2018年01月07日

平成30年・皇紀2678年(西暦2018年)のはじまり・・・

新年を迎えて我が家は静かに進み始めました。

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【今年も熊本から取り寄せた「赤酒」(お屠蘇・おとそ)をいただきました。ただ、今年は神棚や仏壇、湧水地のタチガーやお地蔵さんにはお神酒(清酒)を上げました。お屠蘇をいただいた後、自家製の梅干しを入れた湯飲みにお茶を注ぎ、年を重ねました。日本はお腹の中の命も1歳と数える「数え年」を使えるので、私たち家族は元旦に家族11名同時に新年を迎えました。だから、(家族一緒に新年を迎えることができて)「あけまして おめでとうございます!」とお互いにご挨拶ができます。】

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【数年間中止していた「家族の年間目標書き」を今年から復活しました。これまで何十年も書いてきましたが、一時中断したのは受験や転職などを目標にすると具体的過ぎて、その時期が過ぎれば目標がなくなったり、途中で挫折したことが多々あったからです。だから、今年から復活する代わりそれぞれが「心構え」を書くようにしました。抽象的な目標ですがさまざまな課題に対処できるのかな?と思っています。】

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【家族の年間目標を書いて発表した後は家内が手作りした「おせち料理」をいただきました。それぞれの料理に対する謂われを説明し、夜なべして作ってくれた母親に子どもたちは感謝しておりました。】

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【昼ごはんは「お雑煮」です。熊本仕込みなのでだしは干しシイタケと鶏肉です。年末に家族で搗き、朝から火鉢で焼いたお餅が入っています。】

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【北中城中学校の交通安全看板は設置後なのできれいですが、我が家の看板が見劣りするので、みんなで研磨し、色付けを改めてしました。】

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【こちらも10年前に立てた案内看板。草に埋もれていたのを見つけ、再生してみました。】

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【6日にやっと初詣。今年は出雲大社沖縄分社のみにしました。護国神社も波の上宮も万然の車いすを押すのは危険すぎてやめました。両方とも坂が長く、特に波の上宮では本殿に近寄れないので相談したら「ここから拝めばいい!」と社務所脇の倉庫のようなところを指定されたので、今年はそもそも行く気はありませんでした。出雲大社沖縄分社は2礼4拍手1礼です。心がさわやかになりました。】

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【第九子・「わかみこ」が初めておみくじを引きました。七福神のおみくじは、それぞれの神様が入っています。私は「福禄寿」でした。左手に「宝珠」も持っていました。やはり、今年も建築に関係あるのかな?】

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【みんな今年の運勢が気になるようです。】

タイムス住宅新聞1月5日「看板」記事掲載 (2).jpg


【最後に先日の中学校の看板設置の記事がタイムス住宅新聞にも掲載されましたので、お知らせします。】

今年も、おだやかに暮らせますように・・・
posted by 塾長 at 12:31| その他

2017年12月12日

伝統建築技術を生かした「安全な通学路看板」設置活動準備!

伝統建築への理解と通学路での事故防止という二つの目的を持った看板づくりがいよいよ佳境に入りました。年末から年始にかけて、北中城中学校と北中城小学校の周辺2か所に設置します。
この活動は、小学校は児童会、中学校は生徒会が主体的に取り組み、私たち「伝統建築『これから』研究会」が技術面で応援する形です。

北中城村役場、同教育委員会、両学校の理解と協力の上にあります。中学校内では当活動への『「少しだけ」募金』も始まりました。資金に乏しい本会、ありがたいですが恐縮もしています。中学校では全校生徒から通学路標語を募り、先日決定しました。この標語を「中村家」に残る「無双窓」を応用して、交通安全標語と学校案内に変化させます。

小学校も同様のカラクリ看板です。資金も人手も足りません。来る16日には標語の文字を彫刻したり、漆喰シーサーを作ったりします。場所は林間学校を催している「ぬちゆるやー」です。中学校も小学校へも参加呼びかけを生徒会や児童会が行っています。3つの活動のうち、ひとつでも参加できる方はどうぞお気軽にご来場ください。

また、これない方も学校の近くをお通りの際は、ぜひ、ご覧ください。
今後のスケジュールを取り急ぎ、ご案内申し上げます。      「伝統建築『これから』研究会」 一同

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posted by 塾長 at 10:15| その他

2017年01月01日

平成29年元旦!

明けましておめでとうございます。

おだやかな元旦を迎えました。
昔と違って、最近は静かな日々を過ごすのが一番いいのかなと思っています。

今日から始まる新年。普段と変わらぬ作業風景と通常の元旦風景です。

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【30日に家族でついたお餅を火鉢で焼い雑煮に入れます。】

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【熊本県産の赤酒で祝杯をあげ、その後、自家製の梅干しをお茶に入れて数え年をひとつ重ねました。日本は西洋と違って誕生日ではなく、おなかの中の一年も数えるので、年が無事明けて「おめでとうございます」と家族全員が一緒にお祝いをします。今年は裏山の畑でできた無農薬のダイコンとシュンギクも入りました。】

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【我が家にはお正月もお盆も関係なく世話をする仕事があります。今は子どもたちは冬休み。家内と「わかみこ」「万然」を家において畑や家畜・家きんの世話をします。準備が年末にできていたので、今日ばかりは午前中でなんとか終了しました。】

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【家に帰りつくと、なにやら不穏な雰囲気。敷地内で放し飼いをしているヤギと番犬がともに目をそらしていました。】

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【そのうち、草食のヤギが肉食の犬に角を立てました。とうとう犬小屋の中まで押し込みました。もしかしたら、おなかに赤ちゃんが宿っているかも?わが子を守るため今のうちからけん制しているのかもしれません。ちなみに今日は新月。地球に月の遠心力がかかります。もしくは次の満月。自宅出産したとき、飼っていたヤギが同時に生まれたことがあります。用心、用心。】

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【今年も家内が頑張っておせちをを作りました。昼食は手作りおせちでおなかを満たしました。かまぼこ以外はすべて手作りです。(かまぼこに挟んでいるシュンギクは自家製です)】
posted by 塾長 at 19:59| その他

2016年12月31日

平成28年 後藤家10大ニュース!

本日は平成28年12月31日(土)。大晦日です。

公私とも充実した一年でした。

大晦日なので今年の10大ニュースを家族で選んでみました。

1、第九子 わかみこ誕生
2、夏休み自由研究(科学展)小中学生5人組 中部地区で金(3)銀(1)銅(1)賞受賞、
        (県 優秀賞(3)・優良賞(1))
3、日本建築士会連合会賞 奨励賞(作品部門)受賞
       (比嘉淨治邸 「龍が昇る家」)平成11年度(業績部門)に次ぎ2回目
4、長女依奈 高校進学(県立球陽高校理数科)
5、万然 リハビリ進む(直立姿勢まで)
6、次女 亜和 生徒会長選挙当選(小学校でも児童会長)・女子ソフトボール部入部
7、上水道工事完了・畑開墾・第八子こだまこの成長(2歳)
8、首里崎山町の住宅(石川邸)完成(伝統構法)
9、学校教育賞 受賞(教育委員会)(3名)長女・長男・三女(児童会長として代表受賞)
10、長男 朴然 炭焼き挑戦(15回)  温度管理による木炭づくりまで完了

次点 ヤギ飼育再開(環境教育用にやんばるヤギ保存会より譲り受ける)

ブログでほとんどを紹介しているようなので、写真は大幅に省略いたします。

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【上水道を排水路工事に合わせて施工。完了】

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【裏山の里道に給水管(井戸及び水道)を畑まで通しました】

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【畑に移動した給水タンクまでつながったところで万歳!水道工事店の方々と一緒に喜ぶ「第八子・こだまこ」】

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【成長著しい第九子「わかみこ」】

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【12月30日 年末恒例の餅つき】

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【今年最後の家屋の仕事は与那国馬のゲンの体を洗いました。水槽や池の掃除も終えて家族同様の動物たちも喜んでいると思います。】

それでは、皆様、よいお年を!
posted by 塾長 at 17:57| その他

2016年04月19日

「熊本地震」 「災害疎開」

今月14日以降の一連の地震で被害に遭遇されたふるさと・熊本のみなさんにお見舞い申し上げます。

私の妹家族とも未だ連絡がついていませんが、できることをしたいと思っています。建築士として、また平成7年当時、日本建築士会連合会の青年委員長として、全国青年委員長(部会長)会議の席で、応急危険度判定士制度の早期実現を緊急動議として議長提案し了承されました。
そのような経緯から、要望があれば積極的に現地に飛びたいと考えています。

ただ、8人の子どもの世話、うち一人は重度障害を抱え、もうひとりは満2歳の幼児、そして臨月に入った身重の妻(自宅出産雄の予定)のことを思うと、短期にしか家を空けられないと思います。

在沖熊本県人会の会合に、戦時中、沖縄から熊本へ疎開されて助かった方々がお礼に来られたことがあります。そのことを思い出して、今度は熊本から沖縄に疎開されたらどうかと考えました。

幸い、我が家には林間学校で使用する学習棟(18畳)が現在未使用です。流しは外のテントですが、シャワーやトイレは付いています。(床はタタミ、壁は本漆喰、天井は伝統構法の表し)子どもだけなら15名は十分、宿泊可能です。

疲労とストレスで相当精神的、肉体的に参っておられる方のなかで、上記の条件でもよければどうぞおいでください。熊本弁が通用します。

また、気候が温暖で毎日25度くらいを推移する温暖な沖縄で数か月を過ごすのも、一つの手だと思います。

数年前、台湾建築師公会を訪ね、無被害地区と被害地区の助け合いを行うアジアエンジニアネットワークシステムを沖縄県建築士会で活動したこともあります。
今回は米軍普天間基地からオスプレイも応援に駆けつけてくれたようです。

命にかかわるときは、国境や地域を超えてお互い助け合いしましょう。
本日、熊本県庁の住宅課、建築課(各課長)には電話連絡をしました。また、在沖熊本県人会の渡辺会長にも協力依頼をしました。(4月24日沖縄タイムス社会面)(OTV報道取材)

災害疎開にどうぞ、ご理解、ご協力賜りますよう、お願い申し上げます。(後藤)
nuchiyuruya@salsa.ocn.ne.jp
明日の建築士会中部支部総会でも、協力依頼してきたいと存じます。

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【災害疎開先の環境教育施設兼自宅の「ぬちゆるやー」。右端が学習棟。】
posted by 塾長 at 11:52| その他

2015年11月26日

「日本人の心」

 昨日は長男・朴然が、宜野湾青年会議所の企画したフォトコンテストで最優秀賞になったと宜野湾JCからメールにて連絡がありました。このところ、朴然は運がついているような気がします。
 妹で1歳の「こだまこ」が、タチガーの洗たく場にあるお地蔵さんに向かって手を合わせている一コマが受賞しました。

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【宜野湾市役所のロビーに掲示されていました。】

 昨日はこの他、その朴然が作成した自由研究を東京の才コン(全国児童才能開発コンテスト)事務局へ送る日でもありました。県で最優秀になっても全国ではどう評価されるかわかりませんが、12月末の結果を待つのみです。(中3の長女は別のコンテスト(読書感想文)で県代表)

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【東京に送る前に撮った自由研究のパネル bP】

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【パネル bQ】

 その帰り、日の丸の旗を買いに行きました。沖縄に居を移してすぐに自宅ベランダに日の丸の旗を揚げていますが、少し破損してきたことと、11月25日は45年前、三島由紀夫氏が割腹自決した日でもあるからです。

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【新しくした日の丸の旗。45年前の今日を記念して、揚げました。】

 当時私は19歳。憂国の士である三島由紀夫氏が割腹自決というのに、大ショックを受けました。「後に残り在る者を信ず」という遺書をまともに受けて、私は次の日(26日)、会社に休みをいただき、日の丸の旗と3メートルの折りたたみ竿をもってひとり、急行「やたけ」に乗り、宮崎へ向かいました。

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【玄関屋根には下り龍が鎮座していますが、その向こう側に日の丸が見えます。】

 宮崎神宮にお参りした後、平和台公園に移動し、「八紘一宇」の巨大石柱を前に日の丸の旗を掲げ、「教育勅語」を読み上げました。
45年も前の話ですが、そのあと少し落ち着いたのを思い出します。

 ただ、三島氏が言い遺した「後に残り在る者を信ず」というのは、自分たちの世代なのだと思ったのは間違いありません。

 三島氏が予言したように、日本は「無機質で、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済大国・・・」になってしまいました。

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【海外で見ても、自宅で見ても、ホッとするのが日の丸。日本人に生まれてきて良かったといつも思います。】

 虐待やいじめ、破廉恥な事件が後を絶たないことや、対立の続く沖縄の基地問題などを、さまざまな角度からを解決策を巡らせていましたが、やっと根本的な理由にたどり着いた気がします。

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【日の丸を買ったあと、偶然にもチャンネル桜のボギーてどこんさん(左)と会いました。初対面です。お隣(右)は北谷町の町田クリニックの町田院長です。これも何かの縁でしょう。】

 戦後、東京裁判の結果やGHQの占領政策の影響を受けた多くの日本人が、いまだにその呪縛から抜け出せないからだと思います。そして、「日本人の心」を忘れてしまったこと。
 白人列強の侵略から自衛のためにあえて戦った大東亜戦争や、その他の紛争の歴史を、戦後チャンと教育しなかった(できなかった)からでしょう。

 例えば、国技の大相撲だと「勝てばいい」、食だと「おいしいならいい」、住まいだと「住めればいい」・・・。そこには、他の国では当たり前でも、「日本の文化」や「日本人」の感覚からすると受け入れにくいことが多々あります。それは、日本人のDNAが残っている証拠です。

 日本は厳しい季節もありますが、穏やかな季節もあります。日本人はその自然と共生し、多くの文化を生み出しました。俳句、短歌をはじめ、「道」の付く合気道や武士道、華道、茶道、居合道など、多くの極めた道があります。根底にあるのは、日本人の自然観です。自然と闘わず、調和・共生する自然観です。
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【那覇市役所のロビーで歩けない万然(4歳)のバギー(車いす)を押す第八子の「こだまこ」(1歳)。】

 日本人が本来の日本人の誇りを取り戻せば、争いごとや凶悪な事件は減り、穏やかで柔和な日本社会が到来すると確信します。

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【家族の虐待や監禁など悲しくてつらい事件が毎日のように報道されますが、時には仲のいい兄弟姉妹の報道も必要かと思う時もあります。これは先日、設計した住宅の落成式で歌を披露する我が家の子どもたちです。】
posted by 塾長 at 18:13| その他

2015年01月04日

平成27年のはじまり・・・

 今年も無事、家族とともに年が明けました。地球の自然は淡々と過ぎ去っていきますが、人間は繰り返される自然の営みを誰かがどこかで気づいて暦を作りました。その節目のひとつが正月元旦です。

 昔みたいに、生きている間になにか残そうという、強い信念はありません。地球の一部、日本の一部、今住んでいる沖縄で、何かだいそれた事をしようという気はなくなりました。(とは言いながら、いろいろ挑戦していますが・・・)
 若い時は血気盛んで、他人ができないことをやろうとしたものです。しかし今は名誉や社会実績を必要としなくなりました。それよりは、残りの人生を自分の内なるものとの問いかけに専念することにしています。

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【昨年12月、木材を納入された永田本店の皆様が九州から現場研修に来沖されました。製材したあと、どのように使われているのか、自分の目で確かめたいとの思いが行動に表れたようです。とてもいいことです。この他、先日完成した住宅も見学されました。】

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【翌日改めて我が家へ訪問されました。いつもの通り、子どもたちが歓迎の歌をアカペラで歌いました。】

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【お返しはなんと創業135周年を迎える永田本店の三代目(会長)が木挽唄を披露されました。(現在は四代目が引き継ぎ)そして一言「久しぶり木の見える家を見ました!」裏を返せば、木材をそのまま見せる家が減ったということです。大工さんも製材所も家の裏側に回ってしまって、技の見せ場をなくしてしまっている。きっと設計者のふがいなさや住宅会社の規格化、それを後押しする国の政策が災いしていると思いました。】

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【捨て谷の秘密。壁ぎわの瓦から漏れた雨水を瓦の下を通して外へ出す仕組み。二重三重の備え。】

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【これも板金工事の技のひとつ。雨戸鴨居の水切りの唐草。すべて銅板】

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【一方、基礎工事中の糸満市の現場。人手のいない我が企業は10ヶ月の子どもをおんぶして仕事に精を出す】

 昨年もいろいろありました。どれも自身の肥やしになっています。年末年始の2週間は、延床面積約130坪の大きな住宅の設計に没頭しました。睡眠時間は平均4時間くらいでした。
 現場も二つ抱えて、心配事も多々ありますが、これも試練です。先人の知恵に甘んじることなく、これまでの経験を生かした新しい工法やシステムづくりを取り入れて悪戦苦闘しています。
 きっと、数十年先に評価されると確信します。

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【馬小屋横の桑の実を屋根に上って採る長男・朴然(ぼくねん)。子どもの時受けた感性や経験は大人になって生きる。】

 今年ほど、「日本」のことを案じる年はありませんでした。多くの書物も読ませていただきました。現在、新聞は五紙とって読んでいますが、沖縄の二紙は日本を敵対視する偏った編集をしているのでとても残念に思います。毎日毎日、日本のことを悪く書くのは、親の悪口を言っている家族と同じです。そんな家庭で育った子どもはいい親にはなれません。争いごとを助長するような新聞は子どもに影響が出ます。
 もう、共産党の機関紙のような新聞は今月限りでやめたいとも思っています。

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【正月らしく、鳥居のしめ縄を新しくしました。ずっと仕事をしていたので、子どもたちだけでしめ縄をかけました。タチガー(湧水)と水車小屋前のお地蔵さん、馬小屋、主屋などしめ縄飾りも大変です。だけど、心機一転、いい気持ちになりました。】

 さて、今年をどう生きるかですが、まぁ、自然にまかせて生きていこうと思っています。社会の最小単位である「家庭」を中心に、いつか講演で話したように「それは、自然か、不自然か?」を自らに問い続けながら、一日2万4千回といわれる選択肢を選択したいと考えます。

 三島由紀夫氏が言っていたように、日本人は戦後「空っぽ」になりつつあります。コンクリートやベニヤ板で囲まれた空っぽの家、建築文化も空っぽ、だから心も空っぽ。簡単便利で、汗をかかない楽な生活を望むだけの空っぽな人間が増えました。お金を求め、快楽に興じ、恥も義理・人情もない空っぽな日本人。教師も警察官も平気で破廉恥行為を犯す、三社参りに行っても、どういう謂れのお宮も知らずにおみくじを引いて一喜一憂する人間ばかり・・・。

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【毎年、家内が夜なべして作るおせち料理。今年もかまぼこ以外はすべて手作りです。越年した熊本の大工さんにも二日に持参しました。黒豆やエビ、ごぼうや栗金とんなど、それぞれのいわれを説明しました。この他、我が家の定番は、お屠蘇(赤酒)に鶏だしの雑煮。西洋と違い日本人はお腹の中の命も年齢にカウントされます。(誕生日ではありません)だから、家族揃って「明けましておめでとう」です。お茶に梅干を入れて家族一緒に年を重ねます。】

 いまだ、GHQの呪縛から抜け出せず、日本の心をなくした日本人。すばらしい日本の歴史と文化をどのようにして伝えたたらいいのかわかりませんが、建築の世界や家庭生活のなかから少しずつ見せていきたいと考えています。
posted by 塾長 at 22:00| その他

2013年11月02日

「無農薬米」と「伝統建築」

 これまで有機栽培のお米をいただいて(食べて)いましたが、今月から無農薬米に変えることにしました。我が家では毎月25Kgほどお米を消費します。熊本の有機栽培で育ったお米5Kgは、約6日間でなくなります。そのたびにスーパー等で購入しますが、毎週購入しなければならず、車を降りてお母屋までの急な坂道は、他の食料品とも重なって、子どもたちの応援なしでは大変です。

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【送られてきた5キログラム入りの真空パックされた無農薬米。】

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【名水百選の白川水源で育ったお米と表示されている。同じ名水百選に選ばれても、北中城村では隣の高良さん以外は無表示。もったいない。何を持ってブランド化するか!冬のヒマワリばかり熱を入れるのではなく、村ももう少し考えたらどうか!】

 そこで今月から同じ熊本の阿蘇山ろくに広がる田んぼで、無農薬によって栽培されているお米を年間契約で購入することにしました。
 その月により予定をオーバーしたときは、球磨郡内の農家からの産直で補います。

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【今朝(11月2日)の朝ごはんにさっそく登場。五分搗きなので、白米より色がつく。子どものころは玄米ご飯で育ったためか、懐かしい味がした。これが本来の米の味と匂いか。】

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【精米で出た糠も送っていただいた。お米も糠も「無農薬」。これで安心して糠漬けができる。】

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【裏】

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【精米日も表示してあった。】

 なぜ有機米から無農薬に変更したかというと、もちろん体への影響が一番です。日本は単位面積当たりでは、世界一の農薬使用量です。お米だけではありません。野菜も果物にも想像を絶する農薬と化学肥料が散布されています。


 通常の有機米は5Kg当たり2,400円前後です。これからは3,300円になります。価格は大幅に高くなります。しかし、農家の人の話を聞くと、化学力に依存しない農業には相当のご苦労があります。そのことで、水質や土壌、野性動植物が守ることができるのなら、やはり消費者側が変わっていく必要があると思い、決断しました。

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【球磨郡内の田んぼ。】

 聞けば一反当たり10俵採れるところが、6俵しか採れないとのこと。多分、20人で組む無農薬農家集団は、3,300円とっても採算がギリギリかもしれません。それでも、次世代に健全な自然や次代を担う子どもたちの健康を願うことを理念とした生き方には共感できます。

 翻ってわが道はどうか!彼らの生き方に重なります。田植えや収穫、草刈りさえも機械化、化学化された現代の田んぼは、昔と同じように一面緑に覆われ、その後黄金色に変わりますが、生きものはいません。まさに日本の田んぼは、レイチェルカーソン女史が呼んだ「サイレントスプリング」(沈黙の春)です。

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【梱包の中に、同じく白川水源の「水」がサービスで入っていた。ここにも「名水百選」の銘。】

 木造住宅も同じです。棟上げしたばかりの住宅は柱が林立した木の家で昔と一見変わりませんが、育った形や癖はすべて機械によって削ぎ取られ、機械によって加工された哀れな使われ方をしています。
 人間にも土壌や野草にも大きな影響を与える除草剤。実は除草剤を散布した田んぼで育ったお米は5Kg当たり2,600円です。しかし私は迷うことなく、除草剤散布なしのお米を選択しました。
 木造住宅で言えば手仕事の部分と重なるからです。手仕事で切込み、加工すると機械加工(プレカット)の2〜3倍手間がかかります。住まいづくりも米作りも同じことです。

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【木は適材適所、丸太をそぎ落とすだけではなく、育った状況が分かる形で使うことも大事。手加工は手間がかかるが、お米と一緒。面倒な分、知恵や技術、道具が継承される。機械や化学力は、これらもそぎ落としてしまう。】

 私は面倒で手間のかかる伝統建築で依頼者に応えています。無農薬米作りは手作りの伝統構法と共通します。だったら、主食のお米は無農薬になります。お互い、向き合う相手こそ米や木で異なっていても、その向こう側にある自然や自然生態系に思いを馳せ、自然に逆らわず共生する手法を食や住に求める生き方ならば、できるところから協力すべきとの結論に達しました。

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【プレカット(コンピュータ処理して機械加工)して組まれる今の木造住宅には製材された真四角な木がだけが使われる。製材品に加え、丸太や古材も使った住宅は、きっといろいろな木がみんな喜んでくれると思う】

 
 無農薬米も手仕事の住まいも価格は高くなるけれど、未来に自然や自然との共生技術を継承できます。できたお米も、住まいも健康で長生きできます。それぞれの持つ命の特性を存分に生かしながら、かつ、周りも自分たちも心地よく暮らせます。

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【建具に使われている木も、再利用されて喜んでくれるかな?】

 これまで子どもたちには、「お米一粒にも命が宿っているから、残さず感謝して食べよう」と言って実践していますが、これからは、「このお米は、手作りで八十八の技と手間がかかっているから、農家の人のことを思って感謝しよう!」「生きものが川や海に帰ってきたらいいね」と付け加えることができます。


 無農薬米=手作りの伝統建築。その理念を理解して食べる人や住んでくれる人がいないと、継続できません。今回の決断が、無化学、無農薬農家にとって、少しでも励ましになれば幸いだと思っています。

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【球磨郡内の川。農薬や化学肥料を使わないと、川には再び生きものが帰って来る。野生動植物との共存、自然との共生は、無農薬のお米を食べることから・・・。住宅もRC造ではなく、木の癖を生かして適材適所に使う伝統的な木造住宅が、森や水の循環の一助になると考えている。】

※明日から九州に建て主さんと出かけます。無数の木の中から、心柱になる枝付きの「杉の木1本」を探すためです!
posted by 塾長 at 10:49| その他

2013年01月07日

我が家の三が日八景!

 1、まずはお節料理。

 数日前から家事の合間に家内が作りました。毎年のことですが、子どもたちは楽しみにしています。

 「豆はマメマメしく働くように」「エビは腰の曲がるまで長生き」「数の子は子宝に恵まれますように」などとおせちの料理の意味についても話しました。
 忙しいお母さんが、せめて正月だけはゆっくりしてもらいたい意味もありますが、おせちを作るのに毎晩遅くまで働くので、なんとも複雑な心境です。写っている料理以外にも、キンカン甘露煮やブリの柚子焼きなどを入れ替えて正月三が日を暮しました。

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2、白菜浸け
 毎年浸けますが、今年はうまくできました。隠し味は柚子(ゆず)。塩加減も微妙に影響します。「他に、おかずはいらんよっ!」と言わせた白菜浸け。しばらくは続きます。

 年末、熊本の竹下さんからユズがたくさん送られてきました。その一部ですが、沖縄では貴重で高価です。ありがたや、ありがたや・・・。いろいろな料理に使われることでしょう。

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3、玄関の柱(チャーギ・イヌマキの木)の根っこと浄化槽の土留めに咲いた一輪のインパチェンス。琉球石灰岩やチャーギなどが吸い込んだ雨水を頼りに、したたかに生きる沖縄の植物。人生の励みになります。

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4、鏡餅 大晦日の餅つきの時作った鏡餅を玄関に飾りました。特製だから7段。お隣には家内が正月用に生け花を生けました。何となく正月気分に・・・。

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5、朴然のケガ  2日、いつもと変わらず家族でエサ上げ中、チョッと目を離したスキに、当日家内の実家からもらった自転車に乗って練習していた朴然が前の坂道で側溝に落ち、その拍子で石灰岩に頭を当てて大けが。ったく!皮が開いて出血するので、救急車で搬送することに・・・。僕と同じように麻酔が効かず、生で三針縫うことにまりましたが、泣かずに手術したようです。正月から恐ろしや恐ろしや・・・。


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6、湧水地の掃除 沖縄では旧暦の2日にハチウビー(初御水)といって湧水地で水神様を拝む習わしがあります。私たち家族は、平成の名水百選・荻道・大城湧水群のひとつ、タチガーの余剰水を池に利用していることや、林間学校で洗たく水に使ったりすることもあって、正月2日に恒例の掃除をしました。
 そのあと、お神酒(赤酒)を上げて湧水をもたらす自然に感謝をしました。行き道、パパイヤの実がなっていたので、子どもたちは競って採りました。これも感謝です。

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7、家の中では、兄弟姉妹で歌を歌ったり、私は初仕事を始めたりしました。

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8、正月も盆も欠かせないのが家畜・家きんへのエサ上げ。終われば、アカギの木に掛けた木綿のロープでできたブランコに乗るのが子どもたちの楽しみです。

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今年も波瀾万丈のスタートです。
posted by 塾長 at 14:46| その他

2012年05月28日

自然観も政治も原点回帰へ!

6月5日の芒種(ぼうしゅ)が近づきました。芒とは、とげのようなものがある種、たとえばお米の種を植える時期ということです。そろそろ田んぼに水を引き、代かきが終わったころでしょうか。やがて、例年通り苗床から苗を移動させて、「田植え」をします。

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【5月19日、糸満市に建設中の木造住宅(天地人をつなぐ夢殿を持つ家)が完成。引き渡した。】

 少子化の転じた日本はいまこそ、この循環システムに習うべきです。「改革なくして成長なし」で突き進んだ前政権。いつまで成長を続けようとしたのでしょうか?経済も快適・便利な生活にも限界があります。どこかでブレーキをかけて、「循環」にギアチェンジしないと、この国は身も心も破たんします。

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【新しい牧草地を地元の方が提供して下さった。新牧草へ向かう家族。リヤカーには馬糞の堆肥がいっぱい。番犬:モンも一緒】

 現政権も、「マニフェストを忘れた政治家」ばかり・・・。どういう「生活が第一」を求めているのかは別としても、国の安定を子どもの数や質に置くことは大事で、保育園を肥大化させるのではなく、家庭に重きを置いたことは評価できます。
将来の働き手がいないと社会保障制度が息詰まるのは誰も分かること。共稼ぎを前提とした待機児童ゼロ作戦は、いまでも家庭崩壊をもたらしているのに、女を家庭から社会に出して働かせる考えで、生まれて間もない子どもを保育所や幼稚園に預けるのが常識化しています。
 団体生活に支障が出るから・・などというが、我が家の長男は幼稚園も保育園にも行きませんでしたが、小学校を存分に楽しんでいます。どっちみち、小学校から先数十年、或いは退職後も下手すると「団体生活」をする可能性もあるのに、せめて小学校に入るまでの数年間は、家庭生活を楽しませたいものです。

保育園や幼稚園はその施設や人手に相当な税金が支払われています。その1/10くらいを直接子育てしている母親に払うのは当然だし、ものすごい節税にもなります。何よりも、親子や家庭の関係・環境が非常によくなると思います。これは長年の持論です。
 マニフェストで子ども手当が増額されたので、将来の日本と現在の家庭環境の在り方が変わると思って投票したのに、今の政権は、子ども手当以外のマニフェストもほとんど野党に壊され、さらに消費税は上げないと言っていたのに、これも違反しながら正当化しています。

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【宿題より「お手伝い」が優先する我が家。子ども時代に何が大切か!を手伝いを通して感じ取る教育】

 検察のシナリオはやみ献金で政治の舞台から小沢氏を失脚させたかったのでしょうが、政治献金を出した側の建設会社にその証拠は見出せず、結局、問題を政治献金報告書の偽装に置き換えました。しかし、2度の不起訴。どうしてもシナリオ通り起訴したいとの思いから検察審査会を通して強制起訴しましたが「無罪」。これを検察官役の指定弁護士がたった3人で協議して「控訴」。またまた小沢さんは世間から白い目で見られてしまう結果となりました。

 現政権も原点回帰する必要があります。鳩山さんを見直す論調も最近増えました。確かに発言が右往左往しましたが、それまで「辺野古」でほぼ決まっていた普天間飛行場の移設。いまでこそ自民党も「県外・国外」と言っていますが、当時は「辺野古」でした。
 鳩山氏が県外・国外を公言したから、みな、それに追随しているだけです。沖縄県内では県外・国外が常識化していますが、もっと鳩山さんを見直すべきです。マスコミの論調を鵜呑みにしないことです。

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【手伝いの合間の休憩。活力あふれる子どもたち】

 さて、我が家では、一昨日、白蟻の大群が襲来しました。外玄関の照明器具に無数の羽アリが群がり、その一部が鴨居の隙間をかいくぎり、部屋に入ってきました。最初は蠅たたきで退治しましたが、「自然との共生」が頭をめぐりました。
 「そうだ!回避しよう!」部屋じゅうの照明を消しました。そうすると白蟻は一匹もいなくなりました。昨日朝、玄関を見に行ったら、叩いて落ちているはずの羽アリの姿がありません。良く見ると、アリがたくさんいました。彼らがみんな栄養分として持ちかえったようです。

 また、昨晩は3畳の居間の窓にゴキブリが飛んできました。しばらくすると、ヤモリが出てきて「パクリ」。あの機敏なゴキブリを一発で仕留めました。
 白蟻にはアリ、ゴキブリにはヤモリ、それぞれ天敵がいるのです。現代は自然生態系を無視して殺虫剤を使います。虫は薬への耐性を備えてなお強く生き残り、しかも人間には健康被害が出ます。快適・便利な社会とはなんでしょう?

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【番犬も元気。向かって右:シロ、左:サクラ】

 人間中心主義の行先は、自滅への道に見えてなりません。昨日は裏山で「ホーホケキョ!」「月、日、星、ホイホイホイ!」とウグイスやサンコウチョウが鳴きました。忘れられた生きものたちに思いを深め、人間社会も自然の摂理、秩序、循環に沿った暮らしをしたいものです。

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【♪月・日・星・ホイホイホイ!と鳴くサンコウチョウが来てほしいと願って、糸満市の住宅の建具にあしらった無双窓のデザイン。実際、サンコウチョウが来たらしい。自然と共生する家づくりに徹します】
posted by 塾長 at 10:01| その他

2012年04月24日

母の一周忌!

 本日、数え96歳で亡くなった母親の一周忌を迎えました。危篤情報が入り、沖縄から急きょ家族で見舞い(励まし)に熊本へ向かったのは、亡くなる2か月前の昨年2月、6人の子どもたちの歓声をエネルギーにしたのか、意識不明の状態から「奇跡の生還」を果たした母。いまでも家族の間では語り草になっています。

 励ますつもりが励まされ、「最後まであきらめない」気持ちを、死を持って見せつけてくれました。
 熊本での講演依頼を受けたこの3月、一周忌を兼ねて早めの墓参りを済ませてきました。・・とはいえ、やはり命日は命日。位牌を熊本から頂いて沖縄の自宅に持ち帰り、毎朝、ご飯とお茶を上げていますが、今日は供え物に加えて、郷土料理の「だんご汁」を仏前に上げたいと思っています。

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【沖縄式の仏壇に祀ったおふくろ】

 3月の講演会前後に感染したと思われる感染力の強いウィルスで脳症を患った第七子・万然が重篤な状態に陥るなど、今でも信じたくないところですが、帰沖した3月11日の夜以来、家族もその対応で一時期パニックに陥りました。最近は万然も「奇跡的な回復」を為し得て、少しずつ元に戻りつつあります。

 昨日は妊婦さんまで巻き込む通学中の子どもたちが、悲惨な暴走事故に遭いました。同じ京都で先日は「てんかん」症状をもつ男の暴走で多くの犠牲者が出ました。ともに車による被害です。昔、「走る凶器」と言われた車。便利な道具や装置は、時として凶暴化します。我が家でも毎日4人の子どもたちを学校へ送り出しますが、心配は尽きません。

 万然も重度の脳障害です。いまでも目が見えません。首も座らず、痙攣(けいれん)を繰り返しています。だいぶ落ち着き始めていますが、将来、「てんかん」を持つ可能性も大いにあるので、今度の事故は人ごとではありません。
 あの事故も、意識があったか、なかったかと議論になっていますが、どちらか一方ではないのではないかと思っています。つまり、意識はあったとしても、体が言うことを効かないことだってあるのです。

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【3月の講演前に「市房杉」に逢いに行った。樹齢700年以上。神が宿ると言われて納得。圧倒された】

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【幹周りは何メートル?子どもたちが手を広げても足らない!】

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【夕暮れの市房(いちふさ)の森。神代の時代を彷彿させる】

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【熊本は石橋の宝庫。熊本県内に3つしかない石クサビ、二重輪石を使った井口眼鏡橋(菊陽町)】

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【白川の分水・馬場楠井手にある「はなぐり(鼻輪)」。約400年前(1608年)加藤清正が造った。灌漑用水づくりには火山灰を溜めずに流す工夫が必要だった。熔結凝灰岩の山を、馬の背中のように残して削り、これに鼻輪のように穴を開けると水と一緒に火山灰が流れて、溝掃除が不要。80か所以上の「はなぐり」が連続する風景は圧巻。平成4年、毎日郷土提言賞で準毎日提言を受賞。平成9年から6年かけて熊本県が公園化した】

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【流速を抑えるための「石ばね」。熊本市内に見つけた貴重な遺産】

 さて、今の日本はどこに向かって動いているのでしょうか?少子化に移行した日本に成長による経済発展はありえないと考えます。
 沖縄県では、相変わらず観光や情報を経済の主力にしようとしていますが、これらはオープンシステムで、「自立」には程遠い政策です。これまで何兆円使ったのでしょうか?道路や海岸は人工化してきれいに整備されましたが、経済格差は広がるばかり・・・。お金に代わる確かな価値観があれば、全国最低の賃金、失業率で結構なのですが、それを説得できる政治家は今のところ、日本にはいません。

 日本全体でも、TPPをはじめ、経済の自由化で競争社会を生き抜く方向のようです。これまで成長期で繁栄した繊維、造船、建設、家電などの産業は、作り過ぎて自滅しました。絶対と言われた自動車や銀行、情報の分野も今は大変な時代になりました。いつまで高度経済成長期の考え方を持ち続けるのか、日本人は完全に落ちてしまわないと分からない民族だから致し方ないのかもしれません。

 ところで、日本人はなぜ、「江戸」を見直さないのでしょうか?江戸時代こそ、クローズドシステムによる安定的な循環型社会です。決して、鎖国しろ!などとは言いませんが、地方都市が大都会を真似る必要もないし、エネルギーを浪費してまで快適で便利な社会にならなくてもいいと考えています。私は地域の風土に息づいた地方(じかた)文化を大切に、相手を思いやりながら家族とともにボチボチ生きていきます。

 来月9日、防災関連のシンポジウムで講演する予定(私の演題は「自然災害と共生するまちづくり」)ですが、ここでは、西洋化した日本人の自然観への警鐘と、慎ましい暮らしぶりへの転換の意義をお話したいと考えています。

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【国の登録有形文化財の「旧国鉄矢岳駅駅長官舎」の全景。がけ崩れを起こしたと聞いて、寄ってみた。】

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【同官舎。ここに9年前、クローズドシステム(閉鎖型生態系)、自然との共生を実感するため3年間住んだ】

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【玄関へのアプローチ。駅長官舎は駅舎と同じ標高にあり駅が直接見え、裏山(鎮守の森)にも守られている。立地も重要なポイントだった。旧国鉄の威信と知恵、国民の足を守る責任感が見える】

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【JR矢岳駅には、デゴイチが鎮座する】

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【無事、講演会も終了。遅くなりましたが、これを持って、関係者の皆様、ご参加された皆様に御礼申し上げます。ありがとうございました】

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【おまけ。免田川。こんな川を残したい】
posted by 塾長 at 18:29| その他

2012年01月02日

新年、明けましておめでとうございます!

 新しい年と、また会うことができました。ありがたく感じています。

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【空中を飛ぶ鳥居。第七子・万然の誕生を記念して新しく鳥居を立てた。見た目は単純だが、仕口は複雑。日本を象徴する鳥居組み、鳥居立てを林間学校の子どもたちと年末行った】

 昨年は、おふくろが天国へ旅立ったので、年賀状も遠慮させていただきました。しかし、新たな命の誕生も昨年ありました。第七子・万然(ばんねん)は年を越して2歳になりました。長女の依奈(えな、5年生)は十三祝いを今年行う予定です。

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【十三祝いの予定がある長女。鳥居の柱と笠木をつなぐ「込み栓」を切りに鳥居に登る】

 我が家では熊本式(後藤家式)で新年を迎えます。朝からいつもの通り、国旗を挙げ、みんなが起き揃うと、湯呑み茶碗に梅干を入れてお茶を注ぎます。これを頂くと、ひとつ年を重ねます。
 今どきは誕生日(満年齢)でお祝いをしますが、これはお腹にいた時の命をカウントしません。「数え年」は、お腹の中にいた時間を1年として計算します。生まれた時が1歳で、迎える正月で2歳になります。
 そして、無事、1年を乗り越えて、(だから、年越し蕎麦)家族みんなが生きていることを元旦の朝、確認します。新しい年にみんなで年を重ね合える喜びを挨拶にしたのが「明けまして、おめでとうございます」「またみんな一緒に、年をかさねることができましたね」・・・なのです。

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【仏壇の前で家族全員が同じ日(元旦)に年を重ねる】

 梅干をみんなでいただいた後は、雑煮(ぞうに)をいただきます。我が家は熊本式なので鳥出汁(とりだし)です。入れるお餅は、昨年末、林間学校で搗いたお餅の残りです。機械搗きとはまた別な思いがあります。形もバラバラ、もち米もつぶし終えていないけれども、粘りがあって独特のお餅です。

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【林間学校で餅つき。第1期生の岡村昌平君(琉球大学在学中)とともに餅を搗く。参加した子どもたちも、全員、杵を振り上げて汗を流した】

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【家も餅つきもみんな手作り。形はいろいろ。モロ蓋に並ぶお餅は個性があっていい】

 午前中はいつものように、家畜・家きんの世話です。今日はそれ以外に、昨日の残り仕事もしました。水車小屋前の池の漏水防止です。大晦日に家族で池の水を出し、砂とセメントを水でこねてモルタルを作り、石を固めましたが、池の水が漏れました。
 昨日は急結剤を入れましたが、今日は防水剤をモルタルに入れました。しかし、それでも漏水は止まりません。「まッ、これも自然でいいか!」と思っています。ただ、時計は4時を回っていました。

 それからお風呂に入り、家内が作ったおせち料理を頂くことに・・・。今年は、亡くなったおふくろが使っていた重箱に並べました。「海老は腰が曲がるまで元気で、いりこの甘露煮はめでたい「尾頭付き」、数の子は子どもに恵まれるように、豆はマメマメしく働くように・・・」など、それぞれの料理に説明をしました。

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【かまぼこ以外はすべて我が家で料理。家内に感謝します。熊本の馬刺し、ブリ、辛子レンコン、赤酒は、色鮮やかです】

 お屠蘇(とそ)は赤酒。熊本から毎年、屠蘇と一緒に馬刺しと辛子レンコンをとります。出世魚のブリ(ヤズからハマチ、ブリと成長の過程で名が変わる)の刺身も添えて、子どもたちに説明しました。

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【四女にお屠蘇を注ぐ。薬用酒として飲まれていた歴史がある熊本の赤酒】

 さて、今年も波乱の社会が続きそうです。日本は少子化、世界は人口爆発。成長著しい途上国もあれば、一定の成長が終わり、マイナス成長に向かっている国もあります。国内においても、人口密度や経済状況、利便性などに格差があります。しかし、格差が多少あるのは仕方がありません。新聞をはじめ、マスコミはいかにも庶民の味方のように振舞っていますが、敵や悲劇を作ることが上手です。これからは冷静な判断が求められます。

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【昨年8月に生まれた万然。今、4か月余りですが、数え年では2歳になりました】

 今年も紅白歌合戦を見ずに大晦日を過ごしました。多様な世の中、サテライトよりコアを直視すべきとの考えから、家族でいろんなことを話し合いました。
 これからも素朴な日本人の心を取り戻し、自然の摂理に則した暮らしのなかで、秩序ある社会の実現のために、公私とも充実した毎日を過ごしたいと思っています。
posted by 塾長 at 00:49| その他

2011年08月27日

出産間近!

※出産前の状況

 7人目の出産が間近に迫ってきました。炎天下での子育て、台風襲来、林間学校、仕事の補佐、毎日の食事・洗たく・掃除、馬やニワトリ・アヒル・メダカなどの世話、大工さんや左官さん、建具職人さんなどの宿泊・食事などに奔走する、当事者の家内は、日ごとに大きくなるお腹を抱えて奮闘しております。

※「ハイ!」

 先週はこれに加えて先妻との間に生まれた熊本在住の長男が1週間ほど来沖(宿泊)しました。昭和49年2月生まれなので、今の家内と同い歳です。しかし、何歳になっても「建蔵!」と呼べば、「はい!」と気持ちよく返って来る返事は、6人の子どもたちの手本となりました。

 一緒に家畜・家きんの世話をし、家の手伝いをしたので、気持ちもひとつになりました。生まれてくる子どもを加えると総勢10名の親になります。子どもたちにとっては一番身近な人生の「先輩」にもなるので私自身の言動や行動、考え方の影響は大きいと思います。

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【わが家の裏山にある名水百選の一つ・タチガーで水浴びをする長男同士。年齢差:31歳。家畜・家きんのエサあげなどで汗をかいた後の湧き水は、さぞ気持ちよかったと思う。礼状には、滞在中、アヒルやヒヨコが死ぬのを何度も見たので、命のはかなさを知った、とあった。】

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【巨大ナナフシと出会う。「こんな虫、見たことない!」と恐る恐る手に取る建蔵。】

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【朴然と亜和(あや)と首里城に行った。本土のお城とは全く違うので、大変感銘した様子。】

 ※暮らしぶりから学ぶ・・・

 そういう意味では、日ごろからしっかりなくちゃいかんな!と思っています。沖縄の子どもたちは同乗する車中では「月光仮面」や「小学校の校歌」、「運動会の応援歌」、「カサブランカグッバイ(鳥羽一郎)」などを元気に合唱披露しました。
 もちろん食事前の挨拶やミーティング、出発前の点呼(1,2、3・・・8、9)、スタート時「レッツ!」と言えば「ゴー!」と返す「号令」もいつも通り行いました。

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【二日目には本部町の「「やちむん喫茶:シーサー園」に。奥に見えるのが宮城麗朝さん経営のやちむん喫茶。独自の自然共生のお店は観光客でいっぱいだった。】

※なぜ、久高島か?

 3歳から37歳まで(やがてゼロ歳も加わる予定)の異母兄弟ではありますが、実に仲の良い兄弟たちです。また、健全で秩序ある家族でもあります。
 初めて沖縄を訪ねた熊本の長男が久高島に行きたいというので、みんなで出かけました。「なぜ、久高島に行きたいんだよ?」と聞くと、「琉球の創世神(国づくりの神様)アマミキヨが天から降りたところで、島全体が聖地。女を守護神とする母性原理の精神文化が残っているから」と。そして「後藤家にかかわる女性が全員幸せになるように祈りたい!」とも言います。

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【斎場御嶽(せーふぁうたき)は、世界遺産。ここから、神の島:久高島を臨む。】

 南城市の斎場御嶽(せーふぁうたき)の岩場から見える久高島。以前、ここから久高島(南城市)に手を合わせたことがありました。今回もフェリーを待つ時間があったので子どもたちを連れていきました。同じように手を合わせながら今回は「あの聖地に行くのか!」身も心も引き締まりました。

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【久高島に向かうフェリーの上で。行きは車は私たちの乗っている1台のみ。後ろに見えるのは沖縄本島・知念半島。ここの安座間港からフェリーが出ている。】

 人口200人の久高島にはタクシーも信号もありません。なにせ、「聖地」ですから、木や草、砂や石にも神様が宿ります。
海のかなたの異界・ニライカナイにつながる伊敷浜(ニライカナイから五穀が流れて来たとされるところ)や、最北端のカベ―ル岬(祖神アマミキヨが降りたったっところ)などを廻りました。

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【カベ―ル岬1】

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【カベ―ル岬2(建蔵)】

 建蔵は、「後藤家に関係のある女の人をはじめ、日本国じゅうの女性を守る神様だから・・」と言い続けて久高島を回り、「東京の大学時代でも、ずっとお父さんのことは心配していたし、幸せを願っていたよ。」ともいいます。長男の一面を見たような気がしました。


 ※「箸、箸!」

 また、この1週間、沖縄の家族と一緒に暮らしたので、第三者的な見方で指摘されたこともあります。
私には、「ハシ!、ハシ!」と食事の時に言う癖があるらしいのです。すべてがそろった後、足らないのが箸。つい、「ハシ!」と言っているようです。これは「亭主関白」の象徴らしく、父親のいない熊本の家庭では「ハシ!」と言ってしまえば、「箸くらい、自分で取りなさい!」と叱られてしまうようです。

 昨日、仕事のために宿泊していた建具職人さんが沖縄を跡にしました。普段の8人家族に今日から戻りました。夏休みももう少し・・・。家族のきずなを、家族の在り方をしっかりこの時期に確かめたいと思っています。

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【ベランダに七輪を出して炭火で秋刀魚を焼く。サンマの表面は真っ黒くなったが、建蔵、おいしくて大喜び!】

 
 ※政治も変わりそう・・

 政治の世界では、原点回帰をスローガンにした海江田万里さんが小沢さんらの支持を受けて民主党代表選挙に出ます。がんばって、世のため、人のために尽力されることを願っています。
 自分をやりやすくするために、嫌いな小沢さんの党員資格を抹消し党内から排除した小粒の管氏。小沢グループの中にいた優秀な人材を使わず、他党から一本吊りして固めた内閣と思いつき発言で、日本の国は相当なダメージを受けました。

 一日も早く、まっとうな政治ができるようになることを願ってやみません。

 ※出産予定日?

 さて、本題の第7子の出産。産婦人科医では9月10日が予定。しかしながら自然分娩派の私の判断は、8月29日の新月の前日、若しくは3日後の9月1日と踏んでいます。今回も自宅出産の予定です。

 新月(満月も・・)は月の引力が最大で、しかも大潮は太陽の引力も受けるので、胎児が出やすい環境にあります。これまでの子どもたちもそうでした。飼っていたヤギも犬も、隣の猫の子までも時間を前後して生まれました。

 先日訪問した久高島でうっかり海辺の石を持ち帰った妻と次女。悪気はなかったとはいえ、聖地の神様を持ちかえってしまったのを反省して、今朝早くから再び久高島に石を返しに出かけました。当然です!神様、お許しください!!

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【在沖米軍嘉手納空港基地も見学。見慣れぬ軍用機を見て、沖縄を実感!したはず・・・】

 やがてわが家に帰って来ると思いますが、多分、気持ちが穏やかになっていると思います。お詫びいたしますので、どうぞ、新しい命の誕生にお力をいただきますよう、お願い申し上げます。合掌!

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【ドレミファ軍団!♪ドレミファソラシド♪と、ちょうど音符のような背の高さで並ぶ。音が調和するような兄弟でいてほしいと願う。】

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【最後は公設市場でお買いもの。慎ましい男なので、「サーターアンダギー」を少しだけ買って帰りました。】

posted by 塾長 at 15:20| その他

2011年06月20日

「常若(とこわか)の還暦

 昨日は6月19日。満60歳の誕生日で、父の日とやらにも重なりました。60歳と言えば還暦。人生の節目です。この世に生を受けて、成人、厄入り、そして還暦。約20年に一度、人生を振り返りつつ、将来を見つめ直すいい機会を日本のしきたりは残しています。

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【子どもたちからのプレゼント。あるものを使ってメッセージを寄せてくれた。感謝と励まし?】

 十干(じっかん、甲・乙・丙・丁・・・)十二支(じゅうにし、子・丑・寅・卯・・)が一巡し起算点となった年の干支に戻るには60年かかります。本卦還り(ほんけがえり)という言い方もある還暦。人生の再スタートの日でもあります。

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【「似顔絵」書きやすい風貌?最近は「月光仮面」と「座頭市」に凝っている子どもたち、なんとなく「勝新太郎」?】

 赤いちゃんちゃんこを羽織ることなどしませんでしたが、家族で学習棟(別棟)の木製建具を掃除しました。網戸や硝子戸を洗い、清めました。
 新しい現場の仕事で明日(21日)から大工さん隊4人が宿泊するので、きれいにしておきたい、という理由もありましたが、なんとなく水洗いをしたくなったのです。

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【夏障子ではないが、紙貼り障子をとっぱらい、炭化すだれに変えた。夏に風景に変わりつつある】

 サッシと違って木でできた建具は、桟を洗い、雑巾で拭き取ると、建て付けた当時のように美しくなります。硝子も濡れ雑巾で拭き、そのあとすぐ空雑巾で拭くと、実に美しくなります。そこに硝子の存在を忘れるほど、透明感が増します。
 30枚ほどの建具を掃除したので、汗はいっぱいかきましたが「心地よい!」とはこの事だろうと思います。(ついでに母屋のガラス戸・網戸も掃除しました。建具が喜んでいるような気がします)

 伊勢神宮は、20年に一度の式年遷宮で1,300年以上引き継がれています。20年に一度正殿を作りかえるのは、神様をいつもみずみずしいところに鎮座してもらうためだと聞き及んでいます。
住宅も人間も伊勢神宮の式年遷宮のように、常に若々しく、生き生きとしておれるような「常若(とこわか)」の精神を持つべきだと思います。

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【誕生日恒例の学芸会:跳び箱を飛べるようになるまでのお話を劇にして披露】

 そのよう意味では、いい誕生日だったと思います。特におおげさな食事や会合はしませんでしたが、誕生日といまどきの「父の日」、還暦、日曜日が重なったこともあって、子どもたちは、こっそり「学芸会」をしてくれました。(誕生日恒例)

 母屋の4畳半で、自分たちが作ったお話を劇にして披露しました。今回は「やればできる!」というストーリーでした。
 ささやかではありますが、子どもたちからの心のこもったプレゼントは、親の心に残りました。

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【母の49日法要で帰熊。子ども9人(一人仕事で欠席)が勢ぞろい。8月末には10名に・・・】

 子ども手当は民主党政権誕生への大きなマニフェストでしたが、最近は政争の道具に使われています。
 子どもは国の宝です。いろいろ言っても、将来を担う子どもがいなくなると、働き手がいなくなり、税金を納める人もいなくなるのに、いったい何を考えているのでしょうか?
 議論している政治家を見てみると、もうすでに子育てを終わった人間ばかり・・。当事者感覚はないのでしょう。昔と今では子育てにかかるお金が違うのをわかっていないのではないか、と思います。
 所得制限をしないと民主党はいっているようですが、年収1,200万円を上限とする案が野党から出されています。月々100万円以上も給料をもらっている人には手当はいらないと考えるのが常識です。

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【納骨。50年忌を終えた父と一緒のお墓に眠ることに・・・。傘を差してくれているのは、熊本の長男・建蔵】

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【位牌を沖縄へ飛行機で持ち帰る。沖縄の長男:朴然の横の座席には母親の写真】

 震災復興のために減額するようなこともおかしな話で、すでに扶養手当を失くしているので、財源はほとんど賄われているはずです。なんでもかんでも震災のせいにして、当のい現場は瓦礫の山。いつまで自衛隊の若ものに依存するのでしょうか?

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【法事の日、九州・熊本は大雨だった。昨日、人吉市矢岳町の家の敷地が崖崩れを起こしたと連絡あり。大雨も地震も津波もみんな、地球(自然)現象の一つ。すべてを受け入れなくてはいけない】

 不景気で重機を動かす民間人も重機も東北にたくさん存在します。官民一体で取り組めば、アッという間に片付き、雇用も確保できるのに・・・。小沢さんと比較して、ゼネコンや建設業とは一線置きたい、という馬鹿な考えで復旧は大幅に遅れています。
 あの男に総理大臣は無理です。しかし、一度総理大臣の権力を味あわせると、なかなかやめないし、やめさせることもできません。

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【母親の形見。左がくじら尺とpのついた竹の物差し。右は通称「だごこね棒」。これで「だんご汁」に入れるだんごを作っていた。今年の林間学校から、この「だごこね棒」に変える】

 政治の世界では歯がゆい思いをしていますが、こと家庭的には安定しています。母の49日も終え、還暦も迎えられました。
 今週末は、棟上げが控えています。土曜日は「湧き水fun倶楽部」の6月例会が「ぬちゆるやー」で開催されます。
 「なぜ湧き水なのか?」「湧き水をどうしたいのか?」をテーマでお話をさせていただきます。

 また、今週は八角形の夢殿を持つ純木造住宅の契約もあります。天井を作らないので自然と共生できる家で、伝統的な木組みも下からいつでも見てとれるすばらしい家です。

 「常若(とこわか)」の気持ちで、毎日を元気に生き生きと暮らしていきたいと思っています。

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【家に帰れば、さっそく「キノボリトカゲ」がお出迎え。このような稀少種が風呂場の入り口にいるような家造りが共生の暮らしの原点。午前中のエサあげでは「月日星ホイホイホイ・・」とさえずるサンコウチョウやアカショウビンの声も聞こえてくる】
posted by 塾長 at 05:11| その他

2011年06月01日

地震・津波・台風・・・

 台風2号が沖縄本島をかすめて通り去りました。あちらこちらからお問い合わせをいただき感謝申し上げます。お陰さまで、わが家を初め、これまで設計した伝統構法による木造住宅は無被害でした。

 特に、宮古島市の平坦地に建てた住宅は、台風が直撃したので少しだけ心配をしましたが、「あのくらい(風速50m/秒)では、大丈夫と思っていた」との施主の声を電話で聞いて、安心しました。 先日引き渡した沖縄市の住宅は沖縄初の2階建て伝統建築でしたが、こちらも安泰でした。

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              【台風一過。伝統的な構法で建てた木造2階建ての住宅。柔と剛、長寿と循環の要素を併せ持つ】

 台風が来たころ、法隆寺修復、薬師寺西塔などの棟梁を務めた西岡常一(つねかず)さんから聞き取り、編集された「木に学べ」という単行本を読みました。
 飛鳥時代に建てられた法隆寺は1400年の歴史がありますが、古いだけならそこらの石の方が古い。石と違うのは、人が作った建築で長生きしていること。そこで改めて、建築には自然との共生が不可欠であることを認識させられました。

 木は自分で動けないから、風や水、太陽などの自然の力(恵み)に対してジッと我慢しながら成長しなければなりません。だから、力に対応して癖が生まれる。その癖を読み切って建築材として生かさなければならないが、さて、現代はどうか?木の癖を読み取る技術者が何人いるのでしょうか?西岡棟梁からのメッセージは説得力があります。

 木や土などの自然素材を鉄筋や鉄骨、コンクリートのような原材料と一緒にしてはいけません。化学的に調合し、科学的な強度で数値化することは、木造では無理です。生まれも育ちも一本一本異なるからです。
 材料もそうですが、施工精度や施工法でも相当な違いが出ます。そこらをまったく考えていないのが建築基準法の規定や住宅支援機構の仕様書ではないかと思います。

 地震や津波、台風などは地球自然の現象のひとつです。この時発生する強大な力にまともに戦って勝つわけがありません。かかる力を吸収・分散し、弱小化する施工法や自然素材の持つ力を最大限生かす技術、また、建った後もチャンとメンテナンスができる環境をつくること、住宅なら自然に沿った暮らし方をすることなどが、家の長寿につながります。

 台風前に偶然、わが家の座敷棟前のクワノキに「キノボリトカゲ」を見つけました。家を建てるために山だった敷地に入った時にも、キノボリトカゲを見かけました。
 地形・植生を改変しない設計をしたので、開発はしたものの穏やかなアクション(働きかけ・具体的には礎石基礎)だったので、リアクション(反応)はさらに穏やか、結果的にコアクションとして自然との融和・調和が生まれると言うことが、帰って来た固有種のキノボリトカゲで現実のものとなりました。

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                 【5年前、建築のため木を伐採する時、敷地内で見つけた準危惧種のキノボリトカゲ】

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                        【帰って来たキノボリトカゲ。アクションが穏やかだと、リアクションはさらに穏やかになる。ゆっくり、手仕事で進めたため生きものも、徐々に移動できた】

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                【地形を変えず、土壌生態系を守る。(礎石基礎と伝統構法による住宅)】

 床面積50u以上は布基礎にしなければならないように建築基準法はなっています。一般的にはベタ基礎の上に布基礎をしてしまう設計が多いのですが、私は極力、床下にコンクリートは打設しません。それは、土壌の生態系を重要視しているからです。

 台風の後、シロアリが一斉に大発生しました。シロアリは走光性があるので明かりに寄ってきます。そこで活躍するのがヤモリです。

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            【走光性のため明かりに寄って来るシロアリの大群。恐れることはない。】

「待ってました!」とばかり、仲間が何匹も「エサ」を求めてやってきます。身構えして待った後、「パクリ、パクリ」と食べます。

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                           【待つヤモリ】

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                   【ヤモリがシロアリを捉えた瞬間。まだ、シロアリの羽が口元に残る】

 シロアリは家の存続のためには敵かもしれませんが、シロアリはヤモリが天敵です。強そうですが、羽が外れると、結構弱いものです。近くにはアリも待っています。もうひとつの天敵は、無数のアリです。アリはすぐ食べずに、アリの巣にみんなで運びます。

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【シロアリをアリが襲う。シロアリ退治に強力な殺虫剤を使っても、薬に慣れて強くなるだけ・・・。土壌に使えば土壌汚染、人間にも不健康で悪影響。目視できる環境と生態系保全が必要】

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【ゲットしたシロアリをアリさんは巣まで運んでくれる。ありがたや、ありがたや。ヤモリは食べてくれるのは有難いが糞を残す】

 シロアリ対策は防蟻剤で木材を処理することではなく、シロアリの天敵を家に住まわせて置くことでしょう。そのためには、自然と断絶・疎外しないこと。床下をコンクリートで埋め尽くすとアリも住めません。開口部を木製建具にしておくとヤモリもアリも隙間からはいてきますが、実はこれが自然生態系を通して家を守ってくれるのです。

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【こう配のある敷地。しかし、平らにして土壌生態系を変えず、地形に合わせた設計とした。人間だけでは生きていけないのが地球社会。自然との共生は建築士が進んで取り組まなければならない。そうでないと、建築を通した自然破壊者でしかない】

 加えて、床下や天井裏に人が入れる空間を計画しておくことです。点検できない家は、シロアリが来ても分かりません。常に監視の目を光らせることが、シロアリ対策だけでなく台風や豪雨対策でも大事で、このことが自然を意識させ、自然や生きものとの共生はどうしたらいいのかということを考えさせるきっかけになります。その意味では、伝統的な住まいづくりは、子育て、人間教育などの教材にもなります。

 震災・津波のあとの復旧・復興が連日ニュースで伝えられていますが、仮設住宅の数や期日、インフラ復旧よりも大切なことが忘れ去られています。このような混乱期こそ冷静に将来像を見つめることです。
 自然の大きな力がまた発生した時どうするのか?普段の暮らしぶりをどう変えるのか?いつまでもエネルギーを浪費する暮らしをどこまでも続けるのか?
尊い命を犠牲にしないために、もっと目先のことより、日本の将来像を見据えた政策を作らなければならないと思います。それが政治家の役割と思います。

建築の専門家ももっと社会性を身につけて行動すべきです。自然を通した日本的は自然観の構築や危機管理意識の向上をこの機会にマスターして欲しいと考えています。
posted by 塾長 at 09:21| その他

2011年05月23日

イベント2題!

 一昨日(21日)は私が伝統木造研修を、昨日(22日)は家内が野草摘み・料理の講師をそれぞれ務めたイベントがありました。

 伝統木造住宅研修会は、熊本の隅田洋さん(樺球磨木材社長)が沖縄市で建設中の伝統的な住宅を見たいという話から発展し、せっかくなら沖縄木材青壮年会の定例会を兼ねて交流をしようと言うことになりました。

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                         【挨拶する小山 幹太木青連会長】

 そこで隅田さんに熊本や九州の木材事情を語ってもらい、その後、私が伝統構法について話すと言うことになりました。
当日用にパワーポイントで資料を作りました。テーマは「地震・津波の教訓 自然と共生する家づくり・国づくり」。

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【地震・津波という自然現象があった後の時期。亡くなった多くの命を無駄にしないために、募金やボランティアよりもっと大切なことがある、と話し始めた】

 参加者は材木店(木青連・県木材協会)の方々、沖縄県(森林緑地課、森林資源研究センター)、大工職人・建具職人(共に一級技能士)、女性一級建築士、建築確認検査センターの職員、木造で住宅建築をしたい施主や木造ファンなど住宅建築や建築に関わるさまざまな立場の方々が噂を聞いて約20名、「ぬちゆるやー」の学習棟に集いました。

 私の講演では、自然と共生する住宅の例として徳島県の田中家を提示し説明しました。吉野川の氾濫を見越して建てられた木造住宅は、かさ上げ、ボート、そして最後は葦(よし)葺きの屋根に家人が登り上がって命だけは助かるというストーリーを写真で説明しました。自然の力を受ける場所に住むには覚悟がいること、そして自然に逆らわない備えをすることを歴史から学びました。

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【まずは四国三郎:吉野川のようす。潜水橋(高知では沈下橋という)の説明。自然に逆らわない人々の暮らしや施設の紹介をした】

 田中家の説明では当初、笑いが出ていましたが、だんだん真剣な顔つきになっていきました。それはあまりにもみなさんが何も考えずに建築に取り組んでいたからだろうと思われます。
 現代建築では、自分たちの快適・便利な住みやすさが優先して設計されるので、多大なエネルギーをつかうこと、また、解体後のことは何も考えていない世代間倫理の欠如する設計の現状を暴露しました。
 現実に現代建築は産廃の発生源です。人間の都合に合わせるので多種少量の建材が使われます。住宅が劣化した後は、巨大なゴミとなります。データ上も全産廃のうち建設産業から出る産廃排出量は産業別では第3位、産廃の種類別でも瓦礫は第3位を占めています。

 伝統建築は、石、木、草、土などの自然素材を少種多量使うので、環境負荷が少ない。どうも現代人は「(自然の)サイクル」と「リサイクル」の意味をはき違えているようです。

 私が住宅の設計をする時は、産廃にならないかどうか、屋根に脚立を使わずに登れるか、床下に腰を曲げる程度で入れるかなどメンテナンスも含めて「設計」しています。

 住宅に不可欠な「長寿」や「取り換えによる更新」は、法隆寺と伊勢神宮を例に話をしました。おまけに、五重塔の建て方や式年遷宮のもつ意味なども話しました。
 県庁職員や将来の建て主など、若い人たちが熱心に、後の懇談会で質問を寄せられました。今後は、産官学野が一体となって命が循環する伝統木造住宅の普及に貢献して頂きたいと思います。イベントを企画された沖縄木材青壮年会、木材協会の皆様に感謝申し上げます。

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    【自己紹介中の県職員。木材・森林の課題解決についてはスパンが長い。若者への期待が増す】

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     【川下側の大工さん。伝統技術の継承、道具や用具を守るためにも木材使用量の多い伝統木造構法は重要】

 また、昨日は「YOU 遊 比謝川実行委員会」から野草摘み・野草料理の学習会が行われ、家内が講師として呼ばれました。理由は、林間学校や家庭で日ごろから野草を料理に取り込んでいるからかもしれません。昨年も同じ内容、同じ時期に呼んでいただきました。
 昨日は梅雨の合間に晴れ間も出て、野草摘みにはいい天気になりました。30名以上の方々が比謝川沿いの遊歩道で散策しました。

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        【比謝川にかかる赤い橋を渡ると、読谷村へ。河口に近い遊歩道で野草を調べる】

 ここは結構、野草の種類が多く、野草たちも元気でした。さまざまな野草を調べたのち、料理して食べられる野草だけを最低必要な分、摘みました。

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【野草の説明。食べられる野草やそうでない野草もある。しかし一番大事なことは、一生懸命生きている草の命に気付くこと。果たしてどのくらいの人が感じ取ったかな?】

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【雑草・野草と言う草はない。みんな人間のように名前がついている。しかし、名前を覚えることよりも、「ごめんなさい」と草を摘むときに掛ける声や気持ちの方が大切】

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                  【調べた後は、自分たちで判別しながら野草を摘む】

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                          【野草の入ったコロッケ原型】

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                           【親子仲良く、コロッケを揚げる】

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          【おにぎりに入れるムラサキカタバミを切る。子どもたちも包丁を使って大活躍!】

 さっそく、近くの社会福祉協議会の厨房に移動し、みんなで調理することに・・・。ゆでたり、揚げたり、切ったりしました。

 コロッケには、タチアワユキセンダングサとタイワンハチジョウナを入れました。サラダにはセリとシマツユクサ、ギシギシはゆでて味噌汁に、ムラサキカタバミはおにぎりにゴマと一緒に混ぜました。

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                    【野草料理、完了!】

参加者の感想です。
 「見るのと食べるのでは大違いだった」、「普段、見慣れていた草が食べられるとは思わなかった」、「ハーブ料理感覚で野草料理が食べられそう」「家でも作ってみたい」「おいしくないと思っていた野草がおいしくいただけた」などなど。

 命の話までは感想として挙がらなかったが、とりあえず、野草を見直すきっかけにはなったようです。今後はもう一歩踏み込んだ啓発活動にしていきたいと思いました。
 お世話になった実行委員会、神山副村長、照屋事務局長ほか関係者の皆様、ありがとうございました。

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                    【野草料理の説明をするノリコさま】

 この数週間日間、仕事も忙しくありましたが、お陰で何とか林間学校やこのようなイベントが無事終了しました。
 来月は、25日(土)午後2時30分から「湧水fan倶楽部」主催の学習会がぬちゆるやー(わが家)で開催されます。ここでは、湧水と教育というテーマで講演する予定です。周辺の名水百選も回る予定があります。

 参加費は無料ですので、どうぞ、お気軽にご参加ください。
posted by 塾長 at 10:33| その他

2011年03月26日

自然脅威の天敵は自然!


 先日、「第1階木造建築学習会」がありましたが、主催者が施主でした(参加費無料)。通常、このような公共性の高い学習会を個人が主催することはありません。施主に敬意を表します。

 恩師の先生が調査で来沖する機会をとらえ、迅速に段取りされました。自宅の隣接する実家のひと部屋を貸し切っての開催。十人余りの参加者でしたが、これも計画に入っています。広く浅くではなく、狭く深くの学習会もあっていいのです。

 集ったみなさん、それぞれ分野は違いますが、一定の知識を持ち合わせています。したがって、質問も専門的なものでした。
 
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【施主が企画し施主がまとめた報告書。全国に発信します。まちづくの視点でとらえると、「個人」の考え方、行動で山や現場、住まい手、街が元気になることができる。新しい街づくりの第一歩!】

           【見にくいと思いますが、図をクリックすると大きくなります】


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                        【報告書2】


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                        【報告書3】





 私も、ゲストの先生のあとに少しだけお話をさせていただきました。私は講演依頼があると必ず「自分で実践したこと」を話します。実践すると課題も問題点も見えるからです。

 私の場合、今回は「伝統構法」と「在来軸組み工法」の違いからスタート。それぞれ歴史も考え方も違います。残念ながら、伝統構法は現建築基準法では、使える範囲が限定されますが、街づくりの観点から紐解くと、伝統構法は「山も住み手も造り手もみんな元気になる」手法です。

 内容は割愛しますが、縄文時代からつながる日本固有の住宅構法を使い続けることは、家族の活力だけでなく、生産者も造り手にも活気がでるのは間違いありません。普及しないのは、法律、専門職や木材の調達、住宅建設のシステムなどの課題もありますが、最大の問題点として提案したのは「本来の木造を知らない」ことです。

 だから、課題解決策は「本物の木造をつくること」だと考えています。


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【わが家と沖縄市の伝統構法+在来軸組み工法の現場を見学に来られた山もとの製材所の代表者から届いた手紙1】


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                            【手紙2】


 社会の在り方が問題になるのは、まちづくりの目的が「活力」だけに集中していることです。
中央集権の少子・高齢社会のなか、世の中で叫ばれるのが、「地方の活性化」。しかし、活性化だけが能ではありません。

 今度の震災でも「暴動や略奪がない日本はすばらいしい」という外国の評価がありますが、それでも振り込め詐欺や嘘の募金などの犯罪が起こっています。阪神・淡路や関東大震災ではありませんでした。

 日本の社会も徐々に利己主義がはびこってきました。活力も大事ですが、社会秩序や慎ましい生活も大切です。このような「気持ち」を醸成するのは、一気には無理です。やはり、毎日の暮らしぶりのなかで、落ち着いた心を育む必要があると考えます。
 国民は今度の大震災・大津波で自然の怖さを思い知ったはずです。これをどのように捉えるかで家造りもまちづくりも変わります。そうしないと三万人を超す犠牲者に申し訳が立たないと思います。

 自然は怖さもありますが、同時に恵みも与えてくれます。どのようにして付き合っていくか!分岐点は、自然を敵対的に捉えるのか、自然と共生するか、にあります。

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【沖縄市の現場。屋根工事がほぼ完成。全体像が見えてきた。27日(日)から開口部に木製建具が立つ】

 低地に住むな!とまでは言いませんが、住むなら覚悟した方がいいと思います。例えば、崖下、崖上にも住めます。しかし、豪雨や地震などの自然力がかかるので覚悟が必要ということです。

 地震大国・日本で完全に安全なところはないはずです。なんらかのリスクはあります。南西諸島から九州・四国辺りは台風銀座です。「自然脅威の天敵は自然」であると私は思います。

 住宅を建てる場合も、人間が作った建築基準法を守れば安心と言うことではありません。家ごと流すほどの強大な自然力には到底勝てっこありません。自然力は自然で守るのです。
 例えば、高台に建てる(基壇のうえに建てる)、周辺には防風林を植やす。地形や自然の植生を生かして自分たちも「生かされる」考えです。

 社会インフラが寸断されても、とりあえず1カ月ぐらいは暮らせる慎ましい生活を普段からすることも大切です。そうすると、おのずから危機管理能力が備わるので、非常のときに必要な道具や用具は常備するようになります。

 元気になればいい!では何も解決しません。この際、もっと根源的なところに目が向けられることを願っています。

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                  【林間学校の記念植樹で植えたイペーの花が満開】
posted by 塾長 at 10:53| その他

2011年03月04日

パニックに強い人間に・・無計画の「計画」!

 人生、60年ほど生きていると、いろいろなことに出会います。私の人生がどのくらいのものか、自分では結構、激しいような気がします。

 人生、いい時はいいのですが、失敗したり、悪化した時に周りの人間性や自分の本質が出ます。
年間3万人を超す人々が自ら命を絶っています。もう10年以上も日本では続いています。自殺は残された人たちにとっても決して良いことではありませんが、私は自殺した人を「親からもらった命を粗末にして!」と責めたりすることはありません。

 人生は簡単ではありません。自殺に至るまでには、それなりにいろいろ事情があるからです。ただ、最近思うに、現代を生きる人はパニックに弱いような気がします。
 危ないことには、当たらず障らず。安定的で高給取りという職業を幼い時から目標に置き(置かされ)、そのために学校を選びます。

 人生は、そんなに甘くはありません。挫折も屈辱も味わうのです。いまどきの結婚観は相手の人間性ではなく、相手の就職先で決めているのではないかと、勘繰りたくなる時もあります。
 職業を離れると、愛情が冷めると言うのは、その証拠です。「あんたは、何に惚れたの?」と聞きたいほどです。

 人生は長い道のり、一寸先に何があるか分かりません。悪いことばかりでもありません。いいことばかりでもありません。
 「一喜一憂」するなとは言いません。一瞬でも喜ぶ時があれば、飛んで喜びましょう。悲しくつらい時もあります。歯を食いしばって我慢する時もあります。ただ、いつまでも引きずらないことです。そして、大元や根っこ、大きな筋道をしっかり持って動じないことです。そして、

 人生、あまり計画にこだわらないことです。自ら立てた計画通りに行かないからと言って悲観しないことです。日本の社会は一面的な価値観で動いているようにみえてしかたがありませんが、人はさまざま。人生もさまざまです。百人百出です。

 人生、長そうでそう長くはありません。20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代・・・。それぞれ人にはしなければならないことがありますが、みんなマチマチで結構。私は、2度の結婚で、人生を2度、楽しんでします。
周りに「子どもが多くて大変ねー」と言われることがありますが、延べ10人の子育ては、簡単にはできない希少な経験です。誇りでもあります。

 人生、思った通りにならないからと言って、ヒステリックになる必要はありません。病気や怪我はもちろん、犯罪などに巻きこまれることだってゼロではありません。今生きているだけでメッケもんなのです。先祖から、数千分の一の確率で今があるからです。

 人生でいろんなアクシデントが発生しても、冷静に判断し、できることを淡々とやる、これがだめなら、あれをやる。これでしか飯が喰えない、などと考えないことです。
 しかめっ面より、笑顔の方が人も神様も寄ってきます。つらい時ほど、笑顔を絶やさないことです。
 お金はひとつの価値にしか当たりません。お金にこだわると、心が腐ります。あの世にお金を持っていっても何もなりません。あり過ぎてもなさ過ぎても大変です。そこそこ暮らせればいいと考えます。

 人生、周到な計画を立て、それに向かって努力することは大切ですが、そのために他人の悪口を言ったり、うそを言ったりするのは良くないことです。
 身の丈を知り、人の道や自然の摂理を外さず、礼儀正しく、明るい返事をし、正座してご飯を頂くような慎ましくも節度ある暮らしの方が、人間的には立派だと思っています。

 人生計画は立てるべきですが、何があるか分かりません。計画が狂った時も慌てず、落ち着いて、計画を組み直す。「計画」には無計画な部分が必ずあります。
 「まさか」という坂は、あります。「まさか!」ではないのです。この世の中ではありえることなのに、「あの人が、まさか・・」。「あり得る!」です。

 人生は「無計画」な「計画」。最初から「なんくるないさー」ではいけません。「最大努力をする。しかし、何かで計画通り行かなったら立ち止まって計画修正する。」
 「自分は何をしたいのか」「自分には何ができるか」、・・・と。
そのくらいの気持ちで人生を捉えれば、自ら命を絶つ人は減るのではないかと思っています。

 人生哲学を持ちましょう。人生がもっと楽しく元気になります。
posted by 塾長 at 11:26| その他

2011年02月16日

奇跡!子どもの歓声に勝る良薬なし。

 2月8日、三女の誕生日ではありましたが、熊本の母(95歳)が危篤との連絡が入り、急きょ、福岡便(午前7時15分発)で沖縄を発ちました。

 入院先の熊本赤十字病院の個室には、鼻からチューブ、腕には点滴、膀胱から尿を出す管、酸素を流している管を固定されている母親がいました。このときは、意識がありましたが、徐々に反応がなくなっていきました。病名ははっきり分かりませんが、肺炎による心不全の状態ということは分かりました。

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【輸血中。悪化の一途をたどっていた母】

 肺炎が進み、レントゲン写真では両肺とも真っ白の影。心臓も異常に拡大していました。貧血もひどく、見ている前で、輸血が始まりました。これが3本目だとか・・。呼吸もおぼつかず、一息一息がやっとという感じでした。

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【意識がなく、生死をさまよう母】

 担当の先生から、今後の治療について説明がありました。徐々にレベルが下がっているようで、「電気ショックは使うか?」「カテーテルを使うか?」「●●という強い薬を使うか?」「心肺蘇生をするか?」などです。この他にもたくさんの治療について説明を受け、承諾をするか否かを判断することになりました。これが、いわゆるインフォームドコンセント(説明と同意)なんだ、と思いました。この時点で、もう命は長くはないと覚悟しました。

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【3歳下(92歳)の叔母さんも見舞いに駆け付けたが、応答せず・・・】

 母親の命をどこまで存続させるのか、本人に代わって決めなければなりません。最初は迷いもありましたが、途中から「自然」に任せよう、という気になりました。つまり、手荒な治療はしないことに決め、お願いをしました。自分自身の死生観、普段の母親の死生観が重要な判断になりました。

 意識はなくても、せっかくなら、体が温かいうちに家族に合わせようと考え、沖縄の家に電話を入れました。みんな賛成しました。さっそく、航空券を手配しましたが、熊本便は一日に1本。しかたがなく、鹿児島便で来ることに・・。

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 【沖縄〜鹿児島空港〜熊本空港IC経由で着いた子どもや妻が語りかけた】

 今度は、手が温かいうちに家族が来ることができるか、鹿児島空港に熊本から向かう間に急変したらどうしよう?という悩みです。万が一に備えて、鹿児島空港近くのレンタカーに予約を入れました。連休前でやっと取れました。
 12時20分、沖縄を発つ飛行機の時刻と同じ時刻に、鹿児島空港に着く家族を迎えるために車を飛ばしました。「どうか、帰って来るまで命があって欲しい」と願いつつ・・。

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【森のなかで育つ子どもたちには、不思議な力があるのかも・・・。語りかけや握手などで意識が回復。笑顔を見せるまでになった】

 連絡があればどこからでも引き返す用意をしていました。なんとか、鹿児島空港に着くまで連絡がなかったので、レンタカーをキャンセルして家族を自分のレンタカーに乗せることに。往復4時間半の高速運転で赤十字病院に帰りつき、母に妻や子どもたちを合わせることができました。

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【2歳の第六子・こはづきとのスキンシップ。おなかの中の第七子も応援したのかも・・・。命がよみがえった】


 意識がほとんどなく、目も開けない母に6人の子どもたちは、「おばあちゃん、元気になって!!」と代わるがわる手を握りしめました。

 最初は反応がありませんでしたが、うっすらと目を開けたようでした。みんなが、「アッ、目が開いた!」「何か言おうとしてるんじゃない?」などと話していると、次第に目をあける時間が増え、なんと笑顔を見せてくれました。

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 【子どもたちが出発前に書いた応援メッセージを代読】

 3年前も同じ赤十字病院の集中治療室(ICU)で、子どもたちの歓声で奇跡的に命を吹き返したことがあります。今回はさすがに、2度はないだろうと、あきらめかけていました。
奇跡が2度起こると、定説になるのではないか、と思いました。

 その後、4日間、母親についていましたが、体温が下がり、貧血も徐々に正常に戻りました。まだ、油断はできませんが、峠は越したのではないかと思っています。

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                 【後藤家の元気の源「エイ!エイ!オー!」。おふくろも一緒になって「エイ!エイ!オー!」】



 沖縄で心配をしていた妻に、今の洋服に合わせて喪服を作って持参してもらったり、知り合いから香典も預かったり、あるいは、喪主として弔辞で何を言おうか?などと考えていたことが無駄になって、良かったと思っています。

 おふくろは、肺に水が誤って入るため、水を飲むことができません。耳かきのような脱脂綿に水を湿らせ、口に当てるだけです。しかし、病院は暖房のせいで乾燥しきっています。胃には流動食が入って行きますが、喉はカラカラです。少し水を浸した脱脂綿をあえて口に入れました。顔をぐしゃぐしゃにして喜びました。そして、帰り際、絞り出すような声で「命の水、水は命の綱(つな)」と言いました。
 薬は医学や科学の産物です。これで活かした治療は大切です。しかし、天然ものの一滴の熊本の地下水で母親が元気になったことも事実です。自然の力はたいしたものだと実感しました。

 また、見舞いの合間を縫って、亡き父の墓参りと掃除をしましたが、子どもたちが望んでいた「雪」が舞いました。これは父親からのプレゼントだと思いました。子どもたちは大喜びで、雪と一緒に舞いました。

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                        【亡き父のプレゼントか?初めての雪を体験。大喜びの子どもたち】

 森のなかで育つ元気な子どもたちのエネルギーが、母親に乗り移って命を呼び起こしてくれました。医学上では到底理解できないかもしれませんが、子どもたちの歓声が、母の活力を高めたことは確かだと信じています。

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【1週間の滞在で出費はかさんだが、得るものが多かった。帰りは熊本から福岡(博多)まで「電車」。子どもたちもいい体験になった】
posted by 塾長 at 19:28| その他

2011年01月28日

「ゲン!感動をありがとう!」

 昨日もまたまた刺激的な一日でした。

 今月末までに建築確認を降ろす予定の設計図書を、25日(火)夕刻に審査機関に持ち込みました。審査担当の方が26日は風邪で体調を崩されて帰宅されたようですが、次の日(27日・昨日)に連絡があり、受け取りに行きました。
結局、中一日、体調を崩されなかったら、申請の次の日に確認が降りた形になります。超特急並みのスピードにも驚きました。円滑な審査をした審査機関には感謝しています。
 
 設計者としては、確認通知はひとつの節目です。安心しながら那覇から北中城に帰ってきました。車中には受け取りに行った家族8人がいます。楽しい家族の会話は途切れることなく、朝から馬を放していた家の裏山の牧場へ・・・。

 と・こ・ろ・が・・・。いつもは車の音を聞き分けて、牧場の入り口に顔を出すはずのゲンが来ません。「あれっ?」。「きっと、奥にいるはずよ。」こないだは、裏から出て牧場周りの草を食べていたこともあるからです。

 しかし、暗くなった牧場や周辺を探しても見当たりません。確認通知の安ど感が一気に不安に変わりました。以前にも、牧場の丸太の柵をかいくぐって出たこともあるし、県道まで走ったこともあります。

 一番心配なのは、交通事故です。車とぶつかったら、大事故になります。なんてたって車と同じ速さで走る馬なので、正面衝突をしたら死亡事故に結びつきます。

 家族8人で一斉に「ゲ―ン、ゲ―ン!」と連呼しました。裏山は回廊式になっていて、一周約800m。これを2度歩きました。待てど呼べど、与那国馬のゲンは、鳴き声さえ出しません。もう、辺りは真っ暗になりました。

 現在、沖縄市の現場で働く熊本の大工さんたちも、帰ってきています。「あぁ、夕食も遅れてしまう。どうしよう?」

 最近は、牧場に放して置いた日の帰り道は、手綱をはずして帰る時もあります。「遠くには行っていないはず。きっと、裏山の中に入って帰り道が分からなくなったんじゃないのかなぁ。」という結論になり、ゲン探しは明日に持ち越しました。

 しかし、不安は募るばかり。そこで大城駐在所経由で宜野湾警察署に情報収集のお願いをしました。もしも周辺の森から出たら、危険だと思ったからです。警察も協力する旨、返事をもらいました。

 心が落ち着かない遅い夕食をとり終わったころ、3匹の番犬が吠えます。「誰か来たのかな?」すると「こんばんわ!」と玄関で声がしました。警察官の制服を着た駐在所の方でした。着任された時からの知り合いです。
 「見つかりましたか?」「いや・・・まだですね。」「宜野湾署にも連絡してあります。情報が入ったらすぐに連絡しますから・・・。ところで、どんな形の馬ですかね?本署に紹介しますから・・・。例えば、下にいる馬のような形ですかね?」

 「はぁ?下にいる?」いるはずがない。「どこにいますか?」「小屋の中にいる馬ですよ。あの馬くらいの大きさですかねー」「ちょっと待ってください。馬がいるんですか?えーッ!」
 
 家族全員、一斉に席を立って母屋の下にある馬小屋に向かいました。いました!ゲンです。なんと、小屋の中に入っています。ただ、ゲンも道に迷ったのでしょうか、どこかさみしそうに見えました。すぐに頬ずりをしてあげました。

 いつの間に帰って来たのでしょうか?我が家の番犬たちは、警察官には吠えても、仲間のゲンには吠えないことも分かりました。


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                                   【戻ってきたゲン】


 泊っている大工さんたちと話し合いましたが、夜道に自分で帰って来たのですからやっぱり馬は「おりこう」だなぁ、という結論になりました。
 在来種の与那国馬を環境教育用に飼うようになってから、一冊の本を読んだことがあります。元、琉球大学の学長だった高良 鉄夫さんが書いた「馬と語る、馬を語る」という本です。このなかで石垣島に連れて来られた馬が、育った小浜島に向かって海を泳いだ「事件」のことが載っていました。
 狭いながらも自分の小屋に自ら帰ってきたゲンを目の当たりにすると、納得できました。
 「ごめんね、ゲン!」と、みんなで何度も話しかけて、エサをたくさんあげました。

 この後、大工さんたちと、確認通知や馬のことで盛り上がって盃を交わしたことは、言うまでもありません。感動をありがとう!ゲン!
posted by 塾長 at 10:29| その他

2011年01月01日

気負わずに・・・

 新年、明けましておめでとうございます。

 寒い元旦になりましたが、それは人間が勝手に感じること。自然は、あるがままの自然。時間軸を入れて、この季節はとか、今日はとか自然を批評すのはおこがましいように思います。

 我が家は、木製建具なのでアルミサッシよりすきま風が入り込みますが、家族は火鉢で暖をとるので、みんな火鉢のそばに寄ってきます。家族の会話と赤い光は心まで温めてくれます。

 昨年の後半は、昨日まで仕事をしたほど、充実していました。今日から今年。昔は、一年の目標を書にしたためて、部屋に貼っていました。
 この10年くらいは、あまりにも一年の変化が大きいので、目標書きの意味がないと考え、やめました。ただ、「今年もがんばるぞ!」という意気込みを持っていました。

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         【本日数えの6歳になった長男・朴然(ぼくねん)。パワーショベルを動かしているような・・】

 さて、今年は・・・。

 「気負わずに淡々と生きていく」ことにします。

 自営業の設計事務所の名前に「自然(じねん)」が入っている通り、あるがまま、なるがままに生きていきたいと思います。
 努力は惜しみませんが、結果はなるようにしかなりません。アメリカの結果主義とは正反対です。
できる限り尽くすけれども、そのあとは自然にまかせるやり方です。当たり前の話かもしれませんが、自分の人生で実感して放つ言葉です。

 湧水でいうと、ポンプアップして地下水を吸い上げるのではなく、自ら湧き出る地下水、出産で言うと、自然分娩。おなかの赤ちゃんは大きくなって狭いから出たいと思うし、お母さんも、もう重くて限界だから出てきてちょうだい!と思う気持ちがひとつになった時、出産というイベントができる、などなど。

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               【物干しにいたナナフシを発見。発見能力には長けるのかな、わが家の子どもたちは・・】

 実は今年はウサギ年の年男。今日で数えの61歳を迎えました。小さい子どももいるし、元気なのでまだ40代の気持ちですが、実年齢は変えられません。
若いころ、還暦を迎えた方々をみるともっとおじいさんのように映っていましたが、自分自身が「還暦」を迎えることになりました。
 振り返ると、無駄な時間はなかったように思うし、やっぱり、なるようになっているなぁ、と思います。
 気負い過ぎて空回りしたことも多々ありますが、いまはすべてが肥やしになっています。

 還暦は、十干十二支(じっかんじゅうにし)で元に戻るので、人生では生まれ変わり。再び、赤ちゃんに戻ります。単なる赤ちゃんではなく、チョッとませた赤ちゃんです。
 
 今日は元旦。手作りのおせち料理の説明をします。数の子は子宝に恵まれますように・・、煮干しは小さいけれどお頭付き、黒豆はまめまめしく働くように・・、紅白なますはお祝い事の表すこと。他にも昆布巻きは「よろこんぶ」(ダジャレ?)、海老は腰が曲がるまで長生きする意味があることなどを子どもたちに話しますが、さすがに、毎年聞いているので、みんな覚えているようです。

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                        【数え4歳が、数え3歳の乗ったカートを押す】

 毎年恒例で赤酒の屠蘇(とそ)を漆の食器でいただき、お茶に梅をひとつ入れて飲み、「あけましておめでとうございます」とご挨拶をお互いにして年を重ねます。
日本では、お腹の中に命が宿った時から年を数える「数え年」の話などをして、家族一度に年を重ねます。

 あとは鶏肉をだしに取ったお雑煮、郷土の馬刺しをいただいく時間になると、なんとなく年が明けたなぁ、と感じるのがわが家の新年の風景です。

 今年は「気負わずに」過ごしたいと思います。内なる情熱は昔と全く変わりませんが、冷静かつ慎重な言動・行動を心がけたいと思います。

 ・・・とはいうものの、やっぱり私はいつもチャレンジャー。もうひとりの自分との戦いになりそうです。今年もよろしくお願いいたします。

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                                    【恒例のコマ回し】
posted by 塾長 at 09:42| その他

2010年11月18日

50年忌追善法要

 昨日は、日帰りで熊本に帰ってきました。午前4時起き、帰宅9時の強行スケジュールでしたが、小学校女3人組も、出かけたあとのエサあげや学校から帰宅後の夕食作り、掃除、洗濯物たたみ、お風呂など、よく頑張ってくれました。

 50年忌は通常ではあまりできません。若くして亡くしたか、子どもがよほど長寿でないとありません。昨日は、本妙寺境内にある「智恩院」で12時から始まりました。お坊さんの読経のなかで、「昭和36年1月1日、56歳」で父が亡くなったことを改めて聞くと、胸がジーンとなりました。

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   (まだ、熊本までは新幹線がつながっていない。新八代までは特急リレーツバメガ走ります)

 お香が立ち込める本堂にいると、心身が清められていくような気持ちになりました。福岡から熊本まで電車で移動しましたが、その車窓から現実を見てきた後だったのかもかもしれません。
 沿線は博多〜熊本間の九州新幹線工事が最終段階を迎えていました。建ち変わる家々、代わる風景。ついつい「方丈記」を思い出しました。
 
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            (50年忌追善法要の様子:熊本市本妙寺・智恩院)

 追善法要が済むと、昼食のため「新華楼」に向かいました。私が中学生のころから通っていたラーメン屋さん。知る限り50年くらい営業されています。右端は「社長」の葉さん(80歳)。いつも温かく迎えてくれます。この日は、なつかしい「ロバのパン」までいただきました。

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      (透明スープのラーメン。変わらぬ味と人情。熊本に帰った時は必ず行きます)

 法要のあった市電電停・本妙寺前から路面電車で3つ目の駅・蔚山町(うるさんまち)の前ににある「新華楼」。そのひとつ前の電停・段山(だにやま)の電停前に「菅の家(すがのや)」という肉屋さんがあります。ここも老舗(しにせ)。
 帰りにここによって「馬刺し」を買いました。いつも、お正月には宅急便で送っていただきます。

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                 (言葉では、表現できない!)

 この他、妻が大ファンの「蜂楽饅頭(ほうらくまんじゅう)」と「まるきんつば」を買って、帰路につきました。この二つは共通しておいしく、アンが甘過ぎないので飽きません。

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      (これは「まるきんつば」。刀のつばのように丸くなった形をしています)

 新しいものもいいですが、このように伝統の味もいいものです。新幹線が通ると熊本には福岡からあっという間に着くようになりますが、失うものも大きいような気がします。

 車窓からの眺めも、新幹線では追いつきません。せいぜい、在来線の特急までが、ほどよきスピードかな、と思います。もっとゆっくり時間があれば、各駅停車で行きたい感じです。

 久々、沖縄から出ました。天国へ送った親父から、いろいろプレゼントされたようです。94歳のおふくろが「故人もとても喜んだと思います・・」と最後に挨拶しました。おふくろも、とてもうれしかったのではないかと思います。

 昨日、感じ取った感覚を、これからの仕事や家庭に生かしたいと思っています。 
posted by 塾長 at 10:51| その他

2010年11月08日

自立・共生!

 国会中継を聞いていても、大人げない質問や的を射てない答弁が延々と続いています。政権が変わることはいいこともあります。しかし、菅さんでは心もとないと思ってしまいます。「有言実行内閣」などと言っていますが、言葉遊びに見えてなりません。いまさら、あの自民党政権に戻っては欲しくないので、しっかり運営してもらいたいものです。

 それにしても、いつから日本は堕落したのでしょう?アフリカのベナンから来日しているゾマホン・ルフィルさんが言っていました。「フランスから植民地化されたあとの母国は、フランス人のようになり、ネクタイを締めて仕事をするのがエリートで、みんなその方向に向かっている。労働は神から与えられた罰。だから、農業のように汗水たらす仕事をする人が少なくなった。」

 ベナンではなく、日本も同じようになってしまったのではないのでしょうか?ベナンの公用語はフランス語、日本は英語教育が盛んです。日本も高学歴時代が到来。ホワイトカラー族が増え、現場で汗を流す人が減りました。

 日本人は勤勉・勤労。「働くことは罰」という宗教観はありません。逆に「勤労は善」です。しかし、戦後、欧米に追い付け、追い越せと戦後復興から勤労を楯に、高度経済成長を成し遂げましたが、世界からエコノミックアニマルと揶揄させるほどがんばりました。支えたのは中学卒業の集団就職者、あるいは高卒者です。

 享受されたのは、簡単便利な暮らし。労働は悪。昔は「働からず者、喰うべからず」でした。しかし、今は頭を使って体は使わず・・。指先一つで、大もうけをする人がいます。また、それを良し、とする社会風潮があります。

 スポーツは盛んになりましたが、目指すは大リーグ。日本でもドラフト1位は1億円の契約金を摂ります。わずか18歳で一生暮らせるお金です。ただ、大リーグに行った松井選手も、当たらなくなると、「ハイ、サヨウナラ!」まるで、「モノ」です。それを証明するように、野球選手は「入札」にかかります。

 高度経済成長やデジカル化は、簡単便利でスピード化は図れましたが、日本人の持つ人情や文化を壊してしまったように思います。建築の世界でも機械化が進みました。最近では集成材や積層材が多く、ノミやカンナを使う機会が減りました。
 国がつくったマニュアルに従ってしか家造りができなくなってきました。マニュアル通りに生きるマニュアル人間が増えました。どこにいっても同じ家ばかり。昔、新幹線の駅は皆同じ形や色をしていました。どこに停車したのかわからない状況でした。しかし、当時はこれらが数々の建築賞を取ったものです。

 今一番薄れているのは、日本人の自立心だと思います。戦後のように単に経済復興ではなく、今後はしっかりした日本像を見つけ、お金や外国に頼らなく国づくりをしていかなくてはなりません。

 またもう一つは、自然や社会、歴史や先祖などとの共生です。木材もお米も自給率は100%なのに、倉庫にも山にもたくさん残っています。国策の転換が必要でしょう。これまでのやり方では、どれだけ税金を投じても解決しないように考えます。

 まぁ、国や県などの行政に頼るのも間違いかもしれません。独自の考え方を行動に移していくしかないのかもしれません。
 10数年前、日本建築士会連合会の青年委員長を仰せつかったことがあります。地位に胡坐をかくことなく、その当時、今、全国でネットワーク化している「応急危険度判定士制度」の早期実現することを全国青年部会長会議で動議を出して承認されたこともあります。地域貢献賞の創設も同じです。

 熊本の青年部会長時代に、県内建築士の活動を社会を相手に発表する機会として「くまもと青年けんちく塾」や、九州の建築士の祭典:「九州パッションIN○○○」も創設しましたが、今も継続しています。

 国産材合板の開発・実用化もしました。当時は針葉樹の小径木で曲がりの多い国産材を合板にするなどもってのほか、合板会社からは相手にもされませんでしたが、国内の地下水・森林、熱帯雨林を守るという強い決意のもと、結果的に県の特記仕様書に載せることができ、その後、国産材合板の需要は伸び続けています。

 やればできるものです。10数年前同じ仲間だった建築士の面々は、北海道や京都、島根県などの建築士会の会長をしています。
 一方、私は相変わらず、現場の第一線にいます。やっかみなど一切なく、今、建築やまちづくりの現場の第一線で活躍できることを、本当に幸せと感じています。やっぱ、現場はいいなぁー。

 
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現在進行中の、手刻みの木材切り込みの作業場。沖縄では初の寄せ棟に折置き組を採用。木材量は通常の2.5倍、しかし、家は500年はもつと思うので、100倍。マニュアルにない仕様を独自に作る所に「自立」が芽生える。
12月25日〜27日の2泊3日の冬に林間学校のテーマは「自然に合わせて暮らしてみよう!〜よみがえる感性、めざめる自立心〜」。

手作業中の「自然と先祖と家族をつなぐ家」は、人間の知恵と汗の結晶として来年1月中旬、沖縄市にお目見えします!

posted by 塾長 at 20:37| その他

2010年11月02日

冬の暮らしへ・・・

 台風14号の襲来で自然の脅威を感じ、大きな被害もなく過ぎ去ったあとの感謝。すると、季節はすっかり秋を越えて冬に入って行きます。沖縄には紅葉の季節がないので、夏の後はアッと言う間に冬です。

 我が家でも冬のバージョンに変化しました。まずは火鉢。1昨日、火が入りました。1年を過ぎたことを感じさせるように、5歳の朴然が火吹き棒で炭をおこします。やっぱり、ガスの青い火より、赤い自然の火が人間には親しみがあります。
 
 部屋中に炭の香り。子どもたちはさっそく、鉄球を持ち出して餅を焼き始めました。今度は醤油の焼けた芳ばしい香りが家じゅうにまん延します。後藤家の冬の香りです。
 餅は昨年搗いた餅の残りと今年店で買った餅。一人3個食べると24個も焼かなくてはなりません。定番は砂糖醤油につけて、もう一度焼く「かば焼き」。全員が餅好きです。

 次の冬の風景はお風呂。今晩、この冬初めてお風呂に入りました。体がほっかほっかになります。大きなヒノキ風呂なので、家族が全員は入れます。木のお風呂は体の当たりがいいので、ついつい長湯になります。お互いに体を洗いあいます。家族の会話もこの時盛り上がります。

 今、日本シリーズがあっていますが、今年は地上波の放送がないとか?我が家にはもともとテレビがないので、ラジオで十分です。熊工の出身なので、中日の1番、荒木選手の活躍が気になります。

 さて、次は晩酌。これはおのずと焼酎に変わりました。暑い季節はビール。寒くなると焼酎。先日、地鎮祭で見えた熊本の職人さんが球磨焼酎を持ってきてくれましたので、これをお湯割りで飲んでいます。
 沖縄では夏はオリオンビール、冬は泡盛の水割りのようです。私は夏はエビスの黒(350ml)1缶、冬は自家製の梅焼酎のお湯割りコップ一杯ですが、この一カ月は球磨焼酎のお湯割りでいけそうです。ありがたいことです。

 そして、今晩は湯豆腐。大分のユズコショウを入れて楽しみます。冷房もなく、テレビもない暮らしですが、結構、家族で質素に充実した暮らしができています。

 2日前、アヒルの子が生まれました。前後してウコッケイの卵からヒナが孵りました。アヒルの卵を抱いていたのはウコッケイのめんどり。アヒルの子は、ニワトリについて回っています。

 慎ましい生活ですが、季節を感じ、季節に順応しています。

 享受するのは感性です。このような暮らしがきっと、子どもたちの脳裏に焼き付いて、大人になった時、大きな判断をする時、効果をもたらすと思っています。

 冬寒いのは当たり前。寒さをしっかり楽しみたいと思っています。
posted by 塾長 at 20:03| その他