金屋さんも一緒に仕事してもらうことにしました。

板金工事の職人さんは手の握力が強いと言われています。ハサミを使う手仕事だからです。せっかくなので熊本と沖縄の板金屋さんの手を見せてもらいました。

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【沖縄の多嘉板金工業の社長の手です。】

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【沖縄のふちた板金工業の社長の手です。こぶはありませんが、指の周りの筋肉で固まっていました。】

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【上から捨て谷入れ。瓦下の樋。その端部。箱棟周りの捨て谷(2重3重に捨て谷が入ります。特に瓦下の樋はふちた板金工業のお父さんが編み出した技術だそうです。】

27日採寸を終えて帰られる前、どこにも行っていないとのことだったので「米軍嘉手納飛行場」に連れて行きました。新しくなった道の駅・かでな。4キロメートルに及ぶ東洋一の滑走路を持つ嘉手納空港。常時100機が駐機しています。「広い!」と言ってしばらく眺めていました。

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【体重90キログラムの私が小さく見えます。高校時代は柔道でならした体格。柔道3段だそうです。こんな大きな人がミリ単位の仕事をします。】

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【スロープ上の水平庇。そぐ横に勾配付きの庇がつく予定です。】

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【ヤードではその加工が進んでいます。屋根勾配は3寸ですが、スロープと同じ1寸2分の勾配のつく庇です。なかなかむずかしい・・・。】

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【前例があるので再確認のため空港近くの現場を見に行きました。これもふちた板金工業の仕事ですが、亡くなったお父さんが施工されたものです。】

板金に限らず、日本の伝統技術はすたれつつあります。なんとか歯止めをかけないと、このまま消滅します。そこで伝統木造技術を継承し、日本独自の木の文化を後世に伝えるために、沖縄で職人同士のネットワークを立ち上げたいと考えました。

なぜなら今でもノミやカンナを使って仕事をする大工さんが極端に減っているからです。現在はツーバイフォーやプレカット工法などが台頭し、手仕事で木組みをする機会がほとんどありません。簡単に言えば人材不足。ひとり親方が多く、ネットワークも貧弱です。

伝統建築のできる大工さんを一元的に捉えて仕事の分配、技術の研究、後継者の育成などを無報酬で行っていきたいと思っています。日本のすばらしい木造技術、木の文化を通して日本人の心がよみがえることが目的です。仲間が揃ったらまた記事としてアップします。
posted by 塾長 at 13:15| 建築

2022年06月26日

「見上げの美」(軒裏の美しさ)

沖縄の梅雨がやっと明けたので現場が動き始めました。現在屋根下地の垂木(タルキ)打ちが道半ばです。大屋根のタルキ打ちは反りや蓑甲(みのこう)があって大変です。
今回は図面上見えないところ、例えば「見上げの美」(軒天井の美しさ)について書きます。

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【これは法隆寺五重塔の立面図です。立面図は水平距離が無限の位置から見た図面です。】

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【これは法隆寺五重塔の立面図です。ともに「軒裏」(軒天井)の姿は見えません。ところがこの住宅を設計する時気に掛けたのは、図面には見えないけれど実際には見える部分の美しさです。実際の目線でみると「軒裏」は全部見えます。だから化粧で見えるタルキの材質や間隔には気を配りました。】

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【これが実際みえる五重塔です。立面や断面では見えなくても、実際の目線では軒裏(軒天井)は全部見えます。立面や断面では水平距離無限なので、面積計算などには必要です。】

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【これは現在進行中の住宅の立面図です。軒裏(軒天井)は見えません。】

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【大屋根部分の垂木打ちは進みました。上部に見えるのは「箱棟」の下地です。これに熨斗瓦(のしかわら)が9段かぶり先端には人間国宝の渡部鬼師が製作した「鬼瓦」が鎮座します。妻側の端は「蓑甲(みのこう)」になります。蓑甲はそもそも妻側の納まりを美しく見せるための構法です。タルキ間隔は通常400oにしていましたが、今回は317oです。玄関屋根組みはこれからですが、237.5o間隔の予定です。】

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【大工見習いの次女・亜和(あや)も屋根下地づくりで頑張っています。】

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【道路が敷地に徐々に入ってくるので、それに合わせて屋根も段々になります。この部分の屋根納まりは瓦1枚ずつ割り付けるので大変複雑です。ただ面倒な分、完成したらうなるような軒裏の美しさが見えてくると思います。


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【柱のない部分のモヤを支える「持ち送り板」です。】

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【昨日現在の垂木打ち状況を下から「見上げ」た写真です。足場の間(写真右側)から段々に切れて登りあがっていく「軒裏(軒天井)の美しさ」を垣間見ることができます。】

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【昨日、木のベランダに「柿渋」を塗りました。透湿防水シートで覆っていましたが、梅雨も明けたので全部取り、少しシミが入ったところを私がサンダーを当て、その後を家内が塗りました。「柿渋」が浸透したので少し雨で濡れても安心です。】

見えないところに力を入れるのは、服でいえば「裏地」のようなものです。図面では表現できなくても、私が木材を拾い出しした時や納材の時、大工さんが加工する時にも化粧垂木には1本1本気を使いました。大工さんは道路側には無節、その他は特1等品に・・・、と選別もしました。

表も裏も大事です。図面では表現できないところ、木造建築でいえば軒裏。間隔や品質などに気を配り完成後その配慮や美しさを感じ取ってもらえればありがたいと思っています。

「見上げの美」(軒裏:軒天井の美しさ)にも増して大事なことは、かかわる人たちの「心の美しさ」ではないかと思っています。
posted by 塾長 at 12:01| 建築

2022年05月08日

上棟!

昨日夕刻、約1年1ヵ月かかってやっと大屋根の棟上げができました。長い1年でした。
木造2階建ての住宅約100坪を伝統構法で設計。屋根に反りを入れ、大スパンがあり、宙に浮く心柱を重力の中心に入れる設計です。特に施工する大工職人が早々いなくて、やっと探した棟梁も初の挑戦。沖縄の大工さんも初めての構法なので苦労したようです。

木材の調達も大変でした。特に天然乾燥材を使うことにしたので、いろいろ難儀しました。
これからも玄関の小屋根や反り屋根の屋根仕舞い、屋根、外壁、床の二重張り、和室の仕上げなど、まだまだ難工事が待ち受けていますが、なんとか完成までもっていきたいと思っています。

施工する方々の協力なしにはできないので、日本の伝統建築への理解を図りながら最後まで頑張りたいと存じます。

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【合掌を入れる途中】

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【最上部の小屋組。心柱を吊る合掌部分の納まり。】

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【心柱を一旦約100oジャッキで上げ、徐々に下げて浮かせる。心柱を合掌や方杖は下げ止まらせるための部材。心柱は他にも4本の大きな隅梁や2層の放射梁、小屋組から伸ばした丸太梁などもで支える。ただ、ジャッキアップの時は「ミシ、ミシ」と音がした。】

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【心柱頂部。天端は合板で養生してある。】

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【2階床高は2階大引きから95o上がり。全体の高さをチェック中。】

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【宙に浮く心柱。今後の瓦の重量やホゾの隙間の沈下を予測して予定(床高より750oが心柱の下端より49o高く浮かせてある。1年間で約1センチ下がると考えている。】

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【大屋根の棟木を入れる(棟上げ)。後方に見えるブルーシートは心柱のある塔屋を養生した状況】
posted by 塾長 at 12:09| 建築

2021年12月09日

軽石の利活用

先日、熊本の建築士会で実践活動をしていた友人から連絡があり、「沖縄に漂着している軽石が欲しい。」と連絡がありました。

理由を聞くと沖縄県が募集している軽石の利活用に応募するとのこと。沖縄に限らず日本の海岸には海底火山の爆発で大量の軽石が流れ着いています。

沖縄では生活物資や観光、漁業などに大きな影響が出ているところもあります。相談相手はコンクリート構造の研究者で長年、大学に勤めていた方です。
沖縄のためにも、建築のためにもなるならと思い、送ることにしました。

結果は教えてくれるそうなので、また公表します。

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【海岸に打ち上げられた軽石。(中城湾内)】

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【ニュースでは知っていたが、実際、漂流した軽石に触れるのは初めて。軽石なので「軽かった」(お風呂で使う軽石よりもっと軽い)。海藻がどうしても絡んできたが仕方がない。そのまま送ることにした。】


posted by 塾長 at 05:46| 建築

2021年12月06日

月桃(げっとう)タタミ!

ウィズシロアリで暮らしているが、これまでシロアリ被害で畳を何枚替えたことか!

ハエやシロアリを好きな人は少ないと思いますが、ともに自然界では分解者としての役目を果たしています。・・・とは言え、森の中の家での生活ではシロアリ被害が絶えません。

特に畳は生活の場に欠かせないところなので、即、対応しなければならないので思わぬ出費で参ってしまいます。
先日も
いつも家族がいる3畳の間の畳表にその兆候があったので調べたら、「やっぱり・・・」

そこで今回は以前にも試したことのある月桃入りの畳を注文することにしました。畳屋さんも以前挑戦したことがあるそうですが、月桃の茎が固くて凸凹感があって失敗したそうです。

3畳の間の1枚に被害があったので、1枚だけ替えることに・・。またこれまで建材床の主材料である発泡スチロールを食べていたので、あえて藁(わら)床にしてみました。
なぜかというと、スタイロタタミだとまたまたシロアリが好物のようなので被害をこうむるからです。
藁床だと糸穴から通気します。まんべんなく月桃の香りがタタミいっぱいに広がると見立てました。

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【わら床(とこ)だとダニが発生するとは聞きましたが、シロアリへの忌避作用に期待しました。】

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【我が家の敷地にたくさん生きている月桃。1か月以上はした月桃を大山タタミ店(宜野湾市)に持ち込み、今回は細かく切断し。畳表(沖縄ビーグ)と藁床の間に敷き詰め、高熱(100℃)で圧縮しました。】

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【最後に縁(へり)で閉じて終了】

わずか15分ほどで「ゲットウタタミ」ができました。さっそく我が家に敷いてくれるということになりました。
まずは「香り」。畳から月桃の香りがします。敷き替えた畳は1畳ものですが、この畳の上で障害を持つ「万然」がいつも寝ています。だからきっといい香りなので喜ぶと思いました。

次は「柔らかさ」。他の2枚の畳は建材畳なので跳ね返りがあります。月桃タタミは「ふわふわ」していました。きっと「わらどこ」のせいだろうと思います。これも敷いてみないとわかりませんでした。
日本は瑞穂の国。稲刈りの後の藁の再利用になります。また仮に焼却してもダイオキシンは出ません。

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【第九子の「わかみこ」や末っ子の「心然(しんねん)」は大喜び。なぜかというと藁のクッション性に気づいてピョンピョン跳ねるのが楽しそうです。】

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【欠点といえば藁床の畳は重いこと。だから今回は約950cm角にして2枚敷きこむことにしました。抱えてみるとずっしりしますが、これならシミや破れがあっても半畳替えればよいので経済的でもあります。重さも半分なので私でも移動可能です。しっかり「畳たたき」をして維持管理に励みたいと思います。】

ついでにお話しすると畳店を見学した帰り際、「これもタタミですか?」と聞いたら、「フチなしタタミです。」
「畳床も表も全部化学製品です。そうしないと縁(へり)無しタタミはできないのです。」「・・・・」

縁(へり)なしタタミは流行り(はやり)のように最近の住宅に敷かれつつありますが、大事な何かを忘れているように感じました。

さて久しぶり〈8か月ぶり)に千葉大学に通う長女・依奈(えな)が帰省しました。彼女は現在3年生ですが、介護やパン屋さんのバイトを続けています。学業も忙しいし、合気道も頑張ってます。我が家から彼女に送金したことはありません。親孝行の娘です。久しぶり「12名家族」が揃いました。

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【正月休みは介護のバイトがあるので帰れないということで、妻が郵便局に復職、下二人が保育園に通いはじめたので家庭生活が一変したこの時期に応援の意味で帰ってきました。「ありがとう!」です。助かりました。】

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【こちらは次女。現在午前中は加工場、午後から自宅で海老虹梁の彫刻が毎日の日課になっています。】

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【私は今日、和室関係の柱の番付に行ってきました。150mm角(仕上げ寸法145ミリ角)の土佐杉の赤味です。乾燥品ですが4mなので結構動かすのに大変でしたが、無事、適材適所に配置できました。いよいよ切込みもも佳境を迎えつつあります。】

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【長女が帰った後も動物への餌あげや草刈りは休まず続いています。まだ保育園にも慣れないので大変です。家族で家のまわりの掃除をしていると、いつも通る農家の人からバナナをもらいました。末っ子ですがしっかり者でもあります。】
posted by 塾長 at 17:50| 建築

2021年08月18日

土佐和紙・壁紙 「住まいる」ニュースに紹介されました。

いつもお世話になっている土佐和紙のメーカーである(有)ハウスシステムさんが当設計事務所を紹介してくれました。ありがたい話です。

先日は壁紙としてではなく、曲がりのある梁「海老虹梁」や反りのある「破風板」の原寸を描くのに必要になった和紙を手当てしてくれました。

これまでも自然素材であるコウゾやミツマタなどを使った手漉きの和紙を購入させていただいています。

直接お会いしたことはありませんが、日本の文化をともに継承、啓発していく者として物言わずとも心は通じていると確信しています。

ハウスシステム様にはご紹介いただき、感謝申し上げます。

ニュースの記事は下記の通りです。

http://www.tosawashi.com/smile/index.html

今回は壁紙ではなく、原寸型紙に使わせていただきました。
鉛筆や墨の付きがよく、丈夫で変形しないので伝統木造住宅の型取りには打って付けです。新しい土佐和紙にの使い方かもしれません。
21日、28日のイベントで紹介する予定です。

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【破風板の反りを原寸板から原寸紙に書き写したもの】

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【型紙を切り取って熊本まで送り、製材所はこの反りに合わせてヒノキ材を無駄なく厳選した。】

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【海老虹梁も同様。設計した曲がりに合わせて棟梁が加工する。和紙は重宝!】

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【伝統構法の象徴「マス組」。これも土佐和紙に原寸を描いた】

posted by 塾長 at 18:45| 建築

2021年04月28日

中国の脅威

沖縄に住んでいると以前住んでいた熊本とは異なり、安全保障問題を身近に感じます。購読中の八重山日報本土版には毎日中国の海警局の公船が何雙、接続水域に入った、領海侵犯したと報道しています。尖閣列島を公然と中国の領土を証明するかのように地形図や海図、歴史書などを公表したりしています。

昨今の中国の態度を見ていると日本に手を出させるように挑発しているのが分かります。米軍基地があるから抑止されていますが、いなければアッという間に奪われるのは目に見えています。
その後は台湾、沖縄が狙われることでしょう。

中国共産党の非道なやり方はウイグルや香港などの例を見るにつけ、恐ろしい人権侵害の常態化です。自国民の人権を奪い命まで搾取する国がすぐ近くにいることを思うと不安が募ります。また、人権侵害にあっている多くの方々をどうして国連が守れないのか、国連の無力さを思い知らされます。

国内は野党も報道関係もスキャンダルや何でも反対のオンパレードで、実にくだらない。政府の悪口ばかりで武漢ウイルス対応に国を挙げて対応しようという姿勢が全く見えません。

我が家にはテレビはありませんが、たまに車に付いている小型TVをみると、無責任なコメンテーターが行政批判、バラエティーに至っては平和ぼけと言われてもしようがないほどの低俗番組を各局が競って流していました。

一方では旭川市の女子中学生がいじめで零下17度の川に飛び込まされ後自殺した悲惨な事件が発生しました。これは氷山の一角でしょう。全国にはいじめや虐待でつらい目に遭っている人たちがたくさんいると思います。

自己中心、人間中心の価値観が戦後の日本にはびこっています。今の日本はまたまた高学歴時代になりましたが、世の中で大切なことは学歴ではなく自分以外の命やモノに対して優しく出来るかどうか、お金だけではなく人が困っているときどうやって手を差し伸べられるかではないかと思います。

日本人は義理や人情で生きてきました。最近は打算が多いような気がします。大きなことは言えませんが、せめて我が家では日本人の心を継承していきたいと思います。

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【日本の伝統建築技術を沖縄でもつなぐための木造住宅を設計しています。これは大工さんの描いた原寸図を確認しているところ。屋根の反り具合を3度にわたってやり直した後の確認です。】

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【私の描いた図面から大工棟梁の中村さんが各通りの架構図を書いています。30通り分を書いています。】

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【作業場横の木材置き場の空き地で第10子の「心然」(2歳)がバギーのストッパーを外し、第7子の「万然(ばんねん)」を押しています。】

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【ヒノキは熊本から送られてきました。全体で150立方メートル以上木材を使います。その内の5分の1です。梁に使うヒノキの丸太はなるべく曲がった木をお願いしました。今はまっすぐな木が主流で、曲がった木はチップになるとか?自然の木の使い方を誤っていると思います。】

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【宮大工見習いで社会に入った次女の亜和(あや)。第2の木材置き場を糸満市に作り、荷下ろしをしたときクレーン車に合図をしているようす。(上)木材の検収(中)。丸太の皮むき作業中(下)】

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【現場のようす。型枠入れと配筋状況。基礎を見るだけでも複雑で難しい現場です。】

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【新社会人になったあやに続くように、25日妻が新古車を購入しました。1台では第9子の幼稚園児(わかみこ)と第7子の特別支援学校児の万然の送迎と私の仕事が時間的にかぶるからです。彼女はいずれにしろ11月から郵便局に職場復帰することを考えると必要不可欠な選択でした。これで草刈り用の軽のボンゴと合わせて4台になります。税金や保険料がたくさんかかりそうです。】

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【最近は現場や作業場、自宅での施工図描き、他の施工図のチェック・承認、専門職の見積り・査定・発注、打ち合わせ、私的には「さい帯血による再生医療の制度利用」などをスタートさせたのでオーバーワーク気味です。設計監理以外の仕事もたくさんあります。なんとか連休まで体と心を持たせたいと思っています。家の草花に集まるアゲハチョウやオオゴマダラなどの蝶の来訪に心を癒やされます。】
posted by 塾長 at 20:07| 建築

2020年02月21日

「細部から文化が見える」連載 第29話 通潤橋A本体

本日のタイムス住宅新聞に連載中の「細部から文化が見える」の第29話が掲載されましたので転載します。

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石橋シリーズの5回目で通潤橋では2回目の記事です。
今回は水路に続き石橋本体に秘められた先人の知恵と技から見える地域文化を紐解いてみました。
次回はその延長で、通潤橋を含めた「通潤用水」について検証します。
posted by 塾長 at 09:47| 建築

2019年12月20日

連載第27話「岩永三五郎」と首里城復元に思う・・

本日、沖縄タイムスの副読紙である「タイムス住宅新聞」に連載中の「細部から文化が見える」の27話「岩永三五郎」が掲載されました。石橋シリーズの第3弾です。

前回までは沖縄や日本での石橋文化の総論的なこと書きましたが、今回から具体的な内容になります。
建築とは少し離れるようですが、実は石工と大工は表裏一体です。今後の記事で明らかになっていきます。

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さて、首里城の火災について、つとに考えることがあります。ひとつは原因がまだ究明されていないのに那覇市や沖縄県、報道各社が寄付を募ることです。

約30年架けて復元された首里城は本年1月に完了。その直後の本年2月、国から管理・運営を移管された県は、(一社)沖縄美ら島財団にさらに委託していたとはいえ県には大きな責任があります。国民の税金を使って再建された本殿以下の建物の所有権は国です。国から預かった貴重な財産を一夜にして灰にしました。雷が原因の火災ではないので人災です。熊本地震(天災)の時の寄付金とは訳が違います。その県が火災直後から民間に寄付を募ったり、管理・運営を移管してくれた国にすぐにお願いにいく行為は不謹慎だと思います。まずは原因の検証と反省でしょう。

また、寄付金を新聞紙上で大きく紹介することにも違和感があります。使途も決まっていないのに小学生がこれまでのお年玉を寄付した話から数万円〜1千万円単位で寄付する企業名を写真入りで大事な紙面を使い毎日何件も紹介されています。対応する行政の長も、もったいない時間を費やしています。
日本での寄付とは元来、匿名で慎ましく渡すものと思っています。赤い羽根や自然災害の地震や津波での被災応援の個人募金はみんな匿名です。
企業や団体、個人が堂々と名前を出して、行政の長を相手に寄付金を贈呈する記事を見ると売名行為にしか見えません。もっと謙虚な寄付の仕方があっていいのではないのでしょうか。

最近は学校でも「寄付は自由」と言いながら、寄付した子どもの名前を書かせていました。これでは寄付どころか「徴収」と言わざるを得ません。

百万円、1千万円単位で寄付する先は、正月を控え経済的に苦しむ人たちを優先すべきです。それにしても、沖縄経済は本土に比べたら厳しいと言いながら、よく大金をだせるなぁと感心してしまいます。

徐々に火災時の管理体制が判明してきました。もともと全部木造で造られた首里城内でイベントすること自体が問題だと思います。しかも分電盤の電源を切っていたとか、本殿のコンセントから夜間照明用の電気を引いていたとか、警備員が眠っていたとか・・・ずさんな県の管理が浮き彫りになりました。

県は首里城をなるべく早く再建したいと言っていますが、いつの時期の首里城で再建するつもりなのでしょうか?首里城は今回の火災で5度焼失しました。
琉球王朝が誕生した1429年は日本では室町時代。当時の瓦は中国や日本から運ばれたと思われます。「大和旅のぼて・・・瓦買いにのぼて・・・」との記述。(おもろそうし)「冠木門」(田邊 泰著)
註:沖縄戦で焼失前の首里城のカラー映像では瓦は赤ではない。(米国立公文書館)

そうなると赤瓦での再建ではなくなります。昭和17年発行の「琉球」−建築文化−(伊藤忠太著)に挿入されている写真では、外壁も焼失した朱色の総漆塗りには見えません。伊藤忠太博士(東京帝大)が首里城の解体寸前に「待った」を掛け、その後国宝に指定し保存された以前の姿なのか、それよりさらに以前の創建当時の姿なのか。(基本的には創建当時の首里城に復元すべき、と考えます。)

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【「琉球」−建築文化−」(伊藤忠太著)から引用(昭和17月11月7日発行)】

沖縄戦では、首里城下に地下壕があり(日本軍第32軍司令部壕)歩行不能になった重症者約5000名が自決した魂が眠っています。一方では琉球王朝の圧政(人頭税の取り立て)で宮古・八重山の人々は「人減らし」で苦しんだ歴史を持っています。
このような歴史の上に豪華絢爛の派手な建築物を復元して足で踏む施設を造ることに、なんとなく心情的に抵抗を感じます。防災管理など科学的には原因究明をおろそかにすると同じ運命をたどるのではないかとか、心配しています。

首里城は日本と中国(シナ)の建築技術が入った珍しく貴重な建物です。しかし、世界文化遺産の城(ぐすく)群の対象は「建物」ではありません。近くの中城も今帰仁城も、どこのグスクも建物はありません。

首里城復元に反対しようとは思いませんが、今一度どの時代の姿に復元したいのか、その意義は何なのか、よくよく考えて計画してもらいたいと願っています。
posted by 塾長 at 12:52| 建築

2019年10月18日

連載第25回(10月)「400年前の自動ドア」

「細部から文化が見える」の連載、25 「400年前の自動ドア」が掲載されましたので、添付いたします。

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今後数回、石橋文化について書き込みたいと思っています。

TKU(テレビ熊本・郡司様)、熊本市富合町まちづくりセンター、熊本市の関係者の皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。
posted by 塾長 at 16:08| 建築

2019年08月16日

新聞連載第23話 「わび・さび」(京都編)

「粘りの熊工」も3回戦では通用しませんでした。5:6で負けました。
野手のエラーと投手交代の采配ミスだと思います。やっぱり、熊工は後攻が似合っています。

さて今日は、タイムス住宅新聞の連載掲載日です。今回は前回に続き「わび・さび」ですが、京都編としました。今の日本人、とりわけ沖縄の住まいに「わび・さび」を求めるのは無理かもしれない、とい悲観的な見方をしています。今後この地はどうなることか?ご参考までに、添付いたします。

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posted by 塾長 at 10:09| 建築

2019年03月16日

連載18「宙に浮く心柱〜御魂を守る文化〜」、「パネル展」「講演会」の案内

忙しくて発刊日より遅れて連載記事を掲載します。
今回は「宙に浮く心柱〜御魂を守る文化〜」。最近はこれまで以上に「建築は従」と思っています。環境教育も人格形成のひとつの手段として位置づけしています。つまり、環境教育や建築を目的化していません。年を重ねるとともに、人生観は微妙に変化していくのだな、と思います。

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【平成31年3月15日付けタイムス住宅新聞連載(毎月第3週の金曜日)18話「宙に浮く心柱」のコピー】

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【沖縄タイムス北中城村での記者会見の様子の記事と林間学校、パネル展の案内】

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【タイムス住宅新聞のニュースで3月31日の宙に浮く心柱の公開と講演会案内を掲載した記事】

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【先日産まれたウサギの赤ちゃんが離乳期に入りました。5羽のうち、まだ乳離れしていないウサギの子たち】

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【離乳してセンダングサを食べるウサギの子たち】

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【隣の部屋ではまた新たな命が誕生。6羽いると思われますが、今は人のニオイを移せないのでさわって確認できません。今しばらくの辛抱・・・。しかし、生きものはみんな小さなうちはかわいいなぁ。】

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私事で恐縮ですが、長女は千葉大学に合格しました。北中城中学校出身の朝之君が九州大学、由菜さんが東京外大に合格して、ともに卒業した球陽高校の張り出し看板に氏名が掲げてありました。
長女・依奈は県外進学大学生支援事業(給付型奨学金)の枠、25名に球陽高校で唯一通っていたので、「親孝行」です(?)。
ついでに先日の高校入試で長女を追うように三女が球陽高校理数科に合格しました。同じ高校の同じ科の先輩・後輩になります。ともに、健康に留意して社会のためになる人材になってほしいものです。

なお、18日から始まる北中城村役場でのさい帯血「パネル展」で、活動への賛同者の署名をお願いすることにしていますが、時間が合わない方や遠方の方には下記のメールアドレスで受付をいたします。

さい帯血による再生医療への理解と、さい帯血のきょうだい間投与を推進する活動にご賛同される方は、どうぞ下記の専用アドレスにご氏名、ご住所をお知らせください。情報を他に漏らすことはありません。
よろしくお願いいたします。

nuchiyuruyan@yahoo.co.jp
posted by 塾長 at 10:29| 建築

2019年02月15日

第17話「ご破算(ごわさん)の文化」と熊本講演の記事(沖縄タイムス)

タイムス住宅新聞で連載中の「細部(モデュール)から文化が見える」の第17話が掲載されました。今回は、熊本での講演会でお話した内容と少しだけ重なる部分もあります。文章の最後の方の下りです。

なお、平均加速度・同近似曲線のグラフの説明中、「・・第55回中部地区児童・生徒化学作品展・・」のところ「化学」は「科学」の誤りです。訂正いたします。

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【2月15日付けタイムス住宅新聞 20面21面見開き記事を縦ページに編集】

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【沖縄タイムス2月15日付け 22面 熊本講演の様子と、団体名変更の報告記事】
posted by 塾長 at 11:21| 建築

2018年12月21日

タイムス住宅新聞 連載「細部(ディティール)から文化が見える」第15話(捨て身の文化) とLINE開設のお知らせ記事

 師走。今年もあと10日。
今年最後の連載記事が今日、配信されました。
今回は「捨て」の名の付く建築用語から、日本独自の文化を探ってみました。

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以下は、「さい帯血による再生医療推進ネットOKINAWA」のLINE開設の記事です。デジタル技術に長ける古堅副会長がLINEの紹介をされています。
LINEを使う情報環境にある方で、さい帯血移植に関心の強いお方は、どうぞ訪問してみてください。
私のHPより詳しい情報が掲載されています。

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今年もですが、実に内容の濃い1年となりました。あと10日も、とても忙しい日々が続きますが、どなたさまもお体にお気をつけて、年末をお過ごしください。

24日に心然の日明き祝い(30日)、25日までに環境カウンセラーの環境保全活動表彰の審査申請、28日までに沖電の沖縄県青少年科学展へのデータ記入(三女の作品)などがあります。

今日も午前6時前の暗いうちから、家族でエサあげをしました。
盆も正月も関係ありません。台風時も大雨の時も、動物たちは待っています。

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【まだ暗いので、六女の「わかみこ」は四女の「さわみこ」が手をつないで急で凸凹の階段を下ります。】

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【裏山のイノシシ用に草を刈る「わかみこ」(2歳)。カマもハブも怖い。】

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【終了後は、タチガー(名水百選のひとつ)下の池で手を洗います。】

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【家に帰ってきたら、入り口にあるお地蔵さんの前を竹ホウキで掃きます。】

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【昨日、郷里の熊本から着いた「ゆず」。昨晩は家内が甕(かめ)で作っている白菜漬けにかけていただきました。子どもの一人が「これぞ、日本の味!」といってパクパク食べていました。生まれて間もない心然は私が毎日ヒノキ風呂に一緒に入ります。明日はは冬至なので、「ゆず」をいっぱいお風呂に浮かべた「ゆず湯」に浸かりたいと思います。】

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【最近、めっぽう目つきが鋭くなって男らしさを感じる心然。目が透き通るようにきれいです。TVのない我が家でこのところ人気のDVDは「今日から俺は」。ドラマの中の「伊藤ちゃん」のような正義感たくましい男になってほしいと、ひそかにみんな思っているようです。】
posted by 塾長 at 12:22| 建築

2018年07月04日

津嘉山酒造所 保存修理完了祝い!

 平成23年から始まった名護市にある津嘉山酒造所施設の保存修理工事が完了し、6月30日、お披露目とお祝いがありました。
 昭和2年から建設工事が始まり、昭和3年に完成と年表にありましたが、工事中に見せていただいた棟札には「昭和七年 旧五月吉日上棟」と記されていたので、完成はおそらく昭和8年以降と思われます。
 修理に要した工期も6年の予定が7年かかり、工費も4億円の予定から9,000万円ほどオーバーしたようですが、平成21年6月30日の重要指定文化財に指定されてからちょうどまる9年の平成30年6月30日に修理が完了しましたことになります。完了祝賀会の前に見学する機会があったので見せていただきました。昭和初期の酒造所兼住宅の木造建築が再生されていました。個人的には、修理途中の段階で見学した時の方が印象が強く、完了後はこじんまり納まった感じがしました。どうしても、建築士としての視点になってしまいます。
 それでも一時期米軍に使われたり、酒造りを一時中断したりしながらも生き続けた昭和期の建築が再現されたことには大変うれしく思います。
 今後は国の文化財として、多くの方々の目に触れて、激動の昭和史を思い起こさせる施設として永く後世に遺ってほしいと思いました。

 以下にその様子を簡単に紹介します。

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【酒造所入り口の門。一部、修理を施した。玄関は入って右手にある。工場が主体の感。】

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【住宅にはお母屋のほか、従業員の休憩所や離れもある。】

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【洋小屋組みと和小屋組みの合わせ技。手前が工場、奥が住まい。左に麹屋がある。】

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【壁に組み込まれた無双窓】

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【「離れ」まで通じる回り縁側。手前は8畳の座敷。壁は木ずり下地の漆喰。一間は柱芯で6尺4寸のグリッド。】

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【8畳の座敷にある床の間、床脇、付け書院。天井は敷き目板の目透かしの張り】

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【場所を移して祝賀会の様子。お祝いにかけつけた渡具知 武清名護市長。場所違いだったが、さい帯血による再生医療に挑戦することを明かしたら、理解していただき、途中退席時に家内に激励の言葉をかけてくれた。優しい方だった。】

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【久しぶりに会った文化財建造物保存技術協会の田村さん。現在、群馬県で同じような文化財関係の仕事をされているらしい。】

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【津嘉山酒造の代表社員、瑞慶覧 實さん。修理費の5%は持ち主負担と聞いた。厳しい経済事情もあったろうが、この日を迎えて大変嬉しそうだった。これからは国の文化財なので、誇りをもって保存してほしいと願った。】

 さて、これからは家庭の話。

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【中1の長男・朴然は、週6日ラグビークラブに通って鍛われています。体も一段と大きくなりました。6月30日、初のタグラグビーの試合。まだ、正式のラグビー試合には出られません。3チームのリーグ戦で彼らの「合同チーム」は2勝1敗の2位でした。(ボールを持っているのが朴然)】

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【応援に行った妹二人組は、試合前、初めて見た会場の沖縄市陸上競技場のトラックで走ってみました。】

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【4年生の「こはづき」は、結構、ラグビーボールに慣れています。】

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【完全無農薬の稲も徐々に育っています。白くて小さな稲の花がつき、やっと穂が膨らみ始めました。】

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【万然が通っている特別支援校からいただいた熱帯スイレンの花が咲きました。】

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【やんちゃな2歳の「わかみこ」ですが、完食は上手にできます。一粒、一滴も残さずにポーズしています。】

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【今年は実をつけない我が家の梅の木。しかたなく和歌山から10sの青梅をとりました。毎年家族で梅酒や梅酢、梅干しを作ります。小学校組の二人がお手伝いして梅を洗い、布で拭いたうえでヘタをとります。この過程で雑菌が入ると失敗です。】

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【油断すると、小さい巨人がいたずらします。青梅はしょっぱいだろうに、顔をしかめながらも食べてしまいました。】
posted by 塾長 at 10:07| 建築

2018年06月16日

ホテルライカム(昭和の建築文化)見学会 報告速報!

 本日(6月16日)、北中城村にある築後50年をこえるホテルライカムで「昭和の建築文化」をテーマに見学会を開催しました。(主催:公益社団法人 沖縄県建築士会中部支部)

 ちょうど、台風6号が最接近した午前10時にスタート。雨台風の脅威にもめげず、約30名の老若男女の方々が県内からお集まりいただきました。
 
 趣旨に賛同いただき、貴重な営業時間を割いてご協力いただきましたホテルライカムのオーナーやご親戚の方々をはじめ、主催者の建築士会中部支部、歓迎のご挨拶をいただきました北中城村、ご参加いただきました皆様に感謝申し上げます。

 以下に簡単ですが、速報としてその様子をご紹介します。

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 【台風6号がもたらす雨が降りしきるので、ロビーにて趣旨や特徴をまず説明。ロビーで見学できる人造石研ぎ出しやひさし裏のモザイクタイル貼りなど手作り感を彷彿させる建築技術や木造建築のモジュール(一間を6尺3寸とした平面計画)などを作成した復元図をもとに説明しました。】

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【雨が小降りになったのでこれをチャンスに外で外観デザインについて説明。当初建築の2階建ての部分は、部屋の内部に柱を見せないように設計しているので、外部に柱や梁が見えるデザインになったこと、さらに出窓やひさしを設けたため外部がその分、凸凹になったこと、3階は逆に壁芯を柱の外側に移動したので柱型は消えたこと、しかし、出窓やひさしは残したデザインになっていることなどを話しました。】

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【この後、客室内に移動。オーナーの計らいで2階のシングル2室と3階のツイン1室を開放していただきました。ここは3階のツインの部屋。柱型が出ていますが、部屋の面積は2階より広く、またこの部屋は階段室分を利用した唯一のツインで一番人気。アイドルや俳優が撮影に使う部屋のひとつです。外国人が書いたと思われる壁への落書きも、ここではベトナム戦争などを経た沖縄独自の歴史を感じさせる足跡として違和感がありません。】

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【各室の浴室。36(さぶろく)タイル(1枚のタイルの寸法が3寸6分(約109ミリ角)の団子貼り。モジュールの行く着く先は細部のタイル寸法でした。また、コーナーや上部の仕上げとの見切りには役物(曲線を持つ竹割りタイルなど)が使われており、浴槽も背もたれ付きの大型で洋風になっています。】

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【もうひとつの人気スポット・屋上。大型の鉄製看板や沖縄特有の突き出た柱型などと、周りの風景、自然との関係が絶妙の雰囲気を醸し出しています。あいにくの雨でしたが、熱心な見学者は雨にも負けず、風にも負けず・・・。】

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【客室内の黒電話やラジオ、受付にある電話交換機、ホテル裏にある業務用洗濯機、乾燥機、アイロン台など建築以外の機器も「昭和」を感じさせました。いったん説明を終えたのち、アンケートを書いていただきました。その間、この日のために来ていただいたオーナーのご親戚の方が、建設当時のエピソードを語ってくれました。設計者や施工者のことや当時の社会背景など、これまで知らなかったことを聞いて、さらに奥が深くなりました。見学会のあと、おかげで楽しく解散まで時間を過ごすことができました。】

 雨の中でふつつかな説明を耳を澄まして熱心に聞いていただき感謝いたします。アンケートの回答の中に新聞掲載のタイトルになった「無重力の文化」について、安易に「チャンプルー」に収れんされない奥深さに共感の意を示された方もいらっしゃいました。

 建築士ではない方々は「手作り感、人間味を感じた」、「レトロだけではなく、オーナー以下スタッフの思いやりがありがたかった」などの感想がありました。また、構造劣化への対処、石綿除去などへの課題もありました。

 アンケートから見えてきたことは、今のホテルは人間味が少なく、機械的なサービスであるということでもあります。ただ共通して言えるのは、時代を感じさせる建築物を簡単に解体せずのこしてほしいということでした。何を残すかというと、建築物を通した「沖縄の歴史・文化」ではないかと思います。

 「無重力の文化」を感じさせる貴重な建物「ホテル ライカム」。これからどのようにしてのこすか、今、できることは「国の登録有形文化財」として登録することが先決と考え、職能とかつて住んでいた肥薩線・旧国鉄矢岳駅駅長官舎を登録文化財にした経験を生かして、無償の報酬で取り組みます。

 本日は、ありがとうございました。 
posted by 塾長 at 21:00| 建築

2017年12月15日

新聞連載 第三話「几帳面(きちょうめん)な人」。

 本日(12月15日・金曜日)付けタイムス住宅新聞に、連載「細部(ディティール)から文化が見える」の第三話「几帳面な人」が掲載されました。

 次回は「タチが悪く、ロクでもない」の予定です。

 明日はいよいよ、歩いて登校・・交通安全標語看板の製作活動です。小中学校から約30名の参加があるようです。自分たちの都合で見通しの悪い塀や建物を作った建築士へ反省を促す意味もあります。
 伝統建築技術の応用を子どもたちがどう感じるのか、客観的に見てみたいと思っています。

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posted by 塾長 at 08:18| 建築

2017年10月20日

新聞連載がスタート!

週刊タイムス住宅新聞で新連載がスタートしました。
毎月第3週の金曜日発行の新聞に2ページ掲載予定です。

タイトルは「細部(ディティール)から文化が見える」です。
建築細部に隠された日本の文化を現場写真や図面、絵などを織り交ぜて紹介します。

第1回目は障子、次回はふすま、3回目は几帳面、第4回タチが悪くろくでもない・・・と続きます。

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【10月20日付け、タイムス住宅新聞のコピーです。タブロイド判2ページですが、画面の関係上、上下でつないでいます。連載は「木暮らし」、「生きもの・建もの紀行」、「新木造考」、「木霊のひびく家々」に続き回目ですが、今回は視点がまったく違います。伝統構法に秘められた日本人の技・文化を細部(ディティール)から見ていきます。】

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【毎年、家内が作ります。日本人は渋皮まで楽しむんですね。】

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【手作りの渋皮煮を食べる第八子の「こだまこ」。】

先日の朴然の自由研究は、毎日新聞社主催の「自然科学観察コンクール」に応募することにしました。応募総数は昨年度、12,500点を超えています。オープン参加なので気楽に応募してみます。
posted by 塾長 at 15:39| 建築

2017年05月24日

白銀比・反射率・・・

日本建築の基本にある「白銀比」や日本人の色彩感の根底にある「反射率」などをまとめた記事が掲載されましたので、添付します。

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【平成29年5月19日付け タイムス住宅新聞より】
posted by 塾長 at 08:38| 建築

2017年04月05日

「日本人の色彩感覚と伝統構法」(建築士会中部支部会誌「紫微鸞駕」への寄稿)

 今年も建築士会中部支部の会誌「紫微鸞駕」へ寄稿しました。
 総会時に配布されますが、経費の関係で写真はすべてモノクロなので、カラー写真の原稿を掲載します。

 レイアウトの関係で、一部変更して掲載します。


1、 建築の基本は「木造」にあり

 鉄筋コンクリート造が主流の沖縄。しかし、設計も施工もいきなりRCから学ぶと、いつかどこかで技術の根拠が見えなくなる時があります。それは、建築の基礎である「木造」をしっかり学んでいないからです。
工業高校や大学、専門学校でも「木造」のカリキュラムが少なく、学ぼうにも学べないのが現実です。だったら社会に入ってから学びましょう。

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【瓦の連なりと重なりが日本の伝統を醸し出す那覇市具志の伝統構法のY邸。】

 建築技術の基本は木造にあります。例えば、住宅を設計するにあたって広さをイメージするのは、木造で使われている8畳、6畳、4.5畳という空間
です。
 木造住宅の階高や軒の高さの目安は、柱の長さである4mか3mの木材の定尺で決めていきます。内法(鴨居の高さ)は2mの定尺内で決めるのが一般的です。

 いまはメートル法が当たり前ですが尺間法が裏にあって、窓の大きさはだいたい1尺(約300o)ごと、木材の縦横の寸法は1寸か5分(約30oか15o)ごとに製材されます。
 例えば、洋間の腰窓は6尺×3尺(1,800o×900o)、和室のひじ掛け窓は6尺×4尺5寸(1,800o×1,350o)、柱は4寸角(120o角)、軒桁は4寸×6寸(120o×180o)、垂木は1寸5分×2寸(45×60o)などです。
また、和室における各部材の寸法や間隔も木割り法でほぼ決まっています。
 基本は使われている柱材の寸法です。鴨居や長押(なげし)の成(せい・高さ)は柱の0.4掛けや0.8掛け、床の間の落とし掛けは鴨居より柱の約2,5倍上げて取り付けることなどです。柱が3寸5分角(105o角)であれば、鴨居や長押の寸法もそれに応じて変化します。

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【H28年度 日本建築士会連合会賞 奨励賞受賞作品。(北中城村仲順H邸)】


 このように住宅のディティール(細部)は古来より定尺や木割り法、尺間法で無駄のないように作り上げられてきました。住宅設計を目指す若い方々は是非、「木造」を学習なされてください。10倍、奥が深くなります。

2、 木造の歴史

 木造の歴史は古く森林が7割を占める日本では約4千年前から木組みが使われており、富山・桜町古墳から貫穴やエツリ穴を持つ部材が発掘されています。
 世界遺産にもなっている奈良・法隆寺五重塔は約1,300年以上も前に建てられた世界最古の木造建築です。

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【唯一神明づくりの伊勢神宮内宮。木造技術・循環システムの原点】

 三重・伊勢神宮は20年に一度の式年遷宮を繰り返し、その歴史は法隆寺と同じです。一方は「長寿」、他方は「循環」をみごとに木造の技術で今に伝えています。同じくらいの歴史でも「仏教」と「神道(しんとう)」の違いが伝え方を表しているように思います。

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【国指定重要文化財・中村家】

 沖縄で一番長く存在するRC造建築は大宜味村にある旧役場で1925年竣工(87年前)ですが、木造では北中城村にある中村家も18世紀半ばの建物なので約280年間前に建てられた住宅です。
 技術と維持管理がしっかりしていれば、木造は長持ちするという証です。普通はこのままこの勢いで技術論に進むのですが、今回はこよなく木造を愛する技術者として別の角度からみてみます。

3、 肌の色と反射率

 なぜ、これほどまで日本人が木造に親しみを持つのかというと、実は肌の色に関係しているのかもしれません。
 海外に行くとわかると思いますが、欧米人をラテン系と北欧系の民族に分けると、ラテン系は皮膚が浅黒く、目と髪の色が黒(茶)で体系はずんぐりむっくり、色彩では赤や暖色系を好み、性格は明るく外向的です。
 北欧系は一見して皮膚が白く髪が亜麻色(金髪)で目が青く、体系は背が高く長頭で色彩は青や緑を好み性格は物静かで内向的です。
 赤道に近いラテン系は可視光線の長波長の赤色視覚が発達し、北欧系は短波長(紫・青・緑)に反応する緑色視細胞が発達し、紫外線不足から目が弱い人が多いとされています。
 では日本人の色彩感覚はどうか?平均して彩度の高い純色は敬遠され、ややくすんだ色や中間色が好まれます。

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【我が家のおせち料理の食器】

 日本人の衣食住は比類のない歴史と伝統によってつちかわれてきました。衣服では能衣装をはじめ、呉服の色は華麗な振袖から地味な紬(つむぎ)まで、食においては懐石料理からおせち料理、寿司まで食器で味わいます。
 住では神社仏閣から数寄屋造りの茶室にわたって住まいに取り入れています。
 その背景には四季の変化や花鳥の美しさ、水の清らかさなどがあります。日本人の色彩感覚は「その色」を見せるための「捨て色」の使い方が上手といえます。衣食住のどの分野でも色は色相、明度、彩度を抑えています。
 例えば、茶器の渋さと帛紗(ふくさ:茶の湯で茶碗をふいたり茶器を鑑賞するときの敷物)、茶室と和服の関係です。
 そこで考えられるのが反射率。日本人の色彩感覚は反射率50%が基準であること。反射率50%といえば無彩色では障子紙、ふすま紙、漆喰など。色がつけば木綿や麻の生地、畳表、そして杉やヒノキなどの木の色。
それらは「その色」を引き立たせる「捨て色」として機能しています。極めつけは肌色そのものが反射率50%であることです。
 日本人にとってベージュ系やラクダ色が似合うのは、色相が肌色に近く、同系色の調和で抵抗なく受け入れられているからでしょう。
 日本女性の和服姿が美しく映えるのも反射率50%の肌色が反映しているのかもしれません。

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【内装の舟底天井・障子紙・ふすま紙・畳・漆喰壁も反射率50%の黄金律。Y邸】

4、 沖縄の色彩感覚と木造

 さて、沖縄の色彩感はどうでしょうか?本土より赤道に近い沖縄では赤色視覚が発達しているので、可視光線でいうと長光波の赤色・橙・黄などの暖色系が好まれ、性格も率直で外向的と考えます。
 RC造、木造に限らず赤瓦を葺くのもその表れかもしれません。外壁は一般に白色系かベージュ系。本土より日差しが強いためか昼間でも照明を点ける家庭が多く、外の強い光とのコントラストを和らげるため明度の高い内装が多いように感じます。
 つまり、日本的な色彩感覚を持つが若干亜熱帯的色彩感覚が入るように思います。

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【木材(杉・ヒノキ)は反射率約50%那覇市具志のY邸(腕木による持ち出し)】

 しかし、全体的には肌の色を基調とする反射率50%の黄金律は変わらないように思います。
 一般的に木造は温かみがあり心身にやさしく、循環型素材のため環境負荷が少ないとされます。
 ただ、沖縄ではシロアリ被害や台風、技術者・木材の不足など不安要素が先行して流布されているので普及させるには並大抵な努力では達成しません。
 しかし、こと、色彩感覚の視点から考察すると、いちがいに沖縄にふさわしくないとも言えません。外の光が強い分、やや暗く感じるかもしれませんが、昔の木造家屋を見ると、どちらかといえば夏の日差しを避けるように寝床は北側に寄せている家が見受けられますが、これは地域の知恵と考えます。
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【反射率の低い透明ガラス、フスマの縁や帯・畳のヘリ、障子の桟が、捨て色で引き立つ。那覇市具志のY邸】

 稲作が盛んだったころは、稲刈り後のワラを畳床に使いました。瓦の葺き土や土壁にも切り苆(すさ)として使いました。木材も土も地元の自然素材を使い、耐用年数が過ぎればまたもとの自然に戻しました。地元で栽培されたお米のご飯をたくさん食べ、米以外の残ったものを生かす暮らしのシステムと、住まい全体が循環システムに組み入れられていたように思います。
 先日、重要文化財になった名護市の津嘉山酒造の修復工事に行ってきました。屋根の葺き替え中でしたが、その葺き土の中には切ワラを1か月ねかせたスサが入っていました。
また、伝統構法で使うのは石、土、木、草、水などの自然素材が主な材料です。
 骨組みに金物を使用していないので解体しやすく、さらに使用材料が「多量少種」なので分別しやすくなっています。

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【土・わら(草)・竹・木・・どれも自然素材で大量少種(津嘉山酒造修復工事)】

 伝統構法に工業製品として使用する材料に「ガラス」がありますが、西洋のガラスと日本のガラスは、そもそも発想が違います。
 西洋のガラスは壁が透明になったもので、日本のガラスは明かり障子が木製のガラス窓になったもの。同じガラスでも紙の進歩と壁の進歩では大違いです。
 日本の木製ガラス窓に使われる並厚(2o)のガラスは顕微鏡実験や標本に使われるプレパラートガラスに転用できるほど薄いものです。

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【窓は西洋では壁の進歩。日本の窓は紙貼り障子から発達した。だから極薄2oのガラスが入る。(北中城村H邸】

5、 これからの住まい

 長い年月によって淘汰されてきた日本の木造技術と文化。木造以外の工法にも応用されるのは結構ですが、木材に限らず、木造で使用されている土や草は呼吸していて、いわば生きものです。木材を同一強度が前提の鉄筋コンクリート造や鉄骨造のような利用の仕方は、いただけません。
癖のある材料を見極め、適材適所に生かしていくのが技術者の力量です。
 これまでの住宅は快適便利な暮らしを求めて「少量多種」の材料で作られてきました。一方で強度を高めた材料も使われてきました。しかし、これでは、解体時分解しにくい、分別するにもコストがかかる、自然に戻る時間がかかりすぎる、再利用しにくいといった弊害があります。これからは、「頑丈だけれど解きやすい」、「自然に戻すコストと時間がかからない」という家づくりに方向転換したほうが良さそうです。その意味において、伝統構法の存在価値は大きいと思います。

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【昭和7年建築の津嘉山酒造の小屋組】

 伝統構法にあぐらをかくことなく、さらに知恵を絞って家の長寿化と分解しやすさを研究、実践していきたいと思っています。
 きっとそれが住まい手の長寿と地球環境への環境負荷低減にもつながると確信しています。
 
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【海老虹梁(えびこうりょう)と三つ斗組(みつとぐみ)を取り入れた伝統構法の住宅。(那覇市首里崎山町のI邸)】
posted by 塾長 at 08:07| 建築

2017年02月26日

重要文化財・津嘉山酒造修復工事の見学会!

2月25日(土)、「伝統建築『これから』研究会」の活動の一環として、2,009年、国の重要文化財に指定された津嘉山酒造の見学会に行ってきました。津嘉山酒造は昭和3年(1,928年・築後89年)に建てられた工場兼住宅です。

私たちが沖縄に定住する前に3年間住んでいた旧国鉄矢岳駅駅長官舎は、明治42年(1,909年・築後108年)。歴史的には30年ほど先輩格ですが、戦前の木造建築工法で赤瓦がのる工場兼住宅の津嘉山酒造の建造物は戦火を逃れて今に残るのは「貴重!」の一言です。

この日は、改修工事として最後の見学会になると聞いたことや、瓦職人さんの講演、総会、その後懇親会もあるということで出かけることにしました。
急なことや遠いこともありましたが、小橋川副会長は参加されました。見学会の現場で顧問の琉球大学カストロ先生の教え子たちとも会いました。構造の研究をしていました。

見学会その他の感想は、写真説明の中でします。

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【この日はかかとに激痛が走り、とても歩ける状態ではありませんでした。急きょ、朝から病院に行き検査、患部に痛み止めの注射打たれ気絶しそうになりました。痛み止めの薬を飲んでそのまま名護に向かいました。修復工事の見学会には約30名ほど参加されていました。雨の影響が出ないように建物全部が仮設の屋根で覆われていました。さすが、国の重文の修復工事は違うなと思いました。】

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【古い瓦は再利用】

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【瓦には番号が打ってあります。これまでも石橋の復元や移転などを見てきましたが、同じようにすべて番号が打ってあり、元通りに組み直します。】

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【沖縄には珍しく、住宅部分には左官による塗り壁があったようです。】

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【説明をする文化財建造物保存技術協会の田村さん。柱間隔と内法高さを質問すると、それぞれ6尺2寸、5尺8寸のようでした。】

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【工場の小屋組みは、トラス式の洋小屋】

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【住宅部分は、和小屋】

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【麹屋は小屋組みが一番興味がありました。和洋折衷のいかにも麹置場の用途に合わせた工法でした。(耐震補強も含めて・・・)】

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【第二部は瓦職人さん・前原 和夫氏の講演会。演題は「琉球建築の屋根−シマジラーのこと−」。復元工事に必要な不足の赤瓦を古式の桶まきづくりで製作している職人さん。一通りの説明があった後。質問形式で講演が進んだので、聞きたいことをいろいろ質問させていただきました。】

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【シマジラーとは棟の両端の鬼瓦部分。卵型と小判型があるようだ、卵は子宝、小判は金持ちの意味があるかも?と推測されていました。そのほか、高強度、高圧で規格型の現代の瓦は馴染みが悪い。手作りの瓦は不揃いだが、馴染みがよく、少々のすき間にホコリやコケなどが詰まって雨漏りはなくなりとおっしゃておりました。これこそ「柔構造」。】

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【講演の後は、沖縄にしか残っていないとされる手作りの「桶巻き」の瓦づくりの実演。】

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【ロクロに張った粘土を回しながら仕上げます。中を抜くと、出来上がり。】

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【ご本人が「一瞬ですからしっかり見ててよ!」といった瞬間、円筒状に形成された粘土が四分割されました。本当に、あっというまで、直後ため息に似た歓声が上がりました。】

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【実演のあと、体験者を募られました。同行した長男・朴然が手をあげ、挑戦しました。微妙に先が細くなる桶巻き。師匠の指導のもと、緊張しながら作業しましたまわりには、お手並み拝見のギャラリーがいっぱい。】

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【がんばって仕上げる子どもへの師匠の心遣いか、「刻印していいよ!」いわれ、名前を彫るボクネン】

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【無事終了して緊張感が緩んだのか、やっと笑顔が出ました。木炭づくりの自由研究の延長にある古来の瓦づくり。初体験はいい経験になりました。前原さま、大変お世話になりました。】

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【実演のあとは総会。その後、懇親会。「津嘉山酒屋保存の会」の岸本会長、津嘉山酒造の津嘉山社長・幸喜工場長、金城建設の金城代表、市文化協会長の大城さま、建築士会の西里会長、北部支部の大城支部長、前述の前原氏、名護市教育委員など多くの方々と交流できました。私にも発言を求められましたので、「津嘉山酒造の建物は津嘉山酒造の財産・誇りですが、名護、沖縄県、日本の宝です。重要文化財の保存の維持管理は経済的にも負担がかかります。もっと建物だけではなく、文化性をアピールすることも大事。多くの人たちに理解・周知していきましょう!」と言いました。
今回のイベントを企画された「津嘉山酒屋保存の会」の皆様に感謝申し上げます。また、当「伝統建築『これから』研究会」は、現存する伝統的建築を学ぶとともに、これらの構法をもっと進化させていきたいと思いました。「これまで設計した」、『これから設計する』伝統技術が全部、「文化財」の価値として後世評価されるように・・・。】
posted by 塾長 at 09:44| 建築

2017年02月21日

「伝統建築『これから』研究会」の発足式!

2月11日、「伝統建築『これから』研究会」の発足式を行いました。

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【初会合には、設計・大工・教育などの立場から、建築士、大工技能士・職業訓練指導員・大学教授・国の重文・中村家の12代当主中村様などが参加されました。また、伝統的な技術で建てた家の施主(全国レベルのコンペで受賞した住まいに住む方々)もオブザーバーとして参加願いました。
伝統建築の課題と解決として、伝統建築の仕事をしたい、伝統建築のメンテナンス不足、住んでみてわかる長短所、後継者確保のための今後の対応などを話し合いました。
伝統構法の継承のため、各分野の情報を一元的にとらえた研究会を今後とも充実していきたいと思います。】

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【これまでの伝統的な建築の技術や意義をスライドで説明しました。】

研究会の立ち上げのきっかけは、先日、今回副会長になられた小橋川さんの来訪です。伝統建築の仕事をしたいが見つからず、インターネットで検索するうち私にたどりついたという訳です。

小橋川さんは私と同じ一級建築士ですが、「大工」が仕事の中心で、「一級大工技能士」であり、沖縄県の「ものづくりマイスター」にも登録されている方です。
話しを聞けば、県内の施工会社をあちこち当たったけれど、どこもいまいちで、カンナ掛けひとつまともにできない大工さんが多く、ほとんどがプレカット工場でできた加工材を現場で組み立てる方法だったそうです。

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【立派な仕事をするには立派な道具が必要。小橋川さんが持参されたのは名工・碓氷健吾氏(故人)とその弟子・ 船津 舟弘氏製作の鉋(かんな)。】


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【鉋(かんな)かけする小橋川さん。】

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【研究会の案内チラシの上に置くと、かんなくずから透けて字が見える。鉋屑とはいいがたい。まさに「芸術品」】

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【子どもたちも体験。鉋くずが出るたびに「お−ッ!」と声が上がる。周囲にヒバの香りが漂う。】

沖縄県も木造の住宅が増えつつありますが、そのほとんどは住宅メーカー製。手刻みによる木組みは限られています。

話木造建築を進化させることを目的とした活動を実践することになりました。話し合いの結果、伝統的な建築を次世代に伝えるため研究会を立ち上げ、後継者育成を念頭に沖縄にふさわしい

木造建築を進化させることを目的とした活動を実践することになりました。

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【表面がツルツルに仕上がったヒバの木。集成材や合板ばかりの現代の仕上げ材。けずればベニヤが現れる。伝統建築を残せば、道具も残せる。つまり、伝統的な建築の疲弊は、日本文化の衰退。】

伝統構法は乳児期、幼児期を含め、子育て環境にいい影響を及ぼす、循環する素材なので環境負荷は小さい、そして何といっても世界一の木の文化「これから」先の世代に伝える義務がある、との認識で一致しました。

「木の文化はすなわち、「日本の文化」でもあります。木の癖を見極め、適材適所に活かすことなどは、人間社会でも通用します。
また、相手が「命あるいキもの」なので、粗末にすることはなく、やさしく接することになります。

様々な利点があるにもかかわらず、伝統的な木造建築が敬遠されたのは、建築業界にも押し寄せた規格化・機械化・数値化の波でした。商品化された住宅は効率化のもと、低価格、工期短縮の憂き目にあい、現場からカンナやノミが消えていきました。

国の方針も影響がありました。昭和25年制定された建築基準法は自然の力に対抗する考えが底辺にあります。その後も高気密・高断熱の流れが住宅建設に取り入れられ、住まい手も自然からだんだん遠のいていきました。自然の恵みと脅威は表裏一体です。そんな自然をいいとこどりして、スイッチひとつで室内環境をコントロールするという人間中心主義が蔓延しています。もっと自然と共生し、自然から多くのことを学ぶべきだと思っています。

これまでの日本で培われた伝統技術にあぐらをかくことなく、さらに多くの分野の方々の意見や技術を取り入れながら、進化していこうと思っています。

来週土曜日11時より、国の文化財に指定された名護市の津嘉山酒造さんの見学会があるようです。この目で沖縄の伝統建築を見てこようと思っています。時間が取れる方は、どうぞご参加ください。

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【農業も然り。機械化・化学化で省力化されたが、日本の文化や自然環境の劣化が進んだ。さらには健康被害も危惧されている。今年も無農薬米の栽培がスタートしました。】

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【苗床に種もみをまく。】

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【しばらくは育苗箱で芽と根を伸ばします。田植えは今月末か?】


posted by 塾長 at 12:43| 建築

2017年01月30日

近況と「伝統建築『これから』研究会の発足準備!

 大関・稀勢の里が千秋楽で横綱・白鵬に土俵際まで寄られながらも良く残し、逆転勝利しました。日本人横綱の誕生にやっと結びつきました。一番心が熱くなったのは、表彰前の国歌斉唱。大関・稀勢の里はさすが「日本人」。これまでの外人力士とは異なり、はっきり口を開けて「君が代」を歌っていました。
 国技である大相撲。国歌斉唱は観客と心がひとつになります。すばらしい態度。サッカーの国際試合などでも国歌斉唱がありますが、まともに歌っている選手を見たことがありません。
 久々、すっきりした一日でした。これからも優勝を重ねていただき、大いに国歌を斉唱してもらいたいと思っています。がんばれ、稀勢の里!

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【花が咲いた白梅。香りも楽しめます。春だな・・・】

 さて、わが家の梅にも花が咲きました。第九子の「わかみこ」は、昨晩から高熱を出し、今日病院へ行きましたが、インフルエンザではなかったようです。自分自身も先週から風邪気味です。しかし、春遠からじ・・のようです。

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【子どもの頭より大きい晩白柚。約1.5キログラムあります。】

 先週の沖縄は結構寒い日が続きました。とはいっても、最低温度が15度以上ですので、雪国の人からしたら「何を寝ぼけたことを・・」とおっしゃるかもしれません。ところが慣れると、寒い!と感じるものです。
そこで、普段ぜいたくをしない家族のために、今が旬の「晩白柚(ばんぺいゆ)」を熊本の八代の農家から購入しました。
 子どもたちはその大きさにびっくり。そして味に二度びっくり。さらに皮を湯船に入れて「ゆず湯」にびっくり。またまた、厚い皮下を砂糖に漬けてできた「晩白柚漬け」に舌鼓を打ちました。何度も楽しめたので元値はとったようで満足です。

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【「ゆず湯」ならぬ「晩白柚の湯。ヒノキ風呂に浸かる第八子「こだまこ」と第五子「さわみこ」。家族中はいったので晩白柚の香がいっぱいになりました。こころなしか、肌はツルツル、いつまでも温かい気がしました。】

 また、以前飼っていたヤギが寒さで亡くなったので、今度はベランダ下のヤギ小屋の壁のすき間をみんなで埋めました。隙間風が入らなくなったので、少しは暖かくなったと思っていたら、当のヤギはそんな配慮はどこ吹く風。この島ヤギ、ロープでつながれるのが嫌いらしいので、今は屋敷内放し飼い。どこに寝ているかと思いきや、昨晩は玄関前でご就寝。番犬ならぬ「番ヤギ」となっています。

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【「番ヤギ」になった島ヤギの「シーマ」。夜わが家を訪ねる人はさぞかし、びっくりするだろうな?】

 最後にお知らせです。懸案だった伝統構法の継承を解決するために、ひとつの活動を起こすことにしました。団体名は「伝統建築『これから』研究会」。
来る2月11日(土・建国記念日)の午後5時から発足式を行います。伝統構法の設計者、施工者、研究者が集まり、当日はカンナけずりの実演やこれまでの実績のスライドショーも行う予定です。
オブザーバーには伝統構法で建てた建て主様や国の文化財・中村家の十二代当主の中村様になっていただく予定です。技能オリンピックに参加予定の若い大工さんも来る予定です。

以下に、主旨文(案)を添付いたします。(後日、ご報告いたします)

 世界最高といわれる日本の伝統建築技術。しかし近年、住宅建設に関しては規格化・機械化が急速に進み、今ではいわゆるプレカット材による木組みが主流となり、伝統建築技術に秘められた多くの知恵や技が消滅しつつあります。
 伝統構法には木の文化と自然との共生・調和を活かしたが技が生かされています。だから、伝統構法でできた住まいでの暮らしには、日本の文化が備わっています。つまり、伝統構法の疲弊は日本文化の衰退に連動します。逆に伝統建築の継承は日本の文化の継承ともいえます。
 自然の外力を吸収・分散する柔構造。伝統構法の魅力を設計や施工、研究の立場から視座し、ただ単に過去にあぐらをかき保護・保全にだけ傾注するのではなく、伝統構法継承の課題を抽出し解決策を提案し、さらなる伝統構法の進化を図る必要があります。日本をしょって立つ「これから」の人たちに、伝統構法を手段とした日本の文化の継承を目的とした研究会を発足いたしました。
 どうぞ上記の主旨をご理解のうえ、ご協力くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
posted by 塾長 at 20:17| 建築

2016年10月14日

住生活月間 講演会のお知らせ!

 住生活月間における講演依頼が那覇市役所建設企画課からあったので、受けることにしました。

 日時は平成28年10月21日午後3時からです。場所は那覇市役所10階会議室。テーマは「究極の住まい 寝ても覚めても4畳半」としました。

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 【どうぞお気軽にご参加ください。】

 また先日、中部地区児童生徒科学作品展で金賞・銀賞だった亜和(あや)、朴然、さわみこ、こはづきの4人は沖縄県児童・生徒科学作品展に推薦されて審査がありました。

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【中部地区で後藤家の子ども全員が入賞したので、教育長から勧められ村長に表敬訪問。記事は沖縄タイムス】

 その結果、4人全員、優良賞以上の入賞を果たしました。
(あや 優秀賞、朴然 優秀賞、さわみこ 優秀賞、こはづき 優良賞)

 中部地区では銀賞だったさわみこが県では優秀賞に、金賞だったこはづきは優良賞になっていました。(ちなみに優秀賞≫優良賞なので、逆転していました)

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【県の表彰式。いささか緊張気味の「こはづき」。】

 残念ながら最優秀賞は逃がしましたが、来年2月の沖縄県青少年科学作品展(沖縄電力主催)には4人の作品も推薦されるのでまた楽しみです。

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【昨年は最優秀賞。今年は優秀賞。しかし、作品全体が専門家依存、専門機械の使用が進むなかで原始的で素朴なボクネンの研究は、小学生らしくていい!と思いました。】

 出展した作品名
  あや(中2)   「棚田の保水力向上のための研究」
  朴然(小5)   「身近な木を使った災害時の熱源確保」
  さわみこ(小3) 「アリをたいじせず、アリから身を守る方法」
  こはづき(小2)「むのうやくのおこめさいばいと、田んぼのいきものたち」

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【出展した4人組が全員優秀賞、優良賞を受賞。】

 中部地区で銅賞になった麻衣(中1)は、『「透かし葉」になるための一番の条件!!』でした。全員が別々分野の研究でした。

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【表彰式を終え、家族全員で記念撮影。】

 また、朴然はタイムス住宅新聞社が募集したこども絵画コンクール「あったらいいなこんな家」で、「タイムス住宅新聞社賞」を受賞、さわみこ、こはづきの両名も入選したとの知らせが入っています。表彰式は10月16日の予定です。

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【夕食は普段の生活に戻って、ベランダでサンマさんをみんなで焼いていただきました。】
posted by 塾長 at 16:07| 建築

2016年04月26日

木造文化フォーラム(8回目)と現場状況

おはようございます。

木造文化フォーラムと現場の状況をお知らせします。

4月23日(土)午後4時から1時間、木造文化フォーラムを開催しました。
よく調べたら、案内チラシに書いていた第7回は「第8回」の間違いでした。訂正いたします。

フォーラムには19名の参加がありました。ゆっくり解説する時間がないので、写真説明でご理解願います。
また、その後の現場の進ちょくを25日現在でご紹介いたします。
学習会の意義を理解し、現場を提供していただいた施主様に感謝申し上げます。

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【まずは、「空っぽな建築」ではない意味を説明。同じ強度の鉄筋やコンクリートで作るのではなく、生まれも癖も強度もまちまちの木を生かして「組み上げる」木造の奥の深さを最初に話しました。】

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【小屋組の説明。敷桁入りの折置き組は最上級の小屋組。単に沖縄の工法を踏襲するだけではなく、軒の出を深くして壁を守る工夫を説明しました。】

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【同上。皆さんご熱心で・・・。】

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【床組の説明。足固めと土台の二重構造。当然、床組みの剛性は上がります。】

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【石場立ての柱。石口合わせは大変な作業。柔構造には欠かせません。】

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【隅角部の納まり。隅梁が隅角部を固定します。】

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【マス組の説明】

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【上棟式に用いる矢のいわれを棟梁が説明。間竿と使い方や図板の説明もありました。】

これからは、フォーラム後の進ちょく状況です。

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【マス組作業中】

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【マス組完了】

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【彫刻入りの平虹梁】

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【マス組上部の梁には6本の大栓でつなぎます。】

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【海老虹梁の曲線が何とも言えません。世界に冠たる日本の木造技術、隠れた文化を今後も継承していく責任を感じております。】

以上
posted by 塾長 at 09:24| 建築

2015年05月01日

紫微鸞駕(しびらんが)発刊25周年(建築士会中部支部)への寄稿

 私は現在、沖縄県建築士会中部支部に所属しています。
何はともあれ、この支部は愉快な仲間がたくさんいて、機関紙である「紫微鸞駕」をとうとう25回も編集・発刊してしましました。継続は力なり・・・すばらしい支部力です。
 私はもともと熊本県建築士会のメンバーですが、25年前から縁あってこのユニークで活動的な支部に入りました。かつて日本建築士会連合会の理事や青年委員長も経験しているので、全国の士会の実態は分かっているつもりです。そのうえで言えることですが、この会は楽しさ・仲間意識・実績・お酒の強さでは「日本一」と思っています。 
 それでは、25周年記念号に寄稿した文を掲載いたします。

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【沖縄県建築士会中部士会 機関紙「紫微鸞駕(しびらんが)」の25周年記念号の表紙】


                    私と建築士会   
                                        後藤 道雄
1、建築士会活動のきっかけは「御礼奉公」
 私と建築士会のつきあいは、昭和48年の二級建築士合格と同時に入会してからなので、43年になります。その後めざした一級建築士試験の対応は、当時、日本建築士会連合会が企画・編集したテキストを姉妹団体である財団法人日本建築文化事業協会が実務・運営していた「日本建築大学(講座)」でした。建築学の高等教育と人格の陶冶(とうや)の両面を目的としていたので、単なる受験講座ではありません(当時の連合会長、協会理事長ともに松島俊之氏)。
 学費は安いのに教授陣は東大や筑波大、早稲田大などの大学教授をはじめ、郵政官房、鹿島、竹中など施工の実務専門家など他には類を見ない多彩な指導者も魅力のひとつでした。また、一般の建築学に加えて、防災工学、環境工学、日本建築史、東洋建築史、構造特論、仕様、木構造Å・Bなど興味深い教科もありました。だから、ここで学ぼうとした人たちのなかには多くの一級建築士もいました。
 ここを正規3年で卒業できれば、一級建築士試験は楽に合格できるという噂だったので、素直に挑戦しました。仕事の合間に必須の18科目と選択2科目をレポートと春季・秋季試験、年2回の集中スクーリングで単位を取るのは大変でしたが、知らない知識と新しい友人との出会いがあって楽しく過ごせました。

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【当時、毎月送られてきた「学生サロン」の表紙】

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【図面やレポートへの添削、試験の解答、質問に対する解説などが掲載されていました。】

 噂通り、一級建築士試験は、昭和51年、受験番号43(熊本)0001番・1回でパスできました。この時期も現在と同じように総合の合格率は10%前後(12.6%)の厳しい国家試験でした。受験1回で学科・製図の両部門の合格は数%(8.7%)でした。(製図は今と同じように、次年度に再受験の機会あり)
待っていたのは「建築士会への入会」でした。建築士会連合会が開催していた教育活動で合格したのだから、そのお返しをしよう、ということがきっかけです。
 活動は熊本県建築士会の青年部会からスタート。最初は相談委員会に属し、毎週繁華街にあるデパートの5階の片隅で建築相談を担当しました。その後、相談委員長になったころ、地元紙のコラムを相談員4名で受け持ち約1年担当しました。
 昭和59年、下積みの青年部会のころ、熊本で全国大会が開催されましたが、その準備に1年間ほどは追われました。大会当日も一日中駐車場係で県外の誰とも話すことはありませんでした。

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【青年部会相談委員長時代の新聞コラムの一部】

 全国とのつながりはその翌年でした。建築士研究集会(集いの前身)で九州代表に選考され、滋賀大会の第3分科会で(その後近畿の青年委員)今は大阪府建築士会の会長になった岡本氏などとともに発表しました。青年部の共通テーマは「国際青年年に語る」でしたが、私は通信大学の復活も訴えました。

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【「くまもと青年けんちく塾」の開催。「通学路を取り巻く建築環境」の主テーマに合わせて支部活動報告】

2、主体性な活動に着手
 それから熊本県建築士会で青年部会長(2年)、九州ブロック青年建築士協議会委員長(2年)をへて日本建築士会連合会青年委員になりました。
 それまで県青年部会長の選出は前任者の指名で馴れ合い的でしたが、選挙の形で民主的に行いました。公約は「自主的・主体的事業の実施」でした。具体的には「くまもと青年けんちく塾」を開催し、新しく特別事業研修委員会(後の通学路委員会)や環境問題研究会を発足させました。通学路委員会は帯山西小学校を中心に全県の支部で「視点1メートルのまちづくり」を展開しました。その結果、建築士会が地域の団体と協働し、危険個所の是正や潤いのある通学路づくりに貢献しました。特に、熊本市内50数校の境界塀がブロックから見通しの良いフェンスにすべて変わったことはうれしいことでした。
 6年後、通学路研究会の活動は連合会まちづくり大賞のグランプリを受賞、環境問題研究会では県民提案で入賞した新屋敷周辺親水公園化構想に向けて活動。それに対して熊本市が巨費を投じて事業化しました。

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【建築士会と地元がひとつになって活動し、事業化した新屋敷大井出周辺親水公園化構想(一部規模縮小)】

3、改革に失敗はつきもの
 九州ブロック青年建築士協議会委員長になる平成3年、「九州パッション」を創設しました。鹿児島の大迫氏、長崎の山口氏、大分の佐藤氏、佐賀の三原氏などと事前に作戦を練って、新しい地域研修のあり方を模索しました。6月は全国大会選考、2月は交流を目的に開催地を県庁所在地に限らず、かつ、地域の建築文化に触れる内容に切り替えました。
 第一回の「九州パッションin ASO」(メインテーマ:通学路を取り巻く建築環境)には200名の青年会員が貸し切ったSL「あそBOY」で集結しました。合言葉は「九州はひとつ」。沖縄から西山氏と佐久本氏の2名が参加されました。各県紹介も北の福岡県が定番でしたが、南の沖縄県から、また、地域の象徴である方言で自己紹介するようしました。ところが、沖縄の方言はむずかしく、発表した佐久本氏の隣にいた西山氏に全部「通訳」してもらう羽目になりました。
 またこれまで二次会で本音が出る日本の会議の実態を見てきたので、会場入り口で缶ビールを出しました。おかげで和気あいあい、本音の議論ができました。ただ、責任者の私は当時九州ブロック建築士会の会長だった 右田氏から「不謹慎!」とお叱りを喰いました。
 失敗はもうひとつあります。九州各県青年部に依頼して「九州はひとつ」を実感するため地酒を持参して鏡割りを計画しましたが、鹿児島と沖縄は「焼酎」だったので、「日本酒」とのブレンドになってしまい、とてもおいしいとは言えないお酒になりました。

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【地下水保全、非常水の確保、節水が目的の「無数の地下ダム構想」NHK朝のニュースで全国放送される】

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【地元紙(一般紙)の社説に取り上げられた。かかわる仕事の中で2,500トンの地下ダムを民間で導入しました】

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【不要な間伐材を活用した杉合板の開発。開発の結果、熊本県の特記仕様書に「国産材杉複合材」として表示され、以降、県庁第二庁舎新築や県ビジターセンターなどの公共事業の型枠に採用されました】

4、建築士は皆、平等!
 しかし、その後の佐賀大会でテーマを与えず「無題」とした全員参加型のグループディスカッション形式は、のちに「佐賀方式」と呼ばれ、全国大会でも採用されることになります。九州パッションは以後400名規模で推移して20年以上続き、先日、発祥の地・熊本県(山鹿市)で終了したようです。
 九州ブロックでは沖縄は遠方だから旅費がかかるという理由で2月の集いは2年に一度くらいしか開催していなかったのを、「どこを中心に考えているんだ!」と意見し、毎年、九州各県を持ち回りするローテーションを確立したのもこの時です。全員参加もローテーション作りも基本には、建築士会員はみな平等、せっかく時間とお金を使うなら有意義に過ごしたいという考えが根底にあったからです。
 この姿勢は全国の各ブロックから注目されていました。今後の青年部会活動がどういう方向でいくのか、楽しみです。

5、連合会青年委員長(連合会理事)時代
 連合会の青年委員会は7ブロックの代表者14名で構成されていました。その青年委員長に地方(九州)出身者がなることは第3代目にして初でした。(2代目委員長は現・京都府建築士会長・連合会副会長の衛藤氏、委員のうち高野氏は現・北海道会長、足立氏は現・島根県会長)
 連合会の選考委員会で協議され、連合会副会長の中村豪氏から電話連絡が自宅にありました。東京で青年委員会最後の会議を終えて青年委員長選考から年齢等で外れたと思って帰熊したあとだったので耳を疑いました。
しかし、中村氏の「青年委員長は大役で大変だろうけど、生涯を通してきっとやって良かったと思う時もあるから受けて欲しい」の一言で決断しました。東北弁で聞きづらかったのですが、そういう意味のことをおっしゃいました。
 ただ、名誉職で終わりたくなかったので、これまでの建築士会活動で感じたことを実行に移すことにしました。

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【全国大会後の新聞記事の一部】

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【北海道旭川支部での講演後のインタビュー記事】

 青年委員長の仕事は大きく分けて二つありました。全国青年委員長(部会長)会議と青年建築士の集いの開催です。
 全国青年委員長会議では、「応急危険度判定士制度の速やかな実施」を緊急動議で提案し決議しました。また、各県の建築士会活動を後押しする「地域文化貢献賞」を創設して表彰することにもしました。
 一番印象に残っているのは、平成6年の愛媛大会です。全国研究集会を第1回青年建築士の集いと改称した大会。ここでは九州で実践した分散会方式を松山文化会館の29の楽屋を使って再現しました。テーマはシナリオのない「無題」、グループ分けは自由。見ず知らずの「建築士」が自己紹介から始まって、いま考えていることを忌憚なく話し合うというやり方です。参加者はみんな建築士。進行は信頼して任せました。
 このいわゆる「タコ部屋談義」は、常に連合会から与えられたテーマで話し合っていた人たちには戸惑いもありました(賛成60%)が、事後アンケートによると遠方から参加しても一言も発言せず、誰とも名刺を交わさないよりは、新しい「仲間」との出会いや自分が出した議題で話し合いができたことはとても有意義だった(賛成80%)ようです。
 ここでも、会費会員(会費だけ支払って会誌「建築士」を読む活動不参加の一般会員)に対し、何を持って還元できるかが、個人的には課題でした。これは、建築士会員になって以来の永遠のテーマです。
 この後の青森大会までが私の任期でした。分散会方式は継承しましたが、阪神・淡路大震災のあとだったので、防災シンポジウムを実施し、前年度決議し連合会理事会で承認された応急危険度判定士制度の加速度的な促進にまい進しました。

 
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【熊本県人吉市矢岳町を訪ねて演奏してくださった「パパイヤカンパニー」の記事】

6、交流から学ぶ
 さて私と建築士会の関係は、大役を降りても続きました。個人で発刊していた「おげんきですか」という小冊子を平成元年の1月から全国大会などで知り合った人たちに無料で配布していました。B5判8ページのミニコミ誌は「自分と話して気があった人」に送付していました。平成7年7月の65号まで続きました。
 中身は、開発した国産材杉合板の途中経過やくまもとアートポリスへの考え(まちづくり実行委員長)、旅先で思ったことや、環境問題への取り組みなどでした。約3,200部の郵送費や印刷・編集にかかわる費用などがかさみ、途中でインターネットに変えましたが、全国の建築士やそれ以外の友人・知人の感想が届くのが楽しみでした。

7、中部支部との関係
 沖縄に来てさっそく西山氏の勧誘で中部支部に在籍しています。平成4年嘉手納町で講演して以来約23年経ちました。その間、平成11年から空き店舗事業の一環で開店した一芸居酒屋「紫微鑾駕」でも大変お世話になりました。また、熊本県人吉市矢岳町で始めた「林間学校」も現在、沖縄県北中城村に転居と並行して継続し、この春で第26回目を迎えます。
 平成11年には、携帯電話も通じない山奥の矢岳町に古謝氏や現・嘉手納町長である當山氏など7名のパパイヤカンパニーの皆様が来て下さり、三線を片手に「矢岳の森の音楽会」で沖縄音楽を奏でていただきました。沖縄出身の妻は故郷を思い出し、心打たれて涙しました。ありがとうございました。
住居が北中城村、勤め先も管轄外なのにいまだに中部支部に在籍するのは、このようにさまざまな歴史とこころの付き合いがあるからです。
 また、国産材使用合板の開発普及、無数のミニ地下ダム構想、矢岳の家(旧国鉄矢岳駅駅長官舎と井戸)の登録文化財への登録、シンポジウム「死角からの提案」(沖縄県建築士会・21世紀社会特別委員会委員長)、無災害地域と災害地域の技術者の相互支援体制(AEN:アジアエンジニアネットワークシステム・沖縄県建築士会ネットワーク強化委員長)などの建築士としての活動に加え、林間学校や講演などの環境教育を手段とした人格形成活動も同時に行ってきました。

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【沖縄県建築士会での活動。無災害地域と災害地域の相互技術支援システム(AEN:アジアエンジニアネットワークシステム)構想で台湾建築師公会や在沖米軍基地との交渉を行いました。】

8、これから・・・
 現在、仕事は土木コンサルタント業務(技術士:建設部門・総合技術監理部門)と建築の設計監理業務(建築士)を半々で行っています。
 建築では伝統木造住宅に隠された日本の技術秘法や日本的な暮らしぶりを現代社会に生かしたいと思っています。日本の気候は穏やかな中にも変化があります。日本人はそれを全部受け入れて俳句や短歌、華道や茶道などの文化、合気道や居合道などの武道として極めてきました。建築の世界でもかつては自然を敵対視することなく、暑さ寒さをほどほど感じる暮らしを営んでいました。近年の事件・事故を顧みますと、自然を人間の科学力でコントロールしようとする傾向を強く感じます。
 身勝手な事件が発生しないためにも、科学力を少し抑制し、エネルギーもなるべく使わないつつましやかな日本人に、そろそろ帰るべきではないかと思っています。

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【最近の仕事:「龍が昇る家」(北中城村字仲順(ちゅんじゅん)】

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【鏝絵(こてえ)の採用】

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【日本人の心と技術がいっぱい入った伝統構法を残すことを主眼にした設計を今日も行っています。(那覇市具志)】

 最後になりましたが、建築士の資格は技術のひとつです。使い方次第では、100年後、巨大な産廃になったり、文化財になったりします。資格にあぐらをかくことなく、謙虚に社会に対して何ができるか、今一度、考え直す時期が来ているかもしれません。
 また、建築士会は個人の集まりです。資格に上も下もありません。そして、全国に仲間がたくさんいます。私が連合会の青年委員長当時の澤田会長がいいました。「全国大会で記者会見しても専門紙だけ来る。いかに一般紙の記者が参加してくれるか、が建築士会の課題。もっと社会的な活動をしないとね・・・。」
 中部支部会員のみなさま。どうぞ今後は、資質向上や自己満足の業務だけに留まらず、健全な社会実現のための運動体として活躍されること切に希望して、25周年の節目の寄稿とさせていただきます。 

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【「きたなか林間学校」も「紫微鸞駕」と同じ25回目の記録書を発刊しました。気持ちの続く限り、継続したいと存じます。】
posted by 塾長 at 16:16| 建築

2014年04月06日

人生、どういきるか?

 我が家も、子どものいる家庭ではどこにもあるような入学、進級の月を迎えました。上4人はそれぞれ進級し、5番目の「さわみこ」が北中城小学校に入学します。来週から、5人の子どもたちが朝7時すぎ、小・中学校に向けて一緒に出発します。
 次女の亜和(あや)は、新入生の「さわみこ」を、児童会長として歓迎のあいさつをするようです。幼稚園も保育園にも通わせなかった「さわみこ」が朴然同様、どのくらい活躍するか楽しみです。

 見送る側はさわみこが減った分、第八子・「こだまこ」が増えました。親子5人で山の中腹にある自宅のベランダから毎日見送ることになりますが、「こだまこ」はまだ無理。これからしばらくは元気のいい「こはづき」が200m先の5人組に大きな声で「いってらっしゃーい!」と叫ぶことになります。新入生の「さわみこ」を含む学校組が、それに大きな声で応えると思います。ともに、周囲にこだますることでしょう。

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【「こだまこ」の日明き祝い。(普天間神宮)】

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【体重低下で1週間入院しましたが、おかげさまで何とか元に戻りつつあります。】

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【春です。桑の木に実がつきました。野鳥と競争で実を採る子どもたち。】

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【第五子・「さわみこ」に入学祝いの電気スタンドを贈る。「派手な贈り物はできないけど、がんばってね!」】

 さて、近くに設計した住宅の現場(龍が昇る家)も目に見える形で職人文化の花が開き始めました。「龍の通り道」に当たると言われる我が家の界隈にふさわしく、我が家に鎮座する下り龍がとなり部落の仲順(ちゅんじゅん)では、昇り龍として新築住宅の棟に出現しました。

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【ロフトの登り棟に姿を現した昇り龍。頭と前足は黒(玄武)。胴体は赤(朱雀)。つまり赤・黒の色をもつ黒龍と赤龍の合体。玄武は北を、朱雀は南を守護します。】

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【龍の頭部分。大きいので二つに分けて製作。銅線でつなぎます。】

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【一体化した頭。角(つの)をつけました。このあとにはヒゲも付けます。】

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【前足、指のやきもの。】

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【前足取り付けの下地作り。】

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【沖縄の瓦職人さんが頭や胴体をつないで一体化します。ウロコや熨斗(のし)瓦などには、既存の古瓦を使用しましたイメージ通りの昇龍になりつつあります。】

 龍の頭はいぶし銀。製作者は我が家の鬼瓦と同じ熊本の「藤本鬼瓦」様。現在、両前足を取り付け中なので未完成ですが、次第に龍の姿が見えてきました。
 龍の体は沖縄の瓦職人さんが作りました。微妙な龍の動きを表現してくれました。

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【A3版の鏝絵案の下絵を拡大して壁面に書く愛さん。一部、修正・助言を掛けながら、書き上げていただきました。】

 また、玄関の壁には龍の鏝絵(こてえ)が完成しました。鏝絵は九州や四国の蔵や住宅に施してあります。ここでは現在執筆中の(仮)「きたなか龍神ものがたり」を象徴する一場面を表現しています。
 私のイメージを本永愛さんが下絵にし、それを熊本の左官、成松徳雄氏が鏝絵として完成させました。龍の親子が満月の夜に会う約束をします。天で待つ母親は子どもに月夜に映る自身の影を見せてさとす場面を漆喰で立体的に表されています。
 かつて技能五輪でチャンピオンになったことのある成松氏ならではの技が光ります。

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【旧友の成松徳雄さん。持参したコテは約50種類。家には他に50種類ほどのコテがあるとか・・。現在は、文化財保存の仕事が多いらしい。昔、お城づくりに関わった職人が、その技術を町家に生かしました。是非、文化財保護のために取得した技術を、住宅に生かして欲しいと、お願いしました。】

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【技と技の競演。感性と表現の葛藤。設計者と製作者がともに熱くなる。】

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【完成した鏝絵。白龍の親子が月夜に向かい合っています。龍が出てきたと言われる湧水地・タチガーの下にある池に子ども龍の影が映ります。果たして、母親龍はなんと言って暴れん坊の龍をさとしたのでしょう?このあとは、出版予定の「きたなか龍神ものがたり」をお楽しみに・・・。下駄箱上に見えるのは、使われたコテなどの左官道具。(白龍は四神(しじん)の白虎に通じます。西を守ります)】

 南側の雨端柱(あまはじばしら)を支える礎石にはそれぞれ川、海、森を守るカエル、カメ、フクロウが彫ってあります。
 つまり、彫り物(礎石)、塗り物(鏝絵)、やき物(鬼瓦)の技がすべて揃いました。しかも全部に意味があります。

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【残るは東の守護神。浴室の東側壁に青龍を入れる。】

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【黄龍は中央に鎮座。これは心柱が受け持ちます。東西南北と中央に合わせて5龍。】

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【柱を支える礎石に自然の監視役、カエル、カメ、フクロウを形どりました。】

 人は若いころ、夢を語ります。しかし、ある程度年を重ねると、人生とは何か?と考えるようになります。夢を達成した人も、しなかった人も・・・。
 あとの人生を考えるからです。
 日本は経済社会なのでお金がないと現実には生きていけません。しかし、お金の価値が通用しないところなどでは、お金は無意味です。
 幸せの度合いをお金がたくさんあることと勘違いしている人が増えました。情けないことです。

 意のままにならない自然と接触する機会が多く、自然の摂理に沿って暮らすことが、いかに大切なことか。日本の文化には、価値観や人生観を見直すきっかけが散りばめられています。
 自然の化身である水神さまやお地蔵さま、龍神さま、火の神様などを大切にする気持ちを日本に残すため、淡々と設計の中に取り込んでいきたいと存じます。
posted by 塾長 at 18:57| 建築

2014年01月31日

立柱祭!

 平成26年1月18日(土)、北中城村仲順(きたなかぐすくそんちゅんじゅん)に建築中のH邸の立柱祭と上棟式を行いました。もともと上棟式の予定で、その前にせっかく伝統構法が見えるので同時に第7回目となる「住環境フォーラム」も開催しました。
 上棟式ができるまで進ちょくする予定でしたが、残念ながら土台に15も段差のある心柱のある住宅はそこまでできませんでした。しかしながら、かえって途中の方が伝統的な仕口や継手、木の使われ方など木の文化、木造技術がよく見ることができたのではないかと思っています。

 前夜に我が家で宿泊中の大工さん3名と施主家族、それに私たちの家族が合同で上棟式後の餅投げ(餅まき)の餅を搗きました。紅白の大きな角餅(すみもち)を4セットと施主の長男さんが拾う紅白餅を優先し、その他は現場で撒くお餅にしました。
 伝統行事の伝承のため小学校にも案内をかけていたため、参加者が増えるかもしれないので、別に祭事用のお店に100個の小餅も依頼しました。

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【上棟前夜、餅投げ(餅まき)用の餅を、施主、大工棟梁、設計者の三者で心をひとつにして搗いた。】

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【施主も一緒にみんなで丸めた。世の中、丸くいきますように・・・。拾ってくれた人が幸せになるように・・・。】

 当日は、25トンクレーンでやっと吊り上げた直径60pの心柱を中心に多くの方々が集いました。フォーラムでは、日本に伝わる木の文化、特に山で育った木を伐採後も同じ方向で建てたり、木の曲がりを背や腹に使うなど、木の癖を生かした伝統技術を説明しました。

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【「住環境フォーラム(7回目)の様子。私の建築哲学:「農に似て、工に非ず 自ずと然りの伝統構法」がテーマ。木の住まいという、命の誕生に際し、化学物質を使わない無農薬農業に似て、さりとて、規格品の大量生産の工業でもない。つまり、木造住宅は、自然の木をその癖を読み取りながら自然に逆らわずに建てる伝統構法が、自然に一番適していると話した。工業化、化学化が進む木造住宅。快適便利、安全を重んじる住宅から、機能劣化、感性の喪失、危機管理能力の低下が広がりつつある。断熱・気密性の高い住宅には落とし穴がたくさんある。】

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【山で育ったように建てた心柱。枝が出ている方が南。癖を生かした木使い。】

 木造といっても様々です。最近はプレカット工場に運ばれた木材は、機械によって寸法通り正確に加工されますが、機械は年輪も癖も判別できません。この現場の柱は東と南を向いて建てられています。心柱はこの住宅の象徴です。だからわかりやすいように、枝をつけました。枝は山でも現場でも南側に向かって伸びています。適材適所に木を生かすことは、人間社会にも通じます。

 さて、フォーラムのあとは伝統的な式典です。まずは敷地を清め、心柱の前にお神酒やお米、水、塩を用意して祭壇としました。そこで、不肖、私が祝詞を奏上。今回は「龍が昇る家」なので「日本龍神祝詞」を奏上しました。祝詞奏上後、施主とともに「二礼二拍手一礼」を行い、私たちもお神酒をいただきました。

 最上部に棟木がないので、心柱に棟礼をあげ、棟礼に書く「天官賜福 紫薇鑾駕」(てんかんしふくしびらんが)は縦書きとしました。志村京子先生の書です。
 棟礼を上げたあと、五色の布を上げ、鬼門・裏鬼門の方向に矢を立てました。そして催事の最後に「千歳棟!」の掛け声に呼応して「オー!」と参加者の声。「万歳棟!」「オー!」「曳々(えいえい)、億棟!!」「オー!!」、掛け声に合わせて大工さんたちが込み栓や梁を掛矢で叩きました。全員が一体になった時です。これまで数え切れないほど棟上げを経験していますが、最高の盛り上がりでした。

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【お神酒などを上げ、心柱に向かって「日本龍神祝詞」を奏上した。】

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【五色の布と矢。五色旗は五行説に習い、矢は厄を払うために立てた。】

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【3尺6寸5分の長さの棟礼。「天官賜福 紫薇鑾駕」(志村京子様の書)。裏には年月日と施主、大工棟梁ほか大工さん、設計者が連名で氏名を書いた。】

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【掛け声に合わせて、参加者全員が呼応した声であげ会場は盛り上がった。】

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【餅投げ風景。みんな幸せになりますように・・・。】
 
式典を終えていよいよ餅まきです。大工さんと施主親子が登り、昨晩搗いた餅やお菓子を撒きます。建て主の喜びをみんなで分かち合う行事です。お餅には幸せに「ご縁」があるようにと「5円玉」を付けています。隅餅には50円玉が入っています。
 
 手描きの図面を参考に、山で育った木を人間の目で見極め、墨付けして手刻み。それを一本一本差し合わせて組んでいく日本の伝統的木造技術は、世界一の技と文化です。
 式典の意味も含めて、後世に残していく責任があると考えています。

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【刎ね木(はねぎ)。通常とは逆に丸太を使う。丸く曲がった方を下にして、軒先の重みを受け、天秤を踏ませて内側で刎ねる力を抑えるやり方。】

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【登り棟。この棟に龍の鬼瓦が鎮座。龍はその前方上にある宝珠を目指して昇る。まさに、「龍が昇る家」。】

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【全景】

                   おまけ

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【普段の風景。餌あげで5歳の「こはづき」が包丁を使う。】

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【保育園、幼稚園に通わず我が家でしつけ中の「さわみこ」。その「さわみこ」が、犬をしつけ中。】


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【平成の名水百選のひとつ、タチガー脇の池にお地蔵さんを寄進。清掃と水や花あげは子どもたちの日課。名水が永遠に出ますようにと祈る。】
posted by 塾長 at 09:30| 建築

2013年12月04日

柱一本へのこだわり!

 心柱の特定

 2泊3日の旅。今回は熊本空港経由で宮崎県綾町に向かいました。1泊目は南阿蘇村。名水百選に選定されている白川水源を有する村です。沖縄〜熊本便は福岡や鹿児島以外の九州の空港と同じように、午前中に沖縄に発つ便がわずか1便。沖縄発はいずれも午後。従って、熊本に着いた時はもう暗くなっていました。

 泊まった旅館は、宿泊施設や温泉、料理やもてなしも大変結構でした。ただやはり、飛行機の中や暖房の効いた部屋は空気が乾燥していて、次の日はくちびるが割れていました。やっぱり、密閉された空間では私は暮らせないようです。

 心柱特定の旅は最終日の朝、佳境を迎えました。前回、綾町でみた杉の木と同じような木をあらかじめ空師(そらし)の黒木様が数箇所、見つけていました。
そのひとつの森に行きました。

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【宮崎県綾町。心柱にしたい綾杉が育つ森。中央の木を特定。】

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【一番手前に見えるのが心柱にしたい杉の木。南側に向けて枝が出ている。】


「右から5番目です。」目を移すとそこにはまっすぐにたった立派な杉の木がありました。高さは22m〜23mと言います。近くに寄ってみると、思いのほか大きな木です。持参したスケールで測ると直径が約60cmありました。
両腕を回してみても、私の手が届きません。60年は経っていると言われました。


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【そばに寄って見上げると、圧倒される大きさ。】

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【抱いてみると、両腕では届かない。】


 そこは前回見たところに近い森。森に入る前、空師は森に頭を下げ、なにか祝詞(のりと)を読み上げているようでした。私たちも、後ろで山の神様に入山のお願いをしました。
 その木は森の周辺に育った「壁木(かべぎ)」。壁木は、中の森を守るように立っていました。前は道。右、左、後ろには杉の木が林立しています。この日のために、数本を枝打ちしてありました。枝は南向きに出ていました。「風を受けて強く生きて来た木。この方位のまま立てよう!」きっと、沖縄の台風から守ってくれる!と思いました。

 本来、山の木はたっていた場所と同じ使い方をすれば、木を活かせるといいます。南側の木は強いから構造材に、谷の木は弱くて節が少ないので造作材に、という具合です。心柱は家の中央にたてるので、森の真ん中にある木の方がいいのかもしれません。しかし、沖縄では台風の常襲地帯。左巻きの台風が本島西側(左)を通過するときは、台風の目に周辺の空気が吸い込まれ、南の強風が当たります。これに対応するには、南向きの風に対応して育った木が心柱に有効と、考えました。本島東側(右)を通過する場合、吸引力風の出口なのでは風力は幾分弱まっています。だから、南風対応を優先することにしました。

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【持っているチェンソーの中で一番長いチェンソーでしか伐れない、とおっしゃる空師の黒木様。】

 案の定、空師は「強い分、癖も強い。逆に使ったら大変!」と釘を刺されました。「ちょうど今の時期、水(成長)が止まった。伐るには一番いい時期」ともおっしゃいました。

 私は生きものであるこの木に「ごめんね。」と心で話しかけました「きっと、また沖縄でこれまでの数倍長生きてもらいたい。そのために、君(ボクと生きてきた年齢がほぼ同じなのでこの言い方)の癖を最大限生かすから・・・」と。

 この木を数日中に、皮をむき、熊本県の人吉市に運びます。そこで大工の棟梁が墨付けし、手加工して「心柱」になります。なにせ、自然のままの南向きの枝付きですので、墨付けや刻み加工、移動、運搬は大変です。約3トンもある心柱。鎮座するする日が、楽しみです!

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【綾杉の森の上流には、照葉樹林が・・・。聖域はちゃんと残している。黒木様が代表の会社名も「照葉林業」。】


コメント・・・

 どこを切っても同じ強度のコンクリートや鉄骨、鉄筋とは訳が違う。年輪(年齢)や癖など、科学的に計算できない部分を加味して造る木造建築は、RC造とは比べ物にならないほどの洞察力と技術が必要。だから、奥が深い。 
 ただ、木造といっても名ばかりで、本来の木の性格や癖(燃えない木や虫の来ない木、腐れない木など)を化学力により削ぎ落とし、さらにプレカットによる機械加工で寸法だけで組む現代の軸組工法は「木造」とは言い難い。2×4工法や丸太組(ログハウス)などは論外。

 数千年の歴史を持つ日本の伝統構法には木の文化、木の技術、そして「木のこころ」が宿っている。理解ある人のみでいいから、日本人が造る日本人の住まいをほんの少しずつ建てていきたい。

付録・・・

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【行き道、毎月、無農薬米を届けていただいている南阿蘇村の下田様の田んぼを見学。「川の水は使わない。川が既に汚染されているから・・」徹底した無農薬栽培。阿蘇五岳を臨む棚田は健康そのものだった。】

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【近くには、白川水源。コンコンと砂を巻きながら水が湧く。】

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【着いた日の気温は摂氏1度。溶結凝灰岩を通って湧く地下水は、まろやか。】

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【こちらは綾町の無農薬野菜畑。少量多種がモットーとおっしゃる「綾・早川農縁」の早川ゆり様。さまざまな野菜が元気に育っていた。雑草取りもみんな手仕事。「無農薬野菜は、体を浄化します!」ともおっしゃっていました。】

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【出された昼食。安全でヘルシー。とてもおいしくいただきました。】


訂正・・・

前のブログで「住環境フォーラム」のご案内を致しましたが、メールアドレス、携帯電話番号が間違っていました。訂正します。

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posted by 塾長 at 09:43| 建築

2013年11月29日

長浜邸の紹介と住環境フォーラムの案内

 長浜邸の住まいづくりが、「タイムス住宅新聞」の「お住まい拝見!」に取り上げられました。小規模で簡素な家ですが、自然に合わせたくらしや、木の文化の継承、伝統的な日本建築の技術を駆使した住宅です。

 木造住宅の建築は自然と共生するための手段のひとつです。決して目的ではありません。高気密・高断熱、快適・便利な住宅が増えていますが、将来に住宅を大型粗大ゴミで残すことはできません。自然に負荷の少ない自然素材を使って造るべきです。
 また、暑さ・寒さや自然の脅威を肌で感じることも大切です。

 現代の都市文明の忘れ物を、このような伝統構法の応用で建てた住宅で再び拾えたら幸いです。

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 関連して、来年1月18日(土)に、通算、第7回目となる住環境フォーラムを開催します。1月になったら、新聞のインフォメーションに掲載する予定ですが、HPで先にご案内いたします。(受付開始)

 さて本日の熊本便で沖縄を発ちます。目的は宮崎県綾町の杉材を最終決定するためです。心柱一本のためですが、柱になる木は生きものです。生きています。住まいに使う木材は全てすべて生きていますが、せめてこの柱ぐらいには事情を言って、伐らせてもらおうかと思っています。育っていた木の(向き)方向や癖を最大限、活かしたいと思っています。

 食材もそうですが、みんな生きている命を頂戴します。伐られたあとも、なお長く暮らしの中で生き延びてもらいたいとの思いです。空師と呼ばれる木を伐採される方のお話や地域の環境、山のどのあたりで生まれ育った木なのか、しっかり見てきたいと思います。

 また、帰って来たら、ご報告いたします。

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posted by 塾長 at 10:51| 建築