2018年07月04日

津嘉山酒造所 保存修理完了祝い!

 平成23年から始まった名護市にある津嘉山酒造所施設の保存修理工事が完了し、6月30日、お披露目とお祝いがありました。
 昭和2年から建設工事が始まり、昭和3年に完成と年表にありましたが、工事中に見せていただいた棟札には「昭和七年 旧五月吉日上棟」と記されていたので、完成はおそらく昭和8年以降と思われます。
 修理に要した工期も6年の予定が7年かかり、工費も4億円の予定から9,000万円ほどオーバーしたようですが、平成21年6月30日の重要指定文化財に指定されてからちょうどまる9年の平成30年6月30日に修理が完了しましたことになります。完了祝賀会の前に見学する機会があったので見せていただきました。昭和初期の酒造所兼住宅の木造建築が再生されていました。個人的には、修理途中の段階で見学した時の方が印象が強く、完了後はこじんまり納まった感じがしました。どうしても、建築士としての視点になってしまいます。
 それでも一時期米軍に使われたり、酒造りを一時中断したりしながらも生き続けた昭和期の建築が再現されたことには大変うれしく思います。
 今後は国の文化財として、多くの方々の目に触れて、激動の昭和史を思い起こさせる施設として永く後世に遺ってほしいと思いました。

 以下にその様子を簡単に紹介します。

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【酒造所入り口の門。一部、修理を施した。玄関は入って右手にある。工場が主体の感。】

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【住宅にはお母屋のほか、従業員の休憩所や離れもある。】

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【洋小屋組みと和小屋組みの合わせ技。手前が工場、奥が住まい。左に麹屋がある。】

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【壁に組み込まれた無双窓】

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【「離れ」まで通じる回り縁側。手前は8畳の座敷。壁は木ずり下地の漆喰。一間は柱芯で6尺4寸のグリッド。】

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【8畳の座敷にある床の間、床脇、付け書院。天井は敷き目板の目透かしの張り】

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【場所を移して祝賀会の様子。お祝いにかけつけた渡具知 武清名護市長。場所違いだったが、さい帯血による再生医療に挑戦することを明かしたら、理解していただき、途中退席時に家内に激励の言葉をかけてくれた。優しい方だった。】

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【久しぶりに会った文化財建造物保存技術協会の田村さん。現在、群馬県で同じような文化財関係の仕事をされているらしい。】

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【津嘉山酒造の代表社員、瑞慶覧 實さん。修理費の5%は持ち主負担と聞いた。厳しい経済事情もあったろうが、この日を迎えて大変嬉しそうだった。これからは国の文化財なので、誇りをもって保存してほしいと願った。】

 さて、これからは家庭の話。

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【中1の長男・朴然は、週6日ラグビークラブに通って鍛われています。体も一段と大きくなりました。6月30日、初のタグラグビーの試合。まだ、正式のラグビー試合には出られません。3チームのリーグ戦で彼らの「合同チーム」は2勝1敗の2位でした。(ボールを持っているのが朴然)】

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【応援に行った妹二人組は、試合前、初めて見た会場の沖縄市陸上競技場のトラックで走ってみました。】

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【4年生の「こはづき」は、結構、ラグビーボールに慣れています。】

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【完全無農薬の稲も徐々に育っています。白くて小さな稲の花がつき、やっと穂が膨らみ始めました。】

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【万然が通っている特別支援校からいただいた熱帯スイレンの花が咲きました。】

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【やんちゃな2歳の「わかみこ」ですが、完食は上手にできます。一粒、一滴も残さずにポーズしています。】

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【今年は実をつけない我が家の梅の木。しかたなく和歌山から10sの青梅をとりました。毎年家族で梅酒や梅酢、梅干しを作ります。小学校組の二人がお手伝いして梅を洗い、布で拭いたうえでヘタをとります。この過程で雑菌が入ると失敗です。】

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【無断すると、小さい巨人がいたずらします。青梅はしょっぱいだろうに、顔をしかめながらも食べてしまいました。】
posted by 塾長 at 10:07| 建築

2018年06月16日

ホテルライカム(昭和の建築文化)見学会 報告速報!

 本日(6月16日)、北中城村にある築後50年をこえるホテルライカムで「昭和の建築文化」をテーマに見学会を開催しました。(主催:公益社団法人 沖縄県建築士会中部支部)

 ちょうど、台風6号が最接近した午前10時にスタート。雨台風の脅威にもめげず、約30名の老若男女の方々が県内からお集まりいただきました。
 
 趣旨に賛同いただき、貴重な営業時間を割いてご協力いただきましたホテルライカムのオーナーやご親戚の方々をはじめ、主催者の建築士会中部支部、歓迎のご挨拶をいただきました北中城村、ご参加いただきました皆様に感謝申し上げます。

 以下に簡単ですが、速報としてその様子をご紹介します。

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 【台風6号がもたらす雨が降りしきるので、ロビーにて趣旨や特徴をまず説明。ロビーで見学できる人造石研ぎ出しやひさし裏のモザイクタイル貼りなど手作り感を彷彿させる建築技術や木造建築のモジュール(一間を6尺3寸とした平面計画)などを作成した復元図をもとに説明しました。】

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【雨が小降りになったのでこれをチャンスに外で外観デザインについて説明。当初建築の2階建ての部分は、部屋の内部に柱を見せないように設計しているので、外部に柱や梁が見えるデザインになったこと、さらに出窓やひさしを設けたため外部がその分、凸凹になったこと、3階は逆に壁芯を柱の外側に移動したので柱型は消えたこと、しかし、出窓やひさしは残したデザインになっていることなどを話しました。】

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【この後、客室内に移動。オーナーの計らいで2階のシングル2室と3階のツイン1室を開放していただきました。ここは3階のツインの部屋。柱型が出ていますが、部屋の面積は2階より広く、またこの部屋は階段室分を利用した唯一のツインで一番人気。アイドルや俳優が撮影に使う部屋のひとつです。外国人が書いたと思われる壁への落書きも、ここではベトナム戦争などを経た沖縄独自の歴史を感じさせる足跡として違和感がありません。】

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【各室の浴室。36(さぶろく)タイル(1枚のタイルの寸法が3寸6分(約109ミリ角)の団子貼り。モジュールの行く着く先は細部のタイル寸法でした。また、コーナーや上部の仕上げとの見切りには役物(曲線を持つ竹割りタイルなど)が使われており、浴槽も背もたれ付きの大型で洋風になっています。】

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【もうひとつの人気スポット・屋上。大型の鉄製看板や沖縄特有の突き出た柱型などと、周りの風景、自然との関係が絶妙の雰囲気を醸し出しています。あいにくの雨でしたが、熱心な見学者は雨にも負けず、風にも負けず・・・。】

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【客室内の黒電話やラジオ、受付にある電話交換機、ホテル裏にある業務用洗濯機、乾燥機、アイロン台など建築以外の機器も「昭和」を感じさせました。いったん説明を終えたのち、アンケートを書いていただきました。その間、この日のために来ていただいたオーナーのご親戚の方が、建設当時のエピソードを語ってくれました。設計者や施工者のことや当時の社会背景など、これまで知らなかったことを聞いて、さらに奥が深くなりました。見学会のあと、おかげで楽しく解散まで時間を過ごすことができました。】

 雨の中でふつつかな説明を耳を澄まして熱心に聞いていただき感謝いたします。アンケートの回答の中に新聞掲載のタイトルになった「無重力の文化」について、安易に「チャンプルー」に収れんされない奥深さに共感の意を示された方もいらっしゃいました。

 建築士ではない方々は「手作り感、人間味を感じた」、「レトロだけではなく、オーナー以下スタッフの思いやりがありがたかった」などの感想がありました。また、構造劣化への対処、石綿除去などへの課題もありました。

 アンケートから見えてきたことは、今のホテルは人間味が少なく、機械的なサービスであるということでもあります。ただ共通して言えるのは、時代を感じさせる建築物を簡単に解体せずのこしてほしいということでした。何を残すかというと、建築物を通した「沖縄の歴史・文化」ではないかと思います。

 「無重力の文化」を感じさせる貴重な建物「ホテル ライカム」。これからどのようにしてのこすか、今、できることは「国の登録有形文化財」として登録することが先決と考え、職能とかつて住んでいた肥薩線・旧国鉄矢岳駅駅長官舎を登録文化財にした経験を生かして、無償の報酬で取り組みます。

 本日は、ありがとうございました。 
posted by 塾長 at 21:00| 建築

2017年12月15日

新聞連載 第三話「几帳面(きちょうめん)な人」。

 本日(12月15日・金曜日)付けタイムス住宅新聞に、連載「細部(ディティール)から文化が見える」の第三話「几帳面な人」が掲載されました。

 次回は「タチが悪く、ロクでもない」の予定です。

 明日はいよいよ、歩いて登校・・交通安全標語看板の製作活動です。小中学校から約30名の参加があるようです。自分たちの都合で見通しの悪い塀や建物を作った建築士へ反省を促す意味もあります。
 伝統建築技術の応用を子どもたちがどう感じるのか、客観的に見てみたいと思っています。

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posted by 塾長 at 08:18| 建築

2017年10月20日

新聞連載がスタート!

週刊タイムス住宅新聞で新連載がスタートしました。
毎月第3週の金曜日発行の新聞に2ページ掲載予定です。

タイトルは「細部(ディティール)から文化が見える」です。
建築細部に隠された日本の文化を現場写真や図面、絵などを織り交ぜて紹介します。

第1回目は障子、次回はふすま、3回目は几帳面、第4回タチが悪くろくでもない・・・と続きます。

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【10月20日付け、タイムス住宅新聞のコピーです。タブロイド判2ページですが、画面の関係上、上下でつないでいます。連載は「木暮らし」、「生きもの・建もの紀行」、「新木造考」、「木霊のひびく家々」に続き回目ですが、今回は視点がまったく違います。伝統構法に秘められた日本人の技・文化を細部(ディティール)から見ていきます。】

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【毎年、家内が作ります。日本人は渋皮まで楽しむんですね。】

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【手作りの渋皮煮を食べる第八子の「こだまこ」。】

先日の朴然の自由研究は、毎日新聞社主催の「自然科学観察コンクール」に応募することにしました。応募総数は昨年度、12,500点を超えています。オープン参加なので気楽に応募してみます。
posted by 塾長 at 15:39| 建築

2017年05月24日

白銀比・反射率・・・

日本建築の基本にある「白銀比」や日本人の色彩感の根底にある「反射率」などをまとめた記事が掲載されましたので、添付します。

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【平成29年5月19日付け タイムス住宅新聞より】
posted by 塾長 at 08:38| 建築

2017年04月05日

「日本人の色彩感覚と伝統構法」(建築士会中部支部会誌「紫微鸞駕」への寄稿)

 今年も建築士会中部支部の会誌「紫微鸞駕」へ寄稿しました。
 総会時に配布されますが、経費の関係で写真はすべてモノクロなので、カラー写真の原稿を掲載します。

 レイアウトの関係で、一部変更して掲載します。


1、 建築の基本は「木造」にあり

 鉄筋コンクリート造が主流の沖縄。しかし、設計も施工もいきなりRCから学ぶと、いつかどこかで技術の根拠が見えなくなる時があります。それは、建築の基礎である「木造」をしっかり学んでいないからです。
工業高校や大学、専門学校でも「木造」のカリキュラムが少なく、学ぼうにも学べないのが現実です。だったら社会に入ってから学びましょう。

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【瓦の連なりと重なりが日本の伝統を醸し出す那覇市具志の伝統構法のY邸。】

 建築技術の基本は木造にあります。例えば、住宅を設計するにあたって広さをイメージするのは、木造で使われている8畳、6畳、4.5畳という空間
です。
 木造住宅の階高や軒の高さの目安は、柱の長さである4mか3mの木材の定尺で決めていきます。内法(鴨居の高さ)は2mの定尺内で決めるのが一般的です。

 いまはメートル法が当たり前ですが尺間法が裏にあって、窓の大きさはだいたい1尺(約300o)ごと、木材の縦横の寸法は1寸か5分(約30oか15o)ごとに製材されます。
 例えば、洋間の腰窓は6尺×3尺(1,800o×900o)、和室のひじ掛け窓は6尺×4尺5寸(1,800o×1,350o)、柱は4寸角(120o角)、軒桁は4寸×6寸(120o×180o)、垂木は1寸5分×2寸(45×60o)などです。
また、和室における各部材の寸法や間隔も木割り法でほぼ決まっています。
 基本は使われている柱材の寸法です。鴨居や長押(なげし)の成(せい・高さ)は柱の0.4掛けや0.8掛け、床の間の落とし掛けは鴨居より柱の約2,5倍上げて取り付けることなどです。柱が3寸5分角(105o角)であれば、鴨居や長押の寸法もそれに応じて変化します。

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【H28年度 日本建築士会連合会賞 奨励賞受賞作品。(北中城村仲順H邸)】


 このように住宅のディティール(細部)は古来より定尺や木割り法、尺間法で無駄のないように作り上げられてきました。住宅設計を目指す若い方々は是非、「木造」を学習なされてください。10倍、奥が深くなります。

2、 木造の歴史

 木造の歴史は古く森林が7割を占める日本では約4千年前から木組みが使われており、富山・桜町古墳から貫穴やエツリ穴を持つ部材が発掘されています。
 世界遺産にもなっている奈良・法隆寺五重塔は約1,300年以上も前に建てられた世界最古の木造建築です。

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【唯一神明づくりの伊勢神宮内宮。木造技術・循環システムの原点】

 三重・伊勢神宮は20年に一度の式年遷宮を繰り返し、その歴史は法隆寺と同じです。一方は「長寿」、他方は「循環」をみごとに木造の技術で今に伝えています。同じくらいの歴史でも「仏教」と「神道(しんとう)」の違いが伝え方を表しているように思います。

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【国指定重要文化財・中村家】

 沖縄で一番長く存在するRC造建築は大宜味村にある旧役場で1925年竣工(87年前)ですが、木造では北中城村にある中村家も18世紀半ばの建物なので約280年間前に建てられた住宅です。
 技術と維持管理がしっかりしていれば、木造は長持ちするという証です。普通はこのままこの勢いで技術論に進むのですが、今回はこよなく木造を愛する技術者として別の角度からみてみます。

3、 肌の色と反射率

 なぜ、これほどまで日本人が木造に親しみを持つのかというと、実は肌の色に関係しているのかもしれません。
 海外に行くとわかると思いますが、欧米人をラテン系と北欧系の民族に分けると、ラテン系は皮膚が浅黒く、目と髪の色が黒(茶)で体系はずんぐりむっくり、色彩では赤や暖色系を好み、性格は明るく外向的です。
 北欧系は一見して皮膚が白く髪が亜麻色(金髪)で目が青く、体系は背が高く長頭で色彩は青や緑を好み性格は物静かで内向的です。
 赤道に近いラテン系は可視光線の長波長の赤色視覚が発達し、北欧系は短波長(紫・青・緑)に反応する緑色視細胞が発達し、紫外線不足から目が弱い人が多いとされています。
 では日本人の色彩感覚はどうか?平均して彩度の高い純色は敬遠され、ややくすんだ色や中間色が好まれます。

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【我が家のおせち料理の食器】

 日本人の衣食住は比類のない歴史と伝統によってつちかわれてきました。衣服では能衣装をはじめ、呉服の色は華麗な振袖から地味な紬(つむぎ)まで、食においては懐石料理からおせち料理、寿司まで食器で味わいます。
 住では神社仏閣から数寄屋造りの茶室にわたって住まいに取り入れています。
 その背景には四季の変化や花鳥の美しさ、水の清らかさなどがあります。日本人の色彩感覚は「その色」を見せるための「捨て色」の使い方が上手といえます。衣食住のどの分野でも色は色相、明度、彩度を抑えています。
 例えば、茶器の渋さと帛紗(ふくさ:茶の湯で茶碗をふいたり茶器を鑑賞するときの敷物)、茶室と和服の関係です。
 そこで考えられるのが反射率。日本人の色彩感覚は反射率50%が基準であること。反射率50%といえば無彩色では障子紙、ふすま紙、漆喰など。色がつけば木綿や麻の生地、畳表、そして杉やヒノキなどの木の色。
それらは「その色」を引き立たせる「捨て色」として機能しています。極めつけは肌色そのものが反射率50%であることです。
 日本人にとってベージュ系やラクダ色が似合うのは、色相が肌色に近く、同系色の調和で抵抗なく受け入れられているからでしょう。
 日本女性の和服姿が美しく映えるのも反射率50%の肌色が反映しているのかもしれません。

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【内装の舟底天井・障子紙・ふすま紙・畳・漆喰壁も反射率50%の黄金律。Y邸】

4、 沖縄の色彩感覚と木造

 さて、沖縄の色彩感はどうでしょうか?本土より赤道に近い沖縄では赤色視覚が発達しているので、可視光線でいうと長光波の赤色・橙・黄などの暖色系が好まれ、性格も率直で外向的と考えます。
 RC造、木造に限らず赤瓦を葺くのもその表れかもしれません。外壁は一般に白色系かベージュ系。本土より日差しが強いためか昼間でも照明を点ける家庭が多く、外の強い光とのコントラストを和らげるため明度の高い内装が多いように感じます。
 つまり、日本的な色彩感覚を持つが若干亜熱帯的色彩感覚が入るように思います。

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【木材(杉・ヒノキ)は反射率約50%那覇市具志のY邸(腕木による持ち出し)】

 しかし、全体的には肌の色を基調とする反射率50%の黄金律は変わらないように思います。
 一般的に木造は温かみがあり心身にやさしく、循環型素材のため環境負荷が少ないとされます。
 ただ、沖縄ではシロアリ被害や台風、技術者・木材の不足など不安要素が先行して流布されているので普及させるには並大抵な努力では達成しません。
 しかし、こと、色彩感覚の視点から考察すると、いちがいに沖縄にふさわしくないとも言えません。外の光が強い分、やや暗く感じるかもしれませんが、昔の木造家屋を見ると、どちらかといえば夏の日差しを避けるように寝床は北側に寄せている家が見受けられますが、これは地域の知恵と考えます。
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【反射率の低い透明ガラス、フスマの縁や帯・畳のヘリ、障子の桟が、捨て色で引き立つ。那覇市具志のY邸】

 稲作が盛んだったころは、稲刈り後のワラを畳床に使いました。瓦の葺き土や土壁にも切り苆(すさ)として使いました。木材も土も地元の自然素材を使い、耐用年数が過ぎればまたもとの自然に戻しました。地元で栽培されたお米のご飯をたくさん食べ、米以外の残ったものを生かす暮らしのシステムと、住まい全体が循環システムに組み入れられていたように思います。
 先日、重要文化財になった名護市の津嘉山酒造の修復工事に行ってきました。屋根の葺き替え中でしたが、その葺き土の中には切ワラを1か月ねかせたスサが入っていました。
また、伝統構法で使うのは石、土、木、草、水などの自然素材が主な材料です。
 骨組みに金物を使用していないので解体しやすく、さらに使用材料が「多量少種」なので分別しやすくなっています。

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【土・わら(草)・竹・木・・どれも自然素材で大量少種(津嘉山酒造修復工事)】

 伝統構法に工業製品として使用する材料に「ガラス」がありますが、西洋のガラスと日本のガラスは、そもそも発想が違います。
 西洋のガラスは壁が透明になったもので、日本のガラスは明かり障子が木製のガラス窓になったもの。同じガラスでも紙の進歩と壁の進歩では大違いです。
 日本の木製ガラス窓に使われる並厚(2o)のガラスは顕微鏡実験や標本に使われるプレパラートガラスに転用できるほど薄いものです。

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【窓は西洋では壁の進歩。日本の窓は紙貼り障子から発達した。だから極薄2oのガラスが入る。(北中城村H邸】

5、 これからの住まい

 長い年月によって淘汰されてきた日本の木造技術と文化。木造以外の工法にも応用されるのは結構ですが、木材に限らず、木造で使用されている土や草は呼吸していて、いわば生きものです。木材を同一強度が前提の鉄筋コンクリート造や鉄骨造のような利用の仕方は、いただけません。
癖のある材料を見極め、適材適所に生かしていくのが技術者の力量です。
 これまでの住宅は快適便利な暮らしを求めて「少量多種」の材料で作られてきました。一方で強度を高めた材料も使われてきました。しかし、これでは、解体時分解しにくい、分別するにもコストがかかる、自然に戻る時間がかかりすぎる、再利用しにくいといった弊害があります。これからは、「頑丈だけれど解きやすい」、「自然に戻すコストと時間がかからない」という家づくりに方向転換したほうが良さそうです。その意味において、伝統構法の存在価値は大きいと思います。

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【昭和7年建築の津嘉山酒造の小屋組】

 伝統構法にあぐらをかくことなく、さらに知恵を絞って家の長寿化と分解しやすさを研究、実践していきたいと思っています。
 きっとそれが住まい手の長寿と地球環境への環境負荷低減にもつながると確信しています。
 
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【海老虹梁(えびこうりょう)と三つ斗組(みつとぐみ)を取り入れた伝統構法の住宅。(那覇市首里崎山町のI邸)】
posted by 塾長 at 08:07| 建築

2017年02月26日

重要文化財・津嘉山酒造修復工事の見学会!

2月25日(土)、「伝統建築『これから』研究会」の活動の一環として、2,009年、国の重要文化財に指定された津嘉山酒造の見学会に行ってきました。津嘉山酒造は昭和3年(1,928年・築後89年)に建てられた工場兼住宅です。

私たちが沖縄に定住する前に3年間住んでいた旧国鉄矢岳駅駅長官舎は、明治42年(1,909年・築後108年)。歴史的には30年ほど先輩格ですが、戦前の木造建築工法で赤瓦がのる工場兼住宅の津嘉山酒造の建造物は戦火を逃れて今に残るのは「貴重!」の一言です。

この日は、改修工事として最後の見学会になると聞いたことや、瓦職人さんの講演、総会、その後懇親会もあるということで出かけることにしました。
急なことや遠いこともありましたが、小橋川副会長は参加されました。見学会の現場で顧問の琉球大学カストロ先生の教え子たちとも会いました。構造の研究をしていました。

見学会その他の感想は、写真説明の中でします。

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【この日はかかとに激痛が走り、とても歩ける状態ではありませんでした。急きょ、朝から病院に行き検査、患部に痛み止めの注射打たれ気絶しそうになりました。痛み止めの薬を飲んでそのまま名護に向かいました。修復工事の見学会には約30名ほど参加されていました。雨の影響が出ないように建物全部が仮設の屋根で覆われていました。さすが、国の重文の修復工事は違うなと思いました。】

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【古い瓦は再利用】

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【瓦には番号が打ってあります。これまでも石橋の復元や移転などを見てきましたが、同じようにすべて番号が打ってあり、元通りに組み直します。】

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【沖縄には珍しく、住宅部分には左官による塗り壁があったようです。】

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【説明をする文化財建造物保存技術協会の田村さん。柱間隔と内法高さを質問すると、それぞれ6尺2寸、5尺8寸のようでした。】

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【工場の小屋組みは、トラス式の洋小屋】

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【住宅部分は、和小屋】

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【麹屋は小屋組みが一番興味がありました。和洋折衷のいかにも麹置場の用途に合わせた工法でした。(耐震補強も含めて・・・)】

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【第二部は瓦職人さん・前原 和夫氏の講演会。演題は「琉球建築の屋根−シマジラーのこと−」。復元工事に必要な不足の赤瓦を古式の桶まきづくりで製作している職人さん。一通りの説明があった後。質問形式で講演が進んだので、聞きたいことをいろいろ質問させていただきました。】

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【シマジラーとは棟の両端の鬼瓦部分。卵型と小判型があるようだ、卵は子宝、小判は金持ちの意味があるかも?と推測されていました。そのほか、高強度、高圧で規格型の現代の瓦は馴染みが悪い。手作りの瓦は不揃いだが、馴染みがよく、少々のすき間にホコリやコケなどが詰まって雨漏りはなくなりとおっしゃておりました。これこそ「柔構造」。】

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【講演の後は、沖縄にしか残っていないとされる手作りの「桶巻き」の瓦づくりの実演。】

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【ロクロに張った粘土を回しながら仕上げます。中を抜くと、出来上がり。】

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【ご本人が「一瞬ですからしっかり見ててよ!」といった瞬間、円筒状に形成された粘土が四分割されました。本当に、あっというまで、直後ため息に似た歓声が上がりました。】

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【実演のあと、体験者を募られました。同行した長男・朴然が手をあげ、挑戦しました。微妙に先が細くなる桶巻き。師匠の指導のもと、緊張しながら作業しましたまわりには、お手並み拝見のギャラリーがいっぱい。】

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【がんばって仕上げる子どもへの師匠の心遣いか、「刻印していいよ!」いわれ、名前を彫るボクネン】

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【無事終了して緊張感が緩んだのか、やっと笑顔が出ました。木炭づくりの自由研究の延長にある古来の瓦づくり。初体験はいい経験になりました。前原さま、大変お世話になりました。】

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【実演のあとは総会。その後、懇親会。「津嘉山酒屋保存の会」の岸本会長、津嘉山酒造の津嘉山社長・幸喜工場長、金城建設の金城代表、市文化協会長の大城さま、建築士会の西里会長、北部支部の大城支部長、前述の前原氏、名護市教育委員など多くの方々と交流できました。私にも発言を求められましたので、「津嘉山酒造の建物は津嘉山酒造の財産・誇りですが、名護、沖縄県、日本の宝です。重要文化財の保存の維持管理は経済的にも負担がかかります。もっと建物だけではなく、文化性をアピールすることも大事。多くの人たちに理解・周知していきましょう!」と言いました。
今回のイベントを企画された「津嘉山酒屋保存の会」の皆様に感謝申し上げます。また、当「伝統建築『これから』研究会」は、現存する伝統的建築を学ぶとともに、これらの構法をもっと進化させていきたいと思いました。「これまで設計した」、『これから設計する』伝統技術が全部、「文化財」の価値として後世評価されるように・・・。】
posted by 塾長 at 09:44| 建築

2017年02月21日

「伝統建築『これから』研究会」の発足式!

2月11日、「伝統建築『これから』研究会」の発足式を行いました。

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【初会合には、設計・大工・教育などの立場から、建築士、大工技能士・職業訓練指導員・大学教授・国の重文・中村家の12代当主中村様などが参加されました。また、伝統的な技術で建てた家の施主(全国レベルのコンペで受賞した住まいに住む方々)もオブザーバーとして参加願いました。
伝統建築の課題と解決として、伝統建築の仕事をしたい、伝統建築のメンテナンス不足、住んでみてわかる長短所、後継者確保のための今後の対応などを話し合いました。
伝統構法の継承のため、各分野の情報を一元的にとらえた研究会を今後とも充実していきたいと思います。】

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【これまでの伝統的な建築の技術や意義をスライドで説明しました。】

研究会の立ち上げのきっかけは、先日、今回副会長になられた小橋川さんの来訪です。伝統建築の仕事をしたいが見つからず、インターネットで検索するうち私にたどりついたという訳です。

小橋川さんは私と同じ一級建築士ですが、「大工」が仕事の中心で、「一級大工技能士」であり、沖縄県の「ものづくりマイスター」にも登録されている方です。
話しを聞けば、県内の施工会社をあちこち当たったけれど、どこもいまいちで、カンナ掛けひとつまともにできない大工さんが多く、ほとんどがプレカット工場でできた加工材を現場で組み立てる方法だったそうです。

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【立派な仕事をするには立派な道具が必要。小橋川さんが持参されたのは名工・碓氷健吾氏(故人)とその弟子・ 船津 舟弘氏製作の鉋(かんな)。】


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【鉋(かんな)かけする小橋川さん。】

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【研究会の案内チラシの上に置くと、かんなくずから透けて字が見える。鉋屑とはいいがたい。まさに「芸術品」】

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【子どもたちも体験。鉋くずが出るたびに「お−ッ!」と声が上がる。周囲にヒバの香りが漂う。】

沖縄県も木造の住宅が増えつつありますが、そのほとんどは住宅メーカー製。手刻みによる木組みは限られています。

話木造建築を進化させることを目的とした活動を実践することになりました。話し合いの結果、伝統的な建築を次世代に伝えるため研究会を立ち上げ、後継者育成を念頭に沖縄にふさわしい

木造建築を進化させることを目的とした活動を実践することになりました。

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【表面がツルツルに仕上がったヒバの木。集成材や合板ばかりの現代の仕上げ材。けずればベニヤが現れる。伝統建築を残せば、道具も残せる。つまり、伝統的な建築の疲弊は、日本文化の衰退。】

伝統構法は乳児期、幼児期を含め、子育て環境にいい影響を及ぼす、循環する素材なので環境負荷は小さい、そして何といっても世界一の木の文化「これから」先の世代に伝える義務がある、との認識で一致しました。

「木の文化はすなわち、「日本の文化」でもあります。木の癖を見極め、適材適所に活かすことなどは、人間社会でも通用します。
また、相手が「命あるいキもの」なので、粗末にすることはなく、やさしく接することになります。

様々な利点があるにもかかわらず、伝統的な木造建築が敬遠されたのは、建築業界にも押し寄せた規格化・機械化・数値化の波でした。商品化された住宅は効率化のもと、低価格、工期短縮の憂き目にあい、現場からカンナやノミが消えていきました。

国の方針も影響がありました。昭和25年制定された建築基準法は自然の力に対抗する考えが底辺にあります。その後も高気密・高断熱の流れが住宅建設に取り入れられ、住まい手も自然からだんだん遠のいていきました。自然の恵みと脅威は表裏一体です。そんな自然をいいとこどりして、スイッチひとつで室内環境をコントロールするという人間中心主義が蔓延しています。もっと自然と共生し、自然から多くのことを学ぶべきだと思っています。

これまでの日本で培われた伝統技術にあぐらをかくことなく、さらに多くの分野の方々の意見や技術を取り入れながら、進化していこうと思っています。

来週土曜日11時より、国の文化財に指定された名護市の津嘉山酒造さんの見学会があるようです。この目で沖縄の伝統建築を見てこようと思っています。時間が取れる方は、どうぞご参加ください。

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【農業も然り。機械化・化学化で省力化されたが、日本の文化や自然環境の劣化が進んだ。さらには健康被害も危惧されている。今年も無農薬米の栽培がスタートしました。】

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【苗床に種もみをまく。】

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【しばらくは育苗箱で芽と根を伸ばします。田植えは今月末か?】


posted by 塾長 at 12:43| 建築

2017年01月30日

近況と「伝統建築『これから』研究会の発足準備!

 大関・稀勢の里が千秋楽で横綱・白鵬に土俵際まで寄られながらも良く残し、逆転勝利しました。日本人横綱の誕生にやっと結びつきました。一番心が熱くなったのは、表彰前の国歌斉唱。大関・稀勢の里はさすが「日本人」。これまでの外人力士とは異なり、はっきり口を開けて「君が代」を歌っていました。
 国技である大相撲。国歌斉唱は観客と心がひとつになります。すばらしい態度。サッカーの国際試合などでも国歌斉唱がありますが、まともに歌っている選手を見たことがありません。
 久々、すっきりした一日でした。これからも優勝を重ねていただき、大いに国歌を斉唱してもらいたいと思っています。がんばれ、稀勢の里!

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【花が咲いた白梅。香りも楽しめます。春だな・・・】

 さて、わが家の梅にも花が咲きました。第九子の「わかみこ」は、昨晩から高熱を出し、今日病院へ行きましたが、インフルエンザではなかったようです。自分自身も先週から風邪気味です。しかし、春遠からじ・・のようです。

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【子どもの頭より大きい晩白柚。約1.5キログラムあります。】

 先週の沖縄は結構寒い日が続きました。とはいっても、最低温度が15度以上ですので、雪国の人からしたら「何を寝ぼけたことを・・」とおっしゃるかもしれません。ところが慣れると、寒い!と感じるものです。
そこで、普段ぜいたくをしない家族のために、今が旬の「晩白柚(ばんぺいゆ)」を熊本の八代の農家から購入しました。
 子どもたちはその大きさにびっくり。そして味に二度びっくり。さらに皮を湯船に入れて「ゆず湯」にびっくり。またまた、厚い皮下を砂糖に漬けてできた「晩白柚漬け」に舌鼓を打ちました。何度も楽しめたので元値はとったようで満足です。

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【「ゆず湯」ならぬ「晩白柚の湯。ヒノキ風呂に浸かる第八子「こだまこ」と第五子「さわみこ」。家族中はいったので晩白柚の香がいっぱいになりました。こころなしか、肌はツルツル、いつまでも温かい気がしました。】

 また、以前飼っていたヤギが寒さで亡くなったので、今度はベランダ下のヤギ小屋の壁のすき間をみんなで埋めました。隙間風が入らなくなったので、少しは暖かくなったと思っていたら、当のヤギはそんな配慮はどこ吹く風。この島ヤギ、ロープでつながれるのが嫌いらしいので、今は屋敷内放し飼い。どこに寝ているかと思いきや、昨晩は玄関前でご就寝。番犬ならぬ「番ヤギ」となっています。

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【「番ヤギ」になった島ヤギの「シーマ」。夜わが家を訪ねる人はさぞかし、びっくりするだろうな?】

 最後にお知らせです。懸案だった伝統構法の継承を解決するために、ひとつの活動を起こすことにしました。団体名は「伝統建築『これから』研究会」。
来る2月11日(土・建国記念日)の午後5時から発足式を行います。伝統構法の設計者、施工者、研究者が集まり、当日はカンナけずりの実演やこれまでの実績のスライドショーも行う予定です。
オブザーバーには伝統構法で建てた建て主様や国の文化財・中村家の十二代当主の中村様になっていただく予定です。技能オリンピックに参加予定の若い大工さんも来る予定です。

以下に、主旨文(案)を添付いたします。(後日、ご報告いたします)

 世界最高といわれる日本の伝統建築技術。しかし近年、住宅建設に関しては規格化・機械化が急速に進み、今ではいわゆるプレカット材による木組みが主流となり、伝統建築技術に秘められた多くの知恵や技が消滅しつつあります。
 伝統構法には木の文化と自然との共生・調和を活かしたが技が生かされています。だから、伝統構法でできた住まいでの暮らしには、日本の文化が備わっています。つまり、伝統構法の疲弊は日本文化の衰退に連動します。逆に伝統建築の継承は日本の文化の継承ともいえます。
 自然の外力を吸収・分散する柔構造。伝統構法の魅力を設計や施工、研究の立場から視座し、ただ単に過去にあぐらをかき保護・保全にだけ傾注するのではなく、伝統構法継承の課題を抽出し解決策を提案し、さらなる伝統構法の進化を図る必要があります。日本をしょって立つ「これから」の人たちに、伝統構法を手段とした日本の文化の継承を目的とした研究会を発足いたしました。
 どうぞ上記の主旨をご理解のうえ、ご協力くださいますよう、よろしくお願い申し上げます。
posted by 塾長 at 20:17| 建築

2016年10月14日

住生活月間 講演会のお知らせ!

 住生活月間における講演依頼が那覇市役所建設企画課からあったので、受けることにしました。

 日時は平成28年10月21日午後3時からです。場所は那覇市役所10階会議室。テーマは「究極の住まい 寝ても覚めても4畳半」としました。

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 【どうぞお気軽にご参加ください。】

 また先日、中部地区児童生徒科学作品展で金賞・銀賞だった亜和(あや)、朴然、さわみこ、こはづきの4人は沖縄県児童・生徒科学作品展に推薦されて審査がありました。

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【中部地区で後藤家の子ども全員が入賞したので、教育長から勧められ村長に表敬訪問。記事は沖縄タイムス】

 その結果、4人全員、優良賞以上の入賞を果たしました。
(あや 優秀賞、朴然 優秀賞、さわみこ 優秀賞、こはづき 優良賞)

 中部地区では銀賞だったさわみこが県では優秀賞に、金賞だったこはづきは優良賞になっていました。(ちなみに優秀賞≫優良賞なので、逆転していました)

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【県の表彰式。いささか緊張気味の「こはづき」。】

 残念ながら最優秀賞は逃がしましたが、来年2月の沖縄県青少年科学作品展(沖縄電力主催)には4人の作品も推薦されるのでまた楽しみです。

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【昨年は最優秀賞。今年は優秀賞。しかし、作品全体が専門家依存、専門機械の使用が進むなかで原始的で素朴なボクネンの研究は、小学生らしくていい!と思いました。】

 出展した作品名
  あや(中2)   「棚田の保水力向上のための研究」
  朴然(小5)   「身近な木を使った災害時の熱源確保」
  さわみこ(小3) 「アリをたいじせず、アリから身を守る方法」
  こはづき(小2)「むのうやくのおこめさいばいと、田んぼのいきものたち」

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【出展した4人組が全員優秀賞、優良賞を受賞。】

 中部地区で銅賞になった麻衣(中1)は、『「透かし葉」になるための一番の条件!!』でした。全員が別々分野の研究でした。

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【表彰式を終え、家族全員で記念撮影。】

 また、朴然はタイムス住宅新聞社が募集したこども絵画コンクール「あったらいいなこんな家」で、「タイムス住宅新聞社賞」を受賞、さわみこ、こはづきの両名も入選したとの知らせが入っています。表彰式は10月16日の予定です。

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【夕食は普段の生活に戻って、ベランダでサンマさんをみんなで焼いていただきました。】
posted by 塾長 at 16:07| 建築

2016年04月26日

木造文化フォーラム(8回目)と現場状況

おはようございます。

木造文化フォーラムと現場の状況をお知らせします。

4月23日(土)午後4時から1時間、木造文化フォーラムを開催しました。
よく調べたら、案内チラシに書いていた第7回は「第8回」の間違いでした。訂正いたします。

フォーラムには19名の参加がありました。ゆっくり解説する時間がないので、写真説明でご理解願います。
また、その後の現場の進ちょくを25日現在でご紹介いたします。
学習会の意義を理解し、現場を提供していただいた施主様に感謝申し上げます。

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【まずは、「空っぽな建築」ではない意味を説明。同じ強度の鉄筋やコンクリートで作るのではなく、生まれも癖も強度もまちまちの木を生かして「組み上げる」木造の奥の深さを最初に話しました。】

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【小屋組の説明。敷桁入りの折置き組は最上級の小屋組。単に沖縄の工法を踏襲するだけではなく、軒の出を深くして壁を守る工夫を説明しました。】

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【同上。皆さんご熱心で・・・。】

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【床組の説明。足固めと土台の二重構造。当然、床組みの剛性は上がります。】

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【石場立ての柱。石口合わせは大変な作業。柔構造には欠かせません。】

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【隅角部の納まり。隅梁が隅角部を固定します。】

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【マス組の説明】

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【上棟式に用いる矢のいわれを棟梁が説明。間竿と使い方や図板の説明もありました。】

これからは、フォーラム後の進ちょく状況です。

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【マス組作業中】

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【マス組完了】

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【彫刻入りの平虹梁】

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【マス組上部の梁には6本の大栓でつなぎます。】

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【海老虹梁の曲線が何とも言えません。世界に冠たる日本の木造技術、隠れた文化を今後も継承していく責任を感じております。】

以上
posted by 塾長 at 09:24| 建築

2015年05月01日

紫微鸞駕(しびらんが)発刊25周年(建築士会中部支部)への寄稿

 私は現在、沖縄県建築士会中部支部に所属しています。
何はともあれ、この支部は愉快な仲間がたくさんいて、機関紙である「紫微鸞駕」をとうとう25回も編集・発刊してしましました。継続は力なり・・・すばらしい支部力です。
 私はもともと熊本県建築士会のメンバーですが、25年前から縁あってこのユニークで活動的な支部に入りました。かつて日本建築士会連合会の理事や青年委員長も経験しているので、全国の士会の実態は分かっているつもりです。そのうえで言えることですが、この会は楽しさ・仲間意識・実績・お酒の強さでは「日本一」と思っています。 
 それでは、25周年記念号に寄稿した文を掲載いたします。

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【沖縄県建築士会中部士会 機関紙「紫微鸞駕(しびらんが)」の25周年記念号の表紙】


                    私と建築士会   
                                        後藤 道雄
1、建築士会活動のきっかけは「御礼奉公」
 私と建築士会のつきあいは、昭和48年の二級建築士合格と同時に入会してからなので、43年になります。その後めざした一級建築士試験の対応は、当時、日本建築士会連合会が企画・編集したテキストを姉妹団体である財団法人日本建築文化事業協会が実務・運営していた「日本建築大学(講座)」でした。建築学の高等教育と人格の陶冶(とうや)の両面を目的としていたので、単なる受験講座ではありません(当時の連合会長、協会理事長ともに松島俊之氏)。
 学費は安いのに教授陣は東大や筑波大、早稲田大などの大学教授をはじめ、郵政官房、鹿島、竹中など施工の実務専門家など他には類を見ない多彩な指導者も魅力のひとつでした。また、一般の建築学に加えて、防災工学、環境工学、日本建築史、東洋建築史、構造特論、仕様、木構造Å・Bなど興味深い教科もありました。だから、ここで学ぼうとした人たちのなかには多くの一級建築士もいました。
 ここを正規3年で卒業できれば、一級建築士試験は楽に合格できるという噂だったので、素直に挑戦しました。仕事の合間に必須の18科目と選択2科目をレポートと春季・秋季試験、年2回の集中スクーリングで単位を取るのは大変でしたが、知らない知識と新しい友人との出会いがあって楽しく過ごせました。

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【当時、毎月送られてきた「学生サロン」の表紙】

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【図面やレポートへの添削、試験の解答、質問に対する解説などが掲載されていました。】

 噂通り、一級建築士試験は、昭和51年、受験番号43(熊本)0001番・1回でパスできました。この時期も現在と同じように総合の合格率は10%前後(12.6%)の厳しい国家試験でした。受験1回で学科・製図の両部門の合格は数%(8.7%)でした。(製図は今と同じように、次年度に再受験の機会あり)
待っていたのは「建築士会への入会」でした。建築士会連合会が開催していた教育活動で合格したのだから、そのお返しをしよう、ということがきっかけです。
 活動は熊本県建築士会の青年部会からスタート。最初は相談委員会に属し、毎週繁華街にあるデパートの5階の片隅で建築相談を担当しました。その後、相談委員長になったころ、地元紙のコラムを相談員4名で受け持ち約1年担当しました。
 昭和59年、下積みの青年部会のころ、熊本で全国大会が開催されましたが、その準備に1年間ほどは追われました。大会当日も一日中駐車場係で県外の誰とも話すことはありませんでした。

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【青年部会相談委員長時代の新聞コラムの一部】

 全国とのつながりはその翌年でした。建築士研究集会(集いの前身)で九州代表に選考され、滋賀大会の第3分科会で(その後近畿の青年委員)今は大阪府建築士会の会長になった岡本氏などとともに発表しました。青年部の共通テーマは「国際青年年に語る」でしたが、私は通信大学の復活も訴えました。

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【「くまもと青年けんちく塾」の開催。「通学路を取り巻く建築環境」の主テーマに合わせて支部活動報告】

2、主体性な活動に着手
 それから熊本県建築士会で青年部会長(2年)、九州ブロック青年建築士協議会委員長(2年)をへて日本建築士会連合会青年委員になりました。
 それまで県青年部会長の選出は前任者の指名で馴れ合い的でしたが、選挙の形で民主的に行いました。公約は「自主的・主体的事業の実施」でした。具体的には「くまもと青年けんちく塾」を開催し、新しく特別事業研修委員会(後の通学路委員会)や環境問題研究会を発足させました。通学路委員会は帯山西小学校を中心に全県の支部で「視点1メートルのまちづくり」を展開しました。その結果、建築士会が地域の団体と協働し、危険個所の是正や潤いのある通学路づくりに貢献しました。特に、熊本市内50数校の境界塀がブロックから見通しの良いフェンスにすべて変わったことはうれしいことでした。
 6年後、通学路研究会の活動は連合会まちづくり大賞のグランプリを受賞、環境問題研究会では県民提案で入賞した新屋敷周辺親水公園化構想に向けて活動。それに対して熊本市が巨費を投じて事業化しました。

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【建築士会と地元がひとつになって活動し、事業化した新屋敷大井出周辺親水公園化構想(一部規模縮小)】

3、改革に失敗はつきもの
 九州ブロック青年建築士協議会委員長になる平成3年、「九州パッション」を創設しました。鹿児島の大迫氏、長崎の山口氏、大分の佐藤氏、佐賀の三原氏などと事前に作戦を練って、新しい地域研修のあり方を模索しました。6月は全国大会選考、2月は交流を目的に開催地を県庁所在地に限らず、かつ、地域の建築文化に触れる内容に切り替えました。
 第一回の「九州パッションin ASO」(メインテーマ:通学路を取り巻く建築環境)には200名の青年会員が貸し切ったSL「あそBOY」で集結しました。合言葉は「九州はひとつ」。沖縄から西山氏と佐久本氏の2名が参加されました。各県紹介も北の福岡県が定番でしたが、南の沖縄県から、また、地域の象徴である方言で自己紹介するようしました。ところが、沖縄の方言はむずかしく、発表した佐久本氏の隣にいた西山氏に全部「通訳」してもらう羽目になりました。
 またこれまで二次会で本音が出る日本の会議の実態を見てきたので、会場入り口で缶ビールを出しました。おかげで和気あいあい、本音の議論ができました。ただ、責任者の私は当時九州ブロック建築士会の会長だった 右田氏から「不謹慎!」とお叱りを喰いました。
 失敗はもうひとつあります。九州各県青年部に依頼して「九州はひとつ」を実感するため地酒を持参して鏡割りを計画しましたが、鹿児島と沖縄は「焼酎」だったので、「日本酒」とのブレンドになってしまい、とてもおいしいとは言えないお酒になりました。

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【地下水保全、非常水の確保、節水が目的の「無数の地下ダム構想」NHK朝のニュースで全国放送される】

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【地元紙(一般紙)の社説に取り上げられた。かかわる仕事の中で2,500トンの地下ダムを民間で導入しました】

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【不要な間伐材を活用した杉合板の開発。開発の結果、熊本県の特記仕様書に「国産材杉複合材」として表示され、以降、県庁第二庁舎新築や県ビジターセンターなどの公共事業の型枠に採用されました】

4、建築士は皆、平等!
 しかし、その後の佐賀大会でテーマを与えず「無題」とした全員参加型のグループディスカッション形式は、のちに「佐賀方式」と呼ばれ、全国大会でも採用されることになります。九州パッションは以後400名規模で推移して20年以上続き、先日、発祥の地・熊本県(山鹿市)で終了したようです。
 九州ブロックでは沖縄は遠方だから旅費がかかるという理由で2月の集いは2年に一度くらいしか開催していなかったのを、「どこを中心に考えているんだ!」と意見し、毎年、九州各県を持ち回りするローテーションを確立したのもこの時です。全員参加もローテーション作りも基本には、建築士会員はみな平等、せっかく時間とお金を使うなら有意義に過ごしたいという考えが根底にあったからです。
 この姿勢は全国の各ブロックから注目されていました。今後の青年部会活動がどういう方向でいくのか、楽しみです。

5、連合会青年委員長(連合会理事)時代
 連合会の青年委員会は7ブロックの代表者14名で構成されていました。その青年委員長に地方(九州)出身者がなることは第3代目にして初でした。(2代目委員長は現・京都府建築士会長・連合会副会長の衛藤氏、委員のうち高野氏は現・北海道会長、足立氏は現・島根県会長)
 連合会の選考委員会で協議され、連合会副会長の中村豪氏から電話連絡が自宅にありました。東京で青年委員会最後の会議を終えて青年委員長選考から年齢等で外れたと思って帰熊したあとだったので耳を疑いました。
しかし、中村氏の「青年委員長は大役で大変だろうけど、生涯を通してきっとやって良かったと思う時もあるから受けて欲しい」の一言で決断しました。東北弁で聞きづらかったのですが、そういう意味のことをおっしゃいました。
 ただ、名誉職で終わりたくなかったので、これまでの建築士会活動で感じたことを実行に移すことにしました。

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【全国大会後の新聞記事の一部】

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【北海道旭川支部での講演後のインタビュー記事】

 青年委員長の仕事は大きく分けて二つありました。全国青年委員長(部会長)会議と青年建築士の集いの開催です。
 全国青年委員長会議では、「応急危険度判定士制度の速やかな実施」を緊急動議で提案し決議しました。また、各県の建築士会活動を後押しする「地域文化貢献賞」を創設して表彰することにもしました。
 一番印象に残っているのは、平成6年の愛媛大会です。全国研究集会を第1回青年建築士の集いと改称した大会。ここでは九州で実践した分散会方式を松山文化会館の29の楽屋を使って再現しました。テーマはシナリオのない「無題」、グループ分けは自由。見ず知らずの「建築士」が自己紹介から始まって、いま考えていることを忌憚なく話し合うというやり方です。参加者はみんな建築士。進行は信頼して任せました。
 このいわゆる「タコ部屋談義」は、常に連合会から与えられたテーマで話し合っていた人たちには戸惑いもありました(賛成60%)が、事後アンケートによると遠方から参加しても一言も発言せず、誰とも名刺を交わさないよりは、新しい「仲間」との出会いや自分が出した議題で話し合いができたことはとても有意義だった(賛成80%)ようです。
 ここでも、会費会員(会費だけ支払って会誌「建築士」を読む活動不参加の一般会員)に対し、何を持って還元できるかが、個人的には課題でした。これは、建築士会員になって以来の永遠のテーマです。
 この後の青森大会までが私の任期でした。分散会方式は継承しましたが、阪神・淡路大震災のあとだったので、防災シンポジウムを実施し、前年度決議し連合会理事会で承認された応急危険度判定士制度の加速度的な促進にまい進しました。

 
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【熊本県人吉市矢岳町を訪ねて演奏してくださった「パパイヤカンパニー」の記事】

6、交流から学ぶ
 さて私と建築士会の関係は、大役を降りても続きました。個人で発刊していた「おげんきですか」という小冊子を平成元年の1月から全国大会などで知り合った人たちに無料で配布していました。B5判8ページのミニコミ誌は「自分と話して気があった人」に送付していました。平成7年7月の65号まで続きました。
 中身は、開発した国産材杉合板の途中経過やくまもとアートポリスへの考え(まちづくり実行委員長)、旅先で思ったことや、環境問題への取り組みなどでした。約3,200部の郵送費や印刷・編集にかかわる費用などがかさみ、途中でインターネットに変えましたが、全国の建築士やそれ以外の友人・知人の感想が届くのが楽しみでした。

7、中部支部との関係
 沖縄に来てさっそく西山氏の勧誘で中部支部に在籍しています。平成4年嘉手納町で講演して以来約23年経ちました。その間、平成11年から空き店舗事業の一環で開店した一芸居酒屋「紫微鑾駕」でも大変お世話になりました。また、熊本県人吉市矢岳町で始めた「林間学校」も現在、沖縄県北中城村に転居と並行して継続し、この春で第26回目を迎えます。
 平成11年には、携帯電話も通じない山奥の矢岳町に古謝氏や現・嘉手納町長である當山氏など7名のパパイヤカンパニーの皆様が来て下さり、三線を片手に「矢岳の森の音楽会」で沖縄音楽を奏でていただきました。沖縄出身の妻は故郷を思い出し、心打たれて涙しました。ありがとうございました。
住居が北中城村、勤め先も管轄外なのにいまだに中部支部に在籍するのは、このようにさまざまな歴史とこころの付き合いがあるからです。
 また、国産材使用合板の開発普及、無数のミニ地下ダム構想、矢岳の家(旧国鉄矢岳駅駅長官舎と井戸)の登録文化財への登録、シンポジウム「死角からの提案」(沖縄県建築士会・21世紀社会特別委員会委員長)、無災害地域と災害地域の技術者の相互支援体制(AEN:アジアエンジニアネットワークシステム・沖縄県建築士会ネットワーク強化委員長)などの建築士としての活動に加え、林間学校や講演などの環境教育を手段とした人格形成活動も同時に行ってきました。

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【沖縄県建築士会での活動。無災害地域と災害地域の相互技術支援システム(AEN:アジアエンジニアネットワークシステム)構想で台湾建築師公会や在沖米軍基地との交渉を行いました。】

8、これから・・・
 現在、仕事は土木コンサルタント業務(技術士:建設部門・総合技術監理部門)と建築の設計監理業務(建築士)を半々で行っています。
 建築では伝統木造住宅に隠された日本の技術秘法や日本的な暮らしぶりを現代社会に生かしたいと思っています。日本の気候は穏やかな中にも変化があります。日本人はそれを全部受け入れて俳句や短歌、華道や茶道などの文化、合気道や居合道などの武道として極めてきました。建築の世界でもかつては自然を敵対視することなく、暑さ寒さをほどほど感じる暮らしを営んでいました。近年の事件・事故を顧みますと、自然を人間の科学力でコントロールしようとする傾向を強く感じます。
 身勝手な事件が発生しないためにも、科学力を少し抑制し、エネルギーもなるべく使わないつつましやかな日本人に、そろそろ帰るべきではないかと思っています。

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【最近の仕事:「龍が昇る家」(北中城村字仲順(ちゅんじゅん)】

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【鏝絵(こてえ)の採用】

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【日本人の心と技術がいっぱい入った伝統構法を残すことを主眼にした設計を今日も行っています。(那覇市具志)】

 最後になりましたが、建築士の資格は技術のひとつです。使い方次第では、100年後、巨大な産廃になったり、文化財になったりします。資格にあぐらをかくことなく、謙虚に社会に対して何ができるか、今一度、考え直す時期が来ているかもしれません。
 また、建築士会は個人の集まりです。資格に上も下もありません。そして、全国に仲間がたくさんいます。私が連合会の青年委員長当時の澤田会長がいいました。「全国大会で記者会見しても専門紙だけ来る。いかに一般紙の記者が参加してくれるか、が建築士会の課題。もっと社会的な活動をしないとね・・・。」
 中部支部会員のみなさま。どうぞ今後は、資質向上や自己満足の業務だけに留まらず、健全な社会実現のための運動体として活躍されること切に希望して、25周年の節目の寄稿とさせていただきます。 

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【「きたなか林間学校」も「紫微鸞駕」と同じ25回目の記録書を発刊しました。気持ちの続く限り、継続したいと存じます。】
posted by 塾長 at 16:16| 建築

2014年04月06日

人生、どういきるか?

 我が家も、子どものいる家庭ではどこにもあるような入学、進級の月を迎えました。上4人はそれぞれ進級し、5番目の「さわみこ」が北中城小学校に入学します。来週から、5人の子どもたちが朝7時すぎ、小・中学校に向けて一緒に出発します。
 次女の亜和(あや)は、新入生の「さわみこ」を、児童会長として歓迎のあいさつをするようです。幼稚園も保育園にも通わせなかった「さわみこ」が朴然同様、どのくらい活躍するか楽しみです。

 見送る側はさわみこが減った分、第八子・「こだまこ」が増えました。親子5人で山の中腹にある自宅のベランダから毎日見送ることになりますが、「こだまこ」はまだ無理。これからしばらくは元気のいい「こはづき」が200m先の5人組に大きな声で「いってらっしゃーい!」と叫ぶことになります。新入生の「さわみこ」を含む学校組が、それに大きな声で応えると思います。ともに、周囲にこだますることでしょう。

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【「こだまこ」の日明き祝い。(普天間神宮)】

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【体重低下で1週間入院しましたが、おかげさまで何とか元に戻りつつあります。】

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【春です。桑の木に実がつきました。野鳥と競争で実を採る子どもたち。】

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【第五子・「さわみこ」に入学祝いの電気スタンドを贈る。「派手な贈り物はできないけど、がんばってね!」】

 さて、近くに設計した住宅の現場(龍が昇る家)も目に見える形で職人文化の花が開き始めました。「龍の通り道」に当たると言われる我が家の界隈にふさわしく、我が家に鎮座する下り龍がとなり部落の仲順(ちゅんじゅん)では、昇り龍として新築住宅の棟に出現しました。

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【ロフトの登り棟に姿を現した昇り龍。頭と前足は黒(玄武)。胴体は赤(朱雀)。つまり赤・黒の色をもつ黒龍と赤龍の合体。玄武は北を、朱雀は南を守護します。】

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【龍の頭部分。大きいので二つに分けて製作。銅線でつなぎます。】

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【一体化した頭。角(つの)をつけました。このあとにはヒゲも付けます。】

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【前足、指のやきもの。】

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【前足取り付けの下地作り。】

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【沖縄の瓦職人さんが頭や胴体をつないで一体化します。ウロコや熨斗(のし)瓦などには、既存の古瓦を使用しましたイメージ通りの昇龍になりつつあります。】

 龍の頭はいぶし銀。製作者は我が家の鬼瓦と同じ熊本の「藤本鬼瓦」様。現在、両前足を取り付け中なので未完成ですが、次第に龍の姿が見えてきました。
 龍の体は沖縄の瓦職人さんが作りました。微妙な龍の動きを表現してくれました。

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【A3版の鏝絵案の下絵を拡大して壁面に書く愛さん。一部、修正・助言を掛けながら、書き上げていただきました。】

 また、玄関の壁には龍の鏝絵(こてえ)が完成しました。鏝絵は九州や四国の蔵や住宅に施してあります。ここでは現在執筆中の(仮)「きたなか龍神ものがたり」を象徴する一場面を表現しています。
 私のイメージを本永愛さんが下絵にし、それを熊本の左官、成松徳雄氏が鏝絵として完成させました。龍の親子が満月の夜に会う約束をします。天で待つ母親は子どもに月夜に映る自身の影を見せてさとす場面を漆喰で立体的に表されています。
 かつて技能五輪でチャンピオンになったことのある成松氏ならではの技が光ります。

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【旧友の成松徳雄さん。持参したコテは約50種類。家には他に50種類ほどのコテがあるとか・・。現在は、文化財保存の仕事が多いらしい。昔、お城づくりに関わった職人が、その技術を町家に生かしました。是非、文化財保護のために取得した技術を、住宅に生かして欲しいと、お願いしました。】

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【技と技の競演。感性と表現の葛藤。設計者と製作者がともに熱くなる。】

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【完成した鏝絵。白龍の親子が月夜に向かい合っています。龍が出てきたと言われる湧水地・タチガーの下にある池に子ども龍の影が映ります。果たして、母親龍はなんと言って暴れん坊の龍をさとしたのでしょう?このあとは、出版予定の「きたなか龍神ものがたり」をお楽しみに・・・。下駄箱上に見えるのは、使われたコテなどの左官道具。(白龍は四神(しじん)の白虎に通じます。西を守ります)】

 南側の雨端柱(あまはじばしら)を支える礎石にはそれぞれ川、海、森を守るカエル、カメ、フクロウが彫ってあります。
 つまり、彫り物(礎石)、塗り物(鏝絵)、やき物(鬼瓦)の技がすべて揃いました。しかも全部に意味があります。

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【残るは東の守護神。浴室の東側壁に青龍を入れる。】

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【黄龍は中央に鎮座。これは心柱が受け持ちます。東西南北と中央に合わせて5龍。】

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【柱を支える礎石に自然の監視役、カエル、カメ、フクロウを形どりました。】

 人は若いころ、夢を語ります。しかし、ある程度年を重ねると、人生とは何か?と考えるようになります。夢を達成した人も、しなかった人も・・・。
 あとの人生を考えるからです。
 日本は経済社会なのでお金がないと現実には生きていけません。しかし、お金の価値が通用しないところなどでは、お金は無意味です。
 幸せの度合いをお金がたくさんあることと勘違いしている人が増えました。情けないことです。

 意のままにならない自然と接触する機会が多く、自然の摂理に沿って暮らすことが、いかに大切なことか。日本の文化には、価値観や人生観を見直すきっかけが散りばめられています。
 自然の化身である水神さまやお地蔵さま、龍神さま、火の神様などを大切にする気持ちを日本に残すため、淡々と設計の中に取り込んでいきたいと存じます。
posted by 塾長 at 18:57| 建築

2014年01月31日

立柱祭!

 平成26年1月18日(土)、北中城村仲順(きたなかぐすくそんちゅんじゅん)に建築中のH邸の立柱祭と上棟式を行いました。もともと上棟式の予定で、その前にせっかく伝統構法が見えるので同時に第7回目となる「住環境フォーラム」も開催しました。
 上棟式ができるまで進ちょくする予定でしたが、残念ながら土台に15も段差のある心柱のある住宅はそこまでできませんでした。しかしながら、かえって途中の方が伝統的な仕口や継手、木の使われ方など木の文化、木造技術がよく見ることができたのではないかと思っています。

 前夜に我が家で宿泊中の大工さん3名と施主家族、それに私たちの家族が合同で上棟式後の餅投げ(餅まき)の餅を搗きました。紅白の大きな角餅(すみもち)を4セットと施主の長男さんが拾う紅白餅を優先し、その他は現場で撒くお餅にしました。
 伝統行事の伝承のため小学校にも案内をかけていたため、参加者が増えるかもしれないので、別に祭事用のお店に100個の小餅も依頼しました。

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【上棟前夜、餅投げ(餅まき)用の餅を、施主、大工棟梁、設計者の三者で心をひとつにして搗いた。】

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【施主も一緒にみんなで丸めた。世の中、丸くいきますように・・・。拾ってくれた人が幸せになるように・・・。】

 当日は、25トンクレーンでやっと吊り上げた直径60pの心柱を中心に多くの方々が集いました。フォーラムでは、日本に伝わる木の文化、特に山で育った木を伐採後も同じ方向で建てたり、木の曲がりを背や腹に使うなど、木の癖を生かした伝統技術を説明しました。

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【「住環境フォーラム(7回目)の様子。私の建築哲学:「農に似て、工に非ず 自ずと然りの伝統構法」がテーマ。木の住まいという、命の誕生に際し、化学物質を使わない無農薬農業に似て、さりとて、規格品の大量生産の工業でもない。つまり、木造住宅は、自然の木をその癖を読み取りながら自然に逆らわずに建てる伝統構法が、自然に一番適していると話した。工業化、化学化が進む木造住宅。快適便利、安全を重んじる住宅から、機能劣化、感性の喪失、危機管理能力の低下が広がりつつある。断熱・気密性の高い住宅には落とし穴がたくさんある。】

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【山で育ったように建てた心柱。枝が出ている方が南。癖を生かした木使い。】

 木造といっても様々です。最近はプレカット工場に運ばれた木材は、機械によって寸法通り正確に加工されますが、機械は年輪も癖も判別できません。この現場の柱は東と南を向いて建てられています。心柱はこの住宅の象徴です。だからわかりやすいように、枝をつけました。枝は山でも現場でも南側に向かって伸びています。適材適所に木を生かすことは、人間社会にも通じます。

 さて、フォーラムのあとは伝統的な式典です。まずは敷地を清め、心柱の前にお神酒やお米、水、塩を用意して祭壇としました。そこで、不肖、私が祝詞を奏上。今回は「龍が昇る家」なので「日本龍神祝詞」を奏上しました。祝詞奏上後、施主とともに「二礼二拍手一礼」を行い、私たちもお神酒をいただきました。

 最上部に棟木がないので、心柱に棟礼をあげ、棟礼に書く「天官賜福 紫薇鑾駕」(てんかんしふくしびらんが)は縦書きとしました。志村京子先生の書です。
 棟礼を上げたあと、五色の布を上げ、鬼門・裏鬼門の方向に矢を立てました。そして催事の最後に「千歳棟!」の掛け声に呼応して「オー!」と参加者の声。「万歳棟!」「オー!」「曳々(えいえい)、億棟!!」「オー!!」、掛け声に合わせて大工さんたちが込み栓や梁を掛矢で叩きました。全員が一体になった時です。これまで数え切れないほど棟上げを経験していますが、最高の盛り上がりでした。

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【お神酒などを上げ、心柱に向かって「日本龍神祝詞」を奏上した。】

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【五色の布と矢。五色旗は五行説に習い、矢は厄を払うために立てた。】

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【3尺6寸5分の長さの棟礼。「天官賜福 紫薇鑾駕」(志村京子様の書)。裏には年月日と施主、大工棟梁ほか大工さん、設計者が連名で氏名を書いた。】

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【掛け声に合わせて、参加者全員が呼応した声であげ会場は盛り上がった。】

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【餅投げ風景。みんな幸せになりますように・・・。】
 
式典を終えていよいよ餅まきです。大工さんと施主親子が登り、昨晩搗いた餅やお菓子を撒きます。建て主の喜びをみんなで分かち合う行事です。お餅には幸せに「ご縁」があるようにと「5円玉」を付けています。隅餅には50円玉が入っています。
 
 手描きの図面を参考に、山で育った木を人間の目で見極め、墨付けして手刻み。それを一本一本差し合わせて組んでいく日本の伝統的木造技術は、世界一の技と文化です。
 式典の意味も含めて、後世に残していく責任があると考えています。

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【刎ね木(はねぎ)。通常とは逆に丸太を使う。丸く曲がった方を下にして、軒先の重みを受け、天秤を踏ませて内側で刎ねる力を抑えるやり方。】

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【登り棟。この棟に龍の鬼瓦が鎮座。龍はその前方上にある宝珠を目指して昇る。まさに、「龍が昇る家」。】

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【全景】

                   おまけ

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【普段の風景。餌あげで5歳の「こはづき」が包丁を使う。】

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【保育園、幼稚園に通わず我が家でしつけ中の「さわみこ」。その「さわみこ」が、犬をしつけ中。】


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【平成の名水百選のひとつ、タチガー脇の池にお地蔵さんを寄進。清掃と水や花あげは子どもたちの日課。名水が永遠に出ますようにと祈る。】
posted by 塾長 at 09:30| 建築

2013年12月04日

柱一本へのこだわり!

 心柱の特定

 2泊3日の旅。今回は熊本空港経由で宮崎県綾町に向かいました。1泊目は南阿蘇村。名水百選に選定されている白川水源を有する村です。沖縄〜熊本便は福岡や鹿児島以外の九州の空港と同じように、午前中に沖縄に発つ便がわずか1便。沖縄発はいずれも午後。従って、熊本に着いた時はもう暗くなっていました。

 泊まった旅館は、宿泊施設や温泉、料理やもてなしも大変結構でした。ただやはり、飛行機の中や暖房の効いた部屋は空気が乾燥していて、次の日はくちびるが割れていました。やっぱり、密閉された空間では私は暮らせないようです。

 心柱特定の旅は最終日の朝、佳境を迎えました。前回、綾町でみた杉の木と同じような木をあらかじめ空師(そらし)の黒木様が数箇所、見つけていました。
そのひとつの森に行きました。

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【宮崎県綾町。心柱にしたい綾杉が育つ森。中央の木を特定。】

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【一番手前に見えるのが心柱にしたい杉の木。南側に向けて枝が出ている。】


「右から5番目です。」目を移すとそこにはまっすぐにたった立派な杉の木がありました。高さは22m〜23mと言います。近くに寄ってみると、思いのほか大きな木です。持参したスケールで測ると直径が約60cmありました。
両腕を回してみても、私の手が届きません。60年は経っていると言われました。


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【そばに寄って見上げると、圧倒される大きさ。】

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【抱いてみると、両腕では届かない。】


 そこは前回見たところに近い森。森に入る前、空師は森に頭を下げ、なにか祝詞(のりと)を読み上げているようでした。私たちも、後ろで山の神様に入山のお願いをしました。
 その木は森の周辺に育った「壁木(かべぎ)」。壁木は、中の森を守るように立っていました。前は道。右、左、後ろには杉の木が林立しています。この日のために、数本を枝打ちしてありました。枝は南向きに出ていました。「風を受けて強く生きて来た木。この方位のまま立てよう!」きっと、沖縄の台風から守ってくれる!と思いました。

 本来、山の木はたっていた場所と同じ使い方をすれば、木を活かせるといいます。南側の木は強いから構造材に、谷の木は弱くて節が少ないので造作材に、という具合です。心柱は家の中央にたてるので、森の真ん中にある木の方がいいのかもしれません。しかし、沖縄では台風の常襲地帯。左巻きの台風が本島西側(左)を通過するときは、台風の目に周辺の空気が吸い込まれ、南の強風が当たります。これに対応するには、南向きの風に対応して育った木が心柱に有効と、考えました。本島東側(右)を通過する場合、吸引力風の出口なのでは風力は幾分弱まっています。だから、南風対応を優先することにしました。

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【持っているチェンソーの中で一番長いチェンソーでしか伐れない、とおっしゃる空師の黒木様。】

 案の定、空師は「強い分、癖も強い。逆に使ったら大変!」と釘を刺されました。「ちょうど今の時期、水(成長)が止まった。伐るには一番いい時期」ともおっしゃいました。

 私は生きものであるこの木に「ごめんね。」と心で話しかけました「きっと、また沖縄でこれまでの数倍長生きてもらいたい。そのために、君(ボクと生きてきた年齢がほぼ同じなのでこの言い方)の癖を最大限生かすから・・・」と。

 この木を数日中に、皮をむき、熊本県の人吉市に運びます。そこで大工の棟梁が墨付けし、手加工して「心柱」になります。なにせ、自然のままの南向きの枝付きですので、墨付けや刻み加工、移動、運搬は大変です。約3トンもある心柱。鎮座するする日が、楽しみです!

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【綾杉の森の上流には、照葉樹林が・・・。聖域はちゃんと残している。黒木様が代表の会社名も「照葉林業」。】


コメント・・・

 どこを切っても同じ強度のコンクリートや鉄骨、鉄筋とは訳が違う。年輪(年齢)や癖など、科学的に計算できない部分を加味して造る木造建築は、RC造とは比べ物にならないほどの洞察力と技術が必要。だから、奥が深い。 
 ただ、木造といっても名ばかりで、本来の木の性格や癖(燃えない木や虫の来ない木、腐れない木など)を化学力により削ぎ落とし、さらにプレカットによる機械加工で寸法だけで組む現代の軸組工法は「木造」とは言い難い。2×4工法や丸太組(ログハウス)などは論外。

 数千年の歴史を持つ日本の伝統構法には木の文化、木の技術、そして「木のこころ」が宿っている。理解ある人のみでいいから、日本人が造る日本人の住まいをほんの少しずつ建てていきたい。

付録・・・

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【行き道、毎月、無農薬米を届けていただいている南阿蘇村の下田様の田んぼを見学。「川の水は使わない。川が既に汚染されているから・・」徹底した無農薬栽培。阿蘇五岳を臨む棚田は健康そのものだった。】

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【近くには、白川水源。コンコンと砂を巻きながら水が湧く。】

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【着いた日の気温は摂氏1度。溶結凝灰岩を通って湧く地下水は、まろやか。】

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【こちらは綾町の無農薬野菜畑。少量多種がモットーとおっしゃる「綾・早川農縁」の早川ゆり様。さまざまな野菜が元気に育っていた。雑草取りもみんな手仕事。「無農薬野菜は、体を浄化します!」ともおっしゃっていました。】

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【出された昼食。安全でヘルシー。とてもおいしくいただきました。】


訂正・・・

前のブログで「住環境フォーラム」のご案内を致しましたが、メールアドレス、携帯電話番号が間違っていました。訂正します。

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posted by 塾長 at 09:43| 建築

2013年11月29日

長浜邸の紹介と住環境フォーラムの案内

 長浜邸の住まいづくりが、「タイムス住宅新聞」の「お住まい拝見!」に取り上げられました。小規模で簡素な家ですが、自然に合わせたくらしや、木の文化の継承、伝統的な日本建築の技術を駆使した住宅です。

 木造住宅の建築は自然と共生するための手段のひとつです。決して目的ではありません。高気密・高断熱、快適・便利な住宅が増えていますが、将来に住宅を大型粗大ゴミで残すことはできません。自然に負荷の少ない自然素材を使って造るべきです。
 また、暑さ・寒さや自然の脅威を肌で感じることも大切です。

 現代の都市文明の忘れ物を、このような伝統構法の応用で建てた住宅で再び拾えたら幸いです。

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 関連して、来年1月18日(土)に、通算、第7回目となる住環境フォーラムを開催します。1月になったら、新聞のインフォメーションに掲載する予定ですが、HPで先にご案内いたします。(受付開始)

 さて本日の熊本便で沖縄を発ちます。目的は宮崎県綾町の杉材を最終決定するためです。心柱一本のためですが、柱になる木は生きものです。生きています。住まいに使う木材は全てすべて生きていますが、せめてこの柱ぐらいには事情を言って、伐らせてもらおうかと思っています。育っていた木の(向き)方向や癖を最大限、活かしたいと思っています。

 食材もそうですが、みんな生きている命を頂戴します。伐られたあとも、なお長く暮らしの中で生き延びてもらいたいとの思いです。空師と呼ばれる木を伐採される方のお話や地域の環境、山のどのあたりで生まれ育った木なのか、しっかり見てきたいと思います。

 また、帰って来たら、ご報告いたします。

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posted by 塾長 at 10:51| 建築

2013年11月06日

心柱探しの旅!

 11月3日、北中城村の比嘉邸に使う心柱を探しに、比嘉さん親子とともに沖縄を出発しました。「龍の昇る家」は、地域に伝わる龍神伝説も相まって、役者が揃いつつあります。
 自然との調和は、「言うは易く行うは難し」です。住まいづくりでこれを実践するには、描き手も造り手も住まい手も、みんな共通認識が必要です。これまでも「自然との共生・調和」という建築哲学で設計・施工してきました。
 つまり、住み手ができた住まいで自然に逆らわず、自然を楽しみ、自然の脅威を感じながらつつましく暮らすことです。これまでの住宅もベニヤやビニールクロスなどの新建材は一切使っていません。使うのは、自然に戻りやすい石や土、紙、木、水などの自然素材です。

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【心柱を探しに行ったのは、宮崎県綾町。北綾川は熊本県多良木町が水源と聞いて、縁を感じました。仙人が居そうな山だなぁ」というと、同行した高橋氏は「仙人が万人います」と返しました。そのくらい幻想的な風景でした。】

手入れされた人工林.JPG


【枝打ちなど手入れされた人工林の杉林。心柱には野性的な枝付きの杉を求めている。】

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【奥に入ると、湿気が90数パーセントの森が続く。神様が宿っていると思った。】

南向きの枝.JPG


【綾町に行って最大の学習は、この柱との出会い。枝が全体にバランスよく張っている木を探したが、地元の空師・黒木純一さんは、「枝は陽の当たる方に伸びますから・・・」とひと言。頭をガーンと打たれたようだった。つまり、バランスよく見栄えのいい枝ぶりを求めるのは、「人間中心」的な考え方に他ならないことに気付いた。山の北にある木は北東に、西にある木は南西に枝を張る。従って、部屋の中央に立つ心柱は、育っていた方向に建てれば、それが一番自然だし、強度も出る。木材の適材適所の使い方はここにあった。】

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【そのうえで、設計趣旨を空師の黒木さんに説明した。木の形や癖をそぎ落として製品化する今の木材の使い方では木が生かされていないことや、曲がった木を使いこなすのが大工さんの技術であり、それを生かすような設計をすることが、日本の山を守り、技術を継続することにつながることなどを一生懸命話した。それを理解してくれたあと見せていただいたのが、この杉の木であった。】

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【そしてやっと出会った心柱になるイメージの杉の木。沖縄からはるばる探しに来た甲斐があった。生きている木。大切にしなければ・・・。木材の産地を知る建て主は少ない。きっと、何十年、何百年と今度は家の守り神として生きてくれると思った。】

見つけた心柱.JPG


【少し安心したのでみんなで記念撮影。前列は比嘉淨治さん親子、後ろがみんなの気持ちをつないでくれた旧友の高橋武則さん(前宮崎県建築士会副会長)、後列左から空師の(有)照葉林業の黒木純一社長、私、その右が内田勉棟梁。撮影は、永田村衛門製材所の永田社長。】

 木組みも躯体(骨組み)には金物や釘は使いません。相性が悪いからです。二重土台や折置きの小屋組のため木材使用量は通常の軸組の2.5倍、手間も3倍ほどかかります。加えて、その家や地域にふさわしい物語を導入します。お金はかかりますが、坪単価が2倍になることはありません。

間棹の説明.JPG


【次の日、大工さんが切込み中の作業場を見学。「難しい仕事なので間竿(けんざお)が3本もいりました」と内田棟梁が建て主に説明。】

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【墨付けされた木材。丸太が多いので墨付けも面倒。しかし、機械加工ではできない木の性格を生かした木組みなので、しなやかで強い柔構造ができる。】


切込み中1.JPG



【切込み中。1本1本手作りで組み手を作る。】

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【伝統構法は職人だけでなく道具も現場に呼び寄せた。機械力や化学力に頼ると、人間の機能は劣化する。それは農業とも共通する。世界に誇れる日本の伝統技術を継承するには、建築士が手仕事で図面を書くことから始まる。「今の日本の建築士はカタログ建築士」と揶揄したら、同じ建築士の高橋氏は「いやいや、スマートフォン建築士ですよ」と言った、そのくらい、規格化した住宅に文化などあろうはずがない。ただ、施主の要望ばかり聞く建築士が多すぎる。建築哲学、自然観、人生観はどこへ行ったか?魂のない家の乱立は嘆かわしいばかりだ。】
 
 

 そして今回のテーマは「龍神物語」です。

 太平洋に向かう中城湾(なかぐすくわん)から昇りあがった龍が、荻道(おぎどう)にある湧水(タチガー)を通って我が家の裏山を下り、安谷屋(あだにや)辺りを回遊して仲順(ちゅんじゅん)のナスの御嶽(うたき)に入っていくという龍神伝説です。
 この龍は薬水をもたらすと言われ、現実、タチガーの水を飲んで癌(がん)が治った人もいます。

 比嘉様の敷地は龍の通る道になっており、南西から北東に向けて地形が上がっていますが、地形を変えず地形に沿った設計をしました。従って、屋根の棟も一部昇り棟とし、最上部のロフトの方形(ほうぎょう)の頂点には宝珠を乗せてあります。宝珠に向かって龍が昇るイメージです。
 そこで、昇り棟には「昇り竜」をあしらい、玄関壁には龍の鏝絵(こてえ)、雨端(あまはじ)の柱が載る礎石には龍を彫る予定です。

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【施主挨拶。「龍の昇る家」を支える熊本の職人集団が勢ぞろいした人吉市の「旅館芳野」の一室。ここは登録文化財でもある。左から二代目竹下建具製作所社長、成松左官さん、竹下建具製作所三代目予定の裕一さん、右奥、礎石に龍・カメ・カエルを彫る徳永大工さん、明治時代の創業、老舗の永田村衛門製材所(2名)、内田棟梁の面々。】

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【敷地の地形は南西から北東に上がっている。建物も地形に合わせた。高い部分のロフトは方形(ほうぎょう)で、最上部に宝珠(ほうじゅ)が鎮座する。その宝珠に向かって下段の屋根の棟にある龍が昇る。登り棟の端には龍の鬼瓦。「藤本鬼瓦」の手製となる予定。その下絵。】

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【わざわざ熊本市から駆け付けてくれた成松左官さん。鏝絵の参考にと持参したのは龍。】

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【よく見ると、龍の口には玉が・・・。細かな手仕事。これなら素晴らしい鏝(こて)絵ができると確信した。】


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【漆喰で作られたアユ。これも成松さんの作品。】

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【すると、集まった職人さんが手作りの作品を出し始めた。まるで展示会の様相。内田棟梁はケヤキとヒノキで作ったお盆、徳永大工さんはニワトリの一刀彫り。携帯電話の画像には、これまで作ったカエルや河童の作り物が・・。やる気満々の職人さんがたくさんいて、力強くなった。】

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【ニワトリの一刀彫り。すごい!】

 昇り龍の鬼瓦は、熊本城の鯱(しゃちほこ)を作られた藤本鬼瓦様、玄関の鏝絵の製作には、下絵が本永(旧姓宮城)愛様、左官仕上げは昭和50年の技能五輪全国大会で第1位になった成松徳雄様、礎石の彫り物は徳永繁信様がそれぞれ担当します。

 これに「空師」(そらし)と言われる宮崎県綾町の黒木純一様がひと肌抜いでいただくことになりました。龍のように大木の間を駆け登り、枝打ちや伐採をする業師です。

 龍神と水神は表裏の関係があります。北中城村(きたなかぐすくそん)の龍神の道は、水神の道でもあります。平成の名水百選に認定されているタチガーの水脈は、比嘉様の敷地までつながっていて、まさに「神の道」でもあります。
 先日、地盤改良工事の際、湿っぽかった場所を掘ってもらったら、わずか2メートルのところから水が湧いてきました。その後の雨の影響もあって、今の水位は地盤から65pまで上がっています。きっと、神様からの贈りものでしょう。家の完成までに、井戸として整備したいと思います。

新井戸.JPG


【タチガー脇に林間学校用の洗たく場を作った時も偶然、鉄棒を突いたところから水が湧いた。今回も、地盤改良の時湿ったところを掘ったら水が湧いてきた。神の道は水・龍の道。家の竣工までに井戸として整備する予定。】

 水や森に感謝し、大切にして未来に引き継ぐことは、現世代の責任です。目の前の快楽やおぼれることなく、人間が自然界の一員として自然の営みに逆らわず、謙虚に生きていくことを家づくりの中に取り込んでいきたいと思っています。

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【綾町の物産館に掲げてある有機野菜の区分け表。「金」は完全無農薬。我が家は米も無農薬。食住で安心して暮らせるのはありがたい。】


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【綾町は有機野菜で有名。俺が俺がではなく、地域ぐるみで土壌や水を汚さない農業を長年掛けて達成。冬にヒマワリを無理やり咲かせて喜んでいる北中城村も綾町を見習ってほしい。価格は決して高くない。むしろ安かった。帰ってからソーメンを食べたが、しょうがの味も本来の味を出していた。綾町の魅力は木材だけではない。人も自然も虫たちもみんな元気!】

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【お土産は無農薬野菜に加え、朴(ほう)とヒノキのまな板や杉の落し蓋など。朴は長男の朴然(ぼくねん)の名前に採用した漢字。包丁のような鋭利な刃物で傷ついても、元に戻る打たれ強い人間になってほしいという願いが込めらています。無農薬野菜もふくめ、本物はやはりいい。】

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【二次会は球磨焼酎が潤滑油。立派な仕事をみんなで誓った。】

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【おまけのおまけ。石の彫り物をつくる予定の徳永大工さんの娘さんが経営するスナック:テディベアU(人吉市紺屋町)この写真のように、親子の家族愛を見せていただきました。きれいでしっかりしたお方でした。】
posted by 塾長 at 20:04| 建築

2012年09月09日

伝統木造住宅は、子育てのよう!

 我が家は引っ越してきて、やがて6年になります。軸組工法と異なり、伝統技術を用いた木造住宅は「子育て」に近いと実感します。棟上げは図面が姿に変わる出産のようで、棲みはじめると子育てです。

これまでも手直しや追加工事を何回も繰り返しました。それでも家族の変化や自然活動への対応などでいまだに手を入れ続けています。

 今日の午前中は、家の中の棚付けをしました。わずか17坪の母屋に9人が暮らします。特に収納は毎年増え続け、なかなか片付かないので、色々と工夫するしかありません。

 隣町のDIYの店から既製品の板を購入し、サシガネで寸法を書き入れ、ノコギリやノミを使って家族総動員で取り付けしました。私は大工さんでもないし、もともと不器用なのでまっすぐ切れなかったり、まともに釘を打てなかったりして大変ですが、家に対する愛情だけでがんばりました。

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【書斎兼事務所の木製棚。既製品の棚板を2枚取り付けえたら、随分片付いた。家には手入れが欠かせない。】

 今日は、書斎兼事務所の棚と食器棚の棚の追加です。なんとか形は出来ました。台風の前は折りたたみの雨戸が壊れたので、直接木々で止めたり、風で家に当たる樹木の枝を切ったりと、毎日のように力仕事が続きます。

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【こっちは、家内要望の造り付け食器棚の地袋の棚付け。一段増えると、台所は相当片付く。自家製の梅酒(平成18年〜今年まで漬けたものや梅干などが並ぶ。よほど飲兵衛と思われるかもしれませんが、たまーにしか呑みません。】

 そういえば、屋根の点検で見つけた渡り廊下の雨樋替えもしました。樋(トイ)といっても、竹です。モウソウダケを二つに割って節をとります。自然素材なので、数年もすれば取替が必要です。お風呂も檜風呂なので、同じことです。つまり、我が家はすべてがそうなります。お金も手間もかかりますが、実に楽しい子育てです。

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【孟宗竹を割って作った雨樋をかけました。上下2段あります。取り付け役?私ではありません。屋根の登ったのは、家内と子どもたちです。】

 以前、連載「新木造孝」でも書きましたが、いままたそれを実感しています。伝統建築の木造住宅は、子供のようでもあり、恋人のようでもあります。そのうち、母親や父親のように僕らの家族を守ってくれると信じています。
 それまで、毎日、気にしながら付き合い、育てていこうと思っています。

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【水車小屋前の池も家族で作りました。ここにはトウギョやメダカ、カニ、金魚などが棲んでいます。】


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【我が家の玄関屋根には、オオタニワタリが棲んでいます。漆喰下の土に根を張っている様子。生きものと一緒の暮らし:命がたくさん寄ってくる家・「ぬちゆるやー」にふさわしい風景です。毎日見るたびに植物の生命力に感嘆できるのも、自然素材だけで建てた伝統木造住宅である我が家のおかげです。】

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【以前連載した「新木造考」と「木暮らし」の一部。この時も同じように、伝統木造住宅は「恋人」「子育て」のようだと書いています。】
posted by 塾長 at 20:10| 建築

2012年09月03日

台風15号から学ぶ!

 8月26日夜9時ごろ、台風15号が沖縄県北部に上陸しました。台風が近づくに連れ、気象台や報道から出される情報は、「風速50m、最大瞬間風速70mの戦後最大級の超大型台風」でした。

 さすがに、繰り返される台風情報の脅威に、伝統木造建築の設計を手がけるものとしては、多少の不安もありました。26日の日曜日の朝から風が強まりました。我が家は布基礎にアンカーボルトで土台でつなぐ床組みではありません。石灰岩に柱を立てる礎石基礎(石場立て)です。
 したがって、強風が吹くと家は揺れ、浮きそうになります。屋根や床、壁の重みとのバランスで立っています。筋かいは1本も入っておらず、貫を通した軸組です。小屋組は学習棟を除き、折置き組です。学習棟は京呂組ですが、宙に浮く心柱が入っていて、バランスをとっています。4棟いずれも、いわゆる、柔構造です。

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【お母屋のベランダから見た台風時の風景。台風が進路の東を通ったので、来るときは南風、次第に西から南風に変わるのが分かる。】

 設計した家のなかで、一部雨漏りしたところがありましたが、家の崩壊などはありませんでした。特に、山の中腹にあって風の通り道に建てた木造2階(PH付き)の住宅は、よくぞ、あの強風に耐えてくれたと思います。
 PHは八角形とし、いずれの方向からの風も逃がす工夫をしています。沖縄の住宅は基本的に平屋です。ところが、米軍基地に摂取された影響もあると思いますが、狭い敷地が多く、そこに木造の心地よさや健康面を考慮して、RCではなく木造で建てたいとの要求があります。日本の木造住宅の基本は水平性(平屋)、融通性、可変性、自然との調和です。

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【強風で雨戸がしなる。手前のガラス戸も割れそうにしなる。こどもたちが内側から押さえていたが、途中で建具も柔構造と思い、ガラス戸を少しだけ開けた。すると、外からの風圧が分散し、ガラス戸はしならなくなった。】

 しかたなく2階建てとなりますが、そうなると、風や雨の対応が難しくなります。つまり、屋根で覆われた平屋とは異なり、壁と屋根の納まり(つなぎ目)によほど気を使わないと、雨漏りの原因になります。
 特に、伝統構法で壁を板張りにすると、隙間から雨が入り込みます。しかし、もともと風や地震の力を無数の隙間(クリアランス)によって吸収・分散する工法です。

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【裏山にあるタチガー(湧水地)周りの点検。ギンネムの枝が折れていた。我が家の敷地もアカギの大木が折れた。】

 虫の侵入を許容する日本人の自然観を取り入れた柔構造は、虫も風も雨も入り込むのです。それを雨一滴、すきま風ひとつ許さないと言うのなら、最初から気密性の高いRC造とし、開口部をアルミサッシにして、外部の自然を排除する西洋的な家づくりをすべきです。
 昔の家にはガラス戸はありません。雨戸の内側に紙貼り障子があるだけです。家は雨風をとりあえずしのぐ器でした。内外の温度や湿度はほぼ一緒。冷暖房機などなく、夏は縁側を開け、蚊遣りをたきました。寝る時だけは蚊帳をつり、打ち水やウチワ、風鈴などで涼を呼び、冬は火鉢や炬燵で暖をとったものです。いずれも局所の冷暖房です。

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【雨は少なかったが、普天間川を見に行ったら、増水していた。】

 自然に対抗して自然を押さえ込む西洋の自然観と、人も自然の構成員のひとつとして、自然との共生・調和する日本的な自然観とはまったく逆です。最近、木造住宅が沖縄でも見直されて普及しつつありますが、考え方の土台がなく、木造のいいとこどりで建てる人が増えました。気密性の高い「RC造のような木造」や、カタログから出てきたような「規格住宅」が増えました。

 構造躯体に釘や金物を一切使わない伝統的な木造住宅と、規格化されたRC造的な住宅とを一所くたにされたらたまりません。
住宅は自らの価値観、自然観を表します。高所・大所から物事を捉え、場所が異なる地域に建つ住宅にかかる自然の力を時間をかけながらなじませていく努力を建て主は実行していかなければなりません。目先、小手先にとらわれず、大きな気持ちで全体を捉え、木造の文化や自然との調和の仕方を、住宅から学ぶのです。メンテナンスのいらないメンテナンスフリーの住宅が主流ですが、それは建て主にとって、捉え方次第では不幸と考えています。台風が来ても、地震があっても人工物である住宅を過信すると、危機管理能力が低下し、命さえ落とすことさえあるのは、先の東日本大震災・大津波で実証済みです。

 また、沖縄で2階以上の木造住宅を建てるには、相当の技術が必要とされます。特に、伝統構法の場合は、技術者が極端に少ない事情があります。例えば、錺(かざり)職人は沖縄にはいません。大事な2階の壁と1階の屋根の納まりなどは、錺職人の技術が不可欠です。また、瓦工事もRC造が多いためか、そもそも瓦で雨水を止めようという考えがありません。「瓦から漏るのは当たり前」と職人に言われたときは、唖然としたものです。沖縄の瓦屋は、瓦下地の防水シートで水を止めるのが常識なのです。

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【夏休みの自由研究:小学一年生の朴然の作品。水陸両用の風力式自動車らしい(帆が動く)。六年生の長女は、琉球松をくりぬいて作った「起き上がり小法師貯金箱」貯まれば安定!がキャッチコピー。】

 このような木造住宅の職人意識、環境の中で、どのようにして本来の木造を普及させるのか、課題はたくさんあります。
しかし、多少、雨漏りやシロアリ被害があっても、なお、伝統的な木造で自然と共生しながら暮らしたいという人たちもいます。建て主も職人も設計者も、みんなでその対応に知恵を出すからです。
住み手、作り手に「自然との共生・調和」という共通認識があれば、これからも少数の方々とだけでも一緒にやっていきたいな、と思っています。
 なぜなら、私は建築は手法の一つであって、伝統木造建築を通して自然と人間が共生する考えや暮らしが広がり、人間性の高い社会を築くことを目的にしているからです。

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【次女・亜和(あや)の工作は、回る家・浮かぶ家。製作中1】

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【間取りも製作】

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【ほぼ完成。敷地は鋸屑を使って芝としたようだ。家が回るので、風や日当たりを調整できるらしい。その他にも、いろいろ工夫がしてあった。子どもたちは工作以外に、「クモの研究」(ぼくねん)、3年の麻衣は「アリの研究」、次女の亜和(あや)は「アヤヨシノボリの研究〜往復・8kmの旅」、長女は「身近な生態系と自然との共生」(論文)をまとめました。童話大会には4人とも出ます。1年とと3年は規定の童話、次女は「万然の奇跡」、長女は「幸せとは?」の作文をそれぞれ記憶して発表します。この他にも一行日記やがんばりノート、ラジオ体操、絵日記、読書各12冊読破など、毎日、エサあげのあとの時間をフル活用して夏休みを終えたようです。長女は沖縄タイムスの環境調査隊にも毎週通ったので大変だったかもしれません。】
posted by 塾長 at 12:25| 建築

2012年01月30日

天まで届け、自然との共生!

第5回目の住環境(伝統木造)フォーラムを1月28日に開催しました。定員20名の少数のフォーラムです。
 前日の夜は雨でしたが、当日は晴れてくれました。今回は特に心柱や夢殿を持つ意味、伝統構法と在来軸組み工法の違い、住み手の暮らしぶりなどを中心にお話しと説明を行いました。

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【フォーラムの様子】

 まず、沖縄の木造住宅の現状を話しました。新設木造住宅着工率はずっと1%くらいですが、本土の住宅メーカーの攻勢が始まっていて、昨年は若干増えたようです。しかし、ほとんどはプレカット。沖縄に限らず、最近の木造住宅はリフォームも含めて、日本全国プレカットのようです。
 柱は上下短ぼそ、小屋組は京呂組。仕口は金物で補強します。京呂組は、柱に桁をのせて、その上に小屋梁をのせます。・・・「載せる」のです。

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【京呂組と折置き組の違いを説明中。写真に見えるのは、折置き(下り置き)組の見本】

 私が設計する家の柱は上下長ほぞ、上部は重ねほぞなので短ぼその10倍くらい長くなります。小屋組は折置き組。柱に直接小屋梁が掛かります(渡りあご)。今回も、柱間が遠いところもあるので、柱の上に敷桁を通して小屋梁を受けます。その上に軒桁を通します。
 ここでは、「のせる」のではなく、「差し」ます。胴差し(2階の外回りの梁)、差し鴨居(かもい)、差し框(かまち)という名を使います。つまり、上からただ載せるのではなく、「差し」て組むのです。

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【下部を切り、10mの心柱が宙に浮いたところ】

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【見事に心柱が宙に浮き拍手の中、喜ぶ。左:尾方棟梁、中央:建て主さん、右:私】

 軒桁に小屋梁を蟻(あり)掛けで「のせる」やり方は、梁の欠損が多いので中央で梁が下がる恐れがあり、また、水平の強い引張力が働くと蟻の部分が壊れる可能性もあります。その点、材料もたくさんいるし、手間もかかる折置き(「下り置き」とも書く)組は、梁の断面欠損が少なく、柱に直接小屋梁を掛け、柱のホゾを差すので、当然、強くて長持ちする構法です。

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【心柱の真下からみたところ。八角形の組み物が二重、三重に見える】

 この家は耐震(筋かい入り)、制震(心柱)、免震(石場立て)の3つの要素が融合しています。伝統構法は、基礎が礎石(石場立て)で軸組みに貫(ぬき)が入り、小屋組みは折置きとし、躯体(くたい)には金物・釘は使わないものだと考えています。(仕口・継ぎ手は込み栓(せん)打ち)
 ただ、釘は法隆寺でも「和釘」が使われているので、決して釘を使わないというのは、絶対条件ではありません。

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【「夢殿」部分。八本の陸梁(りくばり)は心柱の中央で「雇いホゾ」でつながり、一体化している】

 何を持って、伝統構法というのかと、自問自答しました。結果は「自然に逆らわない組み手」ではないかと考えます。
 日本は法治国家ですので、法律に従わなくてはなりません。したがって、仕方なく筋かいも入れます。(自然力に対抗する耐震構造)しかし、一部は礎石にヒカリ合わせる石場立て(自然の力を逃がす免震構造)とし、心柱を中央に入れて地震や台風の揺れと逆に揺れる制震構造も取り入れました。3階部分の「夢殿」は心柱を吊る役割や縦の通風がありますが、風当たりをなるべく避ける八角形としました。

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【全景】

 沖縄県で最古のRC造で県の文化財になっている、大正14年建築の旧大宜味村(おおぎみそん)役場の2階部分の村長室も(設計は同じ熊本出身の清村勉氏)のRC造で八角形です。

 自然力と戦うのでなく、自然力を「避ける」「逃げる」「よける」のです。強大な台風や地震、津波に勝とう!などと考えるのは、人間のおごりです。一定の自然の脅威に耐えれば良いのです。
 「火災」や「台風・地震」、「シロアリ」などの木造の課題については、危機管理能力を発揮して対応すれば、十分長生きする家になるし、住み手の感性も高まります。

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【礎石は近くの鉱山から・・・】

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【雨水を保水する石灰岩。地下水として糸満市内に流れ出る。この琉球石灰岩の山から見たら、人間の小さいこと・・。砕石としてコンクリートの中に埋もれるだけではなく、礎石として生かし、少しでも保水して欲しい】

 総じて言えば、「自然との共生」を実感できる家と言うことになります。どれだけ綺麗事を言っても、自らの家が虫一匹受け入れず、機械を使って空調をコントロールしていては説得力がありません。


 私のめざす住まいは、自然との共生・調和。快適・便利、簡単・安全な家は、住み手に内在する機能を劣化させるばかりではなく、自然環境の破壊にもつながります。これまでの自然観や価値観を見直し、人間も自然の営みに沿うような暮らしをすることを願ってやみません。

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【近くの長谷寺で鐘を突く。工事の安全と自然との調和を願って・・・】
posted by 塾長 at 19:25| 建築