2024年12月05日

連載第19回「建築士会青年部大同窓会・後編」

沖縄建設新聞 連載「歴史に学び 文化で築く」の第19回目が発刊されました。

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【建築士会青年部大同窓会の報告。後編は「首里城及び首里城復元工事見学会」と全体のまとめです。】

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【毎週土日は家の周りや田んぼ周りの除草作業に追われます。棚田の奥にあったバナナの木。猛烈な勢いで繁殖する特定外来種の「ツユヒヨドリ」に覆われていたので切りました。
そうしたらその陰に「バナナ」の実が付いていました。「いやー、悪かったなぁ、ゴメンね。」と言って蔓を切りました。もうしばらく成長させて「いただだきます」。】

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posted by 塾長 at 14:59| 教育・子育て

2024年11月28日

「島根殿(しまにどぅん)」調査、中間報告(速報)と心然の誕生日!

国の登録有形文化財に申請するため、熱田公民館の敷地内にある「島根殿(しまにどぅん)」の小屋裏を見ました。

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【11月23日10時から、熱田区の徳村自治会長、村教委の砂川さんたちの立会いの下、4人お我が家のメンバーで小屋裏を見るために天井を一部開けて見ることにしました。】

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【次女の亜和(あや)に開けてもらいました。】

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【軒の出を長く出せたのは「桔木(はねぎ)」を使ってありました。「舟肘木」もそうですが、日本の古い手法です。「一軒(ひとのき)」なので見える軒先部分は「化粧垂木」、内部は「野垂木(のだるき)」の二重構造になっていました。】

現在、復元図を作るためにラフの図面を手描きで起こしています。次回、それに実際の寸法を入れて正式に描き上げる予定です。それも手描きになります。

津語の24日(日)は第10子(七男)・心然(しんねん)の満6歳の誕生日でした。

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【家内ときょうだいで作ったケーキ。】

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【誕生日定番の「ちらし寿司」、「唐揚げ」に母親の月命日と重なったので熊本郷土料理の「だんご汁」が付きました。】

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【すぐ上の小学2年生の「わかみこ」から、自分で作った塗り絵の下絵がプレゼントされました。他に二女の亜和からも贈り物がありました。私は昨日、塗り絵用の色鉛筆を渡しました。】

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【気持ちが高揚したのか、心然は得意のジャンプをしました。畳と板張りの高低差は45センチありますが、下から一気に飛び上がりました。私は過日、これと同じことを負けずにしたので、「かかと」の骨が割れて1週間歩けませんでした。】

この後、県外のきょうだいたちとテレビ電話で会話をしました。

まだまだ子育ては続きます・・・・。
posted by 塾長 at 15:04| 教育・子育て

2024年11月18日

日々、変化・成長!

兵庫県知事選挙の結果が出ました。地元ではないので詳しい事情は分かりませんが、選挙報道の在り方が問われたように思います。新聞・TVなどの誘導に左右されずに判断した兵庫県民の良識が見えた選挙で良かったと思っています。

北中城村長選挙もやがてあるようで、いろいろチラシが回ってきます。しかし、小出しの政策は多々書いてはありますが、いずれもマスタープランのような大枠がなくて残念です。100年計画くらい長期ビジョンを出して欲しいところです。加えて、自分の政治哲学。最近は「小粒」ばかりで「命」を張る政治家に出てきてもらいたいと願っています。

さて、この1週間は右足の「踵(かかと)」が痛くて歩けなくなったので病院に行きました。レントゲン写真で見ると踵の丸い骨から2か所トゲのようなものが出ていました。2年前は左足のカカトでした。
体重を減らすことを助言され、痛み止めの薬をもらい飲んでいたら痛みが引きました。体重は10sは減量しています。しかし、今回の右足カカトの痛みは治っていません。
今回は「松葉杖」も借らずに今日まで来ましたが、さすがに痛みが激しいのでどうしようかと悩んでしまいます。トゲの様な骨が出るのは、体質のようです。そのトゲ状の骨が神経に当たっている痛みなので、痛みを緩和する薬で治そうと思っています。
普段は薬不要の体なので、薬を飲むのは抵抗がありますが、もうしばらく様子を見たいと思います。

今朝は少し無理を押して餌あげに出ました。朝5時半から出たので、周りは真っ暗でした。水の調整をしていたら側溝に大きな「モクズガニ」がいました。

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【タチガ−(湧水地)から流れ出る地下水が側溝に入って流れてきます。途中に堰(せき)を作って一部を「中頭(なかがみ)メダカ」が30匹くらい棲んでいる水車小屋下の池に取水しています。
 その堰に溜まる枯れ葉・枯れ枝を除去するための仕掛け(可動式の簗やな)場)です。その堰がカニにとっての「休憩所」兼「えさ場」になっているようです。】

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【大きな「モクズガニ」でした。枯れ葉類を除去した後、そっとそのままにして置きました。】

大雨が降った後なので、休耕中の田んぼを見回りました。8枚の棚田のうち右2段目の棚田は稲刈り後の「ひこばえ」が成長していたのでそのままにしておいたのですが、ご覧通り成長していました。

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【いわば「再生3期作」。稲の生命力には感心させられます。】

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【成長しつつあった右2段目だけと思いきや、右1段目(小学5年生が田植えした田んぼ)も2度目の「ひこばえ」から成長していました。夜が明けない早朝だったので暗くてうまく写せませんでしたが、確かに伸びています。大雨と、沖縄の暑さのせいだと思います。今日は25℃くらいですが昨日までは11月中旬なのに30℃です。】

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【成長するのは稲だけではありません。昨日、1昨日は例の特定外来種の「ツユヒヨドリ」と外来種の「ギンネム」を家族で処分しました。ツル類が怖いのは、前住んでいた人吉市矢岳町で見ています。すぐ近くにあった古い木造住宅(平屋)が、蔓で引き倒されたのを見ました。・・というか、家全体がツルで覆われていたので、蔓で保(も)っていたのかもしれません。「ギギギ」と音がして目の前で倒れていきました。先週も切りったので第2弾の草刈りです。切っても切っても生えてきます。
「ギンネム」は電線まで伸びてきています。今切らないと、電線、電話線の下に張ってある「ヒカリ回線」が切れてしまう可能性があります。(以前、切れて大変だった)】

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【日々変化、日々成長と言えばチャボのひな(3羽)も大きく成長しました。昨日の様な休みの日は狭いニワトリ小屋から出すようにしています。
親鶏はあと2羽いましたが、カラスが体ごと掴んで「かわいい七つの子」のエサとして連れ去られた苦い思い出があります。チャボは木の上まで飛んで身を守ることができるので、もうしばらくは小屋に入れて育てます。】

ほかのウコッケイ3羽と中学校から預かったニワトリ1羽は大きいので敷地内で飼っています。庭にいるので「庭(ニワ)ツトリ」が「ニワトリ」の語源です。反して「野鳥」は「ノ(ヤ)ツドり」。

朝早くから「コケコッコー」と朝を知らせる暮らしは、いかにも日本情緒。朝を知らせるとは言いますが、昔から「幸せ」と「奇跡」を呼ぶ声と聞き及んでいます。
小屋で育てるヒナたちの天敵はカラスやヘビと思いがちですが、意外や意外、猫や犬もいます。ただ、野性味を持ったニワトリになって欲しいのでそのうち、半分「ノ(ヤ)ツドリ」として育てます。人間も同じだと思います。

成長と言えば我が家の末っ子、第10子の心然(しんねん)もこの24日で満6歳になります。第7子の万然(ばんねん)の脳性まひの障がいを緩和する治療のために出生時、「さい帯血」を採りました。したがって最後の子は「自宅出産」ではありません。
昨日の休みに「長ぐつが狭くて痛い」というので、エサあげようの長ぐつを買ってもらったようです。聞けば「20センチ」。近くにいると気が付きませんが、「我が子も日々、変化・成長しているんだな」と感じました。

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【餌あげが終了してラジオ体操を終えても暗い沖縄の朝。我が家では長ぐつ(雨靴)は必須。最近は長靴さえ持たない子が多い。いざという時は、やっぱり長ぐつです。】

足の痛みがまだ癒えませんが、今週の土曜日(23日)の10時から12時まで、熱田公民館にある「島根殿(しまぬどぅん)」の天井を一部開けて、小屋裏を見たいと思います。昭和15年に御嶽(うたき)を石造からRC造に変えた時の記念写真もあります。
各種の文献を読むと、全県的に御嶽を本殿、その前の木造を拝殿として「御嶽の神社化」が進んだ時期と思われます。その証拠として小屋裏の木組みをこの目で確かめたいと思っています。復元図を起こして、国の登録文化財化を図る予定です。

関心のある方はどうぞお出で下さい。

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【昭和15年(皇紀2600年)立替えの本殿(御嶽)】

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【昭和15年以前に建っていたとされる木造の「拝殿」。大東亜戦争でも難を逃れた貴重な建築物です。】

私自身は目に見えて成長はしていません。逆に老いていく年齢ですが、気持ちや頭脳は日々、成長・変化していると思っています。ではでは・・・。
posted by 塾長 at 10:54| 教育・子育て

2024年11月06日

新聞連載第18回「建築士会青年部大同窓会」(前編)

現在、週刊 沖縄建設新聞で連載中の「歴史に学び 文化で築く」の第18回目が掲載されました。

「建築士会青年部 大同窓会から得たもの」がテーマで、充実した内容でしたので、1回で書き納めるのは難しそうだったので2回に分けました。
本来、全18回で完結予定の連載でしたが、新聞社のご厚意で2回途中で入れることになりました。

結局、全20回の連載になります。

今回は3部に分けた同窓会関連のイベントのうち、9月15日開催の同窓会と懇親会のまとめです。後編は首里城及び首里城復元工事見学会と全体のまとめにしました。

字数の関係でだいぶ省略していますが、内容は伝わると思います。関係者の皆様、参加者の皆様、ご協力ありがとうございました。

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【会誌「建築士」1月号に「オピニオン」とその後の「トピックス」でも報告する予定です。(1月号の原稿は既に送付済み、「トピックス」はカラー写真が入る予定です。】
posted by 塾長 at 12:29| 教育・子育て

2024年11月05日

「講談」・「新聞記事」・「家庭内労働」

令和元年10月31日未明の首里城火災から5年経ったことで、先日の日テレの「バンキシャ」同様、なにかと首里城関連のニュースがいくつか流れました。
産経新聞も購読していますが、二女の亜和(あや)が取材を受けたというので見たかったのですが、今日(11月5日)配達されてきました。(電子版では事前に拝見)
社会面トップだったのでビックリしました。

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【大竹直樹那覇支局長には、電話でお礼を伝えました。NHKや日テレなどの全国版にも最近は地元の女性宮大工として時々取り上げられますが、まだまだ見習の身。謙虚に仕事に集中するよういつも話しています。】

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【こちらは地元の琉球新報の記事。特集の一部に以前の現場で一緒に仕事をした島袋瓦工場の若手職人・島根弘樹君と一緒に取り上げられていました。取材をされたのはなんと、6年前第7子・万然(ばんねん)の「きょうだい間のさい帯血による再生医療」に関する取材でお世話になった前森千賀子記者でした。何が縁になるかわかりません。常に謙虚さを忘れず、対応して置かないといけない、と思いました】

11月2日のNHK・ラジオ深夜便では「一龍齋春海」さんの「講談」を聞きました。最近は演劇や講談など結構日本的な芸に縁があります。深夜便はほとんど毎晩・毎朝聴いています。しかし、あまり興味がない時は、寝てしまいます。この日は途中からすごい話になったので、寝ていた和室から茶の間まで渡り廊下を通って行って、ボイスレコーダーを持ってきて録音したくらいです。

インターネットで検索したら、アーカイブであったので、家族のみんなに紹介しました。子どもたちもみんな聞いてくれました。主人公の「中村久子さん」の実録ですが、それはそれは壮絶な人生でした。
しもやけが悪化して指から腕、足まで切断されたのに、懸命に生きていく姿です。「ダルマ」と呼ばれて見世物になっても「働かずもの、喰うべからず」との教えを守って、腕だけになってもお茶碗を持つことから針に糸を通す、さらには着物を縫うことまで・・。また結婚されても不運が続きましたが、それでも前を向いて努力されました。自分自身もいろいろありましたが、まだ「中村久子さん」のような苦労はしていません。もっとが頑張らねば・・と心に誓いました。

さて我が家は再生二期作の稲刈り、草刈りなどこの連休は汗だくでした。

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【先週は中学校の構内のギンネム伐り。今週はフェンスから出ていたギンネムを伐採。】

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【再生二期作の稲刈り。現場が休みだった亜和も当然家庭内労働です。】

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【畔の草刈り】

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【稲刈り】

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【稲刈り後の田んぼ】

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【草刈り後の田んぼ】

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【8枚の棚田のうち1枚だけ「三期作」が自然にできていました。このまま様子を見ようかと思い、残しています。(実験)】

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【昨日はいよいよ敷地内の外来種の除去作業。ツユヒヨドリとギンネムは特にひどく、あっという間に広がります。特にツユヒヨドリは恐ろしい。どんな木や草にも絡まって覆いつくします。これは特定外来種なのでどこにでも処分できません。捨てることもままならない特定外来種。本当に問題です!】

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【最後の最後になって自分の左手中指をノコギリで切ってしまいました。子どもが運ぶのに大変かな、と思って小枝を切ろうとした時に、指まで切ってしまいました。油断禁物ですね。】

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【主な仕事を終えたところでふと見ると、家の入り口近くで子どもたちが遊んでいました。「♪かーごめカゴメ、カーゴの中の鳥はー♪」と歌いながら後ろの正面だーれ、で名前を当てるなつかしい遊びでした。しかし、あとでこの歌の意味をみんなで調べた結果、あまりいい話ではなかったようで、みんな怖がっていました。】

毎日毎日が刺激的なので、意外と長生きするかもね?とひとり思っています。以上。
posted by 塾長 at 15:56| 教育・子育て

2024年10月28日

二女の亜和(あや)が日本テレビの「バンキシャ」で紹介

昨晩、沖縄地方では放送されませんでしたが、日テレの「バンキシャ」で、首里城に携わる若手宮大工の仕事ぶりが紹介されていました。

まだまだ修行の身です。しかし、コツコツ日本の伝統技術を習得してもらいたいと陰ながら見守っています。
本当は技術・技能もさることながら、日本人の礼儀作法、相手を思いやる気持ち、日本や沖縄の歴史・文化などを伝統的な木造の仕事の中から学んでほしいと思っています。

https://news.ntv.co.jp/category/society/cd861d9b036840c8afd4de6166e0bbb6

元請けの(株)清水建設様、雇用先の(株)社寺建様に感謝申し上げます。

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【TVでは派手に映っていますが、18歳から2年半は私の設計した木造住宅の現場で修行していました。】

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【今も夜中に2階のベランダでノミを研いでいる時もあります。】

ついでに過去の写真も追加します。

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【首里城復元工事の現場に入る前の私の設計した現場での仕事ぶり。海老虹梁や平虹梁、懸魚の加工もしました。】

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【その経験が少しは首里城正面の唐破風妻壁の彫刻でも活かされたかもしれません。これからは専門家の下で技術・技能を学ぶことでしょう。】

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【小さいころから高いところに登るのは好きでした。(自宅の木造ベランダの中にある桑の木で遊ぶ)】

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【2年前の成人式の前撮り写真(沖縄にいる他の妹たちと・・・)これからもいろいろあるかと思うけれど、日本人の魂と文化をもって頑張って欲しいと願っています。】
posted by 塾長 at 14:32| 教育・子育て

2024年10月24日

大雨の備え

2〜3日前から台風の影響で沖縄本島が大雨になるとラジオで言っていました。
斜面に建つ我が家は風の脅威もありますが、大雨になると地滑りや床下への雨水侵入などが気になります。
そこで常日頃から天候には敏感です。

2日前の草刈りの時、自宅前側溝の掃除をしました。なぜかというと、湧水地から流れ出る余剰の水は側溝を通って下流へ流れますが、その途中から水車小屋下の池に一部分水しています。地下水の水なので、メダカや闘魚が元気に育っています。

ただ、蓋なしのいわゆる「開渠型」の側溝なので、枯れ葉がたくさん水と一緒に流れてきます。だから池に分岐する水は側溝内に「仕掛け」をしています。家族間では「三角」と呼んでいます。

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【上流からきた湧水の余剰水を側溝内に仕掛けた斜めの「堰」に一旦水を溜め、越流した水を可動式の「梁(やな)」の上を流させ、落ち葉を池へ通じるパイプに入らないようにしています。パイプの先端には箱網を置いて落ち葉の侵入を止めます。それでもちいなさ落ち葉などは入ってくるのでパイプの出口や途中にも落ち葉こしの網を付けています。これを毎日点検し、掃除するのは私の役割です。】

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【雨が降ると一気に仕掛けの「三角」に落ち葉が押し寄せて、機能不全になるため一昨日の朝、ひとりで堰から上流約50m位を掃除して落ち葉を上げました。道路に上げた後の処理まで、朝の短い時間に終わらせるのは大変です。】

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【今朝は昨晩から続いている雨が丁度、「大雨」になりました。我が家側はこれを見越して作業していたので側溝に溜まった落ち葉は少なく、スムーズに水は流れていました。しかし、あまりにも大雨だったので分岐するパイプは側溝から上げました。池の水は、雨水だけで十んと考えたからです。
この写真はもっと上流の田んぼの前に走る側溝です。今朝は案の定、農道いっぱいに水があふれていました。そこで危険ではありますが、急流の側溝周りの草刈りと、側溝の中の「ひげ」(根っこ)を鎌で切って出しました。側溝断面が「ひげ」のせいで小さくなっていたから道路にあふれていました。これで道路に水が来ないので、水のヌメリでスリップすることはなくなります。
この他、家の周り数十メートルの雨道の草祓いをしました。これは高校生の「こはづき」と妻がしました。駐車場周りは私がしました。水はこれでとどまらずに海に流れて行きます。田んぼでも随分、「保水」していました。もちろん敷地内の大きな池でも保水します。お雨と同時に一気に側溝に流れ出ず保水することで「都市型の洪水防止」に少しは貢献しているかもしれません。】

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【餌あげや側溝周りの除草、掃除などを終えて帰ってきたら、6:30からのNHKラジオ体操です。大雨の中でも子ども3人と一緒にしました。上流の水量が多いので我が家の前に側溝は、「両側側溝」に役場がしました。お陰で水量はずいぶん減りましたが、量の多い道路反対側の側溝の水も吐け切れず、マスから水が吹き上げていました。それでも日課であるラジオ体操は実行しました。私個人的には年を重ねると運動神経が鈍り転んでケガをしたくないからです。子どもたちには「継続」することの大切さ。これからもずっと続けていく所存です。】

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【朝6時前からひと汗かいて家に戻ろうとしたら、道路に大きな「モクズガニ」が歩いていました。これまでも通勤車に轢かれて死んだモクズガニを見たことが何度もあります。そっと捕まえて我が家の池に放しました。だけど回遊性なのできっとここを出ていきます。東シナ海までの往復16kmの長旅をするので、道中人間の運転する車にどうぞお気をつけてまた白比川の最上流のこの地に帰ってきてくださーい!】
posted by 塾長 at 12:49| 教育・子育て

2024年10月23日

久しぶりの舞台鑑賞!

10月19日(土)は神戸へ一日でトンボ帰り、次の20日(日)は午前中小学校の運動会。昼食後即、那覇で演劇を観に行きました。平和への約束:「未来へつむぐ 今をありがとう」の沖縄公演でした。

やっぱり映画やTV、VTRなどと違って、生の演技は迫力があります。そして花道どころか、客席まで使った立体的な舞台でした。約2時間半、何度も涙しました。

舞台の内容は現代に生きる女の子がタイムスリップして大東亜戦争真っただ中の知覧基地の「特攻隊」とそれを支える「なでしこ隊」の心の葛藤が描かれていました。

家族や恋人、友人あるいは新妻に宿った赤ちゃんの命を守るため、若い青年が片道燃料で戦艦に体当たりする壮絶な戦い。戦時中に迷い込んだ現代の女の子のスマホを話さない弱々しさ、姿勢の悪さが当時15歳で特攻隊を世話した「なでしこ隊」とは対照的でした。

お母さん(母上)さての手紙(遺書)を渡すシーンや、教師になりたかった学生が即興で「なでしこ隊」を相手に教壇に立つシーン、そしてひとり一人が故郷を想って駆け足でゼロ戦に向かうシーンなど、「イノチ」の尊さ、時代を生きる緊張感・・・。きっと数千人の特攻隊員は「未来の日本」に期待したと思います。

敗戦の責任を取って藤井大佐が切腹しますが、この時は三島由紀夫氏事件を思い出しました。

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【演劇は那覇市のパレット市民劇場でありました。最終的には観客でいっぱいになりました。】

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【演劇中は撮影禁止ですが、終わった後はOK.特攻隊役の役者さんと演劇中しょっちゅう見た「敬礼」。わが家の子どもたちは「敬礼」は慣れています。】

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【特攻隊役の役者さん全員と「敬礼!」。】

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【だけど・・・。やっぱり我が家は「エイ、エイ、オーッ!】

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【帰り際、「川満しぇんしえー」からインタビューを受けました。】

舞台を見るのは本当に久しぶりで、多分、熊本にいた時、山鹿市の八千代座で坂東玉三郎公演以来になるかと思いますが、いい刺激になりました。
また、こんなに瞼が何度も熱くなり涙したのは母親が亡くなった時以来、十何年振りかもしれません。家族の在り方や友情、愛情、故郷を想う気持ち、日本への想い・・・。思わず声が出そうでした。

今の日本人に必要なことがいっぱいありました。サブタイトルの「今をありがとう」、特攻隊がイノチを張って守ってくれたからこそ今があります。特攻隊だけでなく戦地で亡くなった方や沖縄の地上戦や本土の空襲、広島・長崎の原爆で亡くなった方々、戦後も貧しいなかで生きて国を支えてくれた方々のお陰で今があります。石垣部隊の伊舎堂中佐も沖縄を守るため・・と言って出撃しました。もっと先人に感謝しなければ罰が当たると思いました。(その当時の世界情勢や時代背景も考慮しなければなりません。戦争せざるを得なかった理由や負けると分かっていても戦わなければ占領される運命、戦い方次第で今があるという事実もあります。ウクライナと同じです。)

今どき戦争を好きな人などいません。当たり前の話です。ただ、自分の国は自分で守る気概を持ち、せめて、攻めて来れないような気迫のある国民性を維持したいものです。「國(神社)で会おう!」という特攻隊の合言葉が今でも耳から離れません。
(この演劇は「特攻隊」を美化してはいけない、風化もしてはいけない、としていました。)

先人に恥じないような言動、行動をこれからも取っていきたいと思います。
posted by 塾長 at 16:07| 教育・子育て

2024年10月20日

「さい帯血による再生医療」の現状

10月19日(土)、「臍帯血による再生医療研究会 第9回学術会議」が神戸臨床研究情報センターで開催されました。「さい帯血による再生医療推進全国ネット」の代表として参加しましたのでご報告いたします。

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【10月19日は「十六夜(いざよい)」。出発前にはまだお月さんが残っていました。前日のスーパームーン(月が地球に近いので大きく見える)は曇天で見えませんでしたが、十六夜は見えました。この後、那覇空港から神戸空港に向かいました。ただ次の20日は第8子(こだまこ)と第9子(わかみこ)の通う北中城小学校の運動会があるので、トンボ返りでの強行スケジュールでした。だから、このお月様、那覇空港に着いた時も上がっていました。】

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【沖縄は晴れていましたが、神戸に近づくに連れてだんだん雲が増え、到着する頃、神戸は「♪今日も雨だったー♪」】

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【神戸空港からポートライナーで二つ目の「医療センター駅」で降りました。】

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【駅を降りたら目の前に会場の「神戸臨床研究情報センター(TRI)」が見えました。(奥の建物)】

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【会場案内です。】

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【12時5分に空港に着き直行で会場に行きましたがすでに、高知大学の藤枝先生は到着済みでした。事前にご連絡を差し上げていました。なんとか時間を取っていただけるということでしたので、家内と一緒に沖縄から出かけた次第です。わずか30分くらいの面会でしたが、「脳性まひ」の子どもを持つ親として、また「脳性まひ」の患者さんをもつ家族の代表として、これまで推進活動を応援してもらっている方々へ少しでも新しい情報を伝えたい一心で参加し、研究の中心的存在である藤枝幹也先生と直接お話しをさせていただくのは私の責任でもあります。以下に要点を列記します。】

1,きょうだい間6例のフェーズ1(安全性)の臨床研究は、2024年9月に全例経過観察が終了し、大阪大学に定期報告を提出済み。加えてこれまで2年間の総括報告書を作成中とのこと。

2、この総括報告書が阪大で認められれば厚労所に回され、さらに審査がある。

3、自家さい帯血の経験から阪大から厚労省承認に至るこのプロセスの全行程は最短でも半年以上かかるため、フェーズ2(有効性)の開始時期は現時点では明言できない。

4、なお先行の自家さい帯血由来細胞を保険適用を厚労省に申請中で、現時点では事務レベル審査を通過しつつある。

5、その後厚労省技術部などの審査が始まる。自家さい帯血フェーズ2の承認は早くても来年夏以降。

同胞間、自家とも少しずつではありますが、さい帯血による再生医療の研究は進んでいると実感しました。

出発前何人かの方に連絡しましたが、どなたも思いは一緒でした。「いつになったら預けているさい帯血を投与できるのか?」、「情報を知ってからもう数年たったので、投与可能な年齢から外れるのではないか?」あるいは「投与しても体が成長して体重も増えたから改善の度合いが減少するのではないか?」などなど。

藤枝先生にその旨、尋ねました。「とにかく手続きに時間を要している。」ということです。

「ただ牛歩のように遅いけれど、進んではいる。」「臨床研究対象の年齢は上げて厚労省に提出する。」というお返事をお聞きしました。
私たち患者家族も医療分野の先生方のご努力に感謝しながら、かつ、私たちのできる支援を新たに考えていきたいと思います。例えば何かのタイミングで家族の強い要望が必要な時は、前回のように多くの署名で意思表示をしたいと思っています。その時はよろしくお願いいたします。

また話の中で「リハビリ」は大変重要だということを再認識しました。先生いわく、「さい帯血治療は漢方薬」のようなもの。日ごろから体を動かしたり話しかけたりすることは「脳神経ネットワーク」を正常化する働きがあるのではないか。・・とおっしゃっていました。

わが子(万然)との接触を見て、それは感じます。生きているものは「動き」ます。微生物も細菌も地球さえも常に動いています。

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【面会の後、研究発表を2〜3題拝聴しました。初めてさい帯血の幹細胞の働きを世界で初めて発見した中畑龍俊先生の写真は貴重でした。他のスライドはここでは省略します。】

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【その後会場を出て運転士のいない無人運転のポートライナーで三宮(さんのみや)に行き、遅い昼食(ラーメン)を取りました。】

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【三宮駅を後にして神戸空港にリターンしました。】

前日の18日夜は沖縄県中頭教育事務所の知花先生(長男・朴然の中学校時の担任)と自宅で夜なべ談義。生涯学習のご担当で、できれば首里城復元工事で宮大工として頑張っている二女の亜和(あや)を講師として講演して欲しいという、内容でした。・・・が、話は教育論から社会論まで楽しくて深い話が11時まで続きました。

今日は運動会の後、「特攻隊」の演劇が那覇市内であるので、運動会が終わったら運動会後の小学生二人を連れて親子4人で出発する予定です。

大人二人、その日のうちに神戸往復、わずか30分の面会。私費で交通費や参加費も負担するので大変でしたが、それ以上に有意義でした。これからも元気で楽しく、しかし真剣に何事にも取り組んでいきたいと思っています。

なお参考までに藤枝幹也先生は小児科の教授を退官され、高知大学医学部特任教授で高知大学地域医療支援センター長になられましたので、お伝えいたします。
posted by 塾長 at 11:37| 教育・子育て

2024年10月16日

旧友・渡久地克子(とくちかつこ)さん、来訪。

北中城村熱田(あった)にある「島根殿」(しまにどぅん)の登録文化財化に向けて日々調査していますが、大宜味村の大工さんが建てたのではないか?という仮説を立証すべく、関係書物等を調べています。

そこで大宜味村といえば、村出身の女性建築士「渡久地克子」さん。やっと連絡が付き連絡が入りました。そして10月13日(日)の17時に我が家に来てもらうことになりました。
途中、徳島での全国大会で会ったことはありますが、立ち話程度。今回は約30年以上ぶりの再会ということになります。事情はだいたい事前お電話で話していました。

学習棟で・・似顔絵.JPG


【まずは「学習棟」で再会。第10子の心然が家族紹介で全員の似顔絵を黒板の空いたところに描きました。予想もしていなかったのですが、よく特徴を捉えている似顔絵でした。そこで林間学校のことや先週終えた中学校の「道徳」授業のことなどを話しました。】

島根殿で(渡久地さん).JPG


昭和15年写真.JPG


【そのあと熱田の「島根殿」を一緒に見学しました。神社化されていった沖縄の御嶽が戦争の時でも消失せず残っていることは稀です。これを熱田区や北中城村だけにとどまらず、沖縄県の宝として国の登録文化財に登録したいと思っています。
渡久地さんも熱心に見てくれました。部屋に飾ってあった昭和15年(皇紀2600年)に改修なった本殿(御嶽)をバックにして撮られた記念写真も確認されました。】

見学されたあとの感想としては「多分、その当時は「大宜味大工」しか作れない本殿(RC造御嶽)・木造の拝殿だろう。」ただ、もう少し調べてみる必要がある、ということでした。
私もいくつもの本から「金城田栄(でんえい)」さんかもしれないと思っていましたが、金城組の中のお一人かもしれません。それは今後の調査、ヒアリング、現場目視、復元図起こしなどで判明してくると思います。(田栄(たえい)さんと呼んでいたら(でんえい)さんだと知りました。さすが地元出身)。
ちなみに渡久地克子さんは、大宜味大工(うじみせーく)の金城賢勇(きんじょうけんゆう)さんの四女で、一級建築士(沖縄で最初の女性建築士・30数年前の沖縄県建築士会初代女性部会長)です。また父親の賢勇さんは「大宜見大工一代記」(昭和63年)の著者で昭和52年、日本建築士会連合会から表彰されています。明治36年5月10日生まれ、昭和14年3月波之上宮拝殿造営など神社、仏閣、学校、郵便局など多数建築。昭和24年合資会社「金城組」代表就任、昭和29年「一級建築士」を苦学の上、取得。克子さんはその娘さんです。

カンパーイ!.JPG


【その後、自宅の「掘りこたつの間」で楽しく会食しました。子どもたちも歌で歓迎し、途中、首里城復元工事で宮大工をしている二女の亜和(あや)も仕事で帰ってきたので合流しました。
まぁ、それから5時間ほどは尽きない思いで話や初めて聞く話、裏話などで大いに盛り上がりました。
全部は書けませんが、渡久地さんの人生やその時々のできごと、広い人脈、体験から生まれた人生観、専門の建築に対する考え方、ご家族の話など今も鮮明に残っています。
渡久地さんも私たちの住む家やこれまでの手書きの本図や施工図、子どもたちへの躾(しつけ)などを見ていたく感動されていました。お互い、いい刺激になりました。】

登録有形文化財から重要指定文化財になった「旧大宜味村役場」を設計して現場管理した熊本出身の技術者「清村勉」さんの話はリアルでした。清村氏が設計した金武小学校が老朽化で取り壊す話を聞いて、孫さんを連れて来沖(最後の来沖だったそうです)されたとき渡久地さんは清村氏に直接会ったそうです。まぁ、すごい話です。
孫さんが丸めてあったA1(ワン)の大きな青図(設計図)を町の教育委員会に広げて見せて、「ここにこれだけ鉄筋が入っているので、全然大丈夫。弾丸の後はあるが、かぶり厚さがあるので強度には影響ない!」とその場で訴えたそうです。しかし、当時の教委は「もう予算も決まって着工するばかりになっている!」といって受け付けず、その後、解体されたそうです。遺(のこ)して置けば旧役場と同じように今ごろは重要文化財になっていたと思うと残念です。

旧首里城も大正2年当時の首里市議会が老朽化のため取り壊しを決めたにも関わらず、伊東忠太氏らが国に掛け合って解体工事を中止させ翌年、「沖縄神社」の「拝殿」として保存したことを考えると、まったくもったいないことをしたもんだと思います。(御嶽の神社化が皮肉にも、保存に寄与した)

このようなことを知れば知るほど、今回の「島根殿」も「国の登録文化財」として登録し、みんなで大切に当時の技術や社会背景を知るために遺したいと思います。

側溝草刈り.JPG


片付け.JPG


草刈り後.JPG


【時間は前後しますが、渡久地さんが来訪される前の2日間は「道路の草刈り」、「田んぼの草刈り」でクタクタになりました。家族全員でしますが、アルバイトや仕事で全員揃うことはありません。しかし、渡久地さんとの懇談で「このような毎日の掃除や家の手伝いが人間を作る。あなたたちはいい環境で育っているよ!」と子どもたちを励まされました。ありがとうございます。】

ハチの巣.JPG


【草刈りの途中で心然が見つけた「ハチの巣」。ハチから親子5人刺され、ヤギのパールは死んでしまいましたが、ハチは悪くありません。きっと攻撃されたと思って刺したと思います。道徳の授業で話した通り「微生物でも草でも生きものはみんな一生懸命生きている。」ので、草刈りした場所の近くに戻しました。】

カンナ.JPG


【底田原(すくたばる)の農業用水槽ヨコのカンナ。背が伸びて花も咲きました。実は毎日地下水量の点検で水源を見るのですが、その度に「ツユヒヨドリ」が絡んでいるのを見ています。鎌で切ってはカンナの茎まで切ってしまうので、少しずつですが手で切っています。そのせいでカンナに花まで咲きました。
しかし「ツユヒヨドリ」だけでなく「アメリカハマグルマ」や「ギンネム」などの外来種が、既存の草地や、山を覆い始めています。そのうち沖縄は外来種で覆われてしまうのではないかと危惧しています。
とても個人では無理です。ここは県や国が対応すべきです。外来種の生命力はものすごいです。
総選挙も始まりましたが、捨てることにも制約がある外来種の処分・・・。草刈りで汗をかくような人が、政治家になって欲しいと思いました。】
posted by 塾長 at 11:44| 教育・子育て